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竜狩りの物語第十五話   薄氷の瑕疵が軋る時

「おはようコルニクス。あれ以降、エノの体内で叡智の花弁は増えていない?」


 コルニクスの研究室へと顔を出したシオルの第一声はそれである。今日も自らが作り出した金属人形に向き合い、日課であるところの計算練習に取り組ませていたコルニクスであったが、シオルの姿を見るや立ち上がる。


「ちょっと待っていなさい。父さんはお話をしてこなきゃならない。」


「ワカッタ。エノ、レンシュウ シテルネ。」


 エノは機械的な声ながら、発話練習を重ねたおかげかかなり流暢に喋る事が可能になっていた。その金属の手で器用にペンを握り紙に数字を書き連ねているエノに優しく微笑みを返したコルニクスだったが、シオルへと向き直った時には険しい表情を浮かべていた。


 彼の声もまたとげとげしい響きへと変じていたが、それを聞かせることでエノを不安がらせないためにシオルを研究室の隅へ移動するよう促し、小声でコルニクスは喋り始める。


「あれだけ毎日私の研究室に入り浸っていたくせに、最近は急に顔を見せなくなったじゃないか。」


「それがどうしたの?言っておくけれど、教え子を束縛しようってんなら今すぐにでも学院へ苦情を言い立てるわよ。」


「そういう意味じゃない。お前がここから運び出した大量の叡智の花弁のことだ。」


 必ず何らかの形で個々に密閉しておかなければならない叡智の花弁が、エノの体内で数多くに分裂した現象から数週間は経過していた。シオルに学院外での保管を頼んでそれらを持ち出してもらってからというもの、彼女がこの研究室にほとんど足を向けなくなったことにコルニクスは疑念を抱いているのであった。


「まさかとは思うが、叡智の花弁を使って勝手な事をしているんじゃあるまいな?」


「勝手な、って、もともと叡智の花弁は誰のものでもないでしょう?」


「答えろ、あれは生命を創り出す種なんだ、雑に扱われるべき代物ではない。」


 コルニクスは今になって焦燥を抱いていた。思い返せば金属製の人形の身体を作り上げるには数多の苦心があったものの、結果だけ見れば単純な話だった。身体となる器に叡智の花弁を放り込みさえすれば、その人形は自律して行動可能な状態となるのである。


 無機物の身体を有する新たな生命の誕生は、あまりにも容易く実現できるものであった。険しく眉間に皺を刻んだコルニクスに顔を寄せられ、シオルは不愉快そうに顔を背けながらもすげなく答える。


「預かった叡智の花弁は、全て木の箱に入ったまま保管されているわ。あなたが最後に目にした時の状態から何も変わってない。」


「本当だろうな。」


「どうして疑われなきゃいけないの?こちらはあなたの求めに応じて、学院の他の先生たちにも何があったか黙ってあげているのに。」


 その点を突かれると、コルニクスは弱かった。本来であれば礼拝所に安置されるべき聖遺物、叡智の花弁を取り出したばかりか研究に転用するような真似は禁忌なのだから。シオルが口を開いたが最後、間違いなく彼は学院を追放される。


 この研究室からも追い出され、最愛のエノとも引き離されてしまうだろう。それだけは避けねばならない。


「分かった。お前の言葉を信じるよ……。」


「で、コルニクス。他に叡智の花弁が増えたりはしていないのね?」


「あぁ。あれ以降は同様の現象が起きたことは無い。」


「そう。じゃ、私は行くわ。」


 詰め寄っていたコルニクスの脇をすり抜け、シオルはあっさりと研究室から出ていく。彼女に弱みを握られているがために信じるとは伝えたものの、コルニクスの本心はシオルへの疑惑をむしろ強めていた。


 叡智の花弁が新たに増えていないことを確かめた途端、彼女はこの場に用はないとばかりに立ち去ったのである。


「やはり、あの小娘、持ち出した叡智の花弁を使って……。」


「トウサン? ケイサン ゼンブ デキタ。」


「おぉ、よくやったぞ、エノ。さぁ、答え合わせをしてみよう。それが済んだら、次はお話を読む練習だ。」


「オハナシ スキ。ハヤク ヨミタイ。」


 シオルの動向は気がかりであったものの、コルニクスがこの研究室を離れられないことに変わりはなかった。日ごとに成長を見せ、人間の子供同様に知能を獲得していくエノの愛らしさは他の何事にも替えようが無かった。


 当然のごとく学院の講義に顔を出すつもりもないシオルは、そそくさと生垣の隙間を抜けて出ていく。そのまま彼女は倉庫街へ向かう。前日、得体の知れぬ何者かに追いかけられた記憶と感覚は鮮明に残っているはずであったが、シオルの精神は図太いものであった。


「夜でなければ、問題ないわ。バルカ達が夜間巡回に来る日なら、一緒に行動すればいいだけだし。」


 昼間の倉庫街は人通りが少ないものの、商店や工場に雇われた運び人たちが荷車を引いて往来しているだけに不審者に追われる心配はなさそうであった。


 とても労働者には見えない少女がひとり歩いている様に怪訝な視線を向けられつつも、人形たちを保管している倉庫に辿り着いたシオルは鍵を開けて入っていく。


 内部では、昨晩整列させておいた通りの並びで人形たちが立ち尽くして次の指示を待っていた。


「おはよう、諸君。……なんて言っても、人形相手じゃ変わらないか。」


 コルニクスが愛情をもって育てているエノであれば「オハヨウ」とでも返事したのだろうが、単純に命令通りに動くことだけを求められた人形たちが、指示として明確な内容を持たぬ発言に反応することは無かった。


 微動だにしないそれらは、無数の甲冑や不格好な人形がただ展示されているかのように並び続けているばかりである。


「今日も新しく廃棄予定の鎧が自警団から届くはずね。人形の身体が思った以上に集まるのは嬉しいんだけれど、叡智の花弁があれ以上増えないってのには困ったわ。」


 そろそろ倉庫内も手狭になり、これ以上増やすと別の保管場所を探す羽目になるのだが、シオルの悩みは別にあった。当初、堅牢な金属の身体を有する人形を戦わせることは獣人への有効な対抗手段たり得ると考えていたのだが、実際に金属人形が出来上がってみると、それらは単体では何とも頼りなく見え始めたのである。


 例えばシオルの知る最も身近な獣人、アーネストは人間と比べ物にならぬほどの体格および膂力を誇る。元々人間が身に着けるための鎧が自律して動けるようになったところで、そんな獣人に対していかほどの戦果を挙げられるか、甚だ疑念の残るところであった。


「もっと、数を揃えなければいけないわね。エノが体内で叡智の花弁を増やしたように、ここでも叡智の花弁を増やせないかしら……。」


 シオルが頭を悩ませながら直立不動を保つ人形たちの群れを見つめていると、不意に倉庫の扉をノックする音が響く。


 彼女は警戒した。ポールソンが回収してきた鎧を荷車に積んで到着したにしては、あまりに早すぎる。それに、万一に備えてポールソンとはノック時のやり取りを決めておいたのだが、たった今行われたノックはそれとも異なる。


 シオルは慎重に扉の隙間から何者が訪れたのかを覗き見ようとした。が、彼女が確認するまでもなく、外でシオルが顔を出すのを待っている存在は声を上げてシオルを呼び始めた。


「シオルお嬢さん。自分です、アーネストです。開けてもらえますか?」


 普通の声量でも扉をビリビリと震わせるその重低音を、聞き間違えようはずも無かった。シオルは一瞬にして顔色を失う。


 計画を実行に移すまでもなく、この倉庫が獣人にバレてしまったのである。紳士的なアーネストは律義にノックをして開扉を求めているものの、彼が力尽くで押し入ろうとすれば倉庫の扉などいとも容易く破られてしまうであろう。


 もはや進退窮まった状況に、シオルは自慢の機転も凍り付かせたまま、ただ戦慄いて立ち尽くしていた。

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