忘れられたころ第二話 夢想家の日常
昼の休憩時間を終え、サボーはただ椅子に座ってボンヤリとし続けるだけであった休息から立ち上がった。書店でバイトとして働く彼は朝から散発的に送られてくる単純作業ばかりをこなし、強いて言えばその単調さとやり甲斐の無さのみが苦痛であった。
サボーの機械の身体にはさして休憩が必要なほどの疲労は溜まっておらず、エネルギー供給さえあれば食事を摂る必要も無かったのだが、この社会の労働条件を定めた法律には決められた長さの休憩時間を設けることが義務付けられていたのであった。歩き出しながら、愚痴の一つを口走るつもりで胸部の発声器官を稼働させる。
「ザザザッ……ザッザー。……んんっ、うぉっほん。最近、声の調子が悪いな。」
盛大に機械的なノイズ音を発した胸部をコツコツ叩き、人間に当てはめれば咳払いとでも称すべき音とともにサボーは改めて自らの身体を愚痴る。定期的に自らの身体パーツをクリニックで検診し、あるいは新型モデルに取り替えていれば声にノイズが混じるような現象は起きないはずであったが、サボーにはそのような経済的余裕が無かった。
彼自身は、自分の身体を構成するパーツをコロコロ変えることに反対しているとの立場を表向きに取ってはいたが。新機能や新デザインが発表されるたびにそれを取り入れて自分の姿を変えることは我慢ならない、ひとえに自己存在に対する意識が軽薄な証だ……との屁理屈にサボーはしがみついていた。
散々に見飽きた段ボール箱が並べられた倉庫へと向かい、一箱抱えて作業場へと向かう。机の上で開封した中からは、真新しい紙の香りが漂った……サボーに精密な嗅覚は備わっていなかったが。箱型の機械がテーブル上を大きく占拠する割には画面の小さいディスプレイに発注リストを表示し、入荷された書籍にチェックを入れていく。
真っ黒な画面に緑色の字が並び、慣れなければ非常に読みづらい。これが全て済めば、店頭での書籍陳列情報を参照し、客が購入した分を補充しに行かねばならない。サボーの腕時計が、仕事再開時にセットしたはずのアラーム音を今さら鳴らす。
「また時間が狂ってるのか、この時計は。もう休憩時間はとっくに終わったよ、まったく。」
サボーは毎日、ルスサカの街の書店でこのように独り言をつぶやきながら過ごしていた。機械の身体を持つ啓蒙市民が、読書や本に興味を抱くのは珍しいことではない。彼らも人間や獣人に負けず劣らず空想上の物語や日常における人物の情動を描いた小説を好み、盛んにその内容について論議する習慣を持っていた。
書店員として働き始める啓蒙市民も多く、彼らは自らの体内に書籍管理用のシステムを増設することが可能でもあったため、リストと商品の照合が求められる現場では重宝された。
だが、サボーは未だに他の種族と同じく仕事用の機器を机上に置いて、あるいは手に持って使用していた。やはり、自らを構成する身体パーツの中に新たな機能を受け入れることを頑なに拒み続けていたためである。
現在の流行は丸みを帯びたデザイン、そして対話相手へ感情を伝えやすいディスプレイ型の顔面パーツであり、ほとんどの啓蒙市民は似たような姿をしていた。今しがた倉庫へ顔を出した書店員も、昨晩の図書館員と近しい流行のパーツで自らの身体を構成している。
「サボー、バックヤードに回ってくれるかな。売り場の棚に空きが目立ってる。」
「はーい。すぐ行きます。」
一方のサボーは角ばったシルエットが目立つ身体に、前方に突き出た大型の視覚用レンズが特徴的な頭部を乗せていた。頭部もやはりゴツゴツした箱型の、到底スマートとは呼べない代物である。こんな身体にサボー本人としては、自身しか持ち得ないこだわり、そして誇りのようなものを覚えていた。
結果的に彼の有する能力は最低限のものに留まっており、現にこの書店においても単なる機械で置き換えることすら出来そうな単純作業しか任されていない。市民としての価値は、仕事上の能力によってのみ判断されるわけではないとサボー自身が堅く信じていたため、その現状に彼が目を向けることは無かったのだが。
「フン、またこの本か。宣伝をデカく打ったら、簡単に飛びつくもんだ。」
彼の顔に人間と同じく鼻があれば、鼻を鳴らしていたであろう小さな溜息とともに悪態をつく。彼が店内搬送用のコンテナに詰め込んでいくのは、今頃店先にデカデカと張り出されたポスターと同じ表紙の本である。この小説を原作としたドラマは有名俳優を起用して大きな反響を呼び、現在書店を訪れる来客の殆どが求めている商品であった。
宣伝をデカく打ったのは間違っても小売店のアルバイトに過ぎないサボーではないのだが、その独り言は広告に踊らされる民衆への嘲笑を含ませたかのごとく雑音でざらついていた。
「失礼いたしまーす。商品通りまーす。」
バックヤードから店内へと、コンテナのキャスターをゴロゴロと転がしながら進入していく。ほぼ全ての来客はサボーに注意を払わない。このみすぼらしいパーツで構成された機械の店員が、商品を書棚へと運搬している最中であることは見れば分かる。分かったうえで、客たちは陳列する前の商品をサボーが押しているコンテナから勝手に取っていく。サボーは何も言わない、彼等は決して万引き犯ではなく商品を手にレジへと向かうお客様であるからだ。
「機械には挨拶しなくていいとでも思っているのか。我々が居なければ、テレビだの通信機だのを使えずに困るのはお前たちだろうに。」
どうせ周囲に聞こえない愚痴をサボーは呟く。ただの機械と見分けのつかない姿ではなく、一人前の啓蒙市民らしい姿をしていれば、それは抱き得るはずも無い不満であった。
書店に入ってすぐ、来店者の目につきやすい売り場へとたどり着いた頃にはコンテナに積み上げられていた商品も半分ほどに減っていた。既にレジには長蛇の列が出来上がり、サボーが陳列を行う間も新たに入店してきた客たちがこぞって手に取っていく。
さんざめきながら近寄ってきた学生と思しきグループは、書店員以外は触れることがないはずの商品運搬用コンテナを勝手に覗き込み、我先にと商品を持ち出し歓声を上げながらレジへ向かっていった。
誰一人、品出しを行っている店員たるサボーに気兼ねする者はいない。
「まったくどうなってんだか。最近の学生には常識も備わっていないと見える。」
半分以上が不機嫌さを示すノイズで埋もれたサボーのボヤきも、盛況の店内では誰かに聞かれる心配もない。レジを担当しているのは彼よりも後にこの現場に入った啓蒙市民の一人であり、サボーにはとても真似のできない効率で来客を次々に捌いていった。結局、サボー自身が実際に商品棚に並べた本は数冊程度だった。この調子では、売り場への補充を急かされるのもすぐのことだろう。
「ことによっては、私を単なる品出し用マシンだと勘違いしているのかもな。」
実際のところ、その表現は単純な作業にばかり従事しているサボーの現状を的確に言い当ててはいた。この仮定は彼の自尊心を多少は救ってくれた……すなわち、彼の存在を全く無視した振る舞いを見せる来客たちは、取るに足らぬ存在であるサボーを敢えて尊重して付き合うべき相手として見ていないという事実を、別な意味合いで塗り替えてくれるものであったためである。どのように表現したにせよ、それらは全て事実だったのだが。
「ちょっと、サボー。」
「何でしょうか。」
コンテナと共に店のバックヤードへ戻ったサボーを、書店の正規社員が待ち受ける。彼が対峙した相手の装着している最新型の顔面ディスプレイは、その社員が今から喋る内容をいかに言い出しづらそうにしているか的確に表現していた。
「前も言ったと思うけれど、覚えていないかな。搬送中の商品は売り場に並べる前にお客さんに渡しちゃダメだよ。」
「はい、それは分かってるんですけれど……。」
「分かっているのなら、どうしてコンテナからお客さんが商品を勝手に取り出しても黙っているの?売り場でお目当ての商品を待ってる方もいるというのに。」
「すみません。」
サボーがその通りに来客へ注意を促したことは実のところあったのだが、彼なりに勇気を振り絞って出した言葉はあっけなく無視されていた。その時の店内状況は、至近距離で発された声に対し聞こえないフリをするにはあまりに静かであったと彼は今でも記憶している。現在レジ打ちを担当している彼の後輩が同じ注意を行ったところ、来客が素直に従っていたことはますますサボーに苦々しい思いを抱かせた。
「もしもお客さんからクレームが入ったらどうするの。律義に売り場で待っていたのに、知らない間に品切れになってたって言われたら。」
「はい……。」
「本当に頼むよ、キミも新米のバイトってわけじゃないんだしさ。それから、これもあまり言いたくはないんだけれど……。」
嘘をつけ、前々から言いたくてたまらなかったんだろう。サボーは胸の中でそう毒づきながら、困り顔を表示する書店員の顔面ディスプレイを見つめていた。
「そろそろ、仕事用のシステムを自分の中に増設してみれば?職場でのステップアップのためだと思って。」
「忠言はありがたいのですが、自分の身体を私でない物によって構成することは、私の信念に反しますので。」
「そりゃあ、個人の自由だから無理強いはできないけどさ。今のままじゃ、新しい仕事を任せられないよ。」
相手の返事を待つことなく、その社員は壁に掛けられた電話機がジリリリと呼び出し音を鳴らし始めたためそちらへ向かっていった。
サボーは自分の顔面が表情の表現手段に乏しい事に感謝していた。仮に他の大多数の啓蒙市民同様にリアルタイムで感情が表情へフィードバックされるパーツを装備していたとしたら、先ほどは嫌悪感を隠し通すのに大いに苦労したことであろう。
そして、彼の日常にはそのような経験がありふれていた。
「フン、一瞬で忘れられる流行りの商品が手に入らなかったぐらいで何だって言うんだ。お客が知らないままで図書館に埋もれてる本が、何万冊あると思ってやがる。」
誰に対して聞かせる勇気もない、彼の中だけで毒づかれたその理屈ばかりにサボーはしがみついていた。世間で流行るということは相応の価値ある内容であることの何よりもの証だったのだが、サボー自身の価値が見いだされない世間が下す評価に対し、彼は天邪鬼な態度を取り続けていた。
ちっぽけな憤りを引っ提げて倉庫へと戻り、発注リストと入荷書籍の照合作業を再開するサボー。だが、気が落ち着くまで作業が手につきそうもない。真っ黒な画面に並ぶ緑色の文字は、相変わらず読みづらい。
苛々と意味もなく画面上のリストをスクロールしていった一番下には、発注があったものの在庫不明として入荷のなかったタイトルが一件だけ表示されていた。
「リユウカ"リノモノカ"タリ……『竜狩りの物語』?あんな古臭いタイトル、今どき本屋に発注する客がいたのか。」
その時、彼は昨晩の出来事を思い出していた。同じ物語を図書館で借りた者たちと出会ったこと。自分以外にも、この物語を好んで読んでいる存在が居たこと。
「世の中ってのは、案外に狭いもんだな。こんなせせこましい街の中じゃ、尚更か。」
そんな言葉をつぶやくサボーの声は、あらかたの雑音が取り除かれていた。