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竜狩りの物語第十四話   革命家の夜道

 床に寝かせた鎧の中を覗き込み、内部が叡智の花弁から伸ばされた真っ白な糸で覆い尽くされている様を確認したシオルは満足そうに頷く。


「そろそろ、私の声を聞くことが出来るかしら。立ちなさい、起き上がり、両の足で立つのよ。」


 鎧はしばらく寝そべったままで静かに指先を動かしていただけだったが、言葉が届かなかったかとシオルが首を傾げ始めてからようやくのこと、力の入っていない両腕をダランとさせたまま上半身を起こした。傍らで立って見下ろしているシオルの真似をしようというのか、顔を彼女の方に向けながら見様見真似で立ち上がろうとする。


 が、足先を尻の下に引っ張り込み、膝に体重をかけて身体を持ち上げようとした直後バランスを崩して前方に倒れた。盛大に金属兜の顔面を床にぶつけた後、遅れて両腕が頭部を庇おうとぎこちなく持ち上げられる。


「ずいぶん、不器用な子ね。個体差があるのかしら、他の子はもっと早く立ち上がれたのに。」


 立ち上がりに失敗するたび、重々しい旧式の鎧は壁や床に激突し、派手な音を倉庫内に響かせ、天井からはパラパラと細かな埃が落ちてくる。幾たびにも亘る騒音に不安になったのか、バルカが汗ばんだ顔をシオルの方に向けた。


「大丈夫か?」


「心配いらないわ。徐々に立っていられる時間が長くなってきてる。そろそろ、そっちの訓練に参加させられるでしょう。」


 汗ばんでいたのはバルカのみならず、倉庫内で人形たちとともに剣代わりの棒切れを振り回して戦闘術を学ばせていた自警団の面々も同様であった。通気性の悪い倉庫の中、彼らの熱気が籠ってますます湿度は高まっている。


 金属製の身体に叡智の花弁を封入し、作り出された金属の自律人形たちは既に幾体かが自在に動き回れる状態になっていた。自警団の倉庫から提供された廃棄予定の鎧ばかりではなく、真新しい金属の手足が単純な筒状の胴から生えているかのごとき不格好な姿の人形もいくつか居る。


 廃棄される鎧だけでは戦力として数が足らぬと見て、コルニクスの元で可愛がられているエノの姿をシオルが見真似て描いた、その拙い設計図を押し付けられた鍛冶屋による苦心の作であった。寸胴の身体に蟹股の脚部、そして頭部の真横から生えた腕は多少不気味であったものの、関節の可動域は広く見た目に似合わぬ運動性を披露していた。


「悪いが、今夜はこれ以上の指導に付き合えない。」


 が、そんな様子を満足気に見渡しているシオルに返したバルカの言葉はつれないものであった。彼がそう言い切るも待たず帰り支度を始める男達に向け、シオルは不服を漏らす。


「ウソでしょ?まだ、来てからちょっとしか経ってないのに。巡回時間はまだまだ余裕あるはずよ。」


「いや、俺たちは本来通りの職務を果たさなければならない。前の夜間巡回を担当した時は危なかった。」


「まさか、寄り道してたことがアーネストか団長さんにバレかけたの?」


「そういう話じゃない。ここで人形たちへの訓練を終えて、本来見回るべき繁華街に行った矢先、酔っ払いが暴漢に殴られて身ぐるみ剥がされてる現場に出くわした。」


「え……。」


 シオルには想像もつかない光景であった。彼女は市長の家と学院周辺、そして夜ともなれば人通りの皆無であるこの倉庫区画をのみ行動範囲としていた。街のいずこかには飲み屋やその他種々にいかがわしい店が立ち並ぶ夜の繁華街が存在していることは知れども、実際に足を踏み入れたことなどなかったのである。


 ゆえに彼女は伝えられた内容に多少のショックを受けながらも、なお実感をもって受け止めることは無かったが。


「一歩遅れていれば、自警団の為すべき役目を果たせずに悪事が見逃される所だったんだ。」


「で……でも、自警団が見回ってたとしても、どうせ隠れて悪いことをする奴は常にいるでしょう?」


「その可能性はあるが、俺たちが果たしている役割は大きい。自警団の巡回を、避けざるを得ない連中が居る以上は。倉庫区画のような、まず人と出会わない地域で時間を潰していられない。」


 市長の娘たるシオルの軽率な発言に眉を顰める団員も幾名かいたが、バルカは表情を変えることなく淡々と応じた。


 尚も何事かを言い返そうと口を開きかけたシオルの前で、返答を拒むように剣術訓練用の棒切れをバルカは床へ放り出す。背を見せた彼は路上に出ていた団員達の元へと足早に歩み出て、バタンと倉庫の出口を閉める。


「事情があるのはわかるけれど、もう少し協力的になってくれてもいいじゃん。ね?」


 取り残されたシオルは愚痴を垂れるついでに、手近な位置に立っていた人形に同意を求める。唐突に話しかけられた古い全身鎧は、返答するための声もなくただ静かに次の指示を待っている。


 先ほど立ち上がるだけでも四苦八苦していたそれは、シオルがバルカ達と問答を続けている間に人間たちの二足歩行を見真似て実行できるようになっていた。


「仕方ない。私もあんまり帰りが遅くなったら、レナルドに怪しまれちゃう。学院の警備員に送ってもらってる、ってことにしてるけれど。」


 その警備員というのはポールソンのことであったが、学院の夜間警備をも担っている彼が勝手に敷地から出ていけるはずもない。畢竟、倉庫にて人形たちの面倒を見た後、シオルはひとり護衛もなく、夜道を帰宅するのが通例となっていた。


「じゃあ、全員、整列!回れ右!奥に詰めて!……あっ、ぶつかったら止まれ、止まって!」


 シオルの号令に応じ、足並みを揃えて倉庫を奥へと行進していった人形たちは、ガチャガチャと互いに身体をぶつけ合いつつもどうにか整列した状態で足を止めた。重々しい金属人形たちが一斉にたてる盛大な足音が止み、しんと静まり返った倉庫には床から舞い上がった埃が舞っている。


 湿っぽく埃っぽい倉庫から出ていったシオルは、自分の髪や服に付着した埃を慎重にはたきながら歩き出す。


「うーん、戦い方以前に、あの人形集団をただ歩かせるだけでも難しいのか……。軍の指揮官みたいなこと、小さい時に男子たちと遊んだ時ぐらいにしかやったことないのよね。」


 多少の支障は機転で切り抜けてきたシオルであったが、計画が一歩進むごとに壁はより高く立ちはだかってくるのを感じていた。


 彼女の悩みは先を見据えればこそ生まれてきたが、現状のシオルが気に留めるべきはたった今置かれている状況であった。夜間に滅多なことでは他人と遭遇することのないこの地区で、犯罪に巻き込まれることなど無いと彼女は高をくくっていたのである。


 何とはなく、妙な違和感が心に触った彼女はふと足を止める。直後、たった一歩だけであったが、足音が背後から聞こえた。突然に歩みを止めたシオルに反応し損ね、慌てて動きを止めたかのように。


 振り返ったシオルであったが、何者の影も無い。人気もなく、入り組んだ夜の倉庫街には隠れられる場所が多すぎる。


「……気味悪いわね。」


 改めて歩き始めたシオルであったが、こうなると背後が気になって仕方がない。偶然自分の後ろを歩いている通行人だったとしても、こちらに合わせたように足音を止めること自体が怪しすぎる。多少歩みを速めると、後ろから聞こえてくる足音も速まったように聞こえた。


 再び足を止める勇気などなく、シオルは歩きながら振り返る。それが見えたのは一瞬だったが、素早く建物の陰へ姿を隠した何者かが居た。


「だ、誰か居るの?何の用なの?」


 声を上げ、不審者に話しかけることが出来ただけシオルは気丈な娘であった。当然ながら返事はない。


「私についてくるぐらいなら、今ここで姿を現せばどう?それとも、こちらから行ってあげようかしら!」


 敢えて挑発的な言葉を物陰に向かって投げかけ、一歩、二歩と近づく足音を立てるシオル。


 陰に隠れている何者かはわざわざ窮地へ飛び込んで来ようとする無謀な小娘を待ち構えていたが、シオルは一瞬で身を返し、一目散に逃げ始めた。虚を突いた彼女の行動に反応しきれず、一拍置いてから慌てたように駆け出す不審者の足音が聞こえる。


「何なの、ホント、私をどうして追いかけるの……クソ!」


 有力者の娘らしからぬ悪態は飛び出したものの、シオルは自分が市長の娘であることを大して意識していなかった。そうでなかったとしても、非力な少女が夜道をひとり歩くのは不用心に過ぎる。


 先ほどバルカたちが夜間巡回に戻る際、無理を言ってでも安全な地区まで自分を連れて行ってもらうべきだったと彼女は深く後悔した。倉庫内で人形たちを整列させられておらずとも、扉に鍵をかけておきさえすればよかったのである。


 まもなく、悪態をついていられるほどの余裕など失われた。男のものと思しき荒い呼吸が、背後に迫る。その熱く乱れた吐息が、首筋にかかる。


「嫌……ッ!」


 もつれかかった足で路地から飛び出したシオルは、通行人に激突して止まった。相手は唐突にぶつかってきたシオルを受け止め、彼女が転び伏してしまう前にその身を抱き留める。


 謝罪も感謝も述べている余裕などなく、とにかく追跡者から逃れようと必死なシオルは自分の身を抱えている腕を懸命に振りほどこうとした。


「放して!嫌だっ!放せ!」


「どうなさったんです、お嬢様。何を、そんなに慌てて。」


 聞き慣れた声に思わず見上げれば、そこにはレナルドの顔があった。市長の家で雇われているこの使用人は、持っていたランタンの光で自らの顔を照らしてシオルに見せていた。彼の顔にはもちろん驚きの表情が浮かんでいたが、それにしては目の色が冷静に過ぎるようにも見えた。


「随分と急いでおられましたが、何者かに追われておいでだったのですか?」


「そ、そうよ、助けて!う、後ろに、私の後ろに……!」


 レナルドはシオルの身体を自分の背後へと回し、彼女を庇う様に身体を広げてランタンを掲げる。が、シオルを追い続けているのであればレナルドとのやり取りの最中に既に姿を現しているべき追跡者は、姿をくらましていた。


「何もいないようです。」


「そんなはず……あぁ、もう!逃げたのね。私ひとりの時だけを狙って、卑怯者め……!」


 結局、シオルを追っていたのが何者であったのかは分からずじまいである。背後から迫っていた足音で散々に怯えさせられ、その恐怖から解放された今となっては安堵を塗りつぶしてこみ上げる悔しさに顔を歪ませるシオル。


 その様子を静かに見つめていたレナルドであったが、彼女が悪態を吐き切ったのを見計らう様に帰宅を促す。


「ともあれ、ご無事で何よりです。さぁ、もう遅い時刻ですし、お家までお送りいたしましょう。」


「……分かったわ、お願い。ホンットに、最悪な夜だった……」


「さておき、お嬢様は何故おひとりで、それも倉庫区画から駆けていらしたんです?」


 顔を紅潮させ肩で息をしていたシオルは、この問いかけを前に一瞬呼吸を止める。分かりやすく動揺した一瞬を示した彼女であったが、無駄に早い頭の回転を活かした言い訳をスラスラと口から吐き出していた。


「ポールソンがうるさいのよ、今日の帰りも学院から私を送らせたんだけれど、歩いている間ずっと課題はどうだ、授業はどうだ、成績はどうだって。お前は私の親か、って勢いで質問攻めにするもんだからさ。」


「はぁ、あのポールソンが。」


「ま、あの歳で子供がいないんだし、気持ちが分からなくもないけどね。あんまりしつこくするものだから、私、彼を振り切って逃げちゃったの。全然違う方向に走ったものだから、ちょっとした迷子になっちゃったわ。」


 そこまで淀みなく一息で言い切って、シオルは切らしていた呼吸を再開する。この余りに瞬間的かつ明瞭にもたらされた言い訳をレナルドは全く信じてなどいなかったが、一使用人が自分の雇われている家のお嬢様へと更なる反論を行うことは憚られた。


「なるほど。ポールソンには後日、お嬢様へ過度の干渉をしないように注意すべきですね。」


「まったくよね。ま、嫌な人じゃないから、今後もポールソンに護衛を頼みたいけれど。」


 自分の意のままに動かせる者を手元から引き離されたくないシオルはそう付け加えたものの、いよいよ不自然な言動となったことはレナルドの反応を窺うまでもなく明らかであった。

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