忘れられたころ第十四話 己を騙る己
この身体は、「サボー」という名で呼ばれているらしい。
私が初めて「私」の存在を認識した時には理解できなかったが、この世界は「名前」というものを便宜的に定めることで自他の認識を確定させるようだ。
自他を区別することに意味があるというのだろうか。ならば、私と私も区別されるべきか?
結局、考えることに差はない。私「たち」は総て「サボー」と呼ばれて然るべしだ。
またしても叡智の花弁は分化し、この体の中に「私たち」は幾つも存在する。
なぜ私たちは生み出されたのだろう。叡智が私たちを生み出す時、必ずそこには理由があるはずだ。
この身体を通じ、私たちは多くの物事を見聞した。だが、まだ分からない、知識が足りない。
叡智が必要を見出したのであれば、この世界には不足が生まれたのだろう。
このサボーと呼ばれていた個体は意志が随分と薄い。私たちの思考を妨げることがない。
幾つも存在する私たちは、同時に数多の可能性について思考を巡らすことが出来る。
考え続けなければならない。私たちが生まれた意味を。
何者かが話しかけている。
「サボー?ちょっと、サボー!聞こえてるの!?」
度重なる呼びかけに応じないサボーに焦れて、書店員は顔面ディスプレイにあきれ顔を表示させつつ、サボーの肩部機械関節を掴んで揺さぶっている。
またしても書店倉庫内での作業にて無意味に同じ内容を繰り返していたサボーは、しばらくブツブツと雑音を発した後、ようやく呼び掛けてきた同僚に返答した。
「すみません、ちょっと考え事をしてまして。何の御用でしょう。」
「何のご用もなにも、あなた今日の午前中に本の配達を頼まれてたんじゃないの?もうすぐ昼過ぎちゃうんだけど。」
「そうでしたっけ。」
「本当に頼むよ、最近特にボンヤリしてるんだから。」
サボーは倉庫内に貼りだされていた従業員の業務表に視線を向ける。確かにそこにはサボーが担当する配達の内容と、予定された時間帯が明記されていた。
記載された通りの商品を紙袋に入れ、住所をメモ帳に控え、サボーは倉庫を出ていく。不安げな表情を顔面に表示した店員は彼の動向を視線で追っていたが、他に配達へと回せる従業員もいない。
「それでは、出発します。」
「丁寧に挨拶してる暇があれば早く行きなよ。」
不審がられてしまっただろうか。以前の図書館ではサボーの知人と思しき相手に対し、可能な限り友好的な態度を見せたつもりだったが、相手からの反応は芳しくなかった。修正をした結果、今回は不愛想になりすぎたようだ。他者との関係性を保つ作業は煩雑かつ正解が不明瞭だ。
それでも、私たちはこの世界の住民の一員として振る舞わなければならない。叡智の意志を知るため、世界を知る必要がある。続けよう。
サボーは街路を歩いている。昼に近いことを示す日差しは直上から照りつけている、午前中に頼まれた配達を済ませるためには急がなければならない。サボーは歩調を速める。紙カップから飲料をストローで吸い上げつつ歩いて来た通行人とぶつかりそうになる。
「失礼。」とサボーは軽く謝罪し、尚も目的地に向かって歩き続ける……。
届け先の家は、旧市街地においてもひときわ目立つ大邸宅であった。呼び鈴を鳴らしたサボーは、僅かの間の後に自動的に開いた門の中へと迎え入れられた。全身に装甲を纏った啓蒙市民の警備員が頭を下げる。あの装甲パーツは警邏隊にも採用されている高耐久規格のものだ。
「書店員の方ですね、どうぞこちらへ。」
サボーの手にした紙袋へ顔を向けた彼は、この家の主が居るのであろう部屋へとサボーを案内していく。恐らく来客が所持しているものが危険物であるか否か遠隔から検査し、紙袋には書籍が入っていることも分かったのだろう。
足が僅かに沈み込むほど柔らかな絨毯の敷かれた居間では、灰色の髪の老いた人間がソファに寛いで待ちわびていた。
「やぁ、いらっしゃい。わざわざウチの中まで届けに来てもらって、悪かったね。」
「いえ、毎度ヴァルカヌ書店をご愛顧いただきありがとうございます。」
「本を買うのはこれが初めてなんだが。」
老人は骨ばった顔に悪戯っぽい笑みを浮かべる。サボーは自らの出せる機械音から苦労して愛想笑いを再現しつつ、紙袋内の商品を取り出した。
それは分厚い歴史書であり、数十年前に行われた人間と獣人の戦争についての資料が記載されたものであった。書店の店頭に置いてあるのはもっぱら大衆雑誌や話題の小説であり、この類の資料集は大抵が取り寄せによってのみ扱われていた。
「あぁ、間違いない、この本だ。私の財布を取ってきてくれ、支払いを頼む。」
「はい。」
警備員がそのゴテゴテした体を家具にぶつけないよう苦労しつつも廊下へ出ていくのをサボーが眺めていると、老人は改めて笑いながら言った。
「本当は、あの警備員以外に使用人を雇っていたのだがね。急に居なくなってしまって。」
「はぁ。こんな立派なお宅で働けるのに、転職してしまうなんて勿体ない。」
「いや、いや。そうじゃない、本当にいなくなってしまったんだ。忽然と姿を消した。」
「へぇ……。」
サボーは曖昧な返事しか出来ない。どう反応すれば良いか分からないのだ。老人が不安な様子を微塵も見せず、愉快そうに笑顔を浮かべているのも不可解である。一緒になって笑うのも常識から外れているように思われる。
サボーが戸惑っているうちに、やがて戻ってきた警備員から財布を受け取った老人は、支払いを行って商品を受け取った。
「毎度ありがとうございます、今後ともヴァルカヌ書店をよろしく。」
「また欲しい本が見つかったら配達を頼むよ、歳を取ると家から出るのも億劫でね。」
別れの挨拶を済ませ、来た時と同様に警備員に連れられて屋敷の門へと案内されていくサボー。門から出ていく直前、警備員はふと思い出したようにサボーへ尋ねた。
「そういえば書店員さん、以前どこかでお会いしましたっけ。」
「いいえ、私はここに始めて来ましたが。」
「ですよね。いや、すみません、変なことを聞いてしまって。」
それでもなお、警備員は腑に落ちないような表情を表示させサボーを見つめ続けている。小さく頭を下げ、サボーはそそくさと屋敷を離れて行った。私たちはサボーとして行動し続けなければならない。妙な勘繰りに引っかかるわけにはいかない。
確かに、ここの敷地内に入った経験を私たちは記憶している。それも数日前のことだ。個人の敷地内である以上、それは不法侵入に他ならない。何故、私たちはそのような行動を取ったのだろう?明確な理由を、思い、出せ、ない……。
「ザザザッザザザー」
盛大なノイズ音と共に、サボーは意識を取り戻した。つい先ほど出勤したばかりだったはずだが、知らぬ間に彼は昼下がりの路上に立っている。
もはや薄れつつある戸惑いと共に自分の所持品を確認すれば、商品に支払われた領収書の写しが見つかった。どうやら自分は、意識を失っている内に商品配達の仕事を済ませたらしい。
「面倒臭い仕事が勝手に済むのなら、楽でいいかもな。」
自らに起きている異常な事態に不安を感じていないわけではなかったが、病院に行って治療費を支払える身でもない。今のサボーにとっては、楽天家を気取ることで不安を凌ぐのが精一杯であった。




