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忘れられたころ第十三話   欠けていく日常

 爽やかな朝日に照らされている割には埃っぽい旧市街の早朝、職場である市場の商店に到着したフィガロは見慣れぬ光景を目にした。本日販売する商品を満載したリヤカーが数台、店の前に停まったままになっていたのである。いつも通りであれば店長が卸売業者から買い付けたそれらの品物は、店員たちが出勤するまでに荷解きされ、倉庫へ運び込まれるのを待っているものなのだが。


 リヤカーを引くために雇われた男達は、指示を出されないまま無為に待ち続けていた。


「どうしたんだ?早いところ商品を並べるなり倉庫に入れるなりしないと、開店に間に合わないぞ。」


「それがだな、フィガロ。店長がどこにもいないんだ。」


 フィガロの問いかけに答えたのは、黒い毛並みを持つ猫型の新参画市民……すなわち獣人、コークである。この同僚のことをフィガロはあまり好いてはいなかった、店で働く熱意は大して無いわりに客寄せの話術だけは妙に巧みで、店長からフィガロとの「働きぶり」を比較される対象にもしばしば挙げられたからである。


「店長がいない?だが、商品の買い付けは店長が済ませたんだろ?」


「あぁ、その時点では居たらしいんだが、品物をここに運んでくるまでの間に、はぐれちまったそうだ。」


「はぐれた、って……自分の庭みたいなもんだろ、この市場は。」


「だよなぁ。ま、なんか用事があるんだろうけど。」


 やはりコークの口調には緊張感が無かったが、現在この店が置かれた状況は間違いなく危機的であった。店の営業許可を有しているのは店長であり、彼が居なければ勝手に本日の営業を開始することは出来ない。仕入れた品物の荷解きも店長の許可なしに行っては、買い付け内容に間違いがあった際にまた面倒なことになる。


 積荷運びに雇われた男達は、延々と重いリヤカーの梶棒を握ったまま無為に待たされ続けたためか一様に不機嫌な表情を浮かべていた。状況が手詰まりであることは一従業員に過ぎないフィガロにもはっきりと理解できたが、この場には一従業員以上の存在自体が居なかった。暫しの沈黙の後、コークが口を開く。


「……商品の仕入れ作業、済ませちまうか。」


「えっ?だが、店長が居ないんだぞ。」


「居なくっても、買い付けは済んでるんだしさ。商品を並べて売るのなら、俺たちが毎日やってることだし。」


「でも、店長が戻って来たらどう言われることか……」


「店長のことなら、いつの間にかいなくなってたことに気付かず開店しました、ってことにすりゃあいい。」


 相変わらず能天気なコークであったが、この場をとりあえず収める上では悪くない提案ではあった。リヤカーを引いた男達の苛々した目線を浴びながら、いつ戻ってくるとも知れない店長を待ち続けるのも酷な話だった。それに、店長からの覚えが良いコークのことである。どうせコイツは叱られない。


 荷解きをしてしまえば、後はいつも通りの業務であった、商品の並べ方を口うるさく指示する店長が居ない以外は。倉庫に保管する分の商品を抱えて店の奥に入っていったコークは、戻ってきた時その手に幾枚かの封筒を持っていた。積荷運びの男達に笑顔を振りまきながら、それを差し出している。


「いやぁ、待たせちまって悪かったな。今日のお仕事の報酬だ、ちょっと色を付けといたから。」


「えっ……?」


 賃金の管理に至っては、従業員が確実に手を出せない領域のはずである。制止することも出来ずポカンと見つめているフィガロの前で、コークの手から貨幣の入った封筒を受け取っていく男達。


「えっと、報酬の量はそんなもんだよな?店長はその封筒に何か書き込んでた気もするが……ま、金が入ってたら関係ないよな。中身を確かめといてくれ。」


 色を付けておいたというのはコークの出まかせではなかったらしく、積荷引きに雇われた男たちは多少機嫌を直した様子でその場を去っていった。


「おい、おい。お前、店の金を勝手に……」


「まぁ、大丈夫だろ。店長がいつも何処から金を出してるか、見てたし。」


「それも問題かもしれないが、ダメだろ、俺たちみたいなタダの店員が触っちゃ。」


「じゃあ、さっきの人間どもに賃金を支払わないまま、うちの店前でたむろさせとけってのか?」


 フィガロは押し黙る。コークの言った通り、そのような状況を作ってしまっては客の入りに確実に影響が出る。ただでさえ、獣人によって人間の働き口が奪われているなどと喧伝する輩が居るこのご時世だ。不機嫌な人間の労働者たちが獣人の下で不承不承に働き、賃金も出されないとなれば暴動を引き起こすかもしれない……極端な話かもしれないが。


「まぁ、心配すんなってフィガロ。店長が戻って来れば、俺がやったって言うから。」


「……フン、優良従業員のコークなら、目を瞑ってもらえるだろうな。」


「さてな。んじゃ、本日もお仕事頑張ろう……ってことで。これも店長の朝礼代わりだ、楽でいいだろ。」


 実際にコークが頑張っている様子など全くと言っていいほど見られなかったが、こういったイレギュラーな事態に於いては殊に彼の要領の良さは際立った。やがて次々に出勤してきた店の売り子たちにも店長が姿を見せない旨を何やかやともっともらしい理屈をつけて伝え、開店時刻を迎えるころには平常通りの営業が開始された。


(ひとまずは乗り切れたような気はするが……この店、どうなるんだ。)


 能天気なコークとは異なり、フィガロの懸念は刻々と時が過ぎるほどに深くなっていった。時刻も朝と呼べる頃を過ぎ、昼前の来客に備えて倉庫から商品を売り場へと運ぶ時になっても、店長は姿を現さない。


 業務以外のことにかまけていられる暇を持つ者は売り場には居ないはずだったが、試食コーナーの果物を鼻歌とともに切り分けているコークに向かってフィガロはそっと耳打ちした。


「なぁ、店長、来ないぞ。」


「ん?まだ来てないのか?」


「お前、気にもしてないのかよ。」


「来たのなら、帳場の金が減ってることを怒鳴りながら現れるだろうからな。」


「そうなりゃ、すぐに分かるだろうけどさ……あ、いらっしゃいませー……」


 徐々に増えてくる客足に、店員同士で話をしている余裕も無くなっていく。繁忙な時間帯に備えて品出しをしたはずが、見落としていた商品棚が知らぬ間に空っぽになっていることに気づき、慌てて倉庫へ走ったことも幾たびかあった。口うるさく神経質な店長だったが、このような現場にはうってつけの人材であったことも今さら実感するフィガロ。


 だが店長の不在は、この場にのみ影響を及ぼすものではない。事務所に彼の姿が無いまま時が進むごとに、新たな不安が頭を擡げ始めた。客の入りが切れたひとときを見計らって、再びコークへと話しかけに行く。


「この店の店長ってさ、どこかから雇われてたりするのか?」


「いや、雇われ店長ってわけじゃなさそうだったな。この市場の地主に頭を下げに行くことぐらいはあるらしいが。」


「……だよな、ってことは、店長がマジで居なくなったら、この店……」


「無くなっちまう、かなぁ?」


「かなぁ?じゃねーよ。許可持ってる店主抜きで営業出来るワケないだろ。」


 店長が一時的に別の用事で姿を現さないのではなく、本当に消えてしまったとなればフィガロの懸念は現実となる。そうなれば、今度こそいかにも「獣人らしい」肉体労働に従事することになるか。


 それらの仕事を蔑むつもりは無かったが、希望した職種への道を人間たちの都合で閉ざされ、旧来の獣人たちが強いられた働き方へと押し流されるような感覚には少なからず抵抗を覚えた。


 今回の件は、未だ明確な結果が示されたわけではないのだが。店長がいつも通り姿を見せてくれさえすれば良いのだ。鬱陶しく顔を思い出したくもない店長であったが、フィガロの生計を立てる場を支えていたことには違いない。


「警察とかに、届け出たほうがいいのかな。」


「別にいいだろ、子供じゃないんだし、半日姿が無かったぐらいで。」


 相変わらずコークは能天気な面を晒しながら、売り場の棚の奥に押し込まれかけている野菜を手前へと引っ張り出す作業に従事していた。

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