竜狩りの物語第十話 畏敬の程も人次第
シオルが通う学院からは多少離れた地区であったが、住宅街の外れには倉庫の立ち並ぶ区画があった。
建物の間には荷車が通れるだけの幅が確保され、道の両脇を無機質な壁が取り囲む殺風景なエリア。倉庫は二階建てであったり三階建てであったり、あるいは屋根の傾斜角度が違ったりと様々に異なる姿をしてはいたが。
「こちらでございます、ただいまお開けいたしますので少々お待ちを。なにぶん、長い事使われておりませんで。」
シオルを連れて倉庫のひとつを案内しにきた管理人は鍵束の中から正しい鍵を見つけ出すのにしばし手間取った後、錆びかけた鍵穴にそれを差し込む。重い扉が開かれ、淀んだ空気が流れ出してきた。
小さな窓からの採光は乏しく、昼間でも内部は薄暗い。倉庫の管理人に先導されて中へと入ってきたシオルはランタンを掲げ、内部の様子を……特に床や壁面の状態をくまなく見ようとしていた。
「それというのも設計のミスで換気が不十分でして。ジメジメしていてすぐカビが繁殖するんですよ。」
「そのようね。」
管理人が言った通り、灯りを近づけた壁面には無数の白い斑点がへばりついていた。菌類が盛大に繁殖しているあの学院の裏庭に近い環境であることは、シオルの表情をほころばせた。
「決めたわ。この倉庫を使わせてもらいましょう。」
「保管した物にカビが生えても、こちらは弁償しかねますよ。あらかじめ警告はしましたからね。」
「えぇ、むしろ都合がいいわ。おかげで格安の料金で借りられるわけだし。」
市長である父親からシオルが受け取っている小遣いで、十分に支払える程度の倉庫使用料であった。管理人と共に事務所へと戻り、父親の身分と連絡先を勝手に契約書類へ書きこむ。斯くして、彼女は自由に使える場所を手に入れた。あとは、例のものを運び込むだけだ。
学院の裏庭へと戻ったシオルは、研究室の外でそわそわと待ちわびているコルニクスの姿を見出した。小屋の傍には無数の木の小箱が積み上げられている。閉じ込められた箱の中で叡智の花弁が活発に動き回っているのか、教授が手で押さえつけていなければカタカタと震えながら移動していこうとするものもある。
エノの身体の中から取り出される新たな叡智の花弁はあの後も増え続け、その数は百に届こうとしていた。
「あぁ、ようやく戻って来たか!倉庫を借りることは出来たのか?早く、この大量の箱を持ちだしてってくれ!」
昨日のうちに知り合いの家具職人から木の端材を引き取ってきたシオルは、ポールソンに庭いじりを一旦止め、箱作りに専念するよう命じていたのであった。
以前レナルドと詰め所を訪れた際に聞いた通り、自警団員は自分たちの宿舎の修繕も業者の力を借りず行う。元自警団のポールソンもまた器用に鋸を引き、釘を打ち、手際よく箱を作り続けていた。
気が気でなかったのはコルニクスである。叡智の花弁を収め、花弁が発する白い糸の成長を押しとどめるための容器はポールソンが作ってくれるおかげで間に合った。が、それらの箱は研究室内に収まりきらない。屋外に積み上げておくしかなかったが、もしも学院の他の教授に見咎められでもしたら、自らの研究内容が露見する。
聖遺物たる叡智の花弁を研究に転用するのは宗教上の禁忌なのだ。
「たとえ見られたとしても、こんな間に合わせの木の箱に、まさか聖遺物が収められているだなんて誰も考えもしないんじゃないかしら。」
「では何を収めているのかと問い詰められては、どう答えればよいのだ。」
「適当にとぼけておけば良いと思うけど。ま、コルニクス先生は口下手でしょうからね。」
シオルの狙い通り、コルニクスは大量に謎の箱を積み上げている状況を、他の教授に見られずに済ませることを第一に考えていた。シオルは彼を安心させるためと、自分の計画通りにことが進んでいる満足感から笑みを浮かべ、尚も愚直に空の木箱を作り続けているポールソンに声を掛ける。
「ポールソン、その辺で良いわ。学院の用具入れに荷車か何かないかしら、倉庫への運搬を始めたいの。」
「花壇に土を運び入れる用のものがある。正門から回ってこないと、引っ張って来れないが。」
「そこの道端まで引っ張ってきてちょうだい。そしたら、生垣のすき間から箱を渡していくから積んでいって。」
ポールソンは頷き、裏庭からの金属扉を開いて校舎へ入っていく。コルニクスは心配そうに冷や汗を流していた。
「何のために荷車を使うのか、と聞かれて余計な事を言わんだろうな、あの男は。」
「こういった計画を進める時は、協力者を信じて任せることが大切よ。全部自分でやるのが確実だとしてもね。」
はたして、ポールソンは荷車に幌を被せ、スコップの柄や肥料の袋を端から覗かせた状態でそれを引っ張ってきたのであった。
「悪くない隠蔽工作だろう。私が庭いじりの道具を運ぶことは、何もおかしいことではない。」
「流石よ、ポールソン。さ、箱を積み込んでいきましょう。」
コルニクスは以前の経験から生垣のすき間を潜ろうとしたがらなかったので、小柄なシオルが箱を持ってその場所を通り抜け、荷車で待つポールソンへ手渡す役割を担った。徐々に運搬作業に慣れてきた三名は、叡智の花弁を収めた小箱を互いに投げ渡しながら積み込み作業を進めていく。
場所が場所であれば礼拝所の聖堂にて恭しく祀られている叡智の花弁が、このように乱雑な扱いを受けていると誰が知るだろうか。
「肥料の袋を積んできて良かった、カタカタと震える奴を押さえつけておける。」
「その箱がひとりでにカタカタ震えるのが、礼拝所じゃ奇蹟だとされているんだけれど。」
やがて全ての箱を荷車に積み終えた一同は額の汗をぬぐい、暫しの達成感に浸る。同じ学院の教授に見咎められることなく作業が済んだことにホッと一息ついたコルニクスであったが、今さらになって新たな不安が募りだした。生垣の向こう側では、ポールソンが荷車に幌を被せ、積載物を覆い隠している。
「ところで、叡智の花弁を保管しておく倉庫は、どこにあるんだ?」
「あら、気になる?一緒に来てもらえれば、分かるわ。」
「……ダメだ、エノをここに置いていけない。」
コルニクスが可愛がって育てている生きた金属人形、叡智の花弁による実験の成功例たるエノから離れられずに居ることなど、シオルはお見通しであった。
「そう、コルニクス先生はお忙しいでしょうね。ここに倉庫の住所が書いてあるわ、一応渡しておくから。」
「その場所は……大丈夫なんだろうな?私の与り知らぬところで、叡智の花弁がさらに増えるようなことは無いだろうな?」
「えぇ、倉庫ですもの。通気性が良くて、乾燥状態が保たれているわ。」
シオルがさらりと吐いた嘘を信じ込んで、コルニクスは一安心した様子であった。ポールソンが梶棒を握って引っ張り、荷車は前進していく。
実際はジメジメとしたあの倉庫の中は、叡智の花弁がその神経を成長させるに理想的な環境である。あとは、花弁が器として用いる金属の身体をいかにして調達するかがシオルに残された課題であった。




