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竜狩りの物語第一話   大胆不敵な小娘

 人並外れて豪胆かつ無知なる勇者は、この世の叡智を担いし竜を狩った。


 竜は狩られたが、やはり人の無知なるを哀れみ、叡智を世に遺した。


 人の手に叡智はわたり、人は叡智を享受し、繁栄を謳歌した。


 竜から叡智を授かりはしたが、人は無知なままであった。


 人の知は、既に叡智のあるがゆえに無用であった。


 竜の叡智は、ついに人の叡智とならなかった。


 人はやがて竜を忘れ、叡智の主を忘れる。


 しかし叡智は、竜を見出すだろう。



 この世の人間たちは、長きにわたり獣人によって支配され服従させられていた。だが、元来獣たちには他種族を征服するという発想は無い。自分たちの食糧となり得るか、自分たちの天敵となり得るか、何の関係性も持たぬかのいずれかである。


 獣たちに知恵を与えたのは、一匹の竜であった。逞しい四肢と一対の翼を誇る龍ではなく、その眷属に過ぎぬ、足と翼をそれぞれ一対しか持たぬ竜。一匹居さえすればこの世界ひとつの把握は十分であり、偉大な龍は矮小なる竜を残して太古の昔にこの世を去った。


 たった一匹で生き続けた聡明な竜は、動物から分かれ出でた人間という種族の愚かしさを長きにわたって見つめ続けていた。同族同士で小競り合いに明け暮れ、短い命をさらに縮めることに終始する小さき生き物たち。ある時、竜は屈強な肉体を持つ獣人たちを指揮し、人間たちが散発的な抗争を続ける戦場へと乗り込ませた。


 竜によって知恵を与えられ、統率の取れた戦術を実行する獣人たちに人間が叶う道理はない。彼等は歯向かう者たちには容赦しなかったが、人間たちが日々の暮らしを営む街へ入る頃には牙も刃も収めていた。


 獣人たちが代わりに取り出したのは筆記具であり、震えて命乞いをする人間達から彼らの築き上げた独自の文化や言語を学び、現地の民衆を取り込んでいくための手がかりとした。


 単なる弱肉強食、適者生存による光景が繰り広げられていたそれまでの世界は大きく変化した。獣人の軍団によって支配された地域の中には戦場と化して灰燼に帰した街や、戦場に気の逸った獣人の略奪行為によって荒らされた街もあったが、征服者たちとて廃墟を支配することに意味を見出さなかった。


 徹底抗戦を択んだ人間側の統治者たちは容赦なく処刑されたものの、獣人による支配は助命した人間を新たな統治者に据え間接的に行われた。竜が送り込んだ軍への隷従は統治者たちの立場から見れば過酷なものであったが、戦場に巻き込まれなかった一般民衆には戦争の影響を除けばさしたる変化を覚えない者が多かった。


 人間たちを支配する竜の方針は、被征服民たちが敢えて反乱を起こす理由を悉く前もって取り除くものであった。征服者たちは支配領域内の市民に自由通商を許し、文化交流を奨励した。


 軍事力として働くのは例外なく獣人の役割であり、都市部や村に属さない者たち――脱走兵や野盗、その他の少数部族など――は豊富な実戦経験を持つ獣人部隊によってあっけなく蹂躙され、ないしは服従させられ、たった一匹の竜が築き上げた帝国は揺ぎ無き泰平の時代を実現させていった。


 治安維持に奔走する獣人たちはこの世界で最も名誉ある存在とされ、そんな彼らへの畏敬を人間たちは幼少期から学び続けながら、宗教や文学、芸術など、様々な分野で文化を熟成させていった。


 竜が指揮する獣人の軍団による支配は盤石のものであった。が、その泰平の世においても叛逆を企む者は現れた。いや寧ろ、泰平が長く続いたが故に現れたとも言えよう。獣人の軍団によって人間たちへ課される租税は、在野の賊たちによる襲撃から街や村を守る部隊を維持するうえで必要であったのだが、そのような武力の激突が偶にしか起きなくなってからというもの徴収された税の行方は形骸化した。


 代々人間たちの街に駐屯する部隊長の家柄は相応の威厳を保っていたものの、彼らが武器や鎧を身に着けるのは年に数回の儀礼時ないしは軍事演習の時のみであることは知れ渡っていたのである。


 このような現状を、一人の人間の娘は馬鹿らしいと感じた。彼女は若く、この社会がいかにして構成されているかを知らなかった。とある街の市長の娘であった彼女は比較的裕福な暮らしをしていたが、彼女の友人たちの中には貧窮に苦しめられる家の出の者もいた。


 幼少期は共に遊び学んでいた友たちが、未だ大人に手の届かぬ年齢から過酷な労働に就き、あるいは講義料を支払えぬため学院に通えなくなり、自らと疎遠になっていくことに娘は心を痛めた。


 思いつめた挙句、娘は獣人たちが課す税金こそ諸悪の根源と断じた。彼女が知る唯一にして最も簡単に彼らと接触する手段は、街の駐留軍の窓口へと向かうことであった。帝国領土内の治安維持を担っていたのは獣人の軍団であったが、人間たちの市街地内においては軍が駆り出されるまでもない事案に対処するための警備部隊が運用されていた。人間たちの入隊志願者を募っていたのが、その窓口である。


「おや、シオルお嬢さん。」


 警備部隊の入隊受付窓口へと駆け込んできた娘を見て獣人の発した言葉はそれだけだったが、聞く者の腹の底まで響き震わせるような重々しい声は仮に彼が全力で怒号を発した場合、人間の小部隊などその声だけで吹き飛ばせるだろうほどの迫力を含んでいた。


 彼が娘の名を知っているのは彼女の幼少期より統治者の親族として付き合いがあったためであり、ゆえに彼の声を聞き慣れていた娘は物怖じせず即座に言葉を返した。


「アーネスト。聞きたいことがあるの。」


 獣人たちが人間のように名前を持つ習慣は本来無く、外見や体臭、あるいは鳴き声によって個々を識別するのが常である。命名なくして対象を明確に認識できない人間と交流する必要を持つ者に限り、便宜上の名乗りを得ていた。


「えぇ、お嬢さんのご質問なれば、何なりと。」


「獣人に支払う税金、無くせないの?」


 人間たちからはアーネストと呼ばれるこの獣人の顔には、さして大きな表情の変化は見られなかった。静かにしていても十分すぎるほど威圧感のある真っ黒な毛並みに覆われた大きな顔に対峙して、服の襟にかかる程度に黒髪を切り詰めた娘は意志の強そうな大きな眼を見開いていた。


「お住いの街を外敵から守るためには必要ですよ、お嬢さん。市民の皆様には、例外なく平等にお支払いいただいております。」


「表向きの理由を聞きたいんじゃないの。獣人の部隊が、演習以外で武器を振ってるところを誰も見た事がないもの。」


「有事の際に、慌てて部隊を訓練していては間に合いません。軍には維持費が掛かるんですよ。」


 彼の申し開きは事実であった。獣人の軍は仮に人間の街から食糧や武器を入手する際も、支配下に置いた人間たちに対価を支払うことを怠らなかった。力尽くで奪うことは容易かったが、交戦状態にない相手から強奪を行うことは不名誉な行為とされ軍律において厳しく罰せられた。


 ひとたび崩された社会秩序を再び安定させることがいかに困難であるか、征服と支配の戦いに身を置き続けていた彼らは熟知していた。


 獣人たちはあらかじめ市民へ納税を課しておけば、購入資金が安定的に得られるのである。人間の非力さでは到底押し戻せない剛腕が、貨幣を差し出すことで紳士的に引っ込められるのであれば人間たちの取り得る選択肢に他は無かった。


「じゃあ、人間だけの力で街の安全を守っていたら、税金は無くなるの?」


「仮にそんなことが出来れば、可能かもしれませんね。」


「やってみせるわ!あんたたち獣人を追い出して、私の友達を苦しめている税金を払わなくていい街にする!」


 余りに現実を知らぬ小娘の啖呵が窓口の奥へも届いたのか、他の獣人たちのくぐもった笑い声が聞こえてくる。アーネストもようやく口元を歪めて笑顔を作ったが、獣人の中でも比較的穏やかな顔つきをした彼の印象を崩すことは無かった。


 それは決して宣戦を布告された者が浮かべる好戦的な笑みではなく、聞き分けの悪い子供の戯言に付き合わされる大人が浮かべる苦笑そのものであった。


「よろしいですか、お嬢さん。」


 その気になれば一喝するだけで小柄な人間の娘を震え上がらせ退散させることなど造作もなかったが、この窓口係の獣人は気の長く親身な性格であった。立ち上がって余計な威圧感を与えぬよう気を配りつつ、座る姿勢を正してシオルの方を向く。


「獣人の軍を追い出すほどの存在が居たとすれば、その者こそが街の安全を脅かすでしょう。」


「そんなことない。人間の生活のために戦うんだから。」


「戦いこそは、生活を崩す行いですよ。」


 アーネストはほんの僅かに低くした声の調子で言葉を結んだ。ほんの僅かであったが、その語調の静かな迫力に気圧されたシオルが押し黙るには十分であった。現在は頻繁に戦場へ駆り出されることもなくなったとはいえ、長年を軍の中で過ごし続けてきた老兵の眼差しは十分すぎる説得力を彼の言葉に与えていた。


 結局、ちっぽけな小娘は誰も窓口を訪ねて来ず暇そうに本を捲っているアーネストの前で何も言い返せることなく、すごすごと引き下がったのであった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 一気に場面転換しました。これは2つの世界で物語が進行するのですか。
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