竜狩りの物語第九話 分化せし叡智は人を躍らす
「はぁ……正直に伝えても、外部の人間にコルニクスが気前よくあの人形を見せるとも思えないし……。というか、戦闘に駆り出すなんて言ったら、いよいよ人形を連れて夜逃げしかねないわね。」
いつもの散歩道をぶらぶらと歩きながら、名案が浮かぶのを待とうか。そう都合よくアイデアが降ってくることなどそうそう無いが。シオルが憂鬱を抱えながら学院の方を振り返った時、彼女は思わぬ光景を目にした。
研究室に居残って人形の面倒を見ているはずのコルニクスが、先ほどシオルの潜り抜けてきた生垣の隙間から顔を出しているのである。彼は慎重そうに周囲を見渡していたが、既に立ち去ったものだと判断していたシオルと目が合い、慌てて身体を引っ込めようとする。
が、服の襟を生垣の枝に引っ掛け、ついでに袖口のボタンにも枝が絡まり、にっちもさっちも行かない状態に陥ったコルニクスは、あきれ顔のシオルがゆっくり歩いて近づいてくるのを待つほか無かった。
「何をしているの。エノを置いて、研究室を離れるだなんて。」
「もちろん、研究室の鍵は掛けてある。あの警備員気取りが勝手に入らんようにな。」
「だから、ポールソンなら信用できるってば。それよりも、私の質問に答えてもらえる?何のために研究室を離れようとしたの。」
コルニクスは口をへの字に結び、力尽くででも自分を拘束する生垣から抜け出そうと顔を真っ赤にして奮闘している。が、服に食い込んだ枝は外れも折れもせず、狭い隙間の中では枝を引っかけた上着を脱ぐこともかなわず、やがて肩で息をし始めた彼は観念したように口を開いた。
「……箱が必要なのだ。」
「箱?何に使うの。」
「お前が知る必要はない。」
「今すぐ、他の教授に助けを呼びにいきましょうか。コルニクス先生が生垣に引っかかったって。」
最後の足掻きとばかりにコルニクスはうめき声を漏らしながら体を揺さぶったが、もはや体力を使い果たしていた彼に見出せる活路は無かった。特大の溜息を一つ吐き、コルニクスは渋々と口を開く。
「『叡智の花弁』だ。それを収める箱が必要だ。」
「どうして。それは貴方の可愛がるエノの体内にあるはずのものでしょう。」
「違う。増えたんだ、増えていくんだ。」
「詳しく聞かせてちょうだい。」
コルニクスの服に絡まった枝を外してやりながらも、シオルは目を輝かせつつあった。エノが雑音しか発せない症状、叡智の花弁が増えたこと、そしてコルニクスは取り出した花弁を収める場所を欲していること。新たに湧き出してきたこれらの条件は、シオルに全く新しい道を示しつつあった。
「あの子の胴体を開いて中身を確かめてみたんだ、雑音しか発せなくなっている原因を見出すため。」
「で、叡智の花弁が増えていたのを発見したのね。それも『増えていく』ってことは、二つや三つどころの騒ぎじゃなさそうね。」
自分が余計な内容を口走ってしまったことに気づいたコルニクスであったが、顔をしかめながら生垣から早急に脱出するためもがいている。シオルは彼に続きを促した。
「それで?どうして箱が必要なの?」
「恐らく、エノが強いストレスを感じた事が原因だと思われるのだが……あのまま、複数の花弁を体内に有していては、互いに思考も干渉しあってしまう。取り出さなければならない。」
「取り出した花弁、机の引き出しにでも入れておけないの?」
「最初はそうしていたが……あぁ、取れた。来い、見れば分かる。」
ようやく忌々しい生垣の枝から解放されたコルニクスは、シオルを引き連れて研究室へと戻る。花壇跡で園芸ごてを手にしたポールソンが、研究室から出たと思いきやまた入っていくコルニクスに怪訝そうな視線を送っている。恐らく彼は、生垣に嵌まったコルニクスの尻を延々と見せられていたのだろう。
研究室の中で不安そうに待っていたエノは、早々に帰ってきたコルニクスを目にして嬉しそうな機械音をあげた。金属製の我が子に笑顔を見せつつ、コルニクスは机の引き出しを開けた。覗き込んだシオルだったが、そこには細かな糸がびっしりと詰まっているばかりで、叡智の花弁らしきものは見えない。
「なにこれ、綿……?」
「違う、これこそ叡智の花弁が、金属の身体を己が肉体とするための、いわば神経のようなものだ。」
「神経って、人間の身体にも通っている、あの神経?」
「性質は人間のものとは全く異なる。むしろ菌類が蔓延る際に出す菌糸に近い。」
「このじめじめした場所が、都合よかったのね。」
最初にエノを作り出した時コルニクスが見出したように、叡智の花弁は周囲に向けて大量の細い糸を伸ばす性質を持っているようであった。シオルが見ている目の前でも、綿のように密集したその白く細い糸は盛り上がり、引き出しから溢れそうになる。
コルニクスは慌てて引き出しを押し込み、内容物の無軌道な拡大を防いだ。
「花弁を箱から取り出すことが禁忌とされていたことの、まさかこれが理由だとは私は考えないが。」
「ともかく、何がしかの器の中に閉じ込めておかなければ、叡智の花弁はあの糸を大量に出し続けるのね。」
シオルは言いながら、机の他の引き出しが釘で打ち付けられていることに気づく。今しがたコルニクスが開けて見せた引き出しも、彼が手で押さえていなければ勝手に内部から押し出されて来るようであった。コルニクス自身は、極力そう見せまいとしていたが。
自らが困窮している様をシオルに伝えては、良くない結果が招かれるだろうことは彼も学習していた。が、押さえておくべき引き出しは机のものだけでなく、彼の二本の腕では足りなかった。軋みながら開いていく壁の戸棚を見れば、中からは先ほど見たのと同じく綿のように密集した白い糸が溢れ出しつつあった。
「あぁ、ちくしょう。これ以上花弁が増えては、閉じ込めておく場所がなくなる!」
「コルニクス、」苦々しい表情のコルニクスに対し、得意げな笑みを浮かべながらシオルは口を開いた。
「学院に知られることなく、部外者も入ってこない倉庫が欲しいと思わない?」




