表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/137

忘れられたころ第八話   英雄なお老い永らえて

 ルスサカ旧市街は路地が入り組み、ゴミゴミと小さな家々や集合住宅がせせこましく立ち並ぶ街並みであったが、街の区画整理を妨げていた何よりもの大きな要因は古くより建ち続ける街の有力者の屋敷群であった。


 ルスサカの街の成り立ちにも関わった彼らの屋敷は一般の家屋とは比べ物にならない広大な敷地を誇り、家主のみならず使用人やその家族をも敷地内に住まわせてなお余裕があった。その敷地を避けるように他の市民たちが住まう土地は作られたため、他の殆どの家々は狭小でありいびつな形をしている。


 が、その広大な敷地が邪魔だと口にする者は一人もいなかった。この街を獣人の支配から解き放ち、人間による自治を開始する切欠となった戦争にて主要な役割を果たした戦士。屋敷の持ち主こそがその本人であることは今なお老人たちの記憶に残っており、彼らの抱く畏敬の念は若い世代においてもある程度受け継がれていた。


 今まさに買い物帰りの老人が通行人から頭を下げられ、彼は笑顔と共に会釈を返しつつ曲がった腰をさすりながら敷地の中へと入っていく。彼の姿を見つけたのか、屋敷の警備員を務める啓蒙市民の一人が屋敷から慌て気味に出てきて買い物袋を老人の手から受け取った。


「おかえりなさいませ、バルカ様。しかし、お出かけになる際は必ずその旨を申し付けていただかなければ。」


「君たちに伝えてしまうと、俺の荷物持ちだ護衛だと散々な騒ぎになるだろう?自分の街でぐらい、自分の好きに歩き回らせてくれんか。」


「ご自身がどれほどの重要人物であるか、いま一度自覚していただきたいものです。お昼食を用意いたしましょうか。」


「外で食べてきたよ。シオルの様子は?」


「今日はご気分がよろしいようでして、洋間にてお食事を召し上がった後、雑誌を見ておられます。」


 買い物の袋を渡された警備員はそのまま台所へと食材を運んでいき、バルカは毛皮の外套を脱ぎながら洋間へと向かう。洋間では一人の老婆が窓から陽射しを浴びながら、うたた寝をしているようであった。


 先ほどまで読んでいたのであろう園芸雑誌は閉じられてひざ掛けの上にある。老人が机を挟んだ向こう側にあるソファに腰かければ、彼が音を極力立てないようにしていたにもかかわらずシオルはゆっくりと目を開いた。


「おかえりなさい。また黙って一人で出てたのね。」


「おっと、警備の奴との会話が聞こえてたか。」


「違うわ。誰かと一緒に出掛けていれば、あなたが外套を自分で脱ぐことなんてないでしょう?」


 シオルが言う通り、バルカが使用人と共に外出していたのであれば、玄関先で彼の外套を脱がせてブラシ掛けしておくのは使用人の役割であった。


「相変わらずだな、君の前では隠し事も出来ない。」


「良いから、外套をその辺に放り出さないでハンガーに掛けてきてくださいな。皺になってしまうわ。」


「あぁ、俺が今座ったばかりというのも見ていただろうに。」


 老人は顔をしかめ、腰をさすりながらもソファから立ち上がった。


「それに何よりも、もうじき街の司教様がお越しになるのでしょう。この家の長として、お出迎えする手筈を整えていただかないと。」


「『この家の長』って、いつから俺と君は夫婦になったんだ。ここに居るのは赤の他人同士だろう?」


 シオルが無言で微笑み返すのを背に、バルカは部屋を出る。外套をクローゼットに掛け、その足で覗きに行った応接室はすっかり来客を出迎える準備が整っているように見えた。


 ちょうど台所から茶菓子を運んでくる足音が近づいて来たが、その不自然なまでの重々しさに振り向けば先ほどの警備員が茶菓子を盆に載せて来たのであった。


「おや、君が給仕をしてくれるのか。ルシャンは今日、休みだったかな?」


「いえ、使用人の勤務日ではありますが……なにぶん司教様が、新参画市民を良からず思われるだろうとのことで。」


「この前の演説のことか。大丈夫だ、あの男は獣人を嫌ってはいないよ。」


 街の礼拝所の司教が、朝の説教の中で新参画市民たちに対する差別的発言を行った一件は既に知れ渡っていた。そのニュースを受け取った獣人たちの殆どは憤りよりも戸惑いと恐れを抱くことが殆どだった。彼等は現在のこの社会での生活を維持することを第一に考えており、可能な限り差別に関する話題を刺激するような真似は避けていたのである。


 この屋敷で働いているルシャン、猫のような風貌の使用人もまたそういった自らの生活を優先する新参画市民の一人であった。


「そうかもしれませんが、司教様をお出迎えする上での体裁というものもありますので。あの演説が為された矢先、新参画市民である使用人に出迎えさせるわけにも参りません。」


「とはいえ、お茶を出すたびにキミのようなゴツゴツした警備員が応接室に来るのか?」


「か、可能な限り、不用意な動きは控えるようにしますから。」


 警備員は全身に装着した重々しい装甲を揺すりつつ、可能な限り彼の機械の関節が音を立てないように苦心しながら応接室へ入っていった。戦闘用のパーツでコーディネートされた機械の身体が精いっぱいに給仕らしい動きを再現しようとする様に微苦笑を浮かべ、バルカは玄関に向かった。自らが玄関先で司教を出迎えるほうが、多少は仰々しさが薄れると考えたのである。


 やがて屋敷の門に現れた司教の姿を見たバルカは、思わず笑いだしてしまった。付き添いや護衛も連れず、たった一人で裾の長い黒服を引きずるようにして庭の芝生を歩いてくるその姿は余りにも場違いなものに見えたのである。


 警備員が開いた門を抜け、玄関先のテラスチェアで身を屈めてくつくつと笑う老人の前まで歩を進めた司教は深々と頭を下げ、聖典の一節を口にした。


「常に水の如く流転するこの世に於いて、人は水面にしがみ付くことなかれ。聖典の叡智のあらんことを。」


「なんじゃい、そりゃ。根無し草な生き様を続けてきた俺への皮肉か?」


「本日語るに良き一節でしたので。お時間を戴き恐縮です、バルカ様。」


「いやいや、俺も世間話をしたいついでだからな。堅いのは無しだ、さぁ入って。」


 応接室のテーブルには、既に注ぎ口から細く湯気を上げるティーポットとカップが置かれていた。おおかた、警備員はどうあっても自分が室内に入って来ては窮屈だと判断したのだろう。


 バルカ自らがポットから茶を淹れ、恐縮する司教に差し出した。身体能力が衰えているのは外見から分かりやすい彼であったが、全く震えもしない指先は茶の表面にさざ波ひとつ立てなかった。


「で、金が欲しいって話だったかな。」


「そうは申し上げておりません。昨今の情勢をバルカ様がどのようにご覧になっておいでかと、お話を……」


「司教様、俺みたいな俗物が何を語れると思ってんだ。聖職者みたいに清廉な精神も持ってなきゃ、軍人みたいに神経が締まってるわけでもない。ただ、運が良かっただけの小僧だ。」


「あなたはこの世に人間の時代を齎した英雄なのです、現代社会における人間がいかに生き、何を心掛けるべきか、お考えになるところをお聞きしたい。」


「ハハ、そんなこと、俺なんかより司教様のほうが余程よく分かっておいでだろうに。」


 背筋に定規でも入っているかのごとくピシリと姿勢を正して座っている司教とは対照的に、老人は猫背のままテーブル上の茶菓子に手を延ばし、口の端からボロボロと食べかすをこぼしながら齧っている。彼がその長い人生の中で行儀作法を身につける機会に恵まれなかったこと、そしてその高齢にもかかわらず丈夫な歯を有していることが同時に披露されていた。


 バルカとは初対面というわけでもない司教はティーカップに口を付けた後、話題を変えることにした。


「では、お望みの世間話をお聞きしましょう。」


「いいのかい、司教様の貴重なお時間を無駄遣いしちまって。」


「バルカ様のお話を拝聴することが、私の目的には違いありませんので。」


「これは畏れ多い、普段なら俺が拝聴しに行かなきゃならん立場だってのに。じゃあ、俺が毛皮の外套を着て獣人の店に行った話でもどうだ。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ