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竜狩りの物語第七話   人遣いは親譲り

 シオルは自警団の詰め所を訪れた際、役目を言いつけられることなく暇そうにしていた老兵たちの存在を思い出していた。治安維持のため戦闘訓練を受けた彼らにも、おおよそ引退すべき年齢というものはある。


 引退後はその腕っぷしを見込まれて商店や施設の警備に雇われるか、任期中の給金を元手に商売を始める者も多い。レナルドのように市長の家で雇われる者などは、ごく少ない成功例であろう。


 が、そう都合よく物事が運ぶとは限らない。一度自警団を引退してしまえば文字通り無住所かつ無職となってしまう彼らには、元自警団員としての身分証しか手元に残らない。要領のいい者は街の見回り任務中にも地元商店の店主たちと交流し、引退後の話をつけておくのだが、それをしなかった者――至極真面目に任務に取り組んでいたか、引退後のことを何も考えていなかった者たち――には、自警団の外に行き場など無い。


 ポールソンはそういうわけでこれといった任務も与えられず、宿舎の片隅で煙たがられながらも日々を無為に過ごしている老兵のひとりであった。若い団員たちから気を遣われながらも、引退後の行く当てのない老人として反面教師のごとき目を向けられる日常にそろそろ耐えがたくなってきた頃、舞い込んできた市長の娘からの依頼は願ってもないものであった。


 レナルドが運んできた書簡に目を通した時、常時ムッツリとしていた彼の頬も隠しようがなく緩んだ。


「フン、学院の庭の手入れか。悪くない、引退後は土いじりでもして過ごそうかと考えていたからな。」


「新しい勤務先を気に入っていただければいいんですが。しかしポールソンさん、ウチのお嬢様にはお気をつけください。最近の彼女は何か企んでいます。」


 レナルドからの忠告も耳に入っていない様子で、ポールソンは宿舎の自分のベッドへ向かい、いそいそと私物をまとめ始めた。彼が自らの暮らす場所を他所へと移すのは、数十年来のことであった。


 学院の正門から見れば正反対に位置するじめついた区画は、特に名付けるほど明媚な場所でもなかったため単に裏庭と呼ばれている。かつては花壇を囲んでいたのだろうと思しきレンガ枠だけが土に半分埋もれ、カビともコケともつかぬ地衣類があちこちにべったりと張り付いている。


 それは翻せばこの付近の環境が菌類にとって過ごしやすく汚染されていないものであることの証だったが、校舎に陽射しが遮られ昼なお薄暗い中に白く浮かび上がる菌の膜を気味悪がる者の方が多かった。コルニクスの研究室は、その裏庭の片隅に立っている。


 何十年かぶりに自警団の制服ではない正装に身を包んだポールソンを、学院の人事担当者が出迎える。


「学院へようこそ、ポールソンさん。流石は元自警団員ですね、がっしりしておられる。」


「いやいや、自分はもう老人だから。」


 ポールソンは褒められ慣れていないこと丸出しなニヤケ顔の前で手を振って見せる。短足の上に腹の突き出た学院の事務員と比べれば、確かに自警団としての経歴を有するポールソンは老年期に差し掛かっていると思えないほど引き締まった身体つきではある。しかし白髪を頂いたその上背は曲がりかけていた。


「庭の手入れを行う人間が必要だと聞いて来たのだが。」


「えぇ、正門付近の花壇は用務員が毎日手入れしているのですが、どうにも裏庭までは手が回らない様子でして。」


 事務員はポールソンを引き連れ、学院の校舎内を通り抜けていく。この街を象徴する学府の威容を示すように、磨きこまれた廊下の両脇を重々しい木の扉が並んでいる。あちこちから、講義中の教授たちの声が響いてくる。


「わざわざ見に行く者もおらず、学院の中でも目に付く場所でもないため、手入れは不要と判断していたのですがね。」


「それでも気にする生徒は居たようだね。」


「えぇ、それも市長のお嬢さんからの苦情となれば、学院としても無視は出来ません。あぁいや、他の生徒からの申し立てなら無視していたというわけではないですがね。」


 自ら掘った墓穴を埋め直しながら事務員が一枚の扉を開く。校舎の隅、所々が錆びて塗装の剥げかけた金属の扉の先に裏庭はあった。ポールソンは建築に詳しいわけではなかったが、このような場所にある裏庭は確かに手入れされないはずだと感じた。


 裏庭に面した校舎の壁に窓は無く、庭の外縁は生い茂るに任された植え込みで覆われている。隅の方には半地下の小屋が一件、それを除けば白っぽいコケでまだらに覆われた地面が広がるばかりである。


「なるほど、誰の目にもつかないわけだ。」


「あちらの小屋は物置だったのですが、今は教授が一名、研究室として用いていますね。偏屈な方ですのでご注意を。」


「では、ここの手入れを任されれば良いんだな。」


「えぇ、ついでに植え込みを通り抜けようとする不審者への対処も……こんな荒れ果てた庭に入ろうとする者など居ないでしょうが。」


 その後事務室にて正式に契約を交わした後、ポールソンは勤めの間泊まり込むためにあてがわれた用務員室へ向かい、作業服に着替えた。


 学院の方で庭の手入れ用具は準備するとのことであったが、彼は自前で購入した園芸ごてや手袋を鞄へと詰め込んでいる。老後に想定していた土いじり暮らしとは少し違うが、少なからず願いは叶ったのである。前日に街の商店で吟味してきた道具を彼は揃えていたのであった。


 さっそく学院の裏庭へと戻ってきたポールソンは手袋をはめ、どこから取り掛かるべきかの目測を立て始めた。本格的な作業に入るのは明日からだが、今日の内におおよその計画を立てておかなければ、必要になりそうな物も準備できない。園芸ごてで地面のコケを剥がせそうか試そうとしたその時、唐突に声が掛けられた。


「誰だ、お前は。私の庭に何の用だ。」


 見れば、先ほど事務員から「偏屈」だと紹介のあった教授が小屋の中から顔を出している。ここで対処を誤れば新たな勤務先の居心地に重大な影響を及ぼしかねない。


 ここはお前の庭ではなく、学院の庭だろうとの反論は辛くも呑み込んだ。口が上手いわけではないポールソンが言葉を選んでいると、校舎側で金属扉の開く音と共に少女の声が返ってくる。


「私がお願いした用務員、兼、警備員さんよ。よろしくね、えっと……ポールソンさん、だったかしら。」


「あぁ。レナルドの所のお嬢様か、この場所に用務員を呼んだということは。」


「シオルよ。単にシオルとだけ呼んでくれればいいわ。」


 シオルの自己紹介は途中だったが、コルニクスの不機嫌そうな声が差し挿まれる。


「何を勝手に呼び寄せている、ここは私以外に誰も来ないから気に入っていたのに。お前が来てからというもの、騒がしくなってかなわん。」


「あら、警備員を欲しがったのはコルニクス、あなたでしょう。研究室の中を見られることなく、警備員を雇えたのは私のおかげよ。」


「ぐぬぅ……。」


 ポールソンを挟む形で言い合っていたシオルとコルニクスであったが、言い負かされる形でコルニクスが研究室の中へ引っ込んだ後、シオルはポールソンの傍へと寄ってきた。さっぱりとした黒の短髪に似合う、聡明そうな澄んだ目の少女であったが、この性格では他人に好かれることは無いだろうなとポールソンは感じていた。


「話は学院の者から聞いたと思うけれど、正直なところ、庭の手入れはどうでもいいの。」


「何だって。君自身が、この荒れた裏庭について苦情を出したと聞いたんだが。」


「それは建前よ。あなたにお願いしたいのは、ここの見張り。」


「あぁ、警備の仕事も兼ねているとは聞いた。」


「警備じゃなくて、見張りよ。あの小屋から出てきた教授、コルニクスって名前なんだけど、あいつを見張っててほしいの。」


 早くも彼女の策略に自分が巻き込まれていることに、ポールソンは気づき始めていた。レナルドが「お嬢様」に気を付けるよう言っていた意味もようやくハッキリしてきた。事ここにまで来て、断る理由はない。ポールソンが他に行き場のないことも、シオルは掴んでいるのだろう。


「別に、悪い事をするわけじゃないわ。警備員として働いている間、自然と見えたり聞こえたりすることを覚えていてくれれば良いの。」


「しかし、何のために教授を監視するような真似など。」


「どうやら彼、奇妙な研究に手を出しているらしいの。あの小屋の中には、まるで生きているように動く人形が居るのよ。」


 そのことを知らされたポールソンは、自分にも好奇心が芽生えてくるのを感じた。学問とは無縁の人生を送ってきた彼は、宗教や歴史ばかりが学院では扱われているものだとばかり考えており、生きた人形などという代物が自らのすぐ近くに存在するとは思いもよらなかったのである。


「別に、小屋の中を覗けとは言わないわ。けれど、気づいたことがあれば私に知らせてほしいの。」


「まぁ、庭手入れの傍らで済ませられるのなら、構わないが。」


 とはぶっきらぼうに言ったものの、ポールソンの思考はその世にも奇妙な生きている人形を一目見たいとの欲求に支配されつつあった。


 娯楽らしい娯楽も知らず長年を自警団の中で過ごしてきた彼は、今になって少年らしい好奇心を育て始めていたのである。当然ながら、彼の興味がそこへ向くようにシオルが仕向けた結果であるが。

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