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忘れられたころ第七話   身二つになる機械

「サボー。……サボー!」


 手元を軽く叩かれ、サボーは我に返る。自分の目の前にはいつもの作業机、入荷した書籍が収められた箱と入荷チェックリストが並んでいる。横を見ればサボーと同じ書店で働いている売り場リーダーがこちらの顔を覗き込んでいる。


「何をボンヤリしているの?早く売り場の補充に行ってって言ってるのに。」


「あ、あぁ、スミマセン。ちょっとボーッとしてまして。」


「本当に大丈夫?さっきから同じ本の束、積み上げ直してるばかりだけど。」


 周囲を見回してみれば、周囲で同じ作業を続けている店員たちもこちらを覗いていた。似たような手元での作業が続くこの仕事では、ちょっとやそっと余計な動作をしたところで気づかれやしない。にも拘らずサボーの作業内容が異様であったことに気づくということは、よほど長時間にわたって同じ書籍の束と取っ組んでいたらしい。


「えぇと、売り場、行ってきます。」


「ちょっと、書籍ターミナル忘れてるよ。何をしに出るのか、分かってる?」


「は、はい、えぇと、レジ場に行って、お客さんのお会計を……」


「違うでしょう、補充って言ったんだけど。もういいよ、今日は帰って。」


「ですけど、まだ勤務時間が」


「いいから帰って休んでなって。ボンヤリしたまま仕事を続けて、お客さんに迷惑掛けてもいけないし。」


 リーダーはサボーの返事を待たず自ら売り場へと向かい、途中で別な店員を呼び止めてサボーの取り組んでいた入荷チェック作業に当たらせ始めた。


 必然的に自分の居場所がその場から消え去ったサボーは、すごすごと引き下がる他にない。誰にも見送られないまま、無力感とともに店の裏口から出てまだ日の高い街路を歩いていく。


「…それにしても、いつの間にか作業場に居たなぁ。」


 脱力は延々とは持続せず、自分の粗末なアパートの部屋に帰る道中でサボーはふと呟く。確か、彼は街の礼拝所に向かい、注文にあった品物を用意できなかった件をマディスに告げていたはずである。


 意識を取り戻した時に居た作業場はいつも通りの光景だったため違和感など無かったが、思い返せば出掛け先から仕事場に戻ってくるまでの記憶がない。大して意識することなく移動しても迷子にはならない、勝手知ったる住み慣れた街の中ではあったが。


 大した距離でもない家路を終え、帰ってきた自分の部屋に差し込む日の光が橙色を帯びているのを見たときはさしものサボーもギョッとした。自分が礼拝所に向かったのは朝だったはずである。そこからいくらゆっくり歩いて書店に戻ったとしても昼を過ぎることは無い、仕事場で一つの本の束を積み上げるだけで午後の時間を使い切る事もあり得ない。


「だとしたら、私はいったいどれだけの間を意識なく行動していたんだ?」


 箱型テレビのチャンネルをガチャガチャと回し、表面の布が擦り切れたソファに腰を下ろしながらサボーは本を開いていた。竜狩りの物語、図書館から借りてきたこの本を毎夜寝る前に読み進めるのだけが最近の楽しみだ。


「えっ、夜?」


 腹の底に冷えるものが滴り落ちてきたような不気味さを感じ、完全に寛ぐ姿勢をとるつもりだったサボーは身を起こす。


 つい先ほどは夕方の光が差し込んできていたはずだった窓の外は、とっぷりと暮れた夜の闇に満たされている。いくらチャンネルをガチャガチャやっても見慣れないテレビ番組ばかりだと思えば、時間は既に深夜帯に入っていた。


「おかしいじゃないか、いくらなんでもそんなザザーッザザザザー」


 サボーの声は、途中で雑音によって途切れる。機械的なノイズで発言を妨げられる発声器官の不具合も、このところ頻発していた。今回もまた自分の胸部辺りをカンカンと叩いて雑音を収めたサボーであったが、さしもの図太い神経もこの異常事態を前に焦り始めていた。


 翌朝、サボーが体調不良のため休む旨の報告を仕事先に連絡した時、それはあっさりと受理された。彼よりも有能なアルバイトはいくらでも居たのだから、無理はない。


 昨日のように意識のないまま時間が飛んでいることなど無いように祈りつつ、向かった先は図書館であった。ルスサカの街には機械の身体を持つ啓蒙市民たちにも専用の病院が当然あったのだが、治療費を払えるか否か心許ないほどに貯えの乏しいサボーが真っ先に足を向ける場所ではなかった。


「第一、他の種族みたいに薬を処方されなきゃならない身体じゃないんだ。症状はハッキリわかるんだから、あとは対処さえつかめればいい。」


 図書館に到着したサボーをまず苦労させたのは、閲覧すべき資料の在り処を割り出すことであった。書店においては各店舗ごとに書名およびその陳列位置が表示されるシステムが整備されていたが、図書館はいい加減なものであった。


 入り口に程近い位置には配架書籍を検索するターミナルが設置されているものの、図書館内のどの区画に保管されているかが大まかに示されるに過ぎない。何よりも、正確な書名を入力しなければ求める結果は表示されなかった。


「使いづらいったらありゃしない、キーワードやジャンルを打ち込むだけで検索できるようにならないものかな!」


 啓蒙市民たちが歴史上にその姿を出現させて以降、世界の技術水準は飛躍的に向上した。が、その利便性となれば話は別で、今しがたサボーが口走ったような機能はようやく開発に向けて研究が始まったばかりであった。


 電子情報が行きかうネットワークは存在してはいたものの未発達であり、市民たちが情報を得る手段は新聞をめくる、テレビのチャンネルつまみを回す、そして図書館に赴く、の3種に大別されていた。


「やはり足で探すに限るな、あんな機械をカチカチ操作していても時間の無駄だ。」


 機械の身体ながら機械への文句を垂れつつも検索ターミナルを後にしたサボーは、レンズの突き出た顔をあちこちへと動かしながら闇雲に図書館内を歩き回り始める。


 文学的作品のまとめられた開架コーナーには馴染みがあったものの、当然ながら医学書、それも啓蒙市民の身体について触れた医学書がそこに見つけられるはずもない。専門的な学術書が並ぶ区画は分厚い背表紙の大判書が目立っていたため見当はついたが、散々苦労して引っ張り出したそれは建築設計に関する書籍であったりした。


 ようやく医術関連の資料がまとめられているであろう一角を見つけた時、時刻は既に昼を過ぎていた。あるいは、サボー自身が気づかぬ内に意識の飛んでいた時間があったかもしれないが。


 ……が、それらしき医学書を開いたサボーはしばらく固まっていた。医学分野の課程を修めたわけでもない一般市民に、理解できる文言はほぼ存在しないといって良かったのだ。


 結局、「暮らし・健康」のコーナーにてようやく一般家庭向けに病状の解説が為された書物を見つけ出すこととなる。日は傾きかけていた。


「えぇと、単なる意識の喪失……ではないな、記憶が飛んでる?というのも違う、普通に意識がある間は問題ないんだ。」


 気が付けば知らぬ間に体感以上の時間が経過してしまっている、という症状についての記載は容易に見つからなかった。自らの身体に起きている異常の真相に辿り着いたのは、発声器官の不具合について扱った項目に目を通している際のことであった。


「……また、発声にノイズが混入する症状には、『花弁の分化』に起因する場合もある。言うなれば新たに分かれ出でようとする自我の産声が混じるものである。この場合は一時的に分化した花弁によって意識を乗っ取られる現象も伴うため、他と見分けるのは容易である……」


 『花弁の分化』……医学の心得のないサボーであっても、これが何を意味するものかは啓蒙市民の常識として知っていた。


 彼らの体内に収められた『叡智の花弁』が分かれ出で、新たな啓蒙市民のための核が誕生する現象である。すなわち他種族においては子供が生まれることと同義だったが、それが自らの行為の結果として生じるわけではなく、全くの偶然で発生する点は大いに異なっていた。


 一般的には安定した生活を送り、我が子として扱うべき存在を迎え入れる余裕を感じた啓蒙市民の体内に発生すると信じられていたはずの分化。それがなぜ、生活上の余裕など大して無いサボーの身に起きたのかは自身にもさっぱり分からなかった。


「どうしよう」


 その一言を絞り出すだけが、その時のサボーの精一杯であった。

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