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忘れられたころ第六話   聖職者は暇じゃない

 まだ礼拝所の午前の務めしかこなしていないというのに、マディスは疲弊しきっていた。司祭と面と向かっての問答で一気に精神を絞られた直後、他の見習いたちが既に聖堂に移っての清掃作業を進めている所に遅れて参加し、自分だけ掃除の労務開始時刻が遅れたぶん懸命に立ち働いた。


 どうにか休憩時間が削られ切ることなく清掃が済んだと思った矢先、訪問客からの呼び出しが来た。礼拝所の厳格な戒律下に置かれた彼も、誰にも自らの声を聴き咎められないのならば愚痴の一つでもこぼしていたはずである。彼は眉間に皺を辛うじて寄せることなく、自分を待つという来訪者の前に姿を現す。


「おや、あなたは!」


「あの時、図書館でお会いした……」


 書店の名が印字された紙袋を手に、どこか所在無さげに立っている啓蒙市民の姿には見覚えがあった。身体能力の利便性を追求することが常の彼らには珍しく、粗末で最低限の機能のみを有したボディーパーツしか身に着けないみすぼらしさ。もしも彼が一言も発さず、ピクリとも動かなければ不法投棄された機械ゴミとも見間違えられかねない風貌は他と見間違いようもなく特徴的なものであった。


「始めましてではないですが、自己紹介させてください、サボーと申します!」


 レンズ内の絞りが拡大したり収縮したりを繰り返す様からしか彼の表情は読み取れなかったが、サボーと名乗った啓蒙市民が大いに興奮している様は彼の全身から伝わってきた。勢いよく突き出された機械の腕を、半ば強制的に握らされるようにマディスは握手し、名乗りを仕方なく返す。


「マディス、です。」


「いやあ、全く世の中は狭いものですねぇ!同じ『竜狩りの物語』を愛読している仲間に会えたばかりか、こうやって新たな縁へと導かれるだなんて!ザザザッ!」


 サボーはそこまで口走って、しばらく機械的な雑音にしか聞こえないノイズを発声器官から撒き散らし、自身の胸部をカンカンと叩きながら声の出具合を確かめている。


 まるで興奮して喋るあまりに咳き込んでしまった人間のようなそんな仕草を眺めながらも、マディスの胸中がサボーほどの興奮で満たされていなかったのは間違いなかった。サボーの抱えている紙袋が、注文した物語を収めるにしてはあまりに厚さが足りないことに目を向けながらマディスは返答する。


「わざわざ書店員さんにお越しいただくなんてすみません、ですが僕の注文した本は無かったようですね。」


「はい、申し上げにくいことながら。まったく、あんなに素晴らしい物語を重版しないだなんて、世の中の感性はどうかしてますよ。そう思われません?」


 前回図書館で遭遇した時、このサボーと名乗る啓蒙市民の性格の片鱗は垣間見えていた。ここで相手の持ち出した話題に乗ればいよいよ水を得た魚のごとく、その雑音混じりの機械音は雄弁に冗長に高説を垂れ流し始める。そう確信を得たマディスは、自らの貴重な休憩時間を死守すべく極力突き放すような物言いに努めた。


 美しい金髪の下で開かれる幼さを残した唇に似つかわしからぬ声色ではあったが、日がな修道士見習い同士で聖典についての討論練習を繰り返していれば嫌でも身につく。


「そちらにお持ちいただいた書類は、僕に渡す必要が無いものですか?でしたら、僕はこれで礼拝所の務めへ戻らせていただきますね。」


「あ、いえ、お待ちください、一応これはお渡しする決まりになってますので。在庫切れのお知らせ、そして当店にて取り扱っている書籍の一覧です。また興味のある本が見つかれば、ぜひ当店へお越しを。」


「はい、機会があれば。」


 サボーは尚も何らかの脈を求めるようにマディスの顔色を窺いつつその場に立っていたが、一見人の良さげな修道士見習いがにべもなく踵を返して礼拝所へ戻っていくと、この面倒な書店員もすごすごと帰っていった。


 マディスとしては世間話に付き合っている場合ではなかった、さきほど自分に来客があることを伝えに来た修士は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて見習い用宿舎へマディスが帰ってくるのを待ち続けているのである。


「話し込まないようにと言ったでしょう、休憩時間が無くなるのはあなたですよ。」


「自分は早く切り上げるつもりだったのですが、書店員さんの話が長引いてしまって。」


 それがマディスに出来る最大級の反論であった。修道士見習いたちの昇格には、司教および修士による査定が必須である。毎年神学校から送り込まれる聖職者志望の若者たちに交じり、延々と礼拝所の雑用をこなし続ける人生を良しとしないのであれば、必要以上に修士の機嫌を損ねるべきではない。


「では、私も端的にお話します。あなたが自由時間中に閲覧している書籍は、聖職を目指す上での助けになりません。聖典ないしその注釈書を読み込むことに時間を費やすべきです。」


「とはいえ、近年問題化しつつある種族間の差別意識がいかにして生まれたのか把握することは、今後聖職者を目指していく立場の私たちにとって有用かと思われますが。」


 ありとあらゆる反論を予期し備えているのであろう相手に対し、マディスも注意深く言葉を選んで返答する。その用心深さが必要ないのであれば、自由時間にぐらい何を読んだって勝手だろう、とマディスの本心は言いたかったのだが。果たして、クルフは一切考えこむことなくすらすらと反駁を行った。


「それは政治家が関わるべき問題でしょう、先ほど司祭も仰っていた通り。私たちは礼拝所に訪れる市民へ教えを説く立場に自分が置かれた時、どれだけの言葉をお伝えできるか常より思慮を巡らせているべきです。」


「その言葉は、人間にしか届かないではありませんか。新参画市民、そして啓蒙市民の方々には私たちの思想は届かず、種族間の溝は深まりはすれど埋まりはしません。」


 修士という存在も厄介なものであった。世間における上官や上司とは異なり、思想を磨き叡智に近づくことこそが聖職者の至上命題であると捉えるこの者たちは、討論相手が黙して意見を発しないときこそいよいよ機嫌を損ねるのが常であった。


 ゆえにマディスは、いずれ言い負かされるのであろう望まぬ討議のテーブルから離れられずにいるのである。


「えぇ、人間以外の種族は宗教を求めません。そも宗教は自らの行いに迷いを見出す人間へ、導きを与えるため生まれた学問です。あなたは差別意識を問題視していますが、人間と他の種族を同一視する考え方こそ危険なのでは?」


「考え方の多少の違いはあれど、いずれの種族も争いの歴史を踏み越えたうえでこうして共に社会を営んでいるんです。必ず分かり合えます、そのためには私たちの考えを新参画市民たちにも啓蒙市民たちにも紹介していかなければ。」


「……それは、余裕をもって考える態度を持てる層に限られた話です。」


 ここに来て、クルフは初めてその先を言い淀んだ。常に相手への反論を喉の中にストックし舌戦を制することに執心する彼女には珍しい振る舞いに、マディスも緊張して次の言葉を待った。ここまで来れば、彼はもはや自分の休憩時間などとうに諦めていた。


「何処の街とは言いませんが、」


 勝気に吊り上がった眉を僅かに下げながら、修士はまたしても発言に一拍置く。


「礼拝堂が拝観者の起こした暴動によって破壊されるという事件が起きました。」


「えっ……。」


「私たちと同じく、日々の糧に困っている方々に食事を提供していた礼拝堂です。用意できた食糧の数が少なく、食事にありつけない市民があまりに多かったため、不満を抱いた方々が暴徒化したとのことです。」


 マディスは今日の早朝のことを思い出す。運んできた食事を全て参拝者に配り終えた後、それを手に出来なかった訪問者たちからは恨めし気な視線が投げつけられたこと。そこには切実に、現在を生きていけるか否かの瀬戸際で足掻く人間の体温が籠っていた。


 もしも、その恨めしさが今以上に力を増したとしたら、今以上に用意できる食事の数が減っていったら、この礼拝所も同じ命運を辿るのだろうか?


「マディス。礼拝所の運営資金は大部分が有力者からの寄進です。司教は常に、皆様からの信仰を得られ続けるように尽力しておいでなのです。」


「では、司教があのように差別的な発言をしたのも、街の有力者さんたちの意向を汲んで…?」


「憶測でものをいう事は出来ませんが」


 聖典を講読する時間の訪れを知らせる鐘が響く中、クルフはマディスの言葉を遮って続けた。


「破壊された礼拝堂で、放たれた炎に巻かれ修士や見習いが幾名も他界したというのは事実です。」


 鐘の音に急かされるようにマディスも講読室へと向かう。先ほどサボーから手渡された紙袋の中身も薄っぺらく拍子抜けするほど軽い物であったが、本来はずっしりと重いはずの聖典も今は頼りない重さに感じた。

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