2.反対派を追う者たち
「風を切る感覚。坂を走って降りるのは気持ちいもんだよな!」
昇降口の戦争を潜り抜け、坂を下って帰る。リュウジにとってこれが、入学してからの楽しみの一つ。風を切るヒューという音はドーパミンを分泌させる。そして坂を下りきったら、橋を渡る。そのあとは近道のために使っている人気のない田んぼ道を通っていく。
その田んぼ道を歩いていた時だった。背後から首元を腕で絞められ、脅しと思しきナイフを目の前に見せてきた。
「お前はこの世界をどう思う。」
耳元で低めの声がささやいてくる。喉元にはカタカタと音を立てているナイフが置かれている。
「な...なんの...ことだ。」
絞められた首を通じて通りづらい空気を無理にでも、と送り出す。
「いいから答えろ。」
「いい...世界...だ。」
唐突な質問に一瞬戸惑ったリュウジは、喉元にジリジリと近づいてくるナイフを見て、答えなければ間違いなく殺されるだろうと思った。それとともにシンカイの言葉を思い出した。『殺人鬼』。もしかすると、この後ろにいる男がそうなのかもしれない。となれば今は自分の命を優先すべきことに違いない。そう思ったリュウジはゆっくり口を開いた。
「そうか。」
そういうと男はリュウジを解放し、足で蹴飛ばした。リュウジは一瞬空中に浮き、体の前方から落ちていく。ザザッと砂利の上をすべる。腕からは血を流し、ズボンは膝の部分が破れていた。
「がはっ、はぁ、はぁ……。」
リュウジはどんなやつなのか確認してやろうという気持ちが強く、思い切って後ろを振り返った。しかし黒いコートに黒いシャツ、黒いズボン。さらにはフードを付け、顔も何も見えない状態だった。
「お前はこの世界に必要ない。では、消えてもらおう。」
黒の男が腕を左右に広げると、空中に剣が複数出現した。リュウジに向かって半身になって、弓でも弾くかのように体制になり、剣先を俺の方に向けてきた。ここは直線道。どう頑張って逃げたところでリュウジをとらえていくだろう。しかし、逃げるほかない。弱い炎と風なんて何の役にも立たない。リュウジがそう思ったときには、足が勝手に動き、必死に走っていた。
「――だれかっ。誰かああ!!」
リュウジは助けを呼びながら必死に走った。死にたくないという思いが脳を支配し、体を無理やりにでも動かす。しかし恐怖を感じたとき、誰だって足がすくむ。リュウジは最悪な瞬間に恐怖心がこみ上げ、足がもつれ転んでしまう。
「っ!!あ、あぁ……。」
剣はリュウジをとらえたまま問答無用で走っていく。リュウジはもう足がすくんで立ち上がることもできない。死を覚悟する。リュウジはこの時、――死ぬってこんなに怖いことなんだ。まだやりたいこといっぱいあったのになぁ――そう心の中で思った。もうあとわずかで刺さるだろうというその時、謎の声がリュウジの頭上から聞こえてきた。
「圧縮溶解あっしゅくようかい!」
剣の周りにカゲロウが揺らぐとともに、目の前の剣が溶け落ちた。リュウジは、この状況を理解することはできなかった。人が来たとて、敵か味方かもわからない状況。ただただ怖いという感覚だけが体中を駆け巡る。
「君!大丈夫かい?」
「は、はい……。」
スタッと着地した男はリュウジの方に目をやった。この人もまたフードで頭部を隠し、素性を明かさない。リュウジは気を緩めることはできない。
「こっちは大丈夫だ!レオナ!あとは任せたぞ!」
がなりのかかった声が田んぼ道に響き渡る。フードの男が向く方に目をやると、同じ見た目をした小柄な人が立っていた。
「はいよっ!ふっとべえええ!!」
レオナと呼ばれる彼女が思いっきり踏み込むと、突然足が速くなり、ものすごい勢いで黒の男を殴り飛ばした。
「……グハッ!?」
黒の男はかなりの速さで飛んでいき、石の壁に激突した。リュウジにとって、もはや何が起こっているのか理解することは難しく、一度に色んな事が起きすぎて整理が全く追いつかない。
「……うぅ。」
崩れた石壁からガラガラと音を立て、黒の男は出てくる。
「観念しな!もう逃げられないよ。」
見下すようにレオナは黒の男の前に立ちふさがる。
「クッ...。仕方ないか。」
黒の男は剣を1本だけ取り出した。その剣は夕日を反射させ、レオナたちの目に光を差した。
「なっ!!」
「ぬぅ……。」
レオナたちは腕で目を覆う。
「悪いが、まだやることがあるんだ。」
「――おい、待たぬか!」
黒の男は一瞬のうちに姿を消した。逃げるという選択肢を取ったのだ。レオナはため息をついたのち、リュウジの方を向いた。
「あ、あぁ……。たすけ――」
「君。そんなに怯えることはないぞ?私たちは君の味方だ。」
男はフードを取り、リュウジの前にしゃがみ、笑顔を見せた。手を差し伸べ、リュウジは手を取り立ち上がる。そして、レオナはリュウジのもとへ服についた砂を払いながら歩いてくる。
「そうよ。私らは敵じゃないわ。」
そういいながらフードを外す。
「レオナが威圧的な話し方をするから怖がっておるではないか。」
男は立ち上がり、レオナに少し強めな口調でそういった。
「はぁ?私のせいっスか!?タケヒコさんのでかい見た目のせいじゃないんスかぁ?」
二人の間にはバチバチと音を立てているように思えるほど、恐ろしい剣幕をしている。
「ぬっ!私は怖い見た目なぞしておらん!」
「いや、角生えた人ほど怖いのいないっスよ。」
髪が短髪でオールバックに近しい形をしているため、角がはっきり見える。確かにタケヒコの頭には完璧な角が一本、そして角があった形跡のあるものがもう一本ある。
「うっ……。それは言っちゃいけない部分だぞぉ……。」
タケヒコにとって、角はコンプレックスのようだ。少し焦げた肌にかなり大きいガタイにイカツイ顔つき。そして赤い髪の毛。そこに角があれば、確かに怖いと思われても仕方ないような見た目だ。
二人の様子を見て、リュウジは先ほどまで怖くて動かなかった体も動くようになっていた。本当に敵ではないことはこの空気感で伝わっているようだ。
「あの、二人は誰なんスか……。」
リュウジは少し硬い喋り方をした。恐怖心が抜けたといっても、多少の緊張感はあるようだ。先ほどのことの後となれば、そういう喋り方になっても仕方ないだろう。
「あら、自己紹介してなかったわ。ごめんなさいね。」
レオナはリュウジに向き直り、眉を内に寄せて笑った。
「ぬはははは!私としたことが。私たちは反対派を追う者だ。俺はタケヒコってんだ。釜炭工業大学の機械科2年生だ。」
大きく笑った後に、腕を組みながら仁王立ちをした。
タケヒコは有名な大学に通っている生徒だった。釜炭工業大学は、全国的に見ても優秀な工業大学だ。生徒でありながら仕事がもらえることもあり、今では橋の溶接、学校のエンブレムなど全国にかなり浸透している。
「私はレオナ。あんたと同じ努々学園の2年生。先輩にあたるわね。あとは...ちょっと!空にいないで早く帰ってきなさいよ!」
レオナはかなり乱れるように髪が腰上まで流れている。ライオンのような丸い耳と細い尻尾の先にはわさわさと毛が生えていた。その毛はみな黄色に染まっている。
彼女が見ているところには、少し大きめな黒い鳥が飛んでいた。その鳥はまっすぐ俺らのところに飛んできた。地面に近づいた瞬間、人間の見た目に変わった。
見た目は普通の人間で、外にあまり出ないのか白っぽい肌質。髪も目にかかるほど長くぼさぼさだ。高二の中では、かなり背丈は低めだろう。
「アマタ。レオナと同じ2年だ。もういいか。」
言葉を言い終えるとすぐ、後ろを向いてしまった。
「え……ハイ……?」
リュウジはかなり困惑している。
「相変わらずかわいくないねぇ。もっと人懐っこくなったらどうよ。だから学校でも一人なんじゃない。」
「う、うるさい。」
少し顔を赤らめ、目を泳がせる。
「いやはや、これで全員そろったな。遅れてしまったが、私ら3人はこの区域で活動している者だ。」
リュウジはなぜ自己紹介されているんだろうかと思っていた。助けてくれただけなら自己紹介なんていらないはずだ。しかし、目の前の先輩3人は自己紹介を始めたどころか、皆リュウジの方を見ている。
「あんたはね、有名なんだよ。活きのいい新入生がきたってね。」
レオナはリュウジを指し、そういった。
「俺は知らん。」
「それは学校で誰とも喋らないからよ。」
「うっ...。」
アマタは図星だったようで、下を向いてしまった。
リュウジは緊張で出しづらい声を思い切って吐いた。ただ聞いているだけでは淡々と話が進んでいってしまう。
「何の関係があるんスか。俺は何も……。」
「それがあるのよ。私たちだけじゃどうも最近うまくいかなくってね。簡単に言えばスカウトってやつね。」
レオナがそういうと、タケヒコはウンウンと首を縦に振っていた。
「そこで、あんたの力を借りようってワケ。」
「反対派とかいうのと戦えってことっスか?」
リュウジは黒の男のことを思い浮かべていた。
「んー、まぁそういう感じになるわね。」
腰に手を当ててそう言う。リュウジには戦闘経験がないどころか、さっきまで怖くて身動きが取れなかったような男だ。謎が謎を呼ぶ状態である。
「さっきまで怖くて動けなかったようなやつっスよ。そんなの入っても……。」
リュウジは訴えるように答える。
「そんな興奮しないで。大丈夫よ。私らがサポートするから。誰だって死ぬのは怖いんだから、あんな状況仕方ないわよ。」
「そうだぞ?護身手段さえあれば何にも心配はいらん!それまでの辛抱だ!ぬはははは!」
相変わらず腕を組むようにして高らかに笑っている。
「あいっかわらずうるさい笑い声。で、どう?入ってくれないかしら。」
レオナは耳をふさいでいた。確かに、この田んぼ道で声が返ってくるほど大きい。そして、レオナは手を差し伸べる。
「どうって……」
俺が考えこんでいるとき、アマタが大声で声を上げた。
「伏せろ!!」
タケヒコはリュウジを押し倒し、リュウジの上でかばうように伏せる状態になった。タケヒコは耳元で
「我慢してくれ。」
そう言った。
伏せてすぐのこと。すぐ近くで爆発が起こった。伏せていなければ体のどこかが欠けるほどの大惨事になっていただろうと思わせる。
「クックック...。さすがに反応が早いね。」
「お前らをただで許すわけにはいかない。」
リュウジには見えてはいなかったが、声に聞き覚えがあった。
「リュウジ君。どこかに身を潜めてくれるか。」
「は、はい。」
小さく耳元でつぶやいた後、タケヒコはムクっと大きい体を起こした。リュウジは近くの林の中に隠れた。
「何あんた。わざわざつかまりに帰ってきたの?」
レオナは半身で黒の男たちにガン飛ばしている。
「命知らずな男だな。」
「俺たちに怯えて逃げていったんじゃなかったのか?今度は手加減は無いぞ。」
左腕を広げると、剣が複数出現し黒の男を中心にして回る。
「ククク...。いやぁ、聞いていた通り面白いよ。まだ歯向かうやつらがいたなんてねぇ。」
黒の男は不気味に笑う。どこか恐怖心をあおるように。少しこの男の方が背が高いようだが、前傾姿勢で立っているため、より不気味な印象を与える。
「先ほどのようにうまくいくと思うな。」
黒の男たちと先輩たちの間ではバチバチ音を立てている。どちらも様子を見ているのだろう。
「どうなっても私は知らないからね!!」
レオナさんの言葉を合図に戦いはまた始まった。
仲間を引き連れてきた黒の男。これからどんな発展をしていくのか。