第一話 王家と公爵
「……リュウ様、大丈夫ですか? 顔色が悪く見えますが……」
自分でもわかるほど目が重たい。鏡は見ていないが、顔も髪形も相当荒れているに違いない。天使と話しているときは起きているようなものだった、睡眠不足だ。
「……ああ、大丈夫だ。なんとも重い夢を見てな……。まあ、俺のことは気にするな、パレッタの鉱山と工場はどうなっている? 今日はその話に来たのだろう」
「大丈夫といわれましても……」
「ビジネスでは常にプロフェッショナル性が求められる。一晩や二晩寝られなかったからといって相手が『はい、そうですか』と優しくなってくれるわけではない。いいから要件を話してくれ、セーラ君」
「り、リュウ様が仰られるのであれば……」
セーラは気が乗らない様子だったが、俺が半ば強制する形で口を開かせる。
コーヒーを片手に机で向かい合わせになる。これほど脳がどんよりすると、カフェインがないとやっていけない。
「鉱山も工場も順調に成長しております。現在、アニミストは工場に供給するために生産しており、アニミストが町に流通することはなくなりました。以前お話していたアニミストの純度向上にも成功し、冷蔵庫ならぬ冷凍庫も現在販売を開始しました」
「冷凍庫の販売はメルル君が担当しているのだろう。彼女の動きはどうか?」
「ええ、流石のフットワークといったところです。今まで冷蔵庫を利用していた客からかたっぱしに声をかけ、冷凍庫の発注をいくつもとっています。冷凍庫が一般家庭に普及するのももはや時間の問題といえるでしょう」
「そうか……。順調で何よりだ」
当たり前だが、俺は全ての従業員の話を聞くことはできない。
このように状況を簡単に要約し、代弁してくれる人材がいるのは非常に助かる。
「ですが、一つ問題があって……」
「うむ……どうした?」
神妙な面持ちでセーラは話を切り出した。
「実は最近、王家から執拗な嫌がらせを受けるようになったのです」
「嫌がらせ?」
「ええ。嫌がらせです。……それもかなり悪質な」
とうとう出る杭になってしまったということか。鉱山の採掘権がこの短期間で権利者を転々とするとなると、流石に世間にばれないわけにはいかない。パレッタが目を付けられるのも時間の問題だと覚悟していた。
心の準備はしていたのだが、本音では出来ればこのようなことが起きないと願っていた。もっと平和にならないものなのだろうか。
「特に武力での妨害が顕著です。最近では鉱山の傭兵に当たっていた帝国軍が王の命令で無理やり引き返され、冷蔵庫を運ぶ際、馬車を何度も盗賊などに襲われていることが報告されております。今のところはパレッタにいる力自慢を傭兵として雇い、何とかしのいでおりますが、損害が出るのも時間の問題かと……」
「そうか、バルマンテ司令官は帰らされたのか……まさか武力で妨害に来るとはな……」
王がルールなだけある。
ビジネスの問題を武力で解決するというのは、紳士的ではない。マラソンで競争しようとしているのに、突然自転車を持ち出してきたようなものだ。フェアではない。
「……申し訳ございません……私が至らないばかりに……。ごめんなさい……!」
セーラは涙ぐみながら、俺に謝る。
彼女は彼女なりに努力したのだろう。孤児ではあったが、そもそもプライドも高い女性だ。本来であれば傭兵が引っぺがされたあたりで俺に相談すべきだったが、俺に面倒をかけまいと何とか自分でカバーしようとしたのだ。
その対応方法が正しいか、間違っているかはさておき、彼女のこの頑張りは上司として敬う必要がある。
「セーラ君、君はよくやってくれた。報告してくれてありがとう」
「リュウ……様!」
「あとは俺に任せてくれ」
「リュウ様! ……大好きです!」
「ちょ……!! は、放してくれ、セーラ君!!」
セーラは突然俺に抱き着く。
俺の胸にセーラの柔らかい頬が乗っかり、ほのかにセーラの体温が伝わってくる。
マズい、こんなところ誰かに見られたりでもしたら……!
『ガンッ!!』
その瞬間会議室の扉が思い切り開く。
神は俺をお見捨てになったようだ。
「リュウ様、食べましょう!! ライ麦パン買ってきました!! やっきたてほっかほかですよー!! ……って、ええええええええええ!!!?」
体の半分が埋まるほど大きな紙袋を抱え、メルルが入ってきた。
俺とセーラの体の交じり具合を見た瞬間、驚きで紙袋を落としてしまった。せっかくのライ麦パンが地面にばらまかれ、あられもない姿になっている。
「なななな、なにやってるんですか二人とも!! これは……セーラですねえええ!! このパイパイエルフ、もう許しません……リュウ様の匂いを堪能していいのは私のみ!! 私にだけ与えられた特権なのです!! それを無視したが運の尽き……。あなたの命はここで終わりです、セーラ!!」
メルルは俺の体で頬ずりするセーラに向けて熱い闘志を燃やしていた。
眼光にも火が元もされているような……、気がする。
「メルル必殺!! スーパーメルリックぱーあああああんち!!」
メルルは小さい拳を握り、ジャンプしながらセーラにパンチを繰り出す。さながら某有名な3分しか機能しないヒーローが巨大化する場面のようだ。その小さな拳は空気を切り刻み、メルルの脚力が出せる限界のスピードでセーラに向かって放たれた。
そして拳がセーラの体に直撃する。
「……ポフッ」
柔らかいものがぶつかったような効果音がなった。
メルルはそれでもあきらめない。歯を食いしばってセーラに拳を上げる
「く、くそう、なんで倒れないんだ。この女、意外に強いぞ……! この!! この!! このう!!」
「ポフッ! ポフッ! ポフッ!」
セーラは何事もないかのように、俺に抱き着いたままだ。
「はあ……。リュウ様の匂い……。いいわ……。香水にして家中に吹きかけたい……」
「き、狂気!! は、離れたまえ、セーラ君!! そして席に座れ!!」
「いやん、リュウ様、乱暴です!! ……でもそういうところも好きですよ」
仕事はかなり出来のになぜこんなに一筋縄ではないのだろうか。
殴り疲れたメルルはいつの間にか地面にはいつくばっていた。
「はあ……はあ……。これで勝ったと思うなよ……!! パイパイエルフ……!! いつかその乳を私の胸に吸収してやるからな……!! 覚えておけ……ガクっ……」
全力を出し切ったパイなしエルフはうつぶせになったまま動かない。
俺は再度席に座る。コーヒーが既に冷め切ってしまったが、ないよりかはましだ。俺は気持ちを落ち着かせようと、カフェインを口に含める。
「……何はともあれ事情は分かった。一旦物を運ぶときは引き続き町で戦闘力が高いエルフを傭兵に雇ってくれ。あくまでも一時しのぎにしかならないが、仕方あるまい。……早く何か対策を打つしかないな」
「そうですね……。しかし、下手に王に反抗しても、恐らく嫌がらせがより過激になるだけでしょう……」
「そうなる、だろうな。今までの噂から推測するに、相当陰湿そうだしな。下手な仕返しは逆に俺たちに首を絞める結果になりかねない。俺たちだけだと王を抑止するだけの力が足りない。……仲間が必要だ」
俺は空になったコーヒーカップをテーブルに戻す。
「仲間……?」
「ああ、仲間だ。それもかなり影響力の高い人物が好ましい。王家に不信感を抱いている貴族とかを想定しているが……。セーラ君、心当たりないか?」
セーラは少し考えると、首を横に振った。
「そうですね……。私はパレッタから出たことがないので、王家の事情は把握しかねます……」
「私知ってますよ!!」
「おお!? 驚かせるな、メルル君……。びっくりしたではないか」
先ほどまでアザラシのように地べたに横たわっていたメルルが立ち上がり、俺ら二人に向けて自信ありげな表情で人差し指を突き刺していた。
「井戸とか、アニミスト冷蔵庫で商店を回った際に色んな噂が私の耳に入ってくるんです! 情報屋のメルルとお呼びください! えっへん!!」
ドヤっとした表情でない胸を張っている。
足で稼いだ情報は貴重だ、とても貴重だということはわかっているのだが、この小娘に教えを乞うというのが恥ずかしくてしょうがない。背に腹は代えられない。俺はプライドを捨てることにした。
「……教えてくれ、情報屋」
「もちろんです!! リュウ様!! ちょっと地図を持ってきますね……!!」
メルルはここら一帯の町が記載された地図を広げると、一つの街を指さした。
パレッタの北方向、最初俺が転生する際に降り立ったシュテールを通り過ぎた更に向こう側のようだ。
「王家はこの街、エリオットに住んでいます。そして爵位を与えられた家はこのエリオットの中、または周辺に住むことになっています。その中でも最もエリオットの遠くに住んでいるのがアルメザーク公爵です」
「アルメザーク公爵……?」
「メルル!? あなた、正気!? アルメザーク様へ話に行こうというの!?」
その名前を聞いた途端、セーラの顔色が変わった。
「知り合い、なのか?」
「……いえ、知り合いではありません。ただ、エルフで知らない人はいないでしょう。ニーダ様と同じく、エルフ族の副族長を配位しておりますが、性格は全くの真逆……! とても気難しい方で、利己的です。気に入らない人は徹底的に叩き潰すと……!! 確かに最近、王への反抗姿勢を強めてはおりますが、流石のリュウ様でも無謀でございます!!」
セーラは力強い口調で顔を赤くしながら、何とか俺を説得しようと試みる。
「しかもリュウ様は、その……、今は行商人という身分でしかございません。あちらに足を運んだとしても、お会いすることすら困難かと」
セーラがこれほどまでに止めるということは、かなり面倒くさい性格をしたエルフなのだろう。俺のことを案じているくれているのは助かる。しかし。
「……メルル君、続けてくれ」
「リュウ様!!」
「セーラ君、君のことを信頼していないわけではない。ただ、今は何もやらなければ潰れるだけだ。何かをしなければならない。このままだと下手したら傭兵をやってくれているエルフの青年が殺されてしまうかもしれないんだぞ。……君も理解してくれ」
「……そ、そうですが……。承知いたしました……」
セーラをへこませてしまった。
心苦しいが、致し方あるまい。
「……続けます」
メルルは地図をアルメザーク公爵の家を指さしながら、情報屋としての仕事を果たす。
「セーラの言う通り、アルメザーク公爵は影響力があり、王に反対姿勢を示しているエルフ族の副族長です。その寿命もあって王家には何百年も使えてきました。しかし、この度王座に上られたルークベルク王の傲慢さに腹を立て、民衆と力を合わせ、アルメザーク公爵は王を玉座から引きずり降ろす計画をしていると聞いてます。それに反抗して、王は何度もアルメザーク公爵を粛清しようとしましたが、度々失敗しているそうです」
王の粛清を度々かわすというのは、かなり出来る人間のようだ。
いくら王がバカだからといっても、権力構造としてはアルメザーク公爵のほうが下である。そこに主従関係がある以上、粛清を逃れるには、ちょっとやそっと頭が良いだけ無理だ。相当な切れ者に違いない。
「アルメザーク公爵は前国王では、教育大臣を務めていたとか。現在の王が知識人の処刑を決めたときには大反発したものの、傲慢さと権力には敵わなかったそうですね……」
意見の価値は結局権力の強弱で決まってしまう。正しいから意見が通るわけではない。明らかに間違っていても、それを通してしまう強さ、恐ろしさが権力にはあるのだ。
「……私からの情報は以上です。如何なされますか、リュウ様」
俺は天井を見上げながら考える。
うむ、俺がとるべき選択肢はこれしかないだろう。
「……メルル君、セーラ君。すぐに馬車を用意し、身支度を済ませてくれ」
「……つ、つまり、それは」
セーラは緊張した面持ちで俺の顔を見つめる。
すまないが、これしか方法がないのだ。
「これから、アルメザーク公爵のもとへ向かう」




