第一章6 幽霊の苦悩②
「何だ……?」
にわかに騒々しくなった車外の様子に、俺は立ち上がった。
そのまま馬車の幌に顔を突っ込むと、首だけを外に出して様子を見る。
こういうとき、この体は便利だ。
いつの間にか馬車は止まっている。
この体は振動を感じにくいから、まったく気がつかなかった。
そして、御者以外の魔族が誰もいない。
この馬車を取り囲むように、護衛が数人いたはずだが。
御者も切迫した様子で、口元にかざした物体に何やら話しかけている。
「ええ、そうです。『預言者』を発見しました。現在、総出で捜索に当たっています」
「『預言者』……?」
おぼろげな記憶を辿り、俺はその言葉の意味を思い出そうとする。
たしか以前、授業か何かで聞いたことがあったはずだ。
『預言者』……『預言』……デトランシェル。
『ねぇ、“預言”って言えば、デトランシェルの……』
「そうだ、『預言』……デトランシェルの王族だ!」
ファムの言葉をきっかけに、俺は記憶の糸を掴み取った。
『預言』。
それは、デトランシェルの王族が数世代に一度だけ授かるという『天与』だった。
「でも、今の王族に『預言者』がいたなんて聞いたことないぞ……?」
『そんなことより、イオン! その人、今追いかけられてるんじゃない?』
「お、おう。そうだよな。『預言者』がいるっつーなら、魔族が狙わない理由がねぇ」
すべての『天与』は、この世から魔族を討ち滅ぼすためにあると言われている。
中でも『預言』は、直接『神託』を授かれるという能力――いわゆる未来予知のようなもので、その価値は計り知れない。
逆に魔族の手に渡れば、確実に人類の危機になる。
「ここならもう、ちょっと行けばバーテインだ。当然『預言者』も、バーテインに逃げ込みに来たんだろ。俺が手伝えば、もしかしたら逃げ切れるかもしれねぇ」
幸い、馬車の周りにいた護衛は多くない。
背後からブスリとやってやれば、それなりに時間も稼げるだろう。
そして『預言者』が助かれば、バーテインの勝率だって上がるはずだ。
『うん! 行こう、イオン!』
「おう。頼むぞ、ファム!」
導いた結論を元に、俺は馬車から飛び降りた。
****************
馬車が停車していたのは深い森の中だった。
この森は国境を越えて続いており、その先は忘れもしないカルテンルビーに通じている。
要するに、このまま行けば俺が殺された場所に辿り着く。
「でも、あの時とは雲泥の差だな。体は軽いし走りやすいし、何より俺はもう死なねぇ」
幽霊になったことを最大限に活用し、俺は森の中を駆けていた。
大木だろうが茂みだろうがお構いなしに進めるので、森を探索するのは全く苦にならない。
音も立たないし姿も見えないから、コソコソ隠れる必要もない。
そして――
「見つけた! 早速やべぇんじゃねぇの、あれ!?」
『大丈夫、間に合うよ! 頑張って!』
森の開けたところに、魔族が集まっているのを見つけた。
数は五人。
その向こうに二人の人影がある。
一人は、ぼろきれのフードをすっぽりと被った小柄な人物。
もう一人は、飾り気のない剣を片手に構えた青年だ。
青い髪を後ろで束ね、魔族を睨むその表情は精悍と呼ぶに相応しい。
が、その表情には色濃い疲労が見え、体のあちこちに傷が付いていた。
十中八九、『預言者』とその護衛。
護衛が一人なのは元々なのか、ここに来るまでにやられてしまったのか。
青年の様子を見る限り、後者の可能性が高い。
「らああぁっ!」
俺は一番近くの魔族に当たりを付け、躊躇なく剣を振りかぶる。
同じ轍は踏まない。魔族の打たれ強さは身を以て学んだ。
だから、確実に。
「――よし、まず一人!」
一閃。
狙い過たず、ファムの刀身が魔族の首を斬り落とした。
「んだぁ!? 何が起こった!」
唐突に仲間の首が飛んだことで、周りの魔族は動揺した。
その隙を逃さず、即座に二人目に飛び掛かる。
見えない敵に対抗できるはずもなく、あっけなく二人目の頭が宙に舞った。
「楽勝だ!」
己を鼓舞するように、俺は快哉を叫ぶ。
この時、俺は全能感に浮かされていた。
あの時は歯が立たなかった魔族を、一方的に倒している。
絶対に負けないという確信。
興奮すら覚えながら、三人目の魔族に向かって駆け寄り――
「姫様、今のうちです!」
その声を、俺は碌に聞いていなかった。
「逃がすか!」
そして、状況だって碌に見えちゃいなかった。
そのことに気がついたのは、三人目の魔族を斬り殺した後だった。
「いやああああああぁっ!」
耳をつんざくような悲鳴。
その悲痛な響きに思わず動きを止め――そして、ようやく気がついたのだ。
視線の先には泣き叫ぶ少女。
被っていたフードはいつの間にか外れ、肩に掛かる林檎のように赤い髪が、彼女が首を振る度に揺れる。
そして、少女が縋りついてるのは――うつぶせに倒れている青年だった。
その背中には、深々と矢が突き刺さっている。
俺は、気がついていなかったのだ。
魔族のうちの一人が、弓矢を持っていることに。
そして、少女を逃がそうとした青年が、その矢に射られたことさえも。
「姫、様……逃げて、ください……!」
「ちっ、しぶといな」
青年はまだ息があるようだった。
それを見た魔族が、再び矢を番え――
「させ、るかぁっ!」
その腕を、俺の一撃が斬り落とした。
絶叫を上げる魔族を黙らせるようにもう一度剣を振るい、その首を刎ね落とす。
「何なんだ、くそ……! おい、増援を寄越せ! 何者かの襲撃を――っ」
何かに向けて叫ぶ最後の魔族も、続けてファムの錆になった。
「はぁっ……! これで全部、だよな」
辺りを見回して状況を確認し、張りつめていた緊張が解ける。
俺はファムを鞘に収めつつ、二人に駆け寄り声をかけた。
「おい、大丈夫か!?」
「何……? 一体、何なの……?」
しかしそこにあったのは、恐怖に目を見開き、怯えきって震える少女の姿。
「そうだ、俺……見えねぇんだよな」
わかりきっていたことを思い出す。
少女の目には、次々と魔族の首が飛ぶ怪奇現象にしか見えていなかったはずだ。
「姫……様……」
「バズ! ねぇ、しっかりしてバズ!」
そんな中、青年がか細く声を上げた。
その声は先程よりも弱々しい。
「逃げて……ください。俺を、置いて。貴方一人なら、逃げきれる……」
「いや、いやよ! バズが、バズがいなかったら、私――」
「私は、もう……駄目です。魔族の矢には……毒が……」
押し問答をする二人。
そうしている間にも、青年の呼吸がどんどん弱まっていくのが分かる。
――彼の言うことは正しい。
少女が『預言者』だと言うのなら、その使命は生き延びることだ。
護衛一人の命くらい、犠牲にしなければならない。
だが、彼女は頑なに動こうとしなかった。
そこには単なる主従以上の絆があると、初めて見た俺にだってわかる。
見れば、少女の年齢はまだ10かそこらだ。
王族とは言え、そんな少女にこの選択が――世界のために大切な人を見捨てるなんて選択が、できるはずがなかった。
「くそ、俺が真っ先に弓矢の奴を倒してたら……」
自分の浅はかさを呪うしかない。
相手の武器すら確認しないなんて、俺はどれだけ浮かれてたんだ。
その結果、少女に残酷な選択を迫ることになった。
埒もない思考に溺れ、意味もなく苦悩する。
そんな俺を現実に引き戻したのは――
『ねぇ、イオン……何か、聞こえない?』
静かに響いた、ファムのそんな一声だった。