第一章3 幽霊になりました③
一瞬、だった。
「ぁ……」
魔族に飛び掛かった俺は、あっさりとその一撃を受け止められ。
これまたあっさり、魔族の凶刃を浴びた。
――あぁ、俺、死ぬのか。
視界はだんだん暗くなる。聞こえる悲鳴はひどく遠い。冷えていく体は弱々しく震える。
そんで、痛ぇ。メチャクチャ痛ぇ。
体は、ほとんど真っ二つになっていた。
うつぶせに倒れた体は血だまりに浸り、全く力が入らない。
らしくないことをした。
こういうとき、尻尾を巻いて逃げるのが俺だったはずだ。
アイツを――エリザベート・ラインスを助けようなんて。
本当にどうかしていた。
そうする理由は、とっくに失くしたはずなのに。
結果は瞬殺。俺は死に、彼女もきっとすぐに殺される。
『もう、君に負けることはない。相手をする価値もないね』
かつてかけられた残酷な言葉が、耳の中に甦る。
クソ、勝手に出てくんじゃねぇよ。
冷たい地べたが思い出させたんだろう。
あの頃の俺は、勝てっこない相手に挑んでは、同じように地面に転がされていた。
――俺に、『天与』があれば。
そう思ったのは、もう何度目になるだろうか。
神から与えられる、戦うための力。
周りの全員が――今、腰を抜かしてるラインスですら持っているもの。俺も当然持っているはずだと思い込んでいたもの。
『もう、イオンは――私の知ってるイオンじゃないんだね』
遠ざかる背中。伸ばしたまま行き場を失った手。
脳裏を過るそれが、俺が見る最後の光景になるのか。
――そんな惨めな話、あってたまるか。
俺はなけなしの力を振り絞る。
腕に力を込めて体を起こし、脚に力を込めて立ち上がる。
握っていた剣を、もう一度強く握りしめた。
「ふざけんな……やられっぱなしで、終わるかよ」
そう、それだけのことだ。
別に他意はない。俺は俺のために、俺の怒りのために。
最後に一矢、報いてやる。
俺を斬り捨てた魔族は、今はもう俺に背を向け、ラインスを前に舌なめずりしている。
こんな下衆にやられたのかと思うと、もっとむかついた。
その背に向かって、気力を振り絞り吠え猛る。
「――おい! 俺はまだ戦えるぞ!」
が、奴は振り返りもしない。舐められたもんだ。
それならそれで、いい。
「うおおおおお!」
雄叫びを上げ、その無防備な背中に斬りかかる。
体がやけに軽い。腹が大きく裂けた死に体だというのが嘘のようだ。
限界を超えたのか、単純に抜け出た血のぶん軽くなったのか。
それはどっちでもよかった。
なんとも好都合、お蔭で奴に一撃かませる!
いや――わかっている。
コイツにこんな手は通じない。
きっと今に振り返り、俺の決死の一撃を易々と受け止め、俺に止めを刺すんだろう。
構うもんか。どうせ死ぬんだ。
なら、最後まで意地を張って――カッコつけてやる。
「おおおおぉぉ………………あれ……?」
しかし、現実は違った。
振るった刃は唸りを上げ、止まることなく振り抜かれる。
肉を裂く感触が、俺の手にはっきりと伝わってきた。
「ぐぁっ……!」
奴はまったく無抵抗に、こちらに気づく様子すらなく、俺の刃を背中で受けたのだ。
その背中はばっくりと裂け、赤黒い血を撒き散らす。
奴はそのまま、ドシャリとうつぶせに倒れ込んだ。
「へ……?」
「え……?」
俺の間抜けな声と、ラインスの驚く声が重なる。
信じられない。
あれだけの強さを持った奴が、こんな捻りのない攻撃にやられるなんて。
夢か幻でも見てるんじゃないか。
「ぐぅ……っ!?」
「! コイツ、まだ……!」
まだ、生きてる。
夢でも幻でも何でもいい、この好機を逃すわけにはいかない。
俺は無我夢中で行動した。
剣を逆手に持ち替え、両手で握りしめて奴の頭蓋に突き立てる。
ごりゅ、という気持ち悪い音を聞き、柔らかい肉と固い骨の、嫌な感触を味わう。
「はぁっ……」
奴は今度こそ絶命し、俺の足元でぴくりとも動かなくなった。
――やった。
なんでかわかんねぇけど、奴は俺にやられた。俺は勝った……!
安堵と達成感が込み上げ、思わず拳を強く握る。
「イヤ……何……? 何が、起こってるの……?」
「いや、俺にもわかんねぇよ」
怯えるラインスに無愛想な声を返す。
クソ。こんなときでも、こんな態度しか取れないのか俺は。
今から死ぬっていうのに。
せっかくカッコつけたんだから、最後までやろう。
昔のようにはいかなくても。
「でも、その……無事でよかったよ。リ……ラインス」
怯える彼女を安心させるように、できるかぎり優しい声を出した。
上手くできているかは、わからないけど。
……いや、これは全く上手くできていないらしい。
ラインスは俺の声なんか聞こえていないかのように、心底怯えた表情を浮かべたままだ。
「いや、さすがに怯えすぎじゃね? とりあえずソイツは間違いなく死んでるし、大丈夫だろ」
俺はつい、いつもの雑な口調で話しかける。
が、やはりラインスは取り合ってくれない。
そんなに怖かったのか――なんて思った矢先、彼女が口にしたのは。
「なんで、ひとりでに……ううん、そんなことより……!」
言いようのない不安を覚える、そんな言葉。
急に駆け出した彼女は、俺なんかに目もくれず――
「イオン!」
地面に倒れぴくりとも動かない、俺に駆け寄った。
「え……は……?」
なんだ、これ。
どういうことだよ。一体、何がどうなってる?
「俺が……死んでる……?」
視線の先、跪くラインスの目の前には。
体を大きく切り裂かれ血まみれになった、俺の死体があった。
物珍しい黒い髪。それと同じ黒色の瞳が、虚ろに開かれた瞼から覗く。
少し長い前髪はバラリと乱れて顔に掛かり、細身の体は灰色の制服に包まれている。
見間違えようのない、紛れもない自分の体だ。
「ちょっと、目を開けなさいよ馬鹿……! こんな、こんな風に死なれたら、私……っ」
ラインスは、血が付くのも厭わず俺の体を抱き起こし、揺り動かして懸命に呼びかける。その碧い目に涙を浮かべて。
彼女の手には、淡い光が宿っていた。
それは俺の傷を癒すための回復魔法だ。
でも、俺が目を覚ますはずがない。
だって俺は、ここにいる。
そして、気がついた。
今立っているこの俺には、あれだけ深々と付けられた傷がない。
異様に軽い五体満足な状態で、絶対に助からない俺の体を呆然と見つめている。
これは、つまり――
「俺、死んで……ふざけんな、これじゃまるで……」
――幽霊、みたいじゃないか。
どうしよう、どうすればいい。幽霊ってのは全部、悪霊が成りすましてる偽物なんじゃなかったのかよ。
死者は安らかな眠りに就いて、最後の審判を待つんだろ……?
だが、目の前の光景が雄弁に語る。
生気のない体。辺りを染める血だまり。
俺は死んだ。それを見つめる俺が、幽霊以外あり得るか、と。
ふざけんな、どうすればいいんだよ。
もしかして、俺の中に入れば生き返れたり……?
いや、あの体に戻ったところで助かるわけがない。
何だよこれ、何の意味があるんだ。
『……ーい。おーい、おーいってば!』
と、混乱極まる俺の耳に、突如として声が聞こえた。
いや、本当に耳で聞いたのだろうか。
なんか、頭の中に直接響いたような……気のせいか?
『ねぇ、聞いてるの!? 聞こえてるなら返事!』
声は間違いなく、もう一度はっきり聞こえた。
ここには今、俺とラインスしかいないはずなのに。
「は、はい……?」
だが藁にも縋る思いで、恐る恐る返事をしてみる。
この状況を説明してくれるなら、それが何だって構わない。
『うん、よろしい! いやーホント災難だったねー。あんな強ーいのにいきなり襲われちゃったら、死んじゃうのも仕方ないよ』
「いや軽々しいな! っていうか、俺本当に死んだの!?」
『うん、死んじゃったね。見事にバッサリ斬られてたし。血もいーっぱい出てたし。イオンもわかってるんでしょ?』
「いや、それはまあ……覚悟はしてたけど……」
場違いなノリの軽い声に引っ張られて、当たり前のように見えない声の主と会話をしてしまう。
なんかこう、真面目な雰囲気をぶち壊す何かがある。
「いやいやいや。っていうか、アンタ誰? そんでどこから俺に話しかけてんだよ?」
なんとか冷静さを取り戻し、声にそう訊ねる。
しかし、返ってきた答は――
『むー、つれないなー。もうずーっと、一緒にいるっていうのに』
「は……?」
え、何それどういうこと? なんか怪談的なヤツなの?
いや、自分が幽霊(仮)になっておいてこんなこと言うのも何だけど。
いや、落ち着け俺。コイツの軽いノリに引っ張られちゃダメだ。
「知らねぇよ。で、結局どこにいるんだお前」
『どこって……ここだよ?』
「答になってねぇ!」
『だからここだってばー。ほら……』
警戒する俺に、相変わらず軽い調子で答える声。
そして告げられたのは――
『あなたの、う・で・の・な・か』
「ひぃっ……!」
完全に怪談的なヤツだった。予想をぶっちぎって近い!
いや、近いってレベルじゃないよゼロ距離だよ。どうなってんだ。
「いや、ホントどうなって……って、」
と、俺の中に唐突にある考えが閃く。
「もしかして……?」
俺は、自分の腕を――いや、手を見た。
その手に握られている、真っ黒な刀身を持つ剣を。
俺がずっと愛用してきた、我が家に伝わる魔剣。
そう、そう言えばコイツは一応、『魔剣』と呼ばれる代物だった。
『だいせいかーい! 私、魔剣ファム・ファタール! 気軽にファムって呼んでね!』
「………………け、」
剣が。
もう、意味がわからない。
あっさり殺されたと思いきや、なんか幽霊になってるし、俺はあっさり魔族を殺すし、ラインスはずっと泣いてるし。
挙句の果てに――
「剣が……シャベッタアァァァ!?」
他の誰にも聞こえないらしい俺の声が、俺の耳に空しく響いた。