第一章12 イオンの理由③
やがて父親が退室し、使用人が食事を積んだ台車を置いて行った。
だがリズはそれに目もくれず、ずっとベッドの上で項垂れている。
「……料理、冷めちまうぞ」
意味もなく、そんなことを口にしてみる。
もちろん、彼女は反応しない。
「……まったく、もったいねぇ。俺なんか、もう食いたくても食えねぇんだぞ」
「……イオン」
「うお!? いや、独り言か……」
いや、独り言でいきなり名前呼ぶなよ心臓に悪い。心臓、動いてないけど。
見ると、彼女はベッドのすぐ横にある小机に手を伸ばしていた。
そして、そこにあった物を大事そうに握りしめている。
「それ……! まだ、持ってたのかよ……」
それが何かを見て取って、俺は思わず呟いた。
それは彼女が昔使っていた、碧色の瀟洒な髪飾りで。
小さい頃、俺が彼女にあげたものだった。
瞳の色とお揃いだ、なんて言って。
――てっきり、とっくに捨てられたもんだと思ってたよ。
もう何年も、彼女がそれを着けている姿は見たことがなかった。
そう――俺と決別した、5年前のあの日から。
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「98……99……100!」
最後の数字を叫ぶと同時、俺は横薙ぎに剣を振り抜いた。
黒い軌跡を残した漆黒の刀身が、陽光を浴びてきらりと光る。
ローレイ学院に入って、そろそろ一年が経とうという頃だ。
学院の寮の裏庭。やたらと広いその場所は鍛錬に持って来いで、そこで剣の素振りをするのが俺の日課だった。
「ふぅ……」
「おつかれ」
額に滲んだ汗を拭った俺に、芯のある心地よい声がかかる。
振り向いた視線の先に立っていたのは、澄まし顔の一人の少女。
「おう、リズ」
「ん。飲むでしょ?」
「ん、ありがとな」
少女が差し出す水筒を受け取り、ぐいっと呷る。
喉を潤してそれを返すと、彼女は受け取りながら少し頬を緩ませた。
エリザベート・ラインス。俺の幼馴染である。
「今日も精が出ますねぇ。学年一位を守るには、やっぱりそれくらい頑張らないといけないんですか、優等生さん?」
碧い髪飾りで二つに束ねた金髪を揺らし、茶化すようにこちらを碧い眼で覗き込んでくるリズ。
俺はそんな彼女からふいと目を逸らし、ぶっきらぼうにそう返す。
「別に、一位にこだわってるわけじゃねぇよ。俺がそうしたいからやってるだけだ」
健康的な桃色の肌。すっと通った鼻筋。若干吊り目気味の大きな目に、血色のいい薄い唇。
世間一般で言って可愛い部類に入るだろう。
近頃は体つきも少しずつ女性らしくなってきていて、俺としてはいろいろと意識せざるをえない。
逃げるように、俺は言葉は続けた。
「まあ、頑張らねぇとってのは思うけどな。いろいろ期待されてるわけだし。それに――」
当時の俺は、優秀だった。
運動、学業、剣術に魔法と、全てにおいて学年一位。
元々それなりに何でもできたのだが、一度剣術で一位を取って以来、その達成感が忘れられずにいろいろと頑張るようになった――ということもある。
だが、頑張りたい一番の理由は。
「じいちゃんや親父みたいな、立派な騎士になる。そのためにも、鍛錬は欠かせねぇよ」
俺に最初に剣を教えてくれたじいちゃん、学院に入るまで稽古をつけてくれた親父。
二人は王国の騎士団に所属し、そのなかでも指折りの実力者だった。
俺は二人のことを思いながら、二人から受け継いだ魔剣ファム・ファタールに触れる。
いつかコイツを使って、立派な騎士として戦う――それが、俺の夢だった。
「ふーん。でも、毎日毎日、辛くないわけ?」
「んー、別にかな。頑張るのって意外に楽しいし、皆から褒められるのは嬉しいし」
「わー、さっすが! 優等生は言うことが違うわー」
「リズだって成績いいし、魔法も上手いじゃん。この前の回復魔法とか凄かったしな」
「え!? み、見ててくれたんだ……。あ、ありがとね……」
「え、いや……どういたしまして?」
赤面するリズに、俺もなんだか恥ずかしくなってしまう。
二人してモジモジして、チラチラと互いの様子を窺っていると――
「イオニアス・コクレン! 僕と勝負してもらおうか!」
……ものすごく邪魔が入った。
「……なんだパレスかよ。お前、ホント懲りねぇな」
「ああ、勝つまでやるとも。木剣のみ、十本先取でどうだい?」
「長ぇわ! 三本で我慢しろ、俺このあと魔法の訓練したいんだよ」
「ちっ、仕方がないな。よし、構えるがいいイオン。ティナ、合図は任せるぞ」
「うん、お兄ちゃん! 行きますよー!」
パレス・アンティパスにティナ・アンティパス。
髪はお揃いの水色だが、顔は全く似ていない。
ただし、どちらも美形という括りには入るだろう。パレスのキザったらしい表情がむかつくが。
二人は双子の兄妹で、兄のパレスの方はことあるごとに俺に張り合ってきた。
実際彼も相当優秀で、剣術は俺に次いで二番を譲ったことがない実力者だ。
「よーい……始め!」
ティナの合図と共に、パレスは勢いよく俺に打ちかかってくる。
「はあっ!」
「ふん!」
「ははは、そんなものかイオン! 食らえ!」
響くのはパレスのかけ声ばかりで――うるせぇ。いちいち声を出さないと剣を振れねぇのか。
勢いよく突き出されたパレスの木剣を、俺は手首を返して軽くいなす。
そのまま一歩踏み出すと、彼の首元にピタリと木剣を添えた。
「そんなもんか?」
「ちっ、のらりくらりと……!」
意趣返しとばかりにニヤリと笑うと、パレスは恨めしげな視線を向けてくる。
「うう……イオン、一本ですー……お兄ちゃん頑張れ! 二本目よーい、始め!」
兄を応援するティナの声と共に、勝負は進行した。
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「うう……イオン、三本目。イオンの勝ちです……」
「くそっ……今日も、勝てなかったか……」
「はいお疲れさん。またの挑戦をお待ちしておりますよっと」
軽い口調で答えつつ、俺は再び汗を拭う。
実は余裕綽々というわけでもないので、コイツの相手はそれなりに疲れるのだ。
それだけ良い訓練になるので、ちょっとありがたかったりもする。
「ふん、だが見ていろイオン。明日には、君は僕の足元に倒れ伏していることだろう……!」
「いや、倒れ伏すまではやらねぇよ。でも、そうか……明日なんだよな」
「そうね。『天与命名の儀』、かぁ……」
俺とパレスとのやり取りに、横からリズが入ってくる。
彼女が口にした、『天与命名の儀』。
それは『天与』を判別し、命名する儀式である。
「僕の『天与』は、きっと他に類を見ない素晴らしいものだろう。ふふ、明日が楽しみだ……!」
「どんだけ自信過剰なんだよ、根拠なさすぎだろ……まあ、楽しみってのは同感だけどな」
「イオンだって、けっこう妄想してるくせに。でも、うん。楽しみだね」
「はい、楽しみですね!」
楽しみ。それが全員の共通認識だった。
『天与』は『神から与えられた能力』だから、生まれた時には既に持っている。
ただし、名前が付くとその性能が向上し、使用が容易になるという特性があった。
つまり、今まで無自覚に使っていた能力が儀式を機に強化され、晴れて真に自分のものになるのだ。
誰もが胸を躍らせ、期待を寄せていた。
そしてもちろん、俺もそのうちの一人で。
しかし――翌日に控えたそれは、俺の人生を激しく狂わせることになる。
この時の俺は、そんなことは知る由もなく。
「明日の儀式が終わったら、さっそく再戦してもらおうか、イオン」
「おう、望むところだ!」
その約束を死ぬほど後悔することになるのも、やっぱり知る由がなかった。




