プロローグ 魔王を倒すまで逝けません!
「これが、魔王城……」
頑健な城壁に、黒い鉄の門扉。その威容は見上げるほどに大きい。
昼間なのに空には暗雲が立ち込め、時々稲妻が光ったりなんかしていた。
門番には屈強な魔族が二人。微動だにしない彼らの眼光は、研ぎ澄まされた槍のように鋭い。
佇まいには全く隙がなく、おそらく精鋭と呼ばれる強さを持っているだろう。
どこからどう見ても、物語の終盤にならないと立ち入ることの許されない魔境。
生半可な覚悟では、一瞬で排除されること請け合いだ。
『ねぇイオン、やっぱり無理じゃない?』
そう問いかけてくるのは、俺の愛剣ファム・ファタール。
剣が喋るとか――しかも可愛い女の子の声で――最初はびっくりしたけど、もう慣れた。
そして、その心配はごもっともだ。
俺は選ばれし勇者なんかじゃない。
ただの――いや、落ちこぼれの18歳男子。
「いやいや、何言ってんだよファム」
ただし、一つだけ普通じゃないことがある。
「今の俺、幽霊なんだぜ?」
そう。何を隠そう、俺は幽霊なのだ。
「つまり、誰からも見られないし触られないんだろ? で、お前を使えば物を斬ることだけはできる」
『まぁ、そうだけど』
要するに、誰にも気づかれず一方的に攻撃できると。
「だったら、相手が魔王だろうが楽勝じゃん? 壁もすり抜けるから、魔王の部屋もすぐ見つけられるだろうし」
『うーん、そんなに上手くいくのかなー……』
「いや、じゃあ逆に聞くけど、何か不安要素ある?」
『うーん……人柄? あと目が死んでる』
「叩き折るぞお前」
性根も目も腐ってるのは生前からだ。ほっとけ。
今ごろ体も腐ってるんだろうけどな。ははっ。
未だ不安げなファムを他所に、俺は魔王城の重々しい門扉を堂々とすり抜けた。
もちろん門番は気づかない。
どれだけ魔族がいようと構わずまっすぐに、なんか偉い人がいそうな方向へ歩き続ける。
途中の部屋にあった鏡に、チラと目を遣った。
そこに俺の姿は映らない。
物珍しい黒髪も、同じく真っ黒な瞳も、細身の体も、灰色の制服も。
やっぱり見えないんだよなと再確認し、安心と寂しさの入り混じった心持ちで進み続け――
「ほら見つけた。上手くいっただろ?」
あっさりと、魔王を見つけた。
配下っぽい魔族も「魔王様」って言ってたし、間違いないだろう。
『うーん、魔王城の警備が心配になるね……もう少し攻め込み辛い造りにすればいいのに』
それは全く同感だが、同情の余地はない。
「ま、俺の天国行きのためだ。魔王には尊い犠牲になっていただこう!」
魔王を倒すまであの世に逝けない――それが、俺に課せられた条件らしいので。
俺は、改めて魔王をじっと見据えた。
これまでに見た魔族たちと違い、魔王の鎧は見るからに上質だ。
青みがかった銀色のそれは、魔王の胸や肩、腕や脚を覆い隠している。
さらに王の地位を示す荘厳な黒い冠と、それに似合う漆黒のマント。
体つきは意外に細身だ。
あと目が切れ長で鼻筋が通っていて、ついでに耳も綺麗に尖って、むかつくほどに超美形。
黄土色の肌に銀髪がここまで映えるとは知らなかった。
明らかに他の魔族と違う――っていうか、もう見てるだけで圧が凄い。
一言で言うと、メチャクチャ強そう。
「ま、今の俺には関係ねぇ」
いくら強かろうと、剣で突き刺せば死ぬに決まってるし。
狙いは、鎧に覆われていない下腹部。
「よし、そんじゃまぁやりますか。行くぞ、ファム!」
『うーん……ま、やるだけやってみればいっか。はーい!』
というわけで、俺は剣を構えて猛然と駆け出す。
助走の勢いそのままに、その切っ先を魔王目がけて突き立てた!
「……」
『……』
突き立てた!
「……」
『……』
突き……立てた……よ?
「なあ、ファム」
『なーに、イオン』
「俺の目の錯覚かな。なんか、傷一つ付いてないように見えるんだけど」
『あ、やっぱりー? 私も全然突き刺さってる感覚ないなーって思ってたんだー』
「……」
『……』
……魔王、無傷。
「あのさ、ファム。俺、お前のことは『能力はないけど切れ味と頑丈さが取り柄の剣』だと思ってたんだけど」
ファムは『魔剣』、本来であれば斬撃が飛ぶとか火が出るとか、そういう特殊能力を持っているはずなのだ。
ないんだけど。
『ねぇイオン、もうちょっと言い方とか工夫できない? そういうとこだよ? 能力あるし?』
あ、そう言えばそうだった。
『幽霊にも使える』とかいう、生身の人間には全く役に立たない謎能力だけどな。
いや、今はそんなこと言ってる場合じゃない。
「どういうことだよ! もっと気合い入れろよファム! 固くなれ! 限界を超えろ! お前の大胸筋が泣いてるぞおぉぉ!」
八つ当たりのように魔王に剣を叩きつけながら、完全な八つ当たりでファムに怒鳴る。
『人のせいにしないの! イオンがへっぽこだからでしょー!? そっちこそもっと腰入れてよ! っていうか、もっと丁寧に扱ってよ! 女の子には優しくって習わなかった!? っていうか私の大胸筋ってどこ!?』
ファムも怒鳴り返してくるが、状況は一向に変化しない。
魔王は傷一つ付かない、どころか何も気がついていない様子だ。
部下に指示を出したり書類に目を通したりと、ごく普通に、至って真面目に働いている。
「はあ、はあ、……」
『はあ、はあ、……』
しばらくやってみたが、やっぱり何も変わらない。
俺は息を切らしてその場にへたり込む。
「いや、なんでお前まで息切らしてんだよ」
『それを言うならイオンだって』
そうでした。俺、今幽霊だったわ。
言われてみれば、別に肉体的な疲労感はなかった。
ただ気分的にそうしたいというか、うん。
「はぁー……」
『ふぅー……』
二人揃って長いため息を吐く。うん、そういうもんだな。
「……ちなみにコレ、やり続けてればいつか倒せると思う?」
『それは……ちょっと無理……じゃないかなー……』
「やっぱりか……」
だよな。
雨垂れ石を穿つって言うけど、あれって僅かでも削れてたらの話だもんな。
っていうか、魔王だってさすがに血が出た段階で対策打つだろうし。
治療されたらお終いだわな。
……いや、一旦冷静になろう。
「あ、何やってんだ俺。目とか狙えば何とかなるだろうよ」
『あ、たしかに! もう、そんな簡単なことに気づかないなんて、イオンって馬鹿だなー』
「ははは、お前もだぞファム」
冷静になったらあっさり思いついた。
いくら魔王がゴリゴリのバキバキのムキムキで剣を跳ね返す肉体を持ってたとして――そうは見えないけど――、目やら口やらは鍛えられないだろう。
というわけで、気を取り直して。
俺は一旦距離を取ると、剣を構えて猛然と駆け出す。
助走の勢いそのままに、その切っ先を魔王目がけて突き立てた!
「……」
『……』
……うん、無傷。
「口!」
無傷。
「鼻!」
無傷。
「耳!」
無傷。
「足の小指!」
無傷。
……っていうかこれ、よく見たら微妙に届いてなくね?
どうやらファムの切っ先は、魔王の肉体に触れてすらいない。
『魔術で防御してる、とかかなー……』
「魔族最強なんだし、それくらいできても不思議はないな……」
だとすれば、寝込みを襲うとかすればいけるか?
いや、魔王めっちゃ仕事してるし、きっと無意識に発動できる系のヤツだろうな……。
――さて。
「……一旦出直すか」
『そうだね……』
俺とファムは、すごすごと魔王城を後にした。




