第1話『不審者を殺せ』①
事実は特撮よりも奇なり。
な訳あるか。
特撮のバリエーション舐めるなよ。
それにしてもだ。
一体全体、どうなっているのだろうか。
目の前に広がる景色は、俺が住んでいた地方都市とは似ても似つかない。
どこまでも広がる草原と、遥か遠くに見える山々。
早朝なのか夕方なのか、空は紅い太陽に照らされオレンジ色に染まっている。
まるで、夢でも見ているかのようだ。
「俺、死んだのか……?」
はっきりと覚えている。
俺は目覚める前、酔っ払い集団に絡まれている女子高生を助けようとして、逆上した酔っ払い共に袋叩きにされたのだ。
そして目が覚めたらこれである。
「ここが天国ってやつ?」
少なくとも地獄ではなさそうだ。
地獄といえばもっと荒れていて、鬼なんかがいて、阿鼻叫喚に溢れた世界……のはず。
こんなに穏やかなはずはない……たぶん。
「よっと」
立ち上がり、今一度状況を確認する。
体には傷も痛みもなく、どころかここ数年で一番体調が良いかもしれない。
よれよれだったスーツもどういう訳か新品同然。
財布とスマホが無くなっているが、まぁ気にしないでおこう。
天国なら金も必要ないだろうし、あの世にまで上司から連絡が来るなんて真っ平ごめんだ。
そう考えると、死ぬのも悪い事ばかりではないな。
どっちみち、現世に未練などない。
なぜ生きているのかも、なぜ死なずにいたのかもわからない様な人間として、ヒーローに憧れる人間として、誰かの命を護って死ねたのならば、本望である。
これで少しは、マスクナイトに近づけ……。
「あれ?」
いや、ちょっと待て。
待ってくれ。
肝心なことを忘れていないか?
俺が死んだのは金曜の夜、それから何日経ったのか分からないが……。
「もう、ニチアサ見れないんだ……」
俺の唯一の生き甲斐、日曜朝の特撮ヒーロー番組。
今週は新フォームのお披露目回だった。
それなのに……なんだよ天国って、ふざけんな、テレビを寄越せ。
「あぁっ!」
俺は事の重大さに気がつき、今更ながら頭を抱えた。
その時――。
――カシャン。
聞きなれない金属音が耳元で響いた。
「なんだこれ……ブレスレット?」
スーツの左袖を少し捲ると、本来ならシルバーの腕時計を巻いていた辺りに黒いブレスレットが巻かれている。
それもただのブレスレットではない。
やたらゴツくて、メカメカしくて、いくつかボタンが付いていて、これじゃあまるで……。
「貴方」
不意に、背後から声がした。
余りに唐突だったせいで心臓がドクンと跳ね上がる。
恐る恐る振り返ると、そこにはひとりの少女が立っていた。
まだ幼さが残る顔つきの、美しい少女。
「あんた、天使か……?」
「天使ですって? 失礼しちゃいますわ」
天使という表現が失礼に値することなど、俺の人生では一度たりともありはしなかった。
だがまぁ、彼女の場合は特別なのかもしれない。
自分で言っておいてなんだが、目前に凛と立つ美しい姿は、おおよそ想像する天使のそれではないからだ。
闇夜の様に黒い長髪、鮮血のように紅い瞳、病的なまでに白い肌、身に纏うのは黒と紫のゴシックドレス。
そして何より、天使であれば存在するはずが無いもの――二本の捻じれた角が彼女の側頭部からは生えていた。
天使なんてもんじゃない、これじゃあまるで地獄の鬼だ。
「貴方、人間ですわよね? 人様の庭で何をしているのかしら?」
鋭い眼差しで俺を睨んだ彼女は、強い口調で詰め寄った。
状況が分からなすぎるが、とにかく謝るしかない。
「え、えっと、その、人間です。黒川深夜と申します。ここが貴女の庭とは知らず、申し訳ありませんでした」
「あら、随分と素直ね」
そう言う彼女の目付きは、少しだけ柔らかくなった様に見える。
「えっと、貴女は……?」
「あら、わたくしをご存じなくって?」
「は、はい。すみません……」
存じ上げているわけがないだろう。
俺とアンタは初対面なのだ。
「まぁいいでしょう。わたくしは『レヴィア』。レヴィア=マーメルト・デッドツリーと申します。以後お見知りおきを」
「レヴィア……綺麗な響きですね」
「あら、ありがとう」
「あ、いや、どうも……」
彼女は思わず会釈で返した俺を見て可笑しそうに口元を抑えた。
「わたくしの真名を聴いて震え上がるならいざ知れず、綺麗だなんて仰ったのは貴方が初めてでしてよ」
「そ、そうですか」
「ええ。余程胆が据わっているのか、それともただの愚か者なのか――どちらでも構わないけれど」
そう言って彼女は数歩詰め寄ると、観察するように俺の体をまじまじと見つめた。
「一体どうやって入り込んだのかしら? あの結界は人間如きに破られるものではなくってよ? あまつさえ、魔力が無ければ筋力も脆弱である貴方の様な人間が通り抜けるなんて」
「け、結界? 俺はただ、酔っ払いに殺され――ってぇッ!」
突然、左腕が鋭い痛みに襲われた。
ブレスレットがついているあたりから、まるで電流を流されたかのような激痛が走ったのだ。
「なんだ今の……」
「あら? どういたしまして? 説明はできないのかしら?」
「え? あぁ、いや。信じてもらえないかもしれませんけど、俺は――ってぇ! 痛ってぇまじでっ!」
俺は殺されて、気がついたらここにいた。
そう言おうとするたびにブレスレット付近に激痛が走るのだ。
剣道の試合で鏝を外された時も相当痛いけれど、この痛みは比べ物にならない。
「もう、結構ですわ」
気が付けば吐息がかかるほど間近まで、彼女の顔が接近していた。
「下手な芝居はおやめになって。説明なんて出来ないですわよね? 悪魔を前にすれば、どんなに愚かな人間でも口を噤みますもの」
「あ、悪魔? って、貴女のことですか……?」
「分かりきったことを聞きますのね。それとも、わたくしの他にも悪魔が見えていらして?」
「い、いえ……」
彼女は、自分が『悪魔』であると言い切った。
じゃあやっぱりここは天国じゃなくて地獄……なのか。
自慢じゃないが、自慢できるようなことでもないが、俺は地獄逝きになるほどの悪事を働いたことはない。
小学校の遠足でも、300円と決められたらそれ以上のおやつを買ったことがいないし、高校時代だって、カンニングペーパーを作っているような奴らに負けないよう真面目に勉強していた。
それなのに……。
「どうして俺は地獄なんかに……」
「地獄ですって? 侵入しておきながら随分な物言いですこと。……まぁいいですわ。あなたの事情は存じませんが、わたくしに出逢ってしまったのが運の尽き」
「ぐっ!」
次の瞬間、俺の足は地を離れていた。
胸倉を掴まれて持ち上げられているのだ。
華奢で小柄な彼女のどこからこんな力が沸いているのか、がっちり固定されたかのようにその手が離れる気配はない。
「は、離せっ!」
「話すのは貴方ですわ。答えなさい、貴方の他に何人いらして?」
「俺の他って、な、何の話だ!?」
「質問に質問で返さないでくださいませ。しらばっくれても無駄でしてよ」
「だ、だから、何の――」
言いかけたその時だった。
「――ほら、いらっしゃったみたいですわよ」
彼女の視線を追い、振り返った俺の目に映ったのは、ガラスのように割れた空と、そして――。
「ッ!? なんだあのでっかい鳥!?」
オレンジ色に染まる空、その一部が割れて顔を覗かせる青空の中から、白い鳥が現れたのだ。
雲の様に真っ白なそれは、俺が知っているどの鳥とも全く違う。
ここからじゃ正確には分からないが、広げた翼の直径は10メートルを優に超えている。
天国からのお迎えだろうか?
そうだ、そうに違いない。
俺が地獄に送られるなんてありえない。
今頃閻魔様は大慌てだろう。
「おーい! 俺はここだ! 早く助けむぐぅッ!」
「お黙りになって。抗っても無駄ですわよ。今頃わたくしの召使いも大慌てでこちらへ向かっていることでしょうしね」
脅すような口調とは裏腹に、彼女は表情には焦りが滲みだしていた。
あの鳥が彼女にとって都合の悪い存在なのだろう。
「んー! んむ~!」
「黙りなさいと言っているの。それとも今すぐ死にたのかしら?」
間違いない。あれは彼女の敵、裏を返せば俺の味方であるということだ。
だがどうすればいい?
あの鳥はさっきから円を描いて滑空するばかりで、こちらに気づいている様子はない。
大声を出し続ければ気づいてくれるかもしれないが、そんなことをすれば彼女に殺されかねない。
クソ……死ぬ前に持ってた鉄パイプがあれば抜け出せたかもしれないのに。
どうすればいいんだ。
こんな時、マスクナイトがいてくれれば……。
「…………ッ!?」
そうだ、思い出せ。
剣道だけじゃない。
いや、剣道よりももっと、俺の中に刷り込まれているモノがあるではないか。
彼女が鳥に気を取られている今ならやれる。
今やるんだ!
熱き正義を滾らせろッ!
「ふっ――!」
俺は腹筋に力を入れて両足を振り上げ、彼女の頭を太腿で挟み込んだ。
「むぐっ! あ、あんへふほ!?」
突然のことで驚いたのか、彼女の手から力が抜けるのが良くわかる。
俺はすぐさま全体重を乗せて、後方に仰け反った。
「ナイトォ――シザァアアアスッ!」
「きゃあっ!」
説明しよう。
ナイトシザースとは、『マスクナイト 第3話《大ピンチ! 奪われたナイトセイバー》』にて、マスクナイトがサソリ男へ放ったとどめの一撃である。
コンクリートなど硬い地面の上で行えば相手の命を奪いかねない危険な技だが、幸いにもここは土の柔らかい原っぱだ。
それに大人一人を片手で軽々持ち上げる彼女が相手であれば、最悪の事態は免れるだろう。
何より相手は悪魔ーー《悪》なのだ。
「うっ!」
背中から地面に叩き付けられた彼女は、うめき声を上げた。
生きているうちに試したことなどなかったし、その機会すら訪れはしなかったが、何度も見てイメージしていたその技は見事に成功した。
彼女の魔の手から開放されたのだ。
「このまま逃げるか!? ……いや」
彼女の足の速さ次第では追いつかれてしまう。
だったら追撃を掛けて万全の状態を取るべきだ。
敵は今、仰向けの状態。
ならば放つ技は決まっている。
「とぉっ!」
俺は飛び上がり、仰向けの彼女に覆いかぶさった。
そして両肩を掴み、両膝で太腿を挟み込み、頭を彼女の首下へと潜り込ませる。
「な、なにをなさるの!?」
「今から見せてやる! いくぞ! 必っ殺! 天空地獄車ァッ!」
説明しよう!
『天空地獄車』とは、『マスクナイト 第28話《見よ! マスクナイト大逆転!》』にて、マスクナイトがヒキガエル男へ放った必殺技である!
相手を抑え込み、でんぐり返しの要領で相手を巻き込みながら回転することによって、相手の後頭部を何度も地面に打ち付ける、正に『必殺』の技なのだ!
「おらぁっ! ……あれ?」
なぜだ、思ったようにうまくいかない。全然動く気配が無い。
力が足りないとでもいうのだろうか? いや、そんなことは関係ない。
滾らせるんだ、熱き正義を!
「おらおらおらおらっ!」
「やめ、やめてくださいまし!」
ここまで来てやめられるか!
だんだん体が動いてきたし、もう少しで行けそうだ!
ほとばしるパトスの導くままに、俺は体を揺らし続ける!
「いたっ、痛いですわ!」
「もうちょっとで行けそうだから我慢してくれ!」
こうなったら意地でもやってやる! 夢の天空地獄車だ! キメてやるんだ!
「いたっ、痛いと言ってますのに!」
「イケるイケる! イクイクイクイクっ!」
「お嬢様! 結界が聖獣に――って、お嬢さまぁあああ――――ッ!?」
天空地獄車まであと少しといったところで、突然甲高い悲鳴が耳に響いた。
押し倒している彼女がついに悲鳴を上げたのかとも思ったのだが、その声は全く別人の物であり、顔を上げると、メイド服を着た赤毛の少女が絶望した様子で立ち尽くしていた。
背格好はレヴィアと同じくらいで、見た目年齢も同じく中高生程度だが、胸まで伸びた髪を鎖骨の辺りで二本に束ねた髪型のせいか、より幼くも見える。
蒼い瞳は空の様に住んでいて、悪魔らしい角も見当たらない。
もしかすると、彼女は人間なのかもしれない。
「いやぁあああ! お嬢様が不審者に襲われてます〜!」
「は!? 違う違う! 俺は不審者じゃない!」
「お嬢様に馬乗りになって胸部に顔をうずめつつ激しく腰を前後運動しながら『イクイク』言ってる男が不審者じゃなかったらなんなのですかー!」
「ご、誤解だ! 俺はただ天空地獄車を!」
「不審者が訳の分からないことを言ってます~! 怖いですキモイです!」
「キモイ!?」
とんでもない誤解を受けてしまったではないか。
いや、側から見れば確かに危ない構図だったかもしれない。
いくら敵を屠るためとはいえ、これではあまりにも格好がつかない。
一旦この悪魔を解放するしかない……!
「うぅ……いだがったでずわ……」
「す、すまん」
体をどかすと、彼女はよろよろと立ち上がった。
高飛車な態度だった彼女は、気づけばうつろな瞳で涙を流している。
「ふ、不審者――! よくもお嬢様を泣かせましたね!」
「え!? いや、だってほら! え!? なんで泣いてんの!?」
「不審者に純潔を奪われれば誰だって泣きますよ!」
「奪ってない! 全然奪ってないから!」
さっきまで俺の首根っこを掴み上げていた悪魔のくせに、どうして俺が悪いみたいになってるんだ?
「もう許しません! であえであえー!」
メイドが叫んだその瞬間、彼女の目の前の空間が、コーヒーに入れたミルクの様にねじ曲がった。
この世界の空間がおかしな動きを見せた時、それは現実ではありえない『何か』が現れる前兆らしい。
「勘弁してくれよ……」
空間の捻じれから出現したそれは、どこか見覚えのある姿をしていた。
RPGをやれば必ず一度は目にすることとなるそれは、小さな翼をはためかせ、口から小さな火の粉を散らす。
体長2メートルほどで想像していたよりも小さいが、それは全身が真っ黒な『ドラゴン』であった。
「ひじき! 不審者を殺しなさいー!」
「ひじきって名前なんだ!」
可愛い名前のドラゴンは物騒な命令を受け、のっそのっそと歩き出した。
これ、いよいよまずいんじゃないのか?
どうして俺、死後の世界で殺されそうになってるんだよ?
押さえつけた少女が涙を流し、メイドが怒りを露わにし、ドラゴンが迫りくるこの状況。
いくら思い返しても、マスクナイトにこんな回は存在しなかった。