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百合フール ※実話をもとにした創作です(嘘)

「にん、しん……?」


 その単語を聞いたとき、そんなことは絶対にありえないのに、一瞬だけ、そう、ほんの一瞬だけ、私と貴女の子どもができたのかと、思ったの。


「ごめん。私、わたし……ごめん」

 力なく、貴女がうなだれるのを見て、やっと、ああ、つまりは貴女は男性と私との二股をかけていて、そしてあちら(・・・)を選んだのだと、そうわかったのだけれども。


 そうか。

 妊娠。

 妊娠、かぁ。


 それじゃあ、もう、どうしようもないな。


 つまりは私は浮気をされたということだけど、もう、許す許さないとかの次元には、ない。もう、命がひとつ、そこにあるんだから。

 私も女で、貴女も女で。

 新しい命なんて、赤ちゃんなんて、どんなに愛したって、どんなに頑張ったって、どうにもならないどうにも勝てない、不条理なまでに強いカード。

 それを切られてしまったら、もう、どうしょうもない。


 ああ、手が、冷たい。


 指先から凍りついてしまったかのような手の冷たさ以外は、なんだか、ぜんぶ幕がかかったかのようにぼんやりとしていて、思考すらもうまく動かせない。

 現実味がない、って、こういうこと?


「ごめんね、ユキ。……泣かないで」

 貴女こそ、泣きそうな声でなにを言っているのかしら。

 私が、泣いている?

 ああ、私の目と頬が少し熱いのは、涙が流れているからなのか……。

 相変わらず、私はだめだな、泣き虫で。貴女は、いつもいつでもそんな私を抱きしめてくれて、慰めてくれて。


「もう……、抱きしめては、くれないの」


 ぽつり、と、自分の口から零れ落ちた言葉を、私はこの期に及んでなにを言っているのだろうかと、他人事のように考える。

 貴女は私の言葉を聞くと、こちらに手を伸ばそうとして、ためらって。その手は、少し、空をさまよって。

 ぱたん、と、彼女の膝に落ちた。


 ああ、もう、だめなんだ。


 じわりと、瞼が熱くなる。

 つきりと、鼻の奥にきた。


「う……あ、ああ、……あああああっ!!」


 悲しいのか、悔しいのか、怒っているのか、自分でももはやわからない激情が、勝手に両眼と口からあふれ出したみたいだ。

 貴女が、なにかを言っている。けれど、聞きたくない。


「やだ!やだ!やあああああ!やだあ!やああああアアアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーッ!!」

 めちゃくちゃに叫んで、泣いて、泣いて、叫んで、震えて、泣いて。

 苦しくて、どうしたらいいのかわからなくて、私はまるで癇癪を起こした幼子のようだ、と、この状況を俯瞰で眺める私と、泣き狂うワタシとに別れてしまったみたいだ。


 耳を塞ぎながら泣きわめき叫ぶワタシを、貴女がどうにかなだめようとしている。

 なのにワタシは、その手を乱暴に振り払う。


 ああ、駄目。

 大切な人なの。

 傷つけるようなことをしては、駄目。


 貴女は、ゆかちゃんは、私の世界でいちばん大切な、大好きな、……ああ。



 ――――



 私たちの出会いは、10年前の、4月8日。

 高校の入学式の日。


「うっわしっろ!」

 真新しい制服に身を包んで、女子高って本当にクラスに女の子しかいないな、なんて当たり前のことに感動しながら自分の席を探して、緊張のあまり何度も何度も確認して、貴女の隣の自分の席についた私を見た貴女の第一声は、そんなものだったね。


「めちゃくちゃ肌白いね、君!へー千雪(ちゆき)っていうんだ?名前までしろーいかわいいー。

 あ、私はねー、由香里(ゆかり)っていうんだー。ゆかちゃんって呼んでね!貴女のことはユキって呼んでいい?あ、私たち名前似てるね!」

 となりの席に座っただけの私に、初対面から呼び捨てにするほどの急激な距離のつめ方をしてきた貴女に、私は、正直いって、このときすごく戸惑っていて、『なんだろうこの子』って思っていたの。

 貴女は後でこのときのことを『一目ぼれだったんだもん!絶対に逃がしたくない!って思ったの』なんていっていたけど、私はちょっと逃げたかった。

 それから、私は確かに色白だけど、それはまあ別に普通のインドアな人間ならこんなものレベルであって、そりゃ貴女に比べれば白いけど……と頭の中であれこれ考えていたけれど、全部貴女の勢いに飲み込まれてしまって。

「あ、うん。よろしく、ね。ゆか、ちゃん?」

 首を傾げながら発した私の言葉を聞いた貴女は、その瞬間、本当にうれしそうに、くしゃり、と、笑って。


 あ。

 目元の笑い皺と、八重歯が、かわいい。

 そのとき、はじめてそのことに気がついたの。


 明るい髪色も、健康的に日焼けした肌も、ちょっとだけこわい第一印象を与えてきたけれど、それは水泳部ですごくがんばっていたからで。だんだん親しくなるうちに、すらりと背が高くてしなやかに引き締まった体も、人懐っこい笑顔も、どんどんステキだな、かわいいなって思うようになった。

 たぶんあのとき、一目ぼれ、とまではいかないけれど、私は貴女の笑顔に、恋を、しはじめていた。


「ユキ!」

 私の名前を呼ぶそのハスキーな声が好きで、私が先に貴女を見つけても、絶対にこちらからは声をかけないようにしていたのなんて、貴女は知らなかったんだろうね。

 貴女が私のことを見つけて、名前を呼んで、そちらを向けば、笑顔を向けてくれる。

 その瞬間の本当に嬉しそうな笑顔がまるで犬みたいでかわいくて、この子ちょっと私のこと大好きすぎない?なんてうぬぼれさせてくれちゃって。クラスでも部活でも人気者の貴女が、私のことを特別に扱ってくれることがくすぐったくて、嬉しくて。

 明るくて親切でいつでもなんでも全力でがんばっていて、でもちょっとさびしがりやで誰も自分の近くにいないときはすねたような顔をしている貴女のこと、知れば知るほどどんどん好きになっていったの。

 私はよく言えばポーカーフェイスが上手、悪く言えば感情を表に出すのが下手くそだから、貴女はそんなこと、ちっとも気がついてはくれなかったみたいだけど。


「こんなこと言われても困るだけだと思うし、私ばっかりユキのことが好きだっていうのはわかってる。

 でも、私はユキのことが好き。誰にも渡したくない。そういう意味で、好き。私は、ユキの特別になりたい」

 高校1年生の夏休み、貴女と遊びに行った帰り道。

 真剣な顔で私にそう告げた貴女は、少し震えていたもんね。

『どう考えても両思いなのに、なんでゆかちゃんはいつまでたっても告白してきてくれないんだろう?女の子同士だから?いやまさかもしやゆかちゃんの好きは私の好きとは違う?』なんて不安に思っていた私は、やっともらえたその言葉に、涙がぼろぼろとあふれ出てきた。

「うわ、ごめん!気持ち悪い!?気持ち悪いよね!ごめん!ごめんねユキ嫌いにならないで!」

 そういってあわてる貴女に、なにか言わなくちゃいけないのに、うまく言葉が出てこない私は、ただ貴女に抱きついた。

「へ……」

 呆然としたような声を出す貴女を、ぎゅうっと抱きしめる、というよりは、身長差のせいで抱きつく感じだったかもしれないけど、とにかく、強く、強く、私の好きが伝わるように抱きしめて。

「うれしい。……わたしも、すきぃ」

 そういった私の声は我ながらみっともない鼻声で、でも、それでも意味を理解してくれた貴女は、ちゃんと私のことを、きつく抱きしめ返してくれたね。


『10代の【好き】なんて、山の天気より不安定』なんて、誰かが言ってたけれど。将来のことなんてなにも考えていない、所詮は子ども同士の、【好き】だったけれど。

 それでも、私たちはこの瞬間、お互いのことが唯一で、特別で、『ずっといっしょにいようね』なんて無責任に約束して無邪気に笑いあえて、最高にしあわせだったんだ。


「ユキは、なんだかんだすごく泣き虫だよね」


 貴女に告白してもらったときも、学部こそ違えど2人いっしょの都会の大学に合格したときも、親にはルームシェアなんていって同じ部屋で暮らせることが決まったときも、『結婚はできなくても、ずっといっしょにいようよ』って同棲初日に貴女が言ってくれたときも、就職活動がうまくいかなくて『なんなら私が養うから気楽にがんばんな』なんて私たちが出会った母校で体育教師としての採用が決まっていた貴女が言ってくれたときも、結局2次募集で地元の地銀に拾ってもらえて貴女といっしょに地元に堂々と帰れるってわかったときも。

 もう、みっともないくらいに泣いてしまって、涙と鼻水でべしょべしょの私を、苦笑して優しく抱きしめてくれた貴女は、そんな風に言っていたよね。


 大学のときに住んでいた所は私たちの地元とは違って都市部だったから、セキュリティと利便性を確保したら2人の実家からの仕送りを合わせてもワンルームしか借りられなくて、でもさびしがりやの貴女にとってはそれがかえってよかったみたいで、『2部屋、とか、さびしくなっちゃうからやだ』って貴女がいうから、社会人2馬力なのに結局ワンルームを借りて地元に帰ってきて。

 その頃には、誰も何にも言わなかったけど、なんとなく実家とか地元には私たちはそう(・・)なんだってバレていたんだろうけど、貴女といっしょなら周囲のその他大勢なんて、少しも気にならなかった。


 1年目はなれない仕事にぴーぴー言ってた私も、3年目には仕事も慣れてきて、最初はつまらなかった資格取得も上位の資格に挑むようになったらどんどん楽しくなってきて、仕事もプライベートも最高に充実してるなあ、なんて、最近は考えていたんだけれども。


「ねえ、ユキ、最近、ちょっとがんばり過ぎじゃない……?」

 何ヶ月か前に言われたこの言葉は、今思えば、私を心配する言葉というよりは、貴女との時間を減らしてしまっている私に対する不満の言葉だったんだね。

「うーん、確かに忙しいけど、家に帰ればゆかちゃんがいてくれるから、平気」

 なんてのん気にいった私に、貴女がどんな表情をしていたのかなんて思い出せないくらいには、私はなんにも考えていなくて、本当に、ただ、しあわせだったの。


 今日までは、ずっとずっと、このしあわせが、続くと、思っていたの。


 ――――


 泣きすぎて、頭がいたい。


 泣きすぎたせいだろうか。ショックが強すぎたからだろうか。

 夢の中のように、現実感がないふわふわとした感覚の中で鮮明に見えたのは、私たちの思い出。

 この10年の、思い出。

 そう、あと一週間で、私たちが出会ってちょうと10年なのに……。


 あと、一週間(・・・)……?


 あ。そうか。

 今日は、しがつ、ついたち。エイプリルフール、だ。


 涙のせいか、どこかぼんやりとした、現実感すらおぼろげな私の視界の中で、ゆかちゃんが、わたわたとしている。


『嘘だよ!嘘!

 最近ユキが冷たいから、そんなんじゃ、私、いなくなっちゃうよって脅してみたかっただけ!』


 ようやく聞き取れた貴女の言葉は、私を、絶望の淵から救い出してくれる。


 なんだ、全部、嘘、だったんだ……。


 そうだよね。

 私たちは、ずっといっしょだもんね。

 これだけ愛しているのに、それでも足りなくて、あんなにひどい嘘を言うだなんて、もう、ゆかちゃんは、さびしがりやさん、だなぁ。

 そりゃ、平日はちょっとすれ違ってはいたけれど、それでも週末にはごはんをいっしょに食べて、お風呂もいっしょにはいって、ぎゅうってして、いっしょにねむっていたじゃない。


 そうだよ。よく考えたら、ゆかちゃんが浮気なんかするわけ、ないじゃない。

 ずっといっしょにいたんだから。

 私も、なんで、こんな嘘を、信じちゃったんだか。


 でもそれだけ、ゆかちゃんがいなくなるなんて、ゆかちゃんを男にとられちゃうなんて、私にとっての最悪の絶望で、もしそんなことになったら、たとえ次にどんな恋をしたって、埋めようのない喪失だ。


 どんなにステキな人だって、

 どんなにステキな恋だって、


 貴女じゃなければ、なんの意味もないでしょう?


『他にもっといい人がいるって!』

 なんて、失恋して泣く友だちに無責任に言ったこともあったけど、そういうことじゃないんだって、はじめてわかった。


 世界に、貴女は、貴女しかいないの。


 たったひとりの、大切な貴女。

 大好きな貴女。


 本当に好きな貴女の代わりなんて、どこにもいない。


 仕事なんか、貴女以外のすべてなんて、もう、どうだっていい。貴女のこと、ちゃんと、大切にするから。

 そういう意味では、貴女の価値をわからせてくれた貴女の嘘にも、意味はあったのかな。


 愛してるよ、ゆかちゃん。



 ――――



 目が、覚めた。


 私はどうやら、少し眠ってしまっていたらしい。

 お布団に入った記憶なんかないけど、いつものようにゆかちゃんが運んでくれて、布団をかけてくれたのかな。

 ああ、目がはれてる。頭も痛い。

 だってゆかちゃんってば、あんなにひどい嘘をつくんだもん。

 これはもう、しばらく許せない。

 お夕飯なんかつくってあげない。お風呂掃除もしてあげない。服だって逆に私が脱ぎっぱなしでほうっておいてやる。全部ゆかちゃんがやればいいんだ。

 1週間くらい、ゆかちゃんに甘えに甘えてしまおう。

 そうだ、めんどうだからってめったにつくってくれない林檎のシブーストもつくってもらおう。


「ゆか……」

 いつも通り、私の傍らにいるはずの最愛の彼女に呼びかけようとして、


 そこに、彼女がいないこと。


 色違いで揃えた彼女の枕すらも、そこに、ないこと。


 部屋が、冷え切っていること。


 このワンルームのどこにも、彼女の気配がしないこと。


 あちら、こちら、と、彼女のモノが、この部屋の中から、欠けたパズルのピースのように抜け落ちていること。


 その現実が、どこか麻痺したかのような私の脳内に、じわじわ、と滲んでくる。


 ……ああ、指輪は、置いていったんだ。


 互いの右手の薬指にはめた、プラチナのリング。

 結婚はできない私たちだけど、『でもちゃんとした恋人はいますからって示しておかないと、ユキに変な虫がついたらこまるから』って言って、貴女が揃えてくれたものだったのに。


 私のリングは私の右手に。

 貴女のリングは、テーブルの上に。


 きらりと輝くそれの下に、1枚の紙切れ。

『今までありがとう。さようなら』

 とか、かな。もしも、私なら、最後の手紙は、そう書く。

 それとも、この部屋は私の名義だけど家賃は2人で折半していて、そういう、本当に別れるんだったら決めなければいけないあれこれについて書いてあるのかな。


 ゆらり、と、力なく動いた私の足は、なにかに導かれるようにテーブルの前へとたどり着いて。


『ごめんなさい』


 その、信じたくない真実を示す、簡潔な別れの手紙を。

 私たちの10年の終結を示す、たったの6文字を、私の目に、脳裏に、届けてきた。


「嘘。

 ……だったら、よかったのに」


 私のそんな言葉は、だれもいない、私のほかには、もう、()もいない部屋に、無機質に響いた。

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