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一ヶ月の雇い月  作者: 千早 朔
第二章
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第八話


 結月が十八の時、最後にと教えられたのが、この仕事を請負うに必要な知識と手練だった。「こんな道にしか導けず、すみません」と、結月の大好きな微笑みを覆った灰色の懺悔は、今でも結月の瞼裏に鮮明に残っている。


「ハイ、どーぞ」


 結月はコーヒー入りのマグだけを、ソファー前の机上に置いた。熱を冷まそうと自身のマグを口で吹きながら結月が先程の位置に座ると、やっとの事で仁志の視線が離れる。

 仁志が背を上げ、マグへと手を伸ばす。口をつけたマグの傾きを戻すと、仁志は視線を前に向けたまま静かに問うた。


「……この仕事が終わったら、俺の記憶も、『消す』のか」

「…………」


 初めて聞いた寂しげな声色と、視界の端に映る物憂げな雰囲気に、結月は胸中に生まれた陰りを自覚した。

 だが直ぐに、律する。


(こいつは『客』だ。『仲間』じゃない)


 引くべき境界線を間違えてはいけない。

 彼の為にも、自分の為にも。


「……今後、あんたが『ターゲット』になる可能性もあるからね」


 名の通った会社であればある程、他社から狙われる可能性も高まる。必要に迫られ『対象』として定めた時に、結月の顔を覚えていられては『仕事』にならない。

 何故か揺らぐ胸中を抑えこむように発した結月の肯定に、仁志は「……そうか」と呟いてコーヒーを流しこんだ。


「ところで、逸見に手料理を振る舞ったそうだが、俺にはないのか」

「は?」


 話題を切り替えるのはいいが、脈絡がないにも程がある。主に後半。

 真意を測りそこねて口を開けたまま凝視する結月に、仁志はただ待ち顔でじっと視線を向けてくる。


「ないのか」


(うぐっ)


 おねだりなんて可愛いモノじゃない。自分の分があって当然という態度だ。

 だというのに傲慢さを微塵も感じないのは、幼少時よりそういう生活に身を置いていた故の純粋さが先立っているからだろうか。


「……もう二十三時過ぎてるんだけど」

「小腹が空いた」

「太るよ」

「すぐ寝る訳じゃない、大丈夫だ」

「まだ仕事あんの!? 早く戻りなよ!」

「簡単な書類確認だ」


 飯を出すまではテコでも動かないとでも言いたげな応答に、結月は深い溜息をついてソファーから立ち上がり、すっかり冷め切っているであろうビーフシチューを温めるべくコンロに向かった。

 なんとも面倒な依頼主だ。とはいえ、金を貰っている以上、従わざるを得ない。


「……市販ルーのビーフシチューだよ」

「明日は煮物がいい」

「なんでおれにタカるの!? 美人な女将さんのいる小洒落た料亭にでも行って来なよ! あるでしょ!?」

「ああでも、帰りは遅くなるから、夕食は先に済ませといていい」

「人の話し聞こうか?」

「作れないのか?」


 だから、聞いて。

 それとも聞いた上でのスルーなのか。


 なんで質問に質問が返されるんだと、追いつかない突っ込みに結月はがっくりと頭を垂れ、沸々としてきたシチューをお玉でかき混ぜながら口を尖らせた。


「……出来なかないけど」

「そうか」

「っ!」


 違う、了承じゃない。だからそんな嬉しそうな顔をするな。

 そう思うのに声に出来ないのは、仁志があまりに綺麗に瞳を緩めるからだ。


(おれって結構イケメンには耐性あるほうなんだけどなぁー)


 『師匠』は身内の欲目ではなく、実に綺麗な人だった。生活全般の面倒を見るから側に居てくれと口説かれていたのは、結月が知るだけでも両の指では足りない。

 そんな『師匠』と四六時中共にいた結月は、実に目が肥えている。

 だというのに、こうして仁志の表情にぐっとくるのは、彼が『師匠』とはまた違ったタイプの色男だからだろうか。


(……これを機に耐性増やすか)


 どうせなら最大限に活用させて貰えばいい。

 結月は思考に終止符を打って、温まったシチューを小皿に取り分けた。

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