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一ヶ月の雇い月  作者: 千早 朔
第二章
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第七話

 ところで今何時なんだと掛け時計を見遣ると、今しがた二十三時を回った所だった。


「今帰ってきたの? 飲み会?」

「仕事だ。昨日の埋め合わせが少しな」

「昨日? 無理して帰ってきてたの? 別に、飯ぐらい勝手に食べたのに」

「初日から一人飯をさせるほど、甲斐性無しではない」


 新婚かな?

 思わず突っ込みそうになった言葉を飲み込んで、代わりに結月は吹き出した。


「なにそれ」


 雇った情報屋を警戒するどころか気を使うなんて、彼の認識は明らかにズレている。だが、嫌いじゃない。

 口元に手を添えクスクスと笑みを零しながら、結月は自身の中で、何かが緩んだのを感じた。


「今日の進捗、聞く?」

「ああ」


 その為に来たのだろう。

 仁志が頷いたのを確認して、結月はパソコンの表示を例のホームページへと切り替えた。


「例の『ファストツーリスト』だけど、確かになんかきな臭いね。一流ホテルとか、人気旅館とか、元々集客力のあるトコは格安プランと正規プランがあるのに、ちょっと体力のなさそうな場所だと、格安プランオンリーになっててさ。ちょっと調べてみたんだけど、ここで取り扱われてる格安プランオンリーの宿って、他の旅行サイトには一切登録がないんだよね。つまり、ここ専任の場所ってやつ」

「そんな事までわかるのか」

「一応、『情報屋』だかんね。ツテを使うのも『技術』のウチだよ。……確かにさ、見方を変えればこうやって幅広く展開してる良心的な会社ってコトなんだろうけど、流石に対象の宿泊施設自体に、直接の予約を禁止させるのは、やり過ぎだと思うんだよねぇ」


 仁志が眉根を寄せる。


「……どういう事だ」

「言葉の通りだよ。彼らは直接の予約を受け付けていない。ホームページがあればご丁寧に『ファストツーリスト』のリンクを張って『こちらからのみ』って誘導してるし、電話予約も承っておりませんって状態。でもさ、場所によっては通常プランの記載が『まだ』残っているんだよねぇ。じゃあそのプランは一体、どこから申し込めるのやら」


 意味ありげに口角を上げた結月に仁志は双眸を細め、画面へと視線を流すと考えこむように口を閉ざした。

 その脳内ではどんな思考が巡っているのか。結月は静かに言葉を待つ。


「……対象となっている施設の通常プランの料金設定は、妥当だと思うか?」

「同格の施設とも比べてみたけど、大方妥当だと思うよ」

「……そうか」


 驚愕とも懐疑的ともとれる薄茶の瞳が、結月へと向けられた。


「よく一日で、ここまで調べたな」

「そりゃあ、この仕事も長いしね」


 人を真っ直ぐに見つめるのは、仁志の癖なのかもしれない。

 悪戯っぽくニコリと笑んだ結月を数秒見遣ると、仁志は重々しく瞼を閉じて、ソファーへと背を預けた。

 眉間に刻まれた皺は、疲労か憂いか。上に立つ者の重圧など、結月には毛頭想像つかない。


「社長の『好み』も捨てたもんじゃないね。コーヒーでも飲む? ドリップバッグしかないけど」

「……頼む」


 結月はソファーから立ち上がり、向かったシンクで湯沸かしポットに水を入れ、スイッチを押した。

 ここのポットは優秀だ。直ぐにゴウと鈍い音を立て、冷水を一気に熱湯へと変えていく。

 おれは紅茶にしよ。

 マグカップを二つ取り出し、ひとつの縁に開けたドリップバッグの紙製の羽部分をかけ、もうひとつにティーバッグを放り込む。

 そうしている間に出来上がった熱湯を、コーヒーが溢れないように少しずつ注いでいく。


「……あの時」


 湯の落ちる音に低い声が重なり、結月は視線だけを上げ、長い足を優雅に組むその主を捉えた。


「なに?」

「あの夜、お前は特に顔を隠してもいなかった。平気なのか?」

「ああ、おれ、自分の影の薄さ調整できるし。会場の人も薄ぼんやりとしか覚えてないと思うよ。もっとも、思い出す必要もないだろうけど」

「ターゲットは無理だろう」

「それはね、『消す』の。つっても、完全に記憶をなくすんじゃなくて、顔とか声とか、おれを特定するような情報だけに波長を合わせて『消す』。だからあの坊ちゃんも、誰かと気持ちーいひと晩を過ごした記憶は残ってても、相手はどんな人物だったのかは一切思い出せないだろうね」

「……そんな事が出来るのか?」


 訝しむ声に、結月は微笑みながらドリップバッグを捨て、自分のマグにも湯を注ぐ。


「タネも仕掛けも企業秘密。おれがこうして仕事を続けられているのが、唯一の証拠かな」

「先天性の特殊能力ではないのか」

「残念ながら、後天的な会得技術だよ」


 結月は親を知らない。知りたいと思ったこともなかった。

 物心ついた時から『師匠』が唯一であり、またその『師匠』も、結月を唯一として扱ってくれたからだ。

 学校にも行っていない。その代わり文字も、最低限の計算や常識も、生きていく為の知恵として『師匠』から熱心に教えこまれた。

 『結月』という名前も、『師匠』から貰ったうちの一つである。

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