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一ヶ月の雇い月  作者: 千早 朔
第二章
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第六話


(いや、でも逸見さんには今の逸見さんでいてほしいし)


 胸中に湧き出た葛藤に、もしかしてこれが親心ってやつなのだろうかと結月は胸に手を当て考えてみたが、逸見は結月の二つ年上だというからおそらく違うだろう。

 因みに仁志は更に三つ上の二十八だと聞いた。思っていたよりも若い数字に、思わずフォークを落としそうになった。

 逸見が会社に戻るという事は、仁志もそこにいるのだろう。電話の相手も、彼だった可能性が高い。


「あっちはもっとイイもん食べてんだろうなー」


 大都会を見下ろす大きな窓を背に、高級レザーチェアに座る仁志の姿が浮かぶ。椅子の色は勿論、黒。特注の弁当はうな重だろうか、牛タンだろうか。

 『住む世界が違う』とは、まさにこの事だ。

 自分のお手軽料理で一食を済ませてしまった逸見に小さな罪悪感を抱きながら、後片付けを済ませた結月も『仕事』にとりかかった。


 仁志から最初の『仕事』として手渡されたのは、一枚の名刺と招待状だった。

 ターゲットは最近勢いのある旅行会社の社長。なんでも、仁志の所有するホテルを対象としたプランを打ち出したいとご執心のようで、何度か断りをいれているにも関わらず、是非ともと食い下がっているのだと言う。


「で、ご要望はその素行調査って事?」


 手を組むのならクリーンな相手。

 でなければ、利害が一致する相手というのが常識だろう。


「……まぁ、そんな所だ」


 仁志の回答は歯切れが悪い。


「決め打ちで欲しい情報があるなら言ってよ。じゃないと、取り逃すから。フワッとした依頼じゃ、フワッとした収穫しか出来ないよ?」


 後で失敗だと難癖つけられても困ると唇を尖らせると、仁志は考え込むように重々しく瞼を閉じ、眉間に皺を寄せた。


「……好きじゃない」

「……は? 好みの問題?」

「『表の』調査では特に綻びはない。話題性も高く、これまでうちのホテルには手が出し難いと見送っていた層への、多大なアピールになる」

「……いいコト尽くしじゃん」

「が、好きじゃない」

「社長個人の私情で拒否していいモンなの?」


 確認するように逸見へ視線を流すと、彼は返答の代わりに苦笑を寄越した。


「……まぁ、やれってならやるけどさぁ」


 つまり、仁志は何かしらボロを見つけて、『お断り』の切り札にしたいのだろう。

 なんて私情にまみれた依頼だと嘆息しながら、結月は不承不承、名刺と共に仁志宛の招待状を受け取ったのである。


「えーっと……これか」


 キーボードで会社名を打ち込み開いたホームページは、動く画像や文字が華々しく興味を煽る、賑やかな仕様になっている。

 目につく『格安』の文字はひとつやふたつではなく、なら正規のプランは何処にあるんだと首を傾げたくなる程に、画面のあちこちに散りばめられている。

 試しに目についたひとつをクリックしてみると、その宿に紐づくプランがズラリと並んだ。


(なるほど、飛んだ先で別のプランを選べるってことか)


 よくある仕様だとトップページに戻り、今度は見るからに年季の入った民宿のプランをクリックしてみる。

 先程と同じく、その宿に紐づくプランが並ぶ。が、今度は『格安』以外のプランが表示されていない。


「ふん?」


 違和感に結月は再びトップページに戻り、同じく古びた外観をした宿のプランへと飛んだ。

 こちらにも通常料金のプランはない。

 『好きじゃない』と発した苦々しい表情の、仁志の顔が浮かぶ。


「……もしかして、この事?」


 引っかかりを感じた以上、調べてみる価値はある。

 両手を組み、大きく伸びをして、結月は「よし」と画面に集中した。


***


 頭の中の情報を整理するのに、煮込み料理はうってつけだ。

 水分が気泡となり、小さな膜を破って水蒸気へと還元していく様は思考を邪魔しないし、クツクツと鳴り続ける音も実に耳に優しい。

 せっかくの高級肉を市販のルーで煮込むなど、とんだ素材殺しだと料理人も真っ青な暴挙のように思えたが、この部屋に結月を咎める者はいない。

 出来上がったビーフシチューは十分に結月の舌を唸らせ、おそらく最新型だと思われる炊飯器で炊いた白米も文句なしに美味しく、結月は大満足だった。

 この仕事が一段落したら、買い替えを検討してもいいかもしれない。そう掠める程に。


 腹を満たし、食器を片付けた結月はソファーへと場所を変え、ノートパソコンを開いて調べ物の続きにとりかかった。

 光も音も届かない閉鎖的な穴の中へ潜り込んだように、結月の思考が集中に沈み込む。

 暫くしてそれが浮上したのは、届く筈のない声が真近から聞こえたからだった。


「熱心だな」

「っ!? びっ、くりしたぁ」


 顔を跳ね上げると、黒のスラックスにカットソーという随分身軽な格好をした仁志が、静かに見下ろしていた。

 仕事から戻り、着替えたのだろう。昨日までとは打って変わりリラックスした装いに、ああやっぱここが『家』なんだと腑に落ちたと同時に、その『家』に囲われているのだと、結月の胸中が微かに疼いた。


(って、おれ男だし。こいつも効率重視だし)


 社長の座につき守り続けるという所業は、結月の想像よりも遥かに頭の回転を要するのだろう。

 業務に支障をきたさない為にもと、こうしてならず者を家に上げる『捨て身』の精神はご立派だが、それでも些か不用心ではないかと危ぶんでしまう。


(……おれがナメられてるだけかなー)


 結月の微妙な心中など露知らず、当の本人は結月への警戒心など一切なしに、我が物顔で当然のように隣に腰掛けてくる。

 まあ実際、このソファーも仁志の所有物なのだが。


「……ノックぐらいしてよ」

「ああ、スマン。そうか。忘れていた」

「……」


 今思い出したというような顔をするので、本当に忘れていたのだろう。

 逸見の所には、ノック無しで入っているに違いない。


(ま、いっか)


 仮に入浴中だろうが着替え中だろうが、他人に見られて恥じらうような可愛げは当の昔に捨てている。

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