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一ヶ月の雇い月  作者: 千早 朔
第六章

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第二十四話


 情報整理の為にフリーズしてしまった倉下はきっと、結月が酒に溶かした睡眠薬の力を借りて、このまま朝まで眠りにつくだろう。

 盛ったクスリは医療機関でも取り扱っている、れっきとした合法の薬品なので、心配はない。スッキリと目覚めた時には結月との接触はおろか、どうして自身がこの場にいるのかも思い出せない筈だ。

 だから結月はしっかりと先手を打ってきた。部屋のテーブルには、可愛らしい字で『また声かけてね』というメッセージと共に、連絡先が書かれたカードが残されている。

 用意してくれた彼女は結月の仕事仲間で、もし、倉下が戸惑いに電話をかければ、捏造された熱い一夜を詳細に語ってくれるだろう。ベッドの上も彼女の指南通り、『状況証拠』が出来上がっている。

 勘違いをキッカケにその男が『客』になってくれればありがたいと、彼女は笑った。そういう『お仕事』である。


 結月は首にネクタイを掛け、外していたボタンを閉めながら、溜息混じりに部屋を出た。

 腹の奥に渦巻くヘドロのような嫌悪感が、廊下の空気に少しだけ和らぐ。


(さっさと帰って、シャワー浴びよ)


 目に見えるそれとは違い、自身の身体に染み付いた『汚れ』は洗い流せる類のものでは無いと重々承知しているが、今はほんの些細な気休めにも縋りたい気分だった。

 エレベーターへと向かい、歩を進める。

 立ち止まってしまったのは、薄暗い廊下の壁に背を預ける影が、強い眼光で結月を捉えていたからだ。


「な、んで……」


 どうしてココにいるんだ。

 衝撃に、頭から血の気が引く。

 近づく存在に脚が震えてしまうのは、向けられる双眸に滲んだ怒りが体温を奪っていくからで、外したままのネクタイを隠すように胸元を隠したのは、例え重ねてはいないとはいえ、他人に触れられた後ろめたさがへばり付いているからだ。

 無言で結月の腕を掴む仁志の掌は、有無を言わせない程に強い。痛みを訴える事も、逃げる事もままならず、結月はただ怯えながらエレベーターに乗せられ、ホテルを出るなり車に乗せられた。

 運転をしているのは逸見に間違いないのだが、仁志の怒気が充満する車中では、目を合わせる事も、声を発する事も出来なかった。

 けれども結月は、一体何がそんなにも仁志の怒りをかったのか、全く検討がつかなかった。

 ただ、強く掴まれた腕から伝わる体温は、燃えるように熱い。

 辿り着いた『家』で、仁志は逸見を待つこともせずにエレベーターを閉じると、最上階につくなり早足で『部屋』へと結月を引きずり込んだ。

 乱雑に靴を脱ぎ捨て、結月が靴を脱げずにいるのも構わず、リビングへと歩を進めるとソファー前で強く腕を引いた。


「わっ!?」


 衝動に結月がソファーへと倒れ込む。何をするんだと仁志を睨め上げながらうつ伏せの身体を返した所で、上から覆いかぶさる仁志の身体に気づき、ピタリと動きを止めた。

 うるさく騒ぎ立てる心臓は、恐怖に怯えたからではない。

 距離に、体温に、捕らえる瞳に、結月の唇が震えた。


「っ、なに」

「好きだ」

「…………え?」

「お前が好きだ、結月」


 紫に沈む部屋で、力強くも切ない音が、結月の鼓膜を震わせる。

 息をするのも忘れたまま限界まで双眸を見開く結月に、仁志はもう一度、言葉を染みこませるように「好きだ」と重ねた。

 多くの時間をかけて音の持つ意味を理解した結月の脳が、ジワリジワリと心臓に歓喜を伝え始める。強く胸を打ち出した鼓動と共に、眼奥にジンワリと感動が滲み上げてきた。

 だが結月は感情とは裏腹に、冷えていく箇所に気付いた。結月の『理性』だ。

 そしてそれは決して逃れられない、逃れられる筈もない積み重ね続けた『業』を、容赦なく眼前に叩きつける。


(ああ、そうだった)


 おれはどうしたって、『夜』から抜け出せない。


「……なにそれ、どうしちゃったの?」


 クスリと結月が薄く笑うと、仁志はキツく眉根を寄せた。

 その表情は、どこか焦っているようにもみえる。


「お前が誰かに触れらていると考えるだけで吐き気がする。お前が俺以外の誰かに触れるのも、腹立たしい」


 吐き捨てるように告げられていく彼の想いは、泣いてしまいたく成る程に、嬉しかった。

 苦痛に耐えるかのように顔を歪めて、仁志が喉奥から声を絞り出す。


「……あの男に、触れさせて、触れたんだろう。……他にやり方はなかったのか」


 思わず手を伸ばしてその頬を撫で「ごめん」と宥めたくなる衝動を、結月は悲痛に叫ぶ理性で綺麗に押し込めた。

 代わりに小馬鹿にするように、冷徹に瞳を細める。


「……何を勘違いしてるのかわからないけど、コレがおれの『仕事』で、おれのやり方なの。文句あるなら他あたって」


 自身の唇から発された声は、存外にも温度を感じさせない響きだった。

 ありがたい。むしろ、好都合だ。

 結月からそんな言葉が返されるとは思わなかったのか、驚愕に瞠目する仁志に、結月は言葉を重ねる。


「飼い慣らした『狼』に興味が湧いた? 身体が目的なら、試してもいいよ。見合うだけの金はもらっているし。けどさ、そーゆーのは、心底迷惑なんだよね」

「ゆづ」

「アンタの事は好きだよ。でもそれは金をくれるからだ。それ以上でも、それ以下でもない。いい『客』ってだけ。……ああ、確か、『涼華』が気に入ったんだっけ? 丁度いい『虫よけ』として側に置いておきたいんなら、別途追加で依頼してくれる? ま、断るけど。……俺に好きだなんていうヤツは、揃ってロクな人間じゃない」


 口を開けたまま硬化する仁志の身体を押しのけて、結月は靴を脱ぐと、ペタペタと寝室に向かった。自身の鞄から茶封筒を一袋取り出し、未だソファーの上で驚きの表情のまま視線だけで結月を追う仁志の眼前に、バサリと投げ置く。


「ちょっと早いけど、今日で契約終了ね。残期間あるから、それは返す。明日のうちに帰るから」


 淡々と告げた結月から、仁志の視線が徐々に落ちる。伏せられた顔には髪がかかり、濃く覆った影で表情はよくわからない。

 傷つけた、のだろう。結月の心もガラスが砕けゆくように、ピシリピシリと音を立てている。

 痛い。けど、それでいい。これで最後にしないといけない。

 突き放すには、失望させるのが一番だ。それこそいっそ、これまでの煌めいた日々が全て、夜を吸った黒に塗りつぶされてしまうくらいに。


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