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一ヶ月の雇い月  作者: 千早 朔
第六章

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第二十二話


「……うちにはライバルホテルがある。立地が近く、互いに顧客を取り合っている状態だ。イベントの立ち上げに広報部の者と企画部の者が互いに意見を出しあうのはよくある事なんだが、どうにも最近、立ち上がるイベントが丁度良すぎる」

「丁度いい?」

「ああ。向こうが春に桜を主体とした企画を打ち出したんだが、うちは抹茶を主体として、重なることはなかった。夏は甘夏と、清流。もうすぐ打ち出す秋の企画は、向こうが栗で、こっちが紫芋だ」

「それは見事なかぶり無しだけど、珍しいコトなの?」

「今までは向こうの社長と互いに腹のさぐり合いをして、衝突を避けていたんだがな。先日、先方と会った時に『何かがおかしい』と言われた。基本、向こうの企画部では内容が重なった場合を考慮して、三つほど上に進言してくるらしい。だがここ最近、『絶対に大丈夫です』と一つしか上げてこないらしくてな。それが見事にハマるもんだから、気味が悪いと。まぁ、本音は『つまらい』って所だろう。あの人は、俺とのやり合いを楽しみにしている節があるから」

「へ、へぇ……」


 ニヤリと口角を上げる仁志の笑みも、実に好戦的である。

 どうやら楽しみにしているのは、お互い様なのだろう。


「つまり、アチラの企画部とこっちの誰かが繋がってるんじゃないかってコト? そんで、浮上したのが倉下サンだと」

「そういう事だ。話が早いな」

「その手の『お仕事』もたまにあるしね。でもさぁ、結果上手くいってるんでしょ? なら良くない?」

「内部情報を漏らされていいわけあるか。それに、競争を避けることは発展の妨げにもなる。その考えは、先方も同じだ。アチラはアチラで、調査を始めているようだったからな」


 仁志は足元の鞄から一通の封筒を取り出した。三つ折りの書面を開いて、結月に差し出す。


「明後日に社内の慰労パーティーがある。そこに潜入して、真偽を突き止めろ」

「りょーかい。上手くやるよ、『狩人』さん」

「結月」


 受け取った右手に、そっと仁志の掌が重なった。


「……『約束』、忘れるなよ」


 その声は祈るような切実な響きでもあるし、破ったら許さないという強い脅しのようにも聞こえた。

 どうしてそんなにも、固執するのだろうか。結月は思わず苦笑を零す。

 それが彼の『優しさ』だなんて、知りたくもなかった。


「……わかってるって」


 触れられた箇所にこもる熱が彼に悟られる前にと、結月は重なる掌を、静かに引き剥がした。


***


 社員を集めた慰労パーティーは本社から三駅程離れた箇所に構える、ウイラホールディングスの運営するホテルのパーティー会場で開かれていた。

 今日の結月は華やかなドレスではなく、いかにもサラリーマンが身に付けていそうな、お手頃価格のスーツを着用している。

 こうして男の格好で『仕事』に出るのは久し振りだ。『涼華』として仁志に連れ回された日々を遠くに映しながら、首にかけた偽りの社員証を感慨深く見つめる。

 この社員証は逸見から受け取ったものだ。社長直々のご命令で手配され、その補佐に渡された社員証は、ある意味ホンモノと言うべきなのかもしれない。


 内輪のパーティーという事もあり会場の扉は常時開け放たれ、途中からやってきたり逆に抜けだしたりと社員の出入りが激しい。

 結月から言わせれば、実に『やりやすい』環境である。雑多に紛れる『狼』程、見つかりにくいモノはない。


 それは開始から三十分程が経った頃だった。

 不意に会場の証明が落ち、壇上を挟むように設えたモニターに『社長挨拶』の文字が映し出された。

 司会の簡単な挨拶の後に壇上に現れたのは勿論、普段通りの高級スーツを一寸の違和感もなく着こなした仁志で、照られるスポットライトにも涼しい顔でマイクを持つ。

 真面目な顔で述べられるのは簡単な業績の話と、業界の変化。最後に社員への労いと所謂『お決まり』の挨拶だが、結月の前に立つ女性社員達は、秘めやかに色めき立って居る。

 ああ、やっぱり社内でも憧れの『社長』サマなんだ。

 その事実を眼前にして、結月は壇上で光を受ける彼との距離を、再認識した。

 光のない、影を濃くした壁の隅。結月の位置は、ここである。


(さて、感傷に浸ってる場合でもないね)


 今更なにを、と自身を叱咤して、拍手に包まれる彼をカクテル片手に見送る。

 拍手はしない。何故なら彼のありがたいお言葉は、結月にはなんの意味もないからだ。だというのに、仁志が壇上を下りて袖で控えていた逸見に声をかけるまで、心に直結した素直な目が彼の姿を追ってしまう。


(だめだ。今は、切り替えないと)


 結月は自身の心を切り離すようにそっと目を閉じ、視線を切った。

 だから気が付かなかったのだ。仁志がひっそりと、結月の姿を捉えていた事など。


(……うん、大丈夫)


 思考が白に染まっていく。結月はゆっくりと瞼を上げ、研ぎ澄ませた『狼』の目で辺りを見回した。

 直ぐに捉えたターゲットは、あの映像から受け取った印象の通り、ギラギラとした野望を目奥に潜ませた好青年だった。


(ふーん、若手でのし上がっただけあるね)


 けど、『いける』感じだ。


 倉下が輪を離れ、空のグラスを取り替えようと会場隅のバーカウンターに近づいてきた。結月も密かに場所を変え、オーダーしたドリンクを待つ彼の横へ。

 グラスを受け取った倉下が次の輪を探し始めたタイミングを見計らい、「あっ……!」と小さく驚いたような声を出した。

 倉下が振り返る。結月は頬を紅潮させて、羨望の眼差しで彼を見上げた。


「もしかして、広報部の倉下さんですか?」

「ああ、そうだけど」

「わっ、あの、突然すみません。その、倉下さんのお話は良く聞いていて……ずっと、憧れていたんです。まさかこうして、お会いできるなんて」


 イメージは綺麗な好意を全力で向ける若手社員だ。

 けれど、それだけでは足りない。特に、こういうタイプには。

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