表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一ヶ月の雇い月  作者: 千早 朔
第六章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/33

第二十一話

 空に近い最上階の窓から降り注ぐ日差しは、存外強すぎずに心地いい温かさだ。

 仕事もなく、本来ならば午後の微睡みに夢現でソファーに転がっていたい所なのだが、結月の思惑は背面から腕を回してくる男によって阻まれていた。


「……そろそろ離してくれませんかね?」

「なんでだ?」

「いや、逆にこの状況がなんなの?」

「疲れた」


 言葉通りお疲れな様子で、仁志は結月の首元に顔を埋め、珍しく溜息をついた。

 一応、想い人である以上、こうした弱々しい姿を見ると心配が募ってくる。が、どうにも最近の仁志は、こうして結月に抱きついてくる事が多過ぎるような気がする。

 アレか。これは疲弊困憊で家に帰ったサラリーマンやOLが、癒やしを求めて飼猫の腹に顔を埋めるアレなのか。


「……おれはペットじゃない」


 可能性に告げてみるも、仁志は怪訝そうな声で「当然だろ」と返してくる。それから暫くの逡巡をはさみ、今思い立ったという様子で「なんだ、飼われたいのか?」と尋ねてくるので、やはり相当お疲れなのだろう。


「違うから。……コーヒー淹れてきてあげるから、座っててよ」


 渋々離された腕に、結月は思わず苦笑を漏らす。

 嫌な訳ではない。むしろ嬉しかったりもする。自分に抱きつく事で癒やしが得られると言うのなら、いくらでも抱きつけばいいと思う。

 だがそんな事を続けていたら、泥沼にハマってしまうのは目に見えていた。主に、結月自身が。


「はい、お待たせ」

「ああ」


 コーヒーを淹れたマグを受け取ると、仁志は軽い礼と共に、すっかり習慣化してしまっているキスを結月の頬に落とす。

 締め付けられた胸中を悟られないよう呆れ顔で軽く嘆息して、横に腰掛けた結月も、手の中にあるマグに注いだ紅茶で喉を潤した

 さて、そろそろ追求してもいいだろうか。

 一息ついた気配に、結月は横目でチロリと仁志を見上げた。


「平日の真っ昼間からこんなトコでコーヒーブレイクなんて、いいご身分ですね社長さん」

「……一応、仕事だ」

「仕事? って、もしかして久々におれの本業のほう?」

「……ああ」


 首肯する仁志の表情は堅い。

 想定外の厄介事が起きたのか。疲れたと言っていたのは、心労も含んでいたのかもしれない。

 湧き上がった心配に眉をハの字にしながら、「詳細、聞くよ?」と説明を促した。だが仁志は「まだいい」と呟き、再びコーヒーに口をつける。


「まだいいって……本来の目的はそれだろ?」

「……まぁ、それもだが」


 戸惑う結月の頭に、ポンと掌が乗せられた。

 真っ直ぐな双眸が結月の姿を映す。


「逃げ出してはいないかと、確認にな」

「なっ、逃げないし!」


 勢い良く否定したものの、結月は内心、冷や汗をかいた。

 実のところ、仁志への想いを自覚してからというものの、側にいたい、いやダメだとせめぎ合う胸中に、結月はほとほと疲弊していたのだ。

 いっそ、膨らみ続ける想いを抑えきれなくなる前に、ここから去った方がいいのではないか。霞む月を見上げながら、そんな思考まで掠めていた。

 それでも実行に移せずに、こうして与えられる生暖かい日々を享受しているのは、まだもう少し、出来るだけ長く彼と同じ時間を共有したいと願ってしまう結月自身の弱さと、叱咤する者のいない環境に甘え、身を委ねた結果である。


 それにしても。仁志がこんな事を言うのは、初めてだ。

 なにか感づかれたのかと横目で伺い続けるも、仁志は変わらず堅い表情のまま、コーヒーをゆっくりと流し込んでいる。

 結月の視線に気づいたのか、ふと、仁志の双眸が向けられた。

 ドキリと小さく跳ねた心臓につられるように息を呑むと、仁志は琥珀色の瞳を柔らかく蕩けさせた。


「……最近のお前は、随分とわかりやすいな」

「な!? へっ!?」


(バレた――!?)


「……見て欲しいモノがある。パソコン、借りれるか」

「っ! え、あ、うん」


 マグカップを机上に置き、ソファー横に置いた鞄を手にする仁志は、至っていつもの飄々とした顔だ。


(あ、ぶな。仕事内容が気になってるって思った、ってコトかな)


 言われた通り、愛用のノートパソコンに電源を入れながら、結月は内心胸を撫で下ろした。

 どうやら仁志の意図していた内容は、思っていたものと違ったようだ。に、しても。


(……最近。最近、かぁ)


 確かに出会った当初に比べれば、良くも悪くも、感情を素直に露わにする事が増えてきた気がする。

 仁志の思考の飛びっぷりにも慣れてきたし、僅かな表情の変化でも、感情を汲み取れるようになってきた。仁志も、随分と和らいだ顔が目立つ。

 それだけ互いに、踏み込む余地を与えているという事だろう。その事実がとても嬉しくて、とてつもなく、辛い。


 仁志は一本のUSBを取り出すと、立ち上がったパソコンを自身へ寄せて繋いだ。マウスを使い、開かれたフォルダの中に収められていたファイルが解凍されると、画面に映像が流れ始めた。

 照明が落とされた灰色の部屋で、熱弁を振るうスーツ姿の男性。会議中なのか、背後のモニターには図式の資料が映しだされ、声高らかに前方とスクリーンとを交互に見遣っている。

 短い髪は重力に逆らうようにセットされ、歳は仁志よりも若く見える。一見、向上心の高い爽やかな青年だが、結月にはその笑顔がどうにも胡散臭く感じられた。


「なんか……好きじゃない」


 眉根を寄せ、ポソリと呟いた結月に仁志は「そうか」と小さく笑う。


「うちの広報部の倉下くらしただ。次の広報課長候補でもある」

「え? 課長候補? 随分と若くない?」

「うちは実力主義だ。力がある者には、それ相応のフィールドを与える。勿論、本人の意向を汲んでだがな」

「ふーん……ってコトは、この人は是非にもと首を縦に振った訳だ。いや、自分から推してくるタイプかな」

「その通りだ。よくわかったな」


 言う仁志は驚いたというより、予測通りだと喜んでいるようである。


「で、おれにコレを見せるってコトは、次のターゲットはこの倉下サンってコト? 内部の人間に、『狼』けしかけんの?」


 力があると言うのなら、わざわざ罠にかける必要もあるまい。

 訝しげに仁志を見遣ると、仁志は複雑そうに双眸を細めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ