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一ヶ月の雇い月  作者: 千早 朔
第五章

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第十八話

 言質を取られた、とはこの事をいうのか。

 軽いキスを「挨拶のようなものだ」と言ってしまったあの晩から、仁志は事ある毎に結月にキスをしてきた。

 一日の初めに顔を合わせて、ちゅ。コーヒー淹れたら受け取って、ちゅ。ご飯のリクエストに、ちゅ。一日の終わりに部屋に戻る前の――それ以外も隙を見ては、何かと理由をこじつけて触れてくる。

 一応、対象が唇ではなく頬や額だったのと、高額で雇われた身だという立場もあり、放っておけばその内飽きるだろうと好きにさせていた。だが、数日経っても飽きるどころか自然と日常に混ぜ込んでこられるようになってしまっては、流石の結月も黙っていられない。

 正直、困る。何よりもそれを嫌だと思えない、自分に困る。


「……はい、コーヒー」

「ああ、すまない」

「おっと」


 いつもの流れで顔を寄せてきた仁志の口元を、結月はハシリと掌で阻んだ。

 途端に仁志が不満そうに双眸を細める。眉間にはカード一枚挟めそうな深い皺。


「…………」


(ねぇ、コワイ!)


 無言の圧力は空気も操る。ひんやりと低下した部屋の温度に、結月はブルリと身体を震わせた。

 正直、結月の腕は添える程度で、そのまま顔を押し進めるでも、空いている片手で掴むでも、ともかく簡単に突破できる弱々しい防護だ。だというのに、仁志はそのどちらを取るでもなく、ただじっと結月を見据え続けている。

 自分の意思でどかせ。そう言いうように。

 暫しのにらめっこを挟み、根負けした結月が渋々手を退けると、仁志はやっとかと言わんばかりに早急に顔を寄せ、結月の頬にリップ音を響かせた。


「ねーホントなんなの……おれのコト好きなの?」

「……挨拶だ」

「あんたは仕事仲間にちゅっちゅちゅっちゅすんのか!」

「特別なパートナーを演じるにも、実際の距離を縮めておいたほうが、バレにくいんじゃないのか」


 コーヒーの入るマグを傾けながら飄々と告げられた言葉に、結月はピシャリと固まった。

 ……嘘でしょ。


「まさか、今後もおれ連れ回すつもり!? やだよ! 仕事だけにして!」

「一ヶ月間は専属として契約しただろ。情報収集だけという要項もなかった」

「そ、だけど!」


 そもそもこんな突拍子もない契約を迫られた前例はなく、口頭で交わした契約も簡素なモノだ。

 結局、断る術を持たない結月は、抵抗虚しく『涼華』として仁志の『お呼ばれ』への同行を重ねた。


***


 どうにも、社長という立場はパーティーが多い。

 今夜も黒塗りの車で連れだされた結月は、腰周りのドレープが優美なシャンパンゴールドのドレスを身に纏い、首元は黒のレースチョーカーで喉仏を隠している。


(この仕事終わったら、ちゃんとした契約書作ろうかな……)


 思考を別に逃しながら仁志の隣で数多の視線を受けるのも、いい加減慣れてきた。

 しっかりとした成約をしなかった結月自身にも落ち度があるので、パートナーとして同伴するのは百歩譲ってまだいいとする。

 だが、結月にはどうしても、納得できない事があった。

 今現在、仁志が言葉を交わしているのは、お高そうなグレースーツを着込んだ男性だ。結月はやはりその隣で、控えめに微笑み華を添える役割に徹している。


「では、安良城さん。また近々」

「ええ」


 商談を交えた挨拶を終えた男性が踵を返したタイミングを見計らい、結月もそっと、仁志の側を離れた。

 が、その男性を見送っていた筈の仁志は間髪入れずに腕を捕み、先を阻んでくる。


「どこにいく」

「……グラスが空になってしまったの。新しいモノを頂いてきます」

「俺も行こう」


(いやいや、さっきからあんたと話すタイミング伺ってる人いるよね!?)


 パーティーの場での仁志は、動物園のパンダよりも忙しい。

 顔見知りの者、新たにツテを作りたい者、見初められたい者。一定の距離を保ち周囲を取り囲む視線は、仁志が誰かの相手を終えると、巧妙な目配せで互いの腹を探りあう。

 今しがた新たな一歩を踏み出そうとしていたのは、開場時から『順番待ち』をしていた若い風貌の男性だ。

 ここで仁志に逃げられては、待ちに費やした時間は全て水の泡になる。あまりにも可哀想だ。


「直ぐに戻りますから」

「行くぞ」


 仁志も気付いているだろうに、お構いなしに結月の手を自身の腕に絡ませると、スタスタと歩き始めた。


(……また、か)


 結月は胸中で嘆息する。どうにも仁志は、こういった場で結月を離してくれない。

 グラスを変えるにも、お手洗いにも行くにも、必ず側に寄りそいギリギリまで同行するのだ。

 それは一人になった途端、以前のように女性達に取り囲まれるのを避けたいだけなのかもしれない。

 そう、思っていたのだが。


「どうも。お久しぶりです、安良城さん」


 会場隅に設えられたバーカウンターで声をかけてきたのは、ニコニコと目尻に皺を刻む、背の低い中年の男性だ。

 知り合いなのだろう。仁志は珍しく、懐かしげに目元を緩めた。


「これは和田さん、ご無沙汰しております」

「いやー、これはまたとんだ美人をお連れで。不落の城も、とうとう年貢の納め時ですかな」

「そうなればいいんですが」


(って、腰に手を回すな!)


 何よりその言い方では、仁志のアプローチを結月が断り続けているようではないか。

 いや、「彼女はもう私にメロメロで」などと言われなかっただけ、マシなのだろうか。

 結月の葛藤など露知らず、和田と呼ばれたその人は、意外そうに目を丸めた。


「ほう? ということは、苦戦していると? いやー、珍しい事もあったもんですな! 美人さん、安良城さんを袖にするなんて、やりますな」

「和田さん、私の味方では?」

「そりゃ、社長にはお世話になりましたからね。応援してはおりますが、コレばっかりは美人さんにも選ぶ権利があるでしょうよ」


 ねぇ、と同意を求めるように首を傾けられ、結月は曖昧な笑みのまま取り敢えず頷いた。

 選ぶもなにも、契約が切れれば結月は消える。

 その時、仁志がフったにしろフられたにしろ、都合のいい『理由』が必要になるだろう。そういった意味では、ここで結月が『渋る女』でいるのも、丁度いいのかもしれない。

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