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一ヶ月の雇い月  作者: 千早 朔
第三章

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第十六話


 マンションの車庫へ辿り着き、最早驚くこともなくなったセキュリティーカード式のエレベーターで最上階へと向かうと、到着するなり結月の手首は再び仁志に掴まれた。


「うえっ!? い、逸見さん!」


 剣呑な雰囲気に咄嗟に逸見に助けを求めるも、逸見は微苦笑しただけで、恭しく頭を下げる。


「明日は土曜ですので、ごゆっくりなさってください」

「ああ。面倒かけた」

「ちょ! まって! おれだけ全然穏やかじゃない!!」

「では、お休みなさいませ」

「逸見さん!?」


 見捨てられた。まじか。

 ショックにホワイトアウトした脳のまま、結月は仁志に引きずられるようにして廊下を歩かされる。


(おれ、どうなっちゃうんだろ)


 セオリー通りならば「仕置だ」と暴力で傷めつけられるか、朝までグチャグチャにされるかの二択だろう。


(アレ? でもコイツってノンケだよね? んじゃ前者一択じゃん?)


 痛いのはやだなーと気落ちしている間に、仁志によって、結月に与えられている部屋の扉が開かれた。

 引く手は乱雑だ。別に、逃げやしないというのに。


 電気も点けずに部屋の中央まで進んだ仁志は、そこでピタリと歩を止めた。

 壁の一角を担った窓の奥からは、眼下に広がる街明かりの微かな光源と半分に切られた月の光だけが、紫に染まる部屋に淡い白色を縦長に重ねている。

 仁志が静かに振り返った。眉根を寄せた苦悩の表情に、結月の心臓がドキリと跳ねる。


「……アレは、必要だったのか」

「……え? アレっ、て?」


 怒りを露わにするでもなく、淡々と問う低音が逆に結月の焦燥を煽る。

 手首に回る掌は、今や簡単に振りほどけそうなほど弱いものだというのに、結月はただ当惑しながら仁志を見上げ続けた。

 仁志の探るような双眸は、一瞬足りとも離されない。

 目奥に瞬く光源に捕らわれたかのように、結月もまた、仁志から視線を逸らせないでいた。


「……わからないか」


 グッと手首を引かれ、突如の衝撃によろめいた結月は、仁志の胸元に倒れるように手をついた。慌てて上体を立て直すも、距離をとろうと足を引く前に、腰元に回された腕に阻まれてしまう。

 近い顔と、触れた箇所から伝わってくる温度。意識した途端、元より跳ねていた心臓が、バクリバクリと一層強く胸を叩き始めた。


「え、ちょ」

「あのキスは何だ?」

「…………は?」

「あの時、キスしていただろう。必要だったのか? それとも……惚れたのか」


 仁志の瞳が剣呑に細まる。

 質問の意図と、自身の置かれている状況が上手く繋ぎ合わせられずに、結月は困惑しながらも口を開いた。


「いや、確かにカワイイ人だったけど……アレは雰囲気っていうか、ほっぺにチューなんて挨拶みたいなもんじゃん」


 見下ろす眉間に皺が増え、部屋の空気が一気に下る。

 そこでやっと、結月は合点がいった。


(え? なに? もしかしてもしかしなくても、不機嫌の原因ってあのチュウ?)


 一体、どうして。


「……結月」

「…………なに」

「キスしろ」

「は?」


 唐突の要求に、結月は目を丸くする。


「どうしちゃったの? 今はパッと見女の人だけど、おれだよ? 結月だよ?」

「わかってる。……挨拶なんだろう?」

「いや、それはモノの例えというか、少なくともこうやって命令されるものじゃないよね?」

「早くしろ」


 強制力を持った掌が、結月の腰を強く引き寄せる。見つめる瞳は甘さの欠片もない。どちらかと言えば、意地が強い。

 だというのに。


(なんでこんなにドギマギしてるんだろねおれ!?)


 キス、なんて。今更躊躇うモノではないのに、相手が仁志だと認識すればする程、胸中に妙な熱がくすぶる。


「……口紅落としてからのがよくない? つくよ」

「結月」

「わかったって」


 早くしろと責める声色に、結月は諦めて顔を上げた。


「……め、つぶってよ。なんかヤダ」

「……」


 囁くように発した懇願に、仕方ないとでも言うように、そっと瞼が下ろされた。

 不本意にもはやし立てる鼓動が悟られないよう願いながら、結月は意を決し、軽くつま先を上げてその頬に口づけを落とした。

 途端、瞼を上げた仁志が、顔を動かす。


「っ」


 頬に触れた軽い感触と、チュッと響いたリップ音。

 キスを返されたのだと気づいたのは、呆然と見上げた先で、仁志がニヤリと口角を上げてからだった。


「はぁ!? え!? なんでっ!?」

「挨拶なんだろう?」


 言う仁志は先程までとはうって変わり、ご機嫌な様がありありと見て取れる。


(ヤバイ。これは、たぶん、良くないヤツだ)


 心臓が狂ってる。

 結月は触れられた頬を覆い、ハクハクと口を開閉しながらも、冷静な部分で警報を鳴らした。

 そんな葛藤など露知らず、仁志は結月を腕に抱いたまま愉しげに瞳を細める。


「さて、結月。俺は今、機嫌がいい」

「っ、それはわかるけど! ってかいい加減離してくんない!?」

「それよりも先に、言うべき事があるだろう?」

「へ?」

「お前の『お願い』は、それか?」

「っ!?」


 気配などしなかったというのに、全て知っているかのような口ぶりだ。


(ホント、何処から聞いてたんだよ!?)


 結月は恐怖に顔面蒼白になりつつも、少しだけの逡巡の後、離れようと突っ張った腕を弱めて仁志の胸元に身体を寄せた。

 それはもう、わかりやすく媚びるように。


「……あの子、気も仕えるし、仕事熱心だし、いい子だよ。悪い狼に騙されたままじゃ可哀想だから、なんとかしてあげてよ。『お使い』を頼むお母さんだって、もうすぐ居なくなるんでしょ。だから、お願い」


 更に上目遣いで見上げると、ふっと瞳を緩めた仁志がコツリと結月の額を軽く小突いた。


「赤ずきんも、まさか狩人が黒幕だとは思わんだろうな。余計な『婆さん』を喰らい過ぎて、腹を壊すなよ」

「……何言ってんの。婆さん『達』のアフターフォローはアンタの仕事でしょ」

「残念だが、俺は手のかかる狼一匹で、手一杯だ」


 やっとの事で離された身体。結月は安堵すると同時に、冷えていく体温に微かな心寂しさを覚えた。

 その違和感に眉根を寄せると、何を勘違いしたのか、仁志は苦笑を浮かべて軽く結月の頭を撫でてから、横を通りすぎて扉へと向かう。


「疲れただろう。よく休むといい」


 優しい声色が、結月の心に掠めていた侘びしさに、ジンワリと染みこんでいく。

 素直に「うん」と頷くと、仁志は意外そうに軽く瞠目したが、直ぐに相好を崩して扉を開けた。


「明日は角煮がいい」


 それは昼飯なのか、とか、明日も来るのか、とか。結月が言葉を発する前に、去っていった背中。

 カチャリと響いた自動ロックの音を遠くに聞きながら、結月は胸中に残された『予感』に立ち竦んだ。

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