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一ヶ月の雇い月  作者: 千早 朔
第三章

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第十四話


 ひとりになった所を嫉妬に狂った女性達に狙われるんじゃないかと思っていたが、そんな空想は結月の杞憂で終わった。

 結月が離れた途端、これ幸いと取り囲まれたのは仁志のほうだった。彼女達は、案外逞しい精神構造のようである。

 色とりどりのドレスがひらめき一点に集まる様は、まるで餌を投げ込まれた鯉池のようだ。その中心にある上物の『餌』は、涼しい顔で無難に言葉を交わしている。

 慣れている。結月の胸の内がザワリと陰った。


(……ん?)


 結月は一瞬、その違和感に微かに眉を潜めたが、足は止めずに数歩を進んでその陰りに理由をつけた。

 そうか、おれは、ああやってお嬢様方に囲まれるイケメンに、嫉妬しているのだろう。

 同じ男として、羨ましい限りである。


 結月も結月で幾度か声をかけられたが、悲しかな、こんな格好をしている為に相手は全て男だ。

 嬉しくない。更に言えば、実に仕事の邪魔である。

 幸い、そもそも仁志の連れだという『肩書』のお陰で、先を急ぐ素振りを見せれば大人しく退いてもらえた。


 とはいえ、視線は常について回る。やりにくい。

 だがこの現状も、想定の範囲内である。だからこそ今回の『引き出し相手』は、角のたたなそうな彼女に決めたのだ。

 ブッフェ台の後方。オレンジジュースのグラスを片手に、ぼんやりと空虚を見つめている、どこか疲労を背負った女性。年齢は二十代半ばだった筈だが、顔色の悪さと鬱々しい表情が、実際よりも老けこんだ印象を醸し出していた。


「ごめんなさい、ちょっといいかしら」

「えっ!? あ、ハイ!」


 まさか声をかけられるとは思ってなかったのだろう。

 首横に纏めた茶色い髪を跳ね上げた彼女は結月をみとめると、ベージュのジャケットに収めた小ぶりな肩を盛大に跳ね上げた。

 反動に首から下げられていた『スタッフ』の名札ホルダーが揺れる。

 彼女はその存在を今思い出したかのように、はっとした顔をすると、「何かお困りですか」とぎこちない笑顔を作った。


「少し、体調が優れなくて。座れる所はあるかしら? できれば、外の空気に当たれるといいのだけれど」

「あ、それならあちらの中庭にベンチがありますので、ご案内致します」


 言うやいなや、彼女は結月を気遣う様子をみせながら、会場外に設えた中庭へと先導した。

 人の良い哀れな赤ずきんは、自ら狼を招いているとは夢にも思っていないだろう。


 開かれたガラス製の扉をくぐり、観葉植物の合間に置かれたクリーム色のベンチに腰掛けると、「今、お水をお持ちしますね。膝掛けもご入り用ですか」と甲斐甲斐しく尋ねてくる。

 水だけを頼むと彼女は小走りで駆けていき、ものの数分で戻ってきた。

 お盆に乗せられた紙コップはふたつ。ひとつが冷水で、ひとつが白湯だと言う。

 いい子だな。よく気が利く。

 結月の良心がもやりとした。


「ご迷惑をおかけして、ごめんなさい」


 せっかくだからと白湯を受け取り、結月が微苦笑を向けると、彼女は「いえ」と隣に腰掛けた。

 膝に乗せられたお盆の上で、残ったカップの水面が揺れる。

 忙しなく彷徨う双眸は、この後どうすべきが、自身の所在を必死に探しているのだろう。


「……ホントはね」


 結月がクスリと笑うと、彼女がバッと顔を跳ね上げた。

 マジマジと向けられる視線に悪戯っぽく瞳を細め、内緒だというように人差し指を立ててみせる。


「体調が悪いっていうのは、嘘。あの人の隣から、少し抜け出したくって」

「えっ!? あんなにお似合いなのに? って、あ、すみません私ったら!」


 失言だったと慌てて口を抑えた彼女があまりにも必死で、結月はつい吹き出しながらクスクスと笑みを零す。


(お似合い、ね)


 変装技術が褒められたのだと受け取っておこう。


「いいのよ。……ここだけの話、別にあの方とお付き合いしているワケではないの。私は体のいい『虫よけ』ね」

「そんな、虫よけって……っ」

「初めは良かったのだけど、思っていたよりも目が多いから疲れてしまって。だからほんのちょっとだけ、お付き合い頂けると嬉しいのだけれど」

「っ、私なんかでよければ」


 背筋をシャンと伸ばした彼女に、結月が「ありがとう、良い人ね」と笑うと、途端に彼女は顔を曇らせた。


「……良い人なんかじゃ、ありません」


 ポツリと零された呟きは、自責の念が色濃く滲む。

 丁度いい。元々そこを突くつもりだったが、赤ずきんから切り出してくれるとは思わなかった。

 それだけ、彼女には余裕がないのだろう。

 バラバラに崩壊する直前というのは、ほんの僅かな衝撃でグラリと歪むものだ。


「……なにか、悩み事?」

「え!? あ、ごめんなさい! 気にしないでくだっ」

「ここ」


 そっと伸ばした人差し指で薄く彼女の目下をなぞると、彼女は驚愕に息を詰め、目を見開いて硬化した。

 結月は胸中で口端を釣り上げながら、努めて気の毒そうな顔をする。


「お化粧で隠してるけど、クマが酷いわね。ちゃんと休ませて貰えてるの?」


 ひび割れたアスファルトに染み込んでいく雨水のように、数滴ずつ、ゆっくりと甘い言葉を流し込んでいく。


「あの社長に、馬車馬のように働かされているんじゃない? 良くないわ。ちゃんと身体を休めないと、壊れてしまうでしょう?」


 彼女の肩がビクリと揺れる。

 その挙動を逃すまいと結月は彼女の片手をとり、茶目っ気たっぷりの笑みを向けた。


「話を聞くだけならできるわよ。『私なんかでよければ』」

「っ」


 虚を突かれたように見開かれた瞳に、ジワリと薄い膜が滲みだす。結月が眉根を寄せると、やっと自身の変化に気づいた彼女は慌てて顔を伏せた。

 拍子にこぼれ落ちた水滴が、彼女のスカートに丸い跡を残す。


「ご、ごめんなさいっ……! こんな風に、誰かに気遣ってもらったの、久しぶりで」


 警戒は解かれた。

 あとはそっと内側に入り込んで、欲しい情報を引き出すだけだ。


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