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一ヶ月の雇い月  作者: 千早 朔
第三章

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第十三話


 社長の誇示が九割を占めた長い挨拶が終わると乾杯の運びとなり、グラスを掲げると同時にホールには再びオレンジ色の光源が落とされた。

 どうしてこういった場では白い光源を使わないのか、未だに謎である。


「ノンアルコールのほうがいいか?」


 顔を覗き込むようにして尋ねる仁志。


(って、近くない?)


 反射でのけぞりそうになった上体を何とかそのままの姿勢で堪え、結月は周囲から突き刺さる嫉妬を全身で受け止めながら、やんわりとした微笑みを貼り付けた。


「いえ、平気よ?」

「そうか。前後不覚になったら問答無用で上に押し込むからな」


(拉致宣言かな!?)


 いや、パートナーという立場上、拉致ではなく合意の上という事になるのだろうが、どちらにしろこんな公の場で涼しい顔をして言うような内容ではない。

 せめて声を潜めてほしい。

 いい加減、嫉妬の渦が膨らみすぎてハリケーンになりそうだ。


 整髪剤で髪を撫で付けた長身のボーイに促され、シャンパングラスの代わりに仁志はライムの添えられたカクテルを、結月は透き通った赤が綺麗なさくらんぼの沈むカクテルを手に取った。

 おいしそう。結月は口の広いグラスの端にそっと唇をつけ、軽く口内に含む。と、爽やかな甘さが舌上に広がり、アルコール独特の苦味が微かに鼻を抜けた。

 こういった仕事の時でないと口にできない、上品なカクテルだ。数少ない楽しみの一つでもある。


(ん、おいし)


 満足感に結月がもう一口を含もうと、瞳を伏せた時だった。

 視界の端にすっ、と降りてきてきた掌が、指裏で結月の右頬を薄くなで上げた。


「っ」


 感触に、ドクリと跳ねた心臓。

 詰まる息に顔を跳ね上げると、仁志は見下ろす瞳を妖しく和らげ、軽く腰を折って結月の耳元へと唇を寄せてくる。


「もっと飲むか?」

「っ!」


 なんて声を出すんだ。

 いやまだ一口しか飲んでないしとか、今まさに妨害されたんですけどとか、混乱に眩む脳裏にはいくつか駆け抜けたが、結月は咄嗟に右耳を覆ったまま、石像のように硬化した。


 そっと吹き込まれた音には艶やかな色が滲み、身体の奥底から否応なく甘い熱が引き出されていく。

 振り切らなきゃと思うのに、残された余韻が鼓膜にべったりと張り付いて、そこから内側へと浸食されていくようだ。


 あ、とか、う、とか。声にはならないまま唇だけが戦慄き、真っ赤な顔で見上げる結月に仁志はスッと双眸を細めた。

 瞬間、漂う獰猛な『男』の気配に、結月は無意識にゴクリと咽を鳴らす。

 何故だろう。のどが渇く。


 まるで二人の立つ場だけが薄いベールで覆われたように、ここがどこなのかも忘れかけていた結月の意識を引き戻したのは、媚びに媚びた響きの軽快な声だった。


「これはこれは安良城さん。ご足労頂き、恐縮です」

「っ」


 ――中川。

 今回のターゲットである男は、自身が草むらの合間から狙われているとは露知らず、重ねた両手を揉みながら低頭してみせた。


「……お招き頂き、ありがとうございます」


 全く温度のない仁志の形式ばった挨拶にも、中川は笑みを絶やさず「いえいえ」と恐縮する。

 視線がチロリと結月を向いた。

 出番だ。結月は胸中で気合を入れなおす。


「それにしても、実にお綺麗な方をお連れで。会場が一気に華やぎました」

「お上手ですね。凉華すずかと申します。今夜は突然お邪魔させて頂いて、すみません」

「ほー! 名は体を表すとはまさにこの事ですな! いやいや! あなた様ならいつでも歓迎させて頂きますよ!」


 中川は仁志に視線を遣ると「いやー、実に羨ましい限りですな!」と目に見えて持ち上げるが、「ありがとうございます」と告げる仁志は相変わらず感情が篭っていない。

 これがフォーマルな場における、仁志の通常なのだろうか。

 結月が胸中で首を傾げているうちに、中川は「是非楽しんでいってください」と次の挨拶周りへと繰り出していった。

 パーティーの主催者に暇はない。

 そしてそれは、招かれた客である筈の仁志も同様である。


 タイミングを推し量っていたかのように、仁志は中川が去った直後から代わる代わる人に囲まれた。

 誰も彼も、名のある企業の重鎮なのだろう。

 結月はその度に淑女さながら無難な挨拶を交わし、仁志の横で微笑みを絶やさないよう相槌を打ち続けた。


 開始時は活気が色濃く往来していた会場も、時間の経過と共に緩慢な雰囲気が漂い始める。

 酒と愉悦がまわり、疲労がジワリジワリと滲み出す頃が、結月の『動き時』だ。


(さて、そろそろいきますか)


 獲物は既に、射程圏内にいる。


「ごめんなさい、ちょっと……」


 話しを終えた初老の男性が踵を返したと同時に、結月はそっと仁志の袖を引いて合図をいれてから、側を離れた。

 が、ほんの一踏みで、手首に回った掌に引き留められてしまう。


「どこにいく」


(いや、どこにいくって)


 わかるだろ、と戸惑いがちに振り返ると、仁志の眉間には薄い皺が刻まれている。

 責めるような視線に射竦められ、結月は一瞬たじろいだが、そもそもの目的は『こっち』である。


「……ちょっとお化粧直しに」

「途中まで俺もいこう」


(は? 馬鹿なの?)


 この『仕事』を依頼してきたのは仁志だ。細やかな手順は伝えていないが、結月が『動く』といったらわかるだろう。

 それとも、わかった上でついてこようとしているのか。


「……いえ、一人で大丈夫です」

「だが」

「仁志様は、『こちら』にいて下さらないと」


 強めの抑揚をつけニッコリと微笑み、『邪魔だからここにいろ』と揶揄してみせる。

 冗談じゃない。この『仕事』は見世物ではない。

 やっと結月の意思が通じたのか、仁志は数秒の沈黙のあと、不承不承掴んでいた手を離した。


「……出来るだけ早く戻ってこい」

「……善処します」


 求められるのはスピードではなく情報の有無では。

 結月はやはり喉元で飲み込んで、今度こそ歩を踏み出した。


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