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一ヶ月の雇い月  作者: 千早 朔
第三章

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第十二話


「え? アレ? 好みじゃなかった? かえる?」

「いや……大丈夫だ。問題ない」

「え、ホントに大丈夫? どーせおれより見慣れてるんだから、変なトコあったら言ってよ?」

「ああ……。しかし、上手く化けるもんだな」

「そりゃあ、プロですから。褒め言葉として受け取っとくよ」


 上機嫌にひらりと手を上げ、着替えに戻ろうと踵を返した結月を仁志が呼び止めた。


「結月」


 彼の声は心地いい。

 深い響きは芯を持った、曇りのない声だ。


「……なに?」

「約束、覚えているな」


 そのくせ、その本心は微塵も読めない。


「……わかってるって」


 苦笑を混じりに首肯して、結月は肩を竦めた。

 どうしてそこまで固執するのかはわからないが、条件だというのなら呑むしか無い。


「身体を使った『引き出し』はしない。他の方法で善処するよ」


 キッチリと言い切って、結月は今度こそ着替えに戻った。


***


 本当に日本の自家用車かと尋ねたくなる黒塗りの車も、ネオンの煌めく街中を走ればしっくりハマるもんだと結月はひとり納得した。

 半円形のエントラス前に滑るように停車させ、運転席から降りた逸見が、結月の左隣に座る仁志側のドアを開く。

 軽い布切れの音を立てその身体が退くと、ポッカリとあいた空間に夜風が入り込んできた。

 結月は自身も降り立つ為に、ドレスを巻き込まないよう慎重に腰を左に滑らせた。途端、オーダーメイドのスーツを嫌味なく身に纏った仁志が、流れるように左手を差し出してくる。

 ゲームはもう始まっている。誰が何処で見ているかわからないからだ。

 結月は仁志を見上げ、本心とは関係なく軽い微笑みを浮かべてから、その手に自身の掌を載せ片足から降り立った。


「平気か?」


 仁志の確認は乗り心地への配慮ではなく、仕事への意気込みだろう。「とーぜん」と答えたい衝動を抑えこみ、結月が慎ましやかに「ええ」と首を傾けると、仁志は安堵したのかその仕草がお気に召したのか、満足そうに瞳を細めた。


「それでは、お気をつけて」


 柔く口角を上げたまま恭しく低頭した逸見へ頷くと、仁志が左肘を軽く曲げ結月を見るので、ああそうかとその二の腕付近にそっと指先を揃えて添える。

 意外と筋肉質だ。思わず腕を凝視しながら、確かめるように数度揉んでしまった。


「くすぐったいから、今はやめろ」


 言う仁志はとにかく楽しそうである。

 女性を連れ立って歩くのは久しぶりなのだろうか。実際は男だけど。


(ま、何でもいいけど)


 結月も悪い気はしない。


 警備員の立つエントラスを抜け、会場扉前の受付で仁志が招待状を手渡すと、簡単な確認だけで難なく通された。

 結月は一言も発さず、ただ微笑んで仁志の腕に手を添えていただけだ。

 地位と名のある人物の『パートナー』という肩書きだけで、こんなにも信用を勝ち取れるものなのか。不用心すぎやしないかと、結月はあまりの手軽さに拍子抜けした。


 だがそんな気の緩みも、一歩会場に踏み入れれば嫌でも引き締まる。

 向けられる視線、視線、視線。

 やはりこうして仁志が女性を連れ立つのは珍しいのか、好奇に浮ついたものも多いが、やはり結月の想像通り、氷柱のように鋭く射抜く恨みがましい双眸が大半を占めている。


(壁になりたい……)


 結月は心中でげっそりと項垂れながらも、表側はシャンと背を伸ばしたまま歩を進め、仁志と共にボーイから乾杯用のシャンパンを受け取った。

 影の薄さなど関係ない。当然だろう。逆に変に影を薄めても反感を買いそうだと、特に何もしていない。

 上機嫌な仁志の横顔が恨めしい。


 刹那、会場の照明が落とされ、前方に造られた壇上へと光源が集まった。

 登壇した人物は、結月も見覚えのある顔だ。『ファストツーリスト』の社長、中川。今回のメインターゲットである。

 薄いストライプが入るネイビー地のスーツに幾度も皺を刻みながら、小柄な身体をふんだんに使い、身振り手振りを交えて話を進めていくのが彼のスタイルらしい。

 それなりに話術はある方だと思う。だが、こっそり伺った仁志の顔は一見、真面目に耳を傾けているように空目するが、これは関心のないときのそれである。

 に、しても。


(ただ前みてるだけで画になるとか、なんなの)


 前方からの灯りを映す顔面は、窪みにそって濃い影を落とし、端正な造りが際立つ。

 いつもよりも濃いモカブラウンの瞳奥には入り込んだ光の欠片がチラチラと瞬いて、不規則に踊る様に結月はつい目を奪われた。


(……きれい)


 ボンヤリと眺めていた結月の視線を感じたのか、ふいに仁志が瞳だけをチラリと向けた。

 ぶつかった視線に我に返った結月が小さく息を詰めると、仁志は茶化すように柔く双眸を細め、口角をあげた唇で声なく言葉を象った。


『見惚れたか』


「っ!」


(ちがうちがうそんなんじゃない!)


 冗談じゃない。

 結月は仁志をキッと鋭く睨め上げてから、プイと壇上に逸らした。

 隣で薄く笑う気配がする。

 くやしい。大方、下手に隠した動揺など、お見通しなのだろう。

 結月自身も騒ぎ立てる胸中と、頬に上る熱を自覚している。


(ほんと、なんなんだよコイツ!)


 悪戯にしてもタチが悪い。そんな色のある顔を向けられて、平常を保てるヤツがいるのなら是非見てみたい。

 胸中への困惑を仁志への憤怒に無理やり書き換えて、結月は抗議を伝えるべく、仁志の腕に添えた指先にグッと力を込めた。

 だがそれにも仁志は堪えるどころか、愉しげに瞳を緩める。漂う空気はなんだか甘い。


(ほんと、さぁ)


 このテにオチた女性は一体何人いるのだろうか。

 いや、例え女性でなくとも、相手を勘違いさせるくらいの破壊力がある。


(……おれだからよかったものの)


 人数もわからない哀れな脱落者達への同情に耽りながら、意識とは裏腹に登る熱を表に出さないようにと、結月は必死に奥歯を噛みしめ続けた。


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