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竜の棲む国  作者: 佐倉櫻
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第九話:面会式

 石作りの城の一角。窓の無いその部屋には、一面に色とりどりのタペストリーが掲げられていた。

 ベリルの説明によるとそれらはこの国、ディアマンタイト国の歴史を綴った物らしい。

 端から順に眺めていたが、ある一枚のタペストリーの前で視線が止まる。

 それは竜殺しの英雄アダマス。

 禁忌、そして不可能と言われていた竜殺し。それをやってのけたのがこの男。彼が竜を殺し、それによって富がもたらされ、竜狩りが始まった。そして彼はディアマンタイト国の初代国王となったと言われる。

 漆黒の竜に剣を突きたて、返り血を浴びている赤髪金眼の男。それはアゲイトに似ていた。いや、アゲイトはアダマスの子孫だから、アゲイトがアダマスに似ているのか。タペストリーなので本当に似ているのかどうかは分からないが。

 この控えの間につれてこられて、かれこれ1時間半くらい経っているんじゃないだろうか? 時間通りに来たというのに、それからずっとここで待たされている。

 途中女中さんが(以前ここを抜け出すときにアゲイトが持ってきた服と同じ服を着ていたので、あの服は女中の物だったのだろう)お茶と焼き菓子を持ってきてくれたが、その後は何の音沙汰も無く待たされている。

 先ほどベリルが様子を見に行ったがまだ戻ってこない。

 と、いうわけでタペストリーなど眺めていたのだが、さすがに飽きた。

 ちなみに、ここのタペストリーにもクルシスらしき竜は出てこなかった。ベリルも知らないといっていたし、やはりあれは只の夢でクルシスは実在しない竜なのだろうか。

 タペストリーの数は全部で21枚。壁の左右にこの国の地図を模した物と、この城の図案らしき巨大な(絨毯くらいの大きさだ)物も含めると24枚。

 すべて見終えた後にふと気づく。先ほどのアダマスのタペストリー。それは彼が最後の竜を狩った様子を描いたものだが、その後のタペストリーにはアダマスらしき人物は出てこない。

 次に続くのは巨大なタペストリーを挟んで、彼の息子たちの統治の物になる。彼の死後6人の子供たちがそれぞれの領地を治める図。中心となる首都を治めるのはアダマスの長子であるジルコニア王。そして首都以外の5地方は他の5人の皇子皇女が地方を治めている。ちなみにここ、エルバイトは3男であるエルバイト公の治めた地、という事で後に公の名を取ってエルバイト地方となったらしい。そして、代々エルバイト公の子孫がこの地方の領主となり、エルバイトの名を継いでいる。

 余談だが、アゲイトがここ、エルバイト地方の領主を語っているのはこの国の風習で、皇太子が選出されると、その兄弟は王国の5地方の領主のいずれかを名乗る事になるらしい。

 そして、皇太子に兄弟が居ない時は(つまり他に皇子が居ない時は)エルバイト公が領主になる。

 この一風変わった領主制は一代限りのもので、例えばアゲイトに息子が居たとしても時期領主にはなれないらしい。そして、皇太子が国王に襲名すると同時に領主も交代することになる。

 そして、一度領主となった皇子はその後王族からも籍を剥奪される。なぜそんな体制が取られているのかは不明だが、故にアゲイトは現在第5皇子であると同時に現在エルバイト地方の領主でもある…らしい。

 話が飛んだが、その後のタペストリーは先王までの国王襲名の図が1代につき1枚ずつ、ジルコニア王から数えて12枚。時折内乱や紛争を描いたものが挟まるがきちんと並んでいる。

 なぜ初代国王であるアダマスの襲名図が無いのだろうか?

 最初から見直してみても、やはり英雄時代の彼の活躍を描いた物しか無い。たしかベリルの話では彼は最後の竜を狩り終えた後ディアマンタイト国を設立し、初代国王を名乗っているはずなのに。

 もう少し建国記のあたりを読んでおくべきだったかな?

 そんな感じにぼーーっとタペストリーを眺めていると、謁見の間に続く扉の逆側の扉を開けてベリルが戻ってきた。

 なにやら深刻そうな…というより疲れたような顔をしている。

 何かあったのだろうか。

「マイカ、少々面倒な事になった」

「ん?」

「国王の勅使が来ている。お前の事はもう少し国王に伏せておきたかったのだがな……」

「それって何かまずいのか?」

 勅使……という事は国王の使いという事だろうか。

 するとベリルはふと表情を和らげて、

「いや、少しだけ面倒な事になっただけだ。マイカが気に病む事は何も無い」

 と、言った。

 まだ少し疲れているような色が滲んでいたが、特に深刻そうなものでは無さそうだ。

「勅使殿は今殿下と別室で対談中だ。その後この先にある広間にて面会の儀を行うが、その場に勅使殿も立ち会う事になった」

「ふむ」

「次いでエルバイト公を始めとする諸侯も急遽立ち会う事になった」

 ん? エルバイト公ってたしかこの地方の元々の領主だよな?

「簡単に言えば、当初の予定よりも少しばかり畏まった物になったからくれぐれも粗相の無いように……と」

「ちょ、ちょっと待て」

 なんだか大げさな事になってないか?

 昨日急に面会を執り行う事が決まったんだよな? なんだかタイミングが良いと言うか何と言うか。

「……エルバイト公は殿下の叔父に当たられる方で、勅使殿も殿下の弟君であられる。言わば殿下の身内にあたる上にお二方共に気さくな方ではあるが形式は整えなくてはならん」

 殿下の身内という事はアゲイトの、だよな。ちょっと会うのが楽しみなような……いや、中身もアレならば遠慮したいかもしれない。

「と言っても、お前はただ面会の時刻になったら広場の中央を俺の後に続いて歩いて、先に俺がひざまずく。その少し後ろで同じように跪いて殿下の問いに「ご意向に沿いたいと存じます」と答えればいい」

 ふむふむ。

「殿下の問いって?」

「お前が騎士団に入団する事だ。殿下が騎士団に入るかどうかを問うはずだから……」

「なるほど。それに対してそう言えばいいんだな」

「そうだ」

 なんだかすごく仰々しいが。

 ひょっとしなくても大げさな事になってないか? 今更だが不安になる。

「大丈夫だ。お前はいつも通り堂々としていればいい」

 ベリルが励ますように言ってくれるが、私はそんなに堂々としていただろうか?

 やや疑問が残るが相手はアゲイトだ。気楽に構えて問題ないだろう。この面会さえ済めば堂々と外を出歩けるのだ。

 襟を正し、面会に備える。

 背面の扉がノックされ、城の警備らしき男が入って来た。

「面会のお時間です」

「ご苦労」

「では、失礼します」

 男はそれだけ言うとさっさと出て行ってしまった。

 ベリルがこちらに向き直る。

「では、行くぞ」

 私は力強くベリルに頷き返した。






 重々しい扉が開かれ、広間に入る。

 石畳の広間には、真紅の絨毯が中央に敷かれ、中央の玉座に続いている。

 絨毯の左右には仰々しい衣装を身に纏った男女(中年男性が多い)が並んでいる。そして正面の玉座には、不遜な表情を浮かべた赤毛の男―――アゲイトが鎮座していた。

 赤を基調としたきらびやかな衣装にこれまた真紅のマントを身に着けている。……暑くないのだろうか。いや、暑いのかもしれない。よく見ると襟元のボタンは数個はずされて首元がはだけて見える。

 肘掛にもたれ、足まで組んでいる。表情だけでなく態度まで不遜だ。

 意味も無く蹴飛ばしてやりたくなるほど高慢な態度だが、こうも仰々しい中で堂々としていられるのは育ちのせいなのか性格なのか……おそらく後者だろうな。

 ベリルに続いて絨毯の上を進む。

 左右に控えた人並みから、感嘆とも畏怖ともとれない微妙な、小さな声が漏れるが、その視線が私に向けられているという事はこの風貌がよほど珍しいのだろう。

 ベリルやアゲイトにさんざん異端だと言われてきたが、その意味がやっと実感出来た。

 ある婦人などはすれ違いざまに小さな悲鳴まで上げていた。

 ……そんなに酷いのか? 視線が痛い。

 しかし、急な、急すぎるほど急な面会だというのによくもこれだけ人が集まったものだ。ざっと100人くらいは居るんじゃないだろうか。

 さすがに周りをよく見るほどの余裕は無いがぎっしりと人が並んでいる。

 やっと玉座までたどり着くとベリルが跪いた。一歩はなれた位置でそれに倣う。

「ベリル・アクア・マリン並びにマイカ・スギイシ。アゲイト殿下にご拝謁申し上げます」

 へー。ベリルのフルネームってベリル・アクア・マリンなんだ。

 今初めて知った。

「面を上げよ」

 仰々しくアゲイトが言う。

 顔を上げるとふてぶてしい、それでいて面白がっているような金色の目。

「ほぅ。髪だけでなく瞳も黒いのか」

 何を今更。白々しい。

 と、思ったが、そういえばアゲイトに会うのはこれが初めてという事になっているのだと思い出す。

 が、その目は明らかにこの場を楽しんでいる。

 面白くないので軽く睨んでやるが、ますます面白そうに目を細めただけだった。

「この者は、この者の言うには異界からの来訪者ですのでこのような風貌なのだそうです」

 ベリルが付け加えるように言う。……なんかちょっと突き放された様な言い方だ。

 異界から〜の発言に人々がどよめく。ますます肩身が狭い。

「異界、か」

 すでに知っているくせにわざわざ驚いたような口ぶり。

「この者、この地に来た折、竜化を単身にて討伐しております。魔法は使えないようですが武は立つかと」

「ふん」

 アゲイトは少し考えるような仕草をする。

 そして、口を開いた。

「ならばマイカよ――」

 よし。話の流れから察するにここでアゲイトが騎士団の話を持ち出すはずだ。

 この問いに「殿下のご意向に……」って言えばいいんだな。

 心の中で反芻する。

「そなた……俺の女にならねぇ?」

「で……はぁぁぁ?!」

 一瞬広間が静まり返る。

 しまった。思いっきり叫んでしまった。てか何考えてんだ! こんな場所でこんな時に!

 叫んだ拍子に思わず立ち上がってしまって我に返るが、相変わらずアゲイトは、アゲイトだけは椅子に座ってニヤニヤしている。

「誰がなるかっ!」

 我に返ったものの、アゲイトの顔を見て無性に腹が立つ。

 場も、立場も忘れて怒鳴り返してやる。

 広間は静まり返り、怒りに震える私と対象に心から愉快そうに笑い転げるアゲイトだけが浮いていた。








「……一発殴っておくべきだった」

 あれから数刻。

 私は、と言えば晩餐(という名の宴会のような雰囲気)を抜け出し外に続く回廊で酔いを冷ましていた。

 正式な面会の場で、領主兼王子(王子という言葉が妙に浮く)を怒鳴りつけるという珍事件を起こした訳だが、あの後、我に返った(後ろに控えていた)衛兵に取り押さえられそうになるわ、なんだかお偉いさんに見える壮年の男性に罵倒されるわで散々だった。

 曰く、得体の知れぬ下賤なものが王族たる殿下に対してなんたる口の聞き方だ、とかなんとか。

 牢へ放り込め、だのこの場で処分してしまえだのとえらい騒ぎになった。

 こうして晩餐にまで出て酒まで飲んでいるのはベリルのおかげだ。

 実際衛兵に槍を突きつけられたとき、私をかばうようにベリルが間に入ってくれた。

 ベリルの声は決して大きなものではなかったが、人を服従させる様な不思議な威圧感があった――


「お待ちください」

「ベリル殿。その様な得体の知れぬものをかばうなど卿らしくありませんぞ」

「その者をかばうのならば卿も同罪と見られたいのですかな?」

 私にやじを飛ばした壮年の男性……じじい共がベリルに詰め寄る。

「いかにも。この者、マイカは私が後見を勤めております」

 そうベリルが発言した時、広間が先ほどまでの殺伐とした空気から何か、畏怖するもののそれへと変わった……気がした。

 少し間を置いて、広間が静まりかけた時、再びベリルが発言した。

「……故に、マイカに槍を向ける、という事は私に槍を向けるも同じ」

 衛兵が青ざめた表情と共に即座に槍を引いた。

「それでも、とおっしゃるのであればどうぞ処罰を」

 ベリルが広間を一望するように睨み付けると会場は水を打ったように静まり返った。……椅子の上でなおも笑い転げる約一名を除いて。

 その空気を変えたのは少年の一声だった。

「兄上、冗談もそれくらいにしてください。アクア・マリン卿も。……そんなにに睨まれてはびっくりして心臓が止まっちゃう人もいるかもしれないよ? ここは年寄りが多いんですから」

 気の抜けるほどに明るい声と共に進み出てきたのは、明るいオレンジ色の髪の少年だった。

 着ている物も、一目で分かるほどに上等の物で装飾品も見事な細工のものばかりだ。

「勅使殿」

 ベリルが、めずらしくうんざりしたような声色でそうつぶやくように言った。

 と、言う事はこの少年が国王の勅使でアゲイトの弟か。

 中学生くらいの背格好で、兄に似ず線が細く利発そうな顔をしている。

 が、ベリルの眉間に(わずかに)皺が寄っているところを見るとベリルはこの少年が苦手……なのかもしれない。

「やだなぁ。『勅使殿』なんて呼び方。アズライトって名前があるんだからそっちで呼んでください」

 綺麗な青い目が愉快そうに笑う。

 目も髪の色もまったく違うがその愉快そうに笑う様はアゲイトに良く似ていた。

「……アズライト様」

 しぶしぶといった感じでベリルが言い直す。

「ん、何?」

 アズライトと名乗った少年は目を輝かせてベリルに詰め寄る。

 それと当時にわずかだがベリルが後ずさる。

「何? 何? アクア・マリン卿。やっと僕と一緒に王都に帰る気になったんですね」

「その様な事は一言も……」

「では帰りましょう。直ぐ帰ろう。今すぐ帰ろう」

 ベリルの声を遮って、少年はベリルの腕を取って広間の出口へと引きずっていこうとする。

「そうですよね。卿はこんな田舎に居るべきじゃないんです。オブシディアンを抜けたんなら教会にだって戻らなくたっていいんだし。一所に王宮で暮らせばいいよ」

「アズライト様!」

「アズ、ベリルが帰らないと言っている。無理強いは良くない」

 笑いが収まったのかアゲイトがゆったりとした口調で少年を諌める。

 ……お前だって似たような物じゃないのか? とか突っ込みたくなるほど傲慢な物言いだ。

「だって兄上。僕は卿を迎えに来るためにここまで来たのに」

「お前は勅使として来てるんだろう? それは勅使の仕事とは無関係のはずだ」

「……はーい。兄上」

 しぶしぶ少年はベリルの腕を離す。

「やれやれ、話がそれたな」

 アゲイトがため息混じりにそう漏らす。誰のせいだ。誰の! 

「どこまで話たんだったかな」

「マイカ殿の処遇についてですよ。殿下」

 見ると、人の良さそうな風貌の中年男性が一歩進み出ていた。

 質素だが、私にやじを飛ばしてきたじじい共とは違う上品な服。

「エルバイト公」

ベリルがほっとした様に見える。表情があまり変わらないので分かりにくいが眉間の皺は無くなっていた。

「それで、どうなさるおつもりですかな?」

「そうだったな」

「でも振られちゃったんだよね。兄上」

 少年が茶化すように口を挟む。

「アズ!」

 アゲイトが諌めるが少年は無視して言葉を続ける。

「兄上が嫌なら僕はどう? 一所に王都に住まない?もちろんアクア・マリン卿も一緒に」

「アズッ!」

「アズライト様!」

 アゲイトとベリルに同時に睨まれ、少年は肩をすくめた。

 気を取り直すかのようにアゲイトはわざとらしく咳払いをした。

 少年はさっと身を翻し、アゲイトの後ろに控える。

 ベリルが再び跪いたので、私もそれに習う。

「さて、マイカ・スギイシ」

 そこで一度言葉を区切るとアゲイトは広間を見渡した。

 先ほどの騒動もあってか、あたりは厳粛な空気に包まれ、口を開くものは一人も居なかった。

「汝、武に長けているというんであれば我が軍に入り、今後忠誠を誓う事を誓うか?」

 ついさっきまでのふざけた様子とは一片した威厳ある態度。

 後ろに控えた少年も、人懐っこい笑顔が消えている。

 見るものによっては、畏怖さえ感じるであろう金色の目は恐ろしいほど真剣でありながらも、王者の風格を纏っていた。

 その場に居合わせたもの、すべてを敬服させる空気。

「――誓います」

 相手が、あのアゲイトだと分かっているのに自然と礼を取っていた。

 それどころかそう誓える事が、何か特別だという優越感まで湧き上がってくる。

「殿下のご意向に沿うよう精一杯つとめ――」

 そう言いかけたその時、前方から何者かが駆け寄ってくる気配――が、その何者かは私の直前で誰かに抱きとめられたらしく、下げた頭の上でなにかもがいている気配がする。

 言葉の途中だが見上げるとベリルが少年を抱きとめていた。

「アズライト様。お行儀が悪いですよ」

「アクア・マリン卿お行儀が悪いなんてそんな。ただ僕はマイカにこの城を案内してあげようとしているだけですよ」

 何事か?

 少年はベリルの手を振り払うと、私の傍に駆け寄り、手を取った。

「誓いは終了。でしょ? ならこんな所さっさと退出しましょう、マイカ」

 少年はにっこりと笑ってそう言うと、そのまま私の手を引いて広間の出口へと向かおうとする。

「え? あの、でも……」

 振り払う事もできず、困ってベリルとアゲイトを見やる。

 ベリルは不機嫌そうな顔を隠そうともせず少年を睨んでいたが、止める気は無いようだ。と、いうより出来ないといった風情だ。

 アゲイトもまた多少不機嫌そうな顔をしていた。

「アズ、宣誓の途中だ」

「マイカはもう誓ったよ」

「退出まで待てないのか? まだ諸侯の意見を聞いていない」

「諸侯の意見ですって?」

 少年はクスリと笑った。

「彼らに何を聞くんですか? 僕はもう聞きましたよ。先ほど。彼らの意見など必要ない、でしょ?」

 広間の空気が一瞬にして落ち着きの無いものに変わる。

「僕は王の勅使です。王の代わりにに王の目となり耳となって必要なものをこの目で見、そしてこの耳で聞く」

 少年は愉快そうに笑った。

「ふふ。やっぱりこれ以上は必要ないですよ」

 両脇に立ち並ぶ諸侯の顔色が青ざめて見えるのは気のせいだろうか?

「行きましょう、マイカ」

 少年はそんな空気など物ともせずに私の手を引いて広間を後にする。

 背後を振り返って見えたものは、眉間に皺を寄せたベリルのやや心配そうな視線と不機嫌そうな金色の目だった。





 その後、少年にあちこち引っ張り回され、広間に戻って来た時には日は大きく傾いていた。

 いつの間にか今夜少年……国王勅使ことアズライト殿下の歓迎会と、私のお披露目を兼ねた晩餐会が開かれ、現在に至る。

 晩餐会とは言うものの、テーブルの上には大皿で料理が置かれ、皆で取り分ける。その料理が次々に出され、綺麗なお姉さんがコップに生温い気の抜けたビールや、やや酸味の強いワインや琥珀色の得体の知れないツンとする匂いの蒸留酒を注いで回る。

 あっという間にてんやわんやの大宴会の出来上がりだ。

 回ってくる杯を断りきれずに2、3……5、6杯くらいか? 飲んだだけだというのにすでに気分が悪い。

 回廊の手すりにもたれると、その脇に白いクチナシの花が甘い香りをさせて咲いていた。

 その香りと、まだ少々肌寒い夜気が酔いを覚ましてくれる。

 薄く開いた扉の向こうではまだ宴会が続いていて、終わりそうに無い。

 もう少し酔いを醒ましたら小屋に戻ろう。

 月明かりを反射してクチナシの花は白く闇に浮かび上がる。

 その香りに誘われるように、少し散歩でもしようかと手すりを乗り越え、地面に降り立つ。

 上空には輝ける二つの月。片方は半月。やや離れた場所には細い三日月。

 この世界には二つの月がある。やはりここは異世界なのだ。

 ぼんやりと空を眺めながら歩く。が、酔いが回っているのかいくらも歩かないうちに息切れがしてきた。丁度良い木を見つけて、もたれかかる。

 振り返ると、そう遠くない場所に明かりが見える。この距離なら迷子にはならないだろう。

 咲き誇るクチナシの芳香はこの場所までかすかに漂ってきていた。

 夜風が心地よい。木にもたれかかったまま、ずるずるとうずくまる。

 思っているよりも酔っているらしい。動いたのがまずかっただろうか? しばらくそうしてから戻ろうと決めたその時、前方から、おそらく男のものと思われる足音が聞こえてくる。かなり大柄な男性のようだ。

 その足音は私の前まで来て止まる。

 うずくまった私の視界に、その足音の主であろう足が見える。

「大丈夫か?」

 低い、よく知った声。

 ぼんやりと見上げると月みたいに綺麗な金色の目。アゲイトだ。

「……酔ってるのか?」

「……酔ってない」

 ただ、少し気持ち悪いだけだ。

 アゲイトは顔をしかめると、かがんで私の顔を見る。

「酔ってるんだな。大丈夫か? 立てるか?」

 そう言いながら腕を掴んで私を立たせた。

 抵抗する気力も無く、されるがままに立つがどうにも足元がふらつく。

 ついでに頭もぐらりと揺れている。

「お、おい?」

 あわてた様子でアゲイトが両手で私の肩を掴む。

「酔ってない!」

 ちゃんと立ってるじゃないか。……ちょっとふらついている気もするが。

 いや、ちょとじゃないかな? なにかもたれかかるものが必要だ。

 目前に丁度いい胸板が見える。吸い込まれるようにそれにもたれかかった。

「ちょっと気分が悪いだけだ」

「……そうか」

 ふぅ。これでちゃんと立てる。

 頬に上質の絹の感触とぬくもりを感じる。それが心地よくてこのまま寝てしまいそうだ。髪をなでる手がくすぐったい。

 ふと、頭上でなにか解ける感触がして結い上げていた髪がぱさりと頬にかかった。

 あれ? なんでだろ?

 頭上でベリルにもらったリボンで結い上げてもらったはずなのに。手をやって確かめてみるがそこにあるはずのリボンも結った髪の束も無い。

 不審に思って見上げるとアゲイトの顔があった。何故? と思う間もなく抱きすくめられる。

 不覚にもそこでやっと正気に返る。

「ちょ、なにす……」

 講義の声はそれ以上続ける事は出来なかった。

 頬に吐息を感じたと思ったら唇に熱く、柔らかな感触。酒の匂い。それと、アゲイトの汗の匂い。もがこうにもしっかりと抱きかかえられ、引き剥がす事ができない。

 不覚にも、私はアゲイトにキス、されていた。



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