第四話:竜の背に乗って
アゲイトが小屋を訪れて数日後。
相変わらず小屋からは出してもらえない為、簡単な筋肉トレーニングと準備運動程度に型のおさらい。そして分厚い神史録を少しずつ読むのが日課になっていた。
数日掛かってもまだ半分ほどしか読めていないのは、元々勉強が苦手なのもあるが読むのに時間が掛かる。というのも原因の一つではある。
なんとなく意味はわかるのだが「読む」事に集中すると、文の意味がおろそかになってしまって2、3度読返さないと意味が理解できないのだ。
やはり文字は勉強して覚えた方がいいのかもしれない。
などと考えてふと、元の世界に帰ることができるのかどうかについては、まったく考えてない事に気がつく。
無論、もとの世界に未練が無いわけではないし、帰れるものならば帰りたいが果たしてそれは可能なのだろうか? ベリルの話では異世界人など前例が無いらしく、そもそもそんな物があること自体聞いたことが無いとか。
魔法なんて非常識なものが存在しているのだから、異世界もあって良いと思うのだが。一応調べてみるとは言っていたが、あれから何も言ってこないと言う事は大した情報も無いのだろう。
おじい様の腰の具合も悪い事だし、そろそろ帰って畑仕事もしないと……
急にざわざわと落ち着かなくなってきた。
私の両親は幼い頃に事故で死んでいる。おばあ様も居ない今はおじい様と二人暮らしだ。
屋敷(おばあ様が村の地主の娘で、おじい様は婿養子。戦前までは結構な土地や資産もあったらしいが、今は管理している山が2〜3と人に貸している畑や田があるくらいで資産は無い)には、おじい様の他はたまに様子を見に来てくれるみつさん(うんと昔我が家で働いていた事があったらしく、今でも食事や洗濯、掃除など世話してくれる)がいるだけ。
おじい様は、ただでさえ偏屈な上に普通の人とは少しずれていて、細々と鍛冶屋をしてるのだが炉の前に座ると2、3日工場から出てこない事が多い。
もういい加減年なのだからゆっくりしてもらいたいのだが、鍛冶屋以外は何も出来ない人なのでちゃんと生きているか心配だ。以前など2、3日私が家を留守にしたとき、たまたまみつさんも親戚に不幸があったらしく、おじい様の面倒を見れないときがあった。その時おじい様は2日間食事していなかったらしい。
みつさんが、わざわざ煮物など作り置きしていてくれたが、コンロの使い方も米の炊き方も分からず、みつさんの作り置きは冷蔵庫の中にちゃんとあったのだが、そもそも冷蔵庫を開けるという考えが無いおじい様は、無いのならば仕方ない。と、居間でテレビを見て寝て過ごしていたと言う。
私がこちらに来てからもうすぐ一月が経つだろうか?
ふと脳裏に居間で横になったまま餓死しているおじい様がよぎる。
……冗談じゃない。実際にそうなりそうなのが恐ろしい。
落ち着け。私。
大丈夫だ。もし私が居なくてもみつさんが居るはず。餓死は無いだろう。
だが、あの屋敷にはみつさん以外には、たまに鎌や鉈の研ぎなおしに訪れるご近所さん(といっても一番近い家で300mほど離れているが)と稀にたいした用も無いくせに顔を見せに来る冷血漢メガネ(どういうわけかおじい様には気に入られているらしい。変人だから気が合うのかもしれ ない)しかいない。しかも隼人は今アメリカに留学中だ。
山や畑など放って置いても構わないが、おじい様は放って置くわけにはいかない!
せめてあちらの様子だけでもわかる方法は無いだろうか? しばらくの間悶々としていたが、あれこれ心配したところでどうにも出来ない。少なくとも今は。
大丈夫。私が流鏑馬に出られなかったのは、返って良かったのかもしれない。私が居なくなった事に気がつかず、おじい様が放置されるなどという事にはならないだろうから。
おじい様は偏屈だし、隼人は冷血漢だが、村の人たちはいい人ばかりだ。みつさんのように。
問題は、あのおじい様がはたして他人の世話になってくれるかどうかだが、偏屈ではあるが他人の行為を無碍にはしないだろう。と、思う。
落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせながらやきもきしていると、不意にドアが開かれた。
入って来たのは数日前の赤髪の来訪者――アゲイトだった。
「おーい……て、どうした?」
私はといえば突然の出来事に硬直していた。
なんてことだ。ドアが開くまでその足音にも気配にも気がつかないほど動揺しているとは。
「な、なんでもない」
そう。なんでもない。今ここでどうこう出来る問題では無い。
せめて向うの世界と連絡を取る方法でもあれば別だが、私のような者は例が無いらしいから、このセクハラ男がその方法を知っているとは考えにくい。
「ふーーん。まぁいいか。それより、外。出たくないか?」
「出て良いのか?」
「良くない。だが俺が一緒なら問題ないだろ」
そうか? いや。一応領主らしいからいいのか。いまいち信用していいのかどうかは分からないが。
「ってことで、そら」
と、黒と紺と白い布の塊を私に押し付ける。
「それと、これ」
その上に薄茶色のカツラ。
「何だ? これ?」
「変装だ。その外見は目立つからな。着替えたら呼べ」
アゲイトはそう言うと、手をひらひらと振って外に出た。
随分と気安いな。あれでも領主で王子とかいう身分のはずだが、あれじゃ道場の兄弟子と大差無い。まぁいいか。私も堅苦しいのは苦手だし馴れ馴れしいのは嫌いではない。
渡されたのは、白くて薄いブラウス(おそらく下着と思われる)と白い上着と黒いスカート。上着とスカートには、それぞれ縁や袖口などは厚手の紺色の布で出来ていて、細かい刺繍がびっしりと施されている。
そして白いエプロン。こちらも紺と赤い布で縁取りされ、細かい刺繍が施されていた。なんだか北欧の民族衣装みたいだ。
スカートや上着の留め金や紐に苦戦しながらも、なんとか着る事には成功したようだ。
しかしスカートなんて、高校の時以来でなんだか落ち着かない。丈が長く、くるぶしあたりまであるのが救いだが、どうにも足がスースーする。
問題はカツラと、その他諸々の布たち。どうやら頭巾のようなものと、もう一つはやや厚手の白い布だが、薄黄色のガラスのようなものが2つはめ込まれている。
カツラなど被った事は無いし、頭巾や正体不明の布はどうやってつけるのかわからない。
しばらく布を手にとって思案していると扉の外から声をかけられた。
「まだか?」
「あ、もう入ってもいいぞ」
言い終わるか終わらないかのうちにアゲイトが入って来た。
「……いいんじゃないか? 思っていたより似合っている」
しげしげと観察した後に、満足げにうなずいた。
服の着方はこれで合っていたらしい。
「それで、この布とカツラのつけ方が分からないんだが……」
「貸してみろ。座れ」
カツラと布をアゲイトに手渡して、小さな木の椅子に座る。
「まずは髪をまとめないとな」
背後から髪をまとめられる感触。
ごつくて大きな手なのに、その見かけに反して優しく丁寧にまとめていく。
強すぎず、けれどしっかりとまとめて良く手つきは結構手馴れているようだ。
髪を誰かにいじってもらうのなんて何時振りだろうか。
なんとなく、くすぐったいような恥ずかしいような……
ふと、額にごつい感触と暖かなぬくもりを感じて、どきりと心臓が跳ね上がる。アゲイトの手が額に掛かった髪を撫で上げたのだ。
「あ、悪りぃ。痛かったか?」
「いや……」
わずかに引っ張りあげられた髪が緩む。
なんでこれくらいの事でドキドキしているんだ。私は。相手はセクハラ男だぞ!
その後も纏め上げられるまでの少しの間、私の意識はアゲイトの手に集中していた。
「こんなもんだろ」
薄茶色のカツラを被せピンで留めると、アゲイトの手が私の頭から離れた。
ほっとしたような残念なような気持ちになるのはなんでだ?
意識しすぎだ。私。しっかりしろ。いい年して小学生でもあるまいに。
カツラは、背中を覆うくらいの長さで緩やかに波打っている。
「次はこれだな」
例の薄黄色のガラスのはめ込まれた布を取り出す。
「何だ。それは?」
「仮面だ。その目は目立つからな」
そうか。髪だけじゃなく目の黒いのもだめなのか。
ガラスの部分が目の部分にあたるようで、目隠しでもするように顔の上半分を覆った布は後ろで固定される。
その上から、大きな三角巾のような布をやや目深に被って完成。
髪も目も隠れているので、一見して私とは分からないだろうが、これはこれで怪しいんじゃないだろうか。が、アゲイトは満足そうだ。
「じゃ、行くぞ」
そう言うと、さっさと小屋を出て行ってしまった。
私は、あわてて机の上に置いてある鉄扇をつかんでアゲイトの後を追う。
数日振りの小屋の外は以前と同じで明るく、時折頬を撫でるように風が吹き抜ける。
あの白い花は多少散っており、根元にうっすらと白い敷物を敷いたように地面を彩っていた。
あの時はあまり周りを見る余裕は無かったが、この小屋が城の中にあるという事が、林の向うにちらほらと見える石造りの尖塔から伺える。
もっとよく見たかったが、アゲイトはすたすたと先に進んでしまい、その背中を見失うわけには行かないので足を進める。
ふと、頭上を大きな黒い影が横切った。
見上げると、何か巨大な生物が上空をよぎるのが見える。
図鑑で見た事のある古代生物――恐竜に似た物。
竜――プテラノドン?!
それは音も無く、緩やかに前方に下降して行った。
呆気に取られて立ち尽くして居るといると不意に声をかけられる。
「おい? どうした」
見るとアゲイトが傍らに立っていた。
「今の……プテラノドン……」
「は?」
「空飛んでたあれ……」
阿呆の子か。私は。しかし上手く言葉が出てこない。
あんな大きな生物が空飛んでいいのか? 自分が異世界に居る、というよりむしろ精巧な夢の中にでも居る気分だ。現実味がまったく無いくせに妙な説得力があって私は疑問を感じながらもそれがそういうものだと受け入れる事ができる。
頭が麻痺しているのかもしれない。
「竜の事か?」
やっぱり竜なんだ。あれ。
ふとベリルの言っていた、竜化したものは最終的に竜になるという話を思い出す。
今飛んでいった竜は元は何かであったものなんだろうか?
その疑問を思い切ってアゲイトに聞いてみると、全面否定された上に笑われた。
「無い無い。あれはああいう生き物だ。それに竜化して本当に竜になっちまった奴ってのは史上5体しか確認されていない」
居る事は居るんだ。
「竜化ってのは理性まで吹っ飛んで終いにゃ本能しか残らなくなるらしいからな。大概は殺戮や破壊を繰り返すようになる。だから竜化した奴は殺すしかない。竜になるまでにみんな殺しちまうのさ」
ふーん……なんだろ? 妙に引っかかるな。
今何か違和感があったような……
「そういやお前が倒した奴。あそこまで竜化が進むのはめずらしい。鱗が邪魔で倒しにくくなるからな。発見した騎士団の奴らが驚いてたぞ。魔法を使った形跡も無く、口内から脳髄を一突きだからな」
あの化け物と対峙したときの記憶が蘇り、先ほど感じた違和感は消し飛んでしまった。
一度に一つの事しか考えられない。私は単純なんだろうか? ふと、私をあざ笑う冷血漢メガネが脳裏を横切りかけて思考を止めた。
「着いたぞ」
いつのまにか目的地に到着していたらしい。
そこはちょっとした広場のようになっていて、先ほどのプテラノドンもどきの竜たちが5、6匹鞍を装備されて佇んでいた。
広場の隣には、天井の高そうな倉庫のようなものが建っていて、ちょうどその倉庫の中に先導されていく竜の姿が見えたから、その倉庫は竜の厩舎になっているのだろう。
竜のほかにも、アゲイトと似たような格好をした男の人が数人見える。
服はシンプルだが動きやすく、腰に剣を下げているので、彼らがアゲイトの言っていた騎士団の人なのかもしれない。
ベリルやアゲイトが言っていた通り、薄い茶色や金髪の人ばかりだ。
その中の一人がこちらに気付いて駆け寄ってくる。
「殿下。サルファーの用意整いました」
そう言った視線の先には、他の竜より一回り大きな黄土色の竜が居た。
「そちらの方は?」
「スティーブ、野暮な事は聞くな」
アゲイトの手が肩に回され、そのまま抱き寄せられる。
反射的に肘打ちしそうになって、思いとどまる。あぶない、あぶない……ここで怪しまれたら終わりだ。
そのままアゲイトが、そっと耳打ちする。
「話、合わせろよ」
頷いてアゲイトを見上げると(私の身長は160前後。対してアゲイトは190以上ある。頭一分高いので隣に立っても見上げる形になる)満足そうな金色の目が見えた。
スティーブと呼ばれた男は、またか。とでも言いたげな目でアゲイトを見た。よくある事なんだろうか? そういえばベリルがアゲイトを色ボケ殿下とか呼んでいた気がする。
初対面で押し倒されかけた記憶とか蘇って、早まったか? と、思ったが外に出る誘惑には勝てない。
後ろ手に、スカートに挟んだ鉄扇の感触を確かめる。魔法を使われたら敵わないだろうが、以前の様に油断さえしなければ大丈夫だろう……多分。
肩を抱かれたまま、サルファーと呼ばれた竜の足元まで連れて行かれる。
こうしてみると、やはり大きい。
竜の背には鞍が取り付けられているが、その鞍ははるか頭上にあるため手が届かない。
よく見ると鐙の下にもう一つ鐙が固定されていて、そこを階段のようによじ登る仕様になっているようだ。アゲイトが上っている間竜の手綱はスティーブと呼ばれた男が握っている。
差し出された大きな手を掴むと一気に鞍の上まで引き上げられた。
う、高い。
2階のベランダにでも座っているようだ。に、しても邪魔だな。スカート。
竜の背は思っていた以上に安定していて、馬よりも広いのでまたがなくても大丈夫そうに見えるが、飛ぶ事を考えるとまたいだ方がいいんだろうな。でもスカートどうしよう?
どうしたものかとまごまごしていたら、アゲイトに肩を掴まれた。
「しっかり持っててやるから好きなように座れ」
気のせいか口調がおもしろがっているように聞こえる。
鞍は一人分しかなく、竜には鬣も無いからつかまるところが無い。不本意だがアゲイトにしがみつくしかないだろう。空中落下は嫌過ぎる。
仕方が無いので両足を横にそろえ座ると、アゲイトの服と鞍の端を掴んだ。
「変な事するなよ?」
何も無いと思うがこんな身動き取れないところでは安心できない。
「変な事?」
にやにやしながらアゲイトが聞き返してくる。やな奴。
念を押すように睨み付けるとやはりにやにやしながら、
「そう睨むなって。しねぇよ。俺もそう何度も金的蹴られる趣味は無い」
「アゲイト!」
あわてて怒鳴り返す。あ、あれは不可抗力だ!
顔が熱い。多分真っ赤になっているだろう。
アゲイトはまたしても、さも愉快そうに
「そんなに怒るなって。……ひょっとして処女か?」
とか言い出した。
こいつ……人が密かに気にしている事を……
私の殺気を感じたのか、サルファーがやや怯えたような声を出してこちらを見る。
「わかった。何もしない! 誓っても良い!」
「……誓う?」
「我が守護竜セレスに誓って! お前の嫌がることはしない。……今日は」
その誓いが、どれだけ信用できるものか分からないがアゲイトは恐ろしく真剣な目をしている。
しばしにらみ合う様に見詰め合う。
「分かった」
折れたのは私。
アゲイトは、ほっとしたように改めて手綱を取り直す。
「飛ぶぞ。しっかりつかまってろ」
竜の体がぐらりと傾いて、羽を羽ばたかせると一気に地面を蹴って飛び立った。
その反動で体制を崩し、アゲイトの胸板に倒れ掛かってしまった。
男の胸板なんて道場の取っ組み合いで慣れているはずなのに、あんなやり取りがあったせいで妙に落ち着かない。
今日はどうも調子が狂っているようだ。しっかりしなくては。
竜はあっという間に城の尖塔を越え、上空に羽ばたいた。
―――すごい。竜の背から初めて見るこの世界は、写真で見るヨーロッパの古都さながらで、深い森にかこまれた石作りの城。その森を越えたところには黄土色の町並みが見える。
空はどこまでも青く、やや肌寒い風が両頬を抜けていく。
すごいすごい。すごいしか出てこない。
もっとよく見ようと、身を乗り出すとごつくて硬い何かに邪魔される。アゲイトの腕だ。
「それ以上乗り出すと落ちるぞ」
そういわれてここが竜の背だと思い出す。
馬に乗っているより振動も無く、安定しているから一瞬忘れていた。
「そっか。すまん」
座りなおそうと腰を浮かせた、ちょうどその時サルファーが旋回した。
足元がすべる感覚。まずい―――と思ったらアゲイトに脇から抱えられる。
「餓鬼か。お前は」
むっとするが反論は出来ない。それよりも抱えられている腕の手が思いっきり胸を掴んでいる。
偶然か? アゲイトを見上げたが顔色に変化は無い。もしかして気がついてないのだろうか? たしかに同年代の女とくらべるとやや小ぶりではあるが……それはそれでショックだ。
思わず自分の胸を見る。谷間こそ無いがそれとわかるふくらみ。
座りなおした私の耳元でアゲイトがこっそり耳打ちするようにささやいた。
「貧乳は揉むとでかくなるって言うしな。俺はきにしな……ぐほっ!」
今度こそ私の肘がアゲイトのみぞおちにめり込んでいた。
さきほどの誓いはどこまで信用できるのか少し不安だ。