第二十九話:襲撃の後
「それで、話の続きだが」
馬車の中。窓はカーテンが閉められ、薄暗い。
がらごろと車輪の音がやけに大きく聞こえる。
「うむ」
馬車の椅子は木板の上にクッションが敷いてあったが、濡らしてしまうのも申し訳ないので横にずらした。おかげで振動が直におしりに伝わるが、城までの間だから大丈夫だろう。バランスを取る為にやや下腹に力が入る。
「第一王子の進めている改革がある。その改革とは、要は商業に重点を置き国を発展させようと言うものだが、当然問題点も多い」
「ふむ」
「現在のこの国の交易産業はその利益の4割を税関で徴収している。その税関を徴収しているのが国と貴族だ。その他に王都での商業権も国が発行しているが、そのほとんどは貴族の介入がある」
や、ややこしくなってきたな。着いていけるだろうか。
「この国で利益を得るのであれば王都での商業権が必要になるが、それを牛耳っているのが貴族と言うわけだ。当然商人と貴族の癒着もある。賄賂だな」
「ふむ。……なるほど」
「第一王子はそれを無くそうとしている。まぁそれ自体は良い事だとは思う。お前は知らんだろうが王都での物価の上昇は、はっきり言えば異常だ。王都で消費されるものでも地方の物価の5~10倍に跳ね上がっている」
「は?」
「小麦や塩と言った物ですら3倍近い。酒などの嗜好品に関しては10倍以上になる物もある」
「ま、まて」
何だそれ? じゃぁ一般市民の生活ってどうなってんだ?
ベリルは私の反応を尻目に話を続けた。
「当然市民の生活にも格差が出てくる。上手く商人や貴族に取り入っているものは儲けているが……逆に言えば貴族や商人の反感を買えば一気に転落する。王都には職を失った浮浪者や子を捨てるものが呆れるほど多い」
……何と言えばいいのか。確かに成功して富を得るものも居るだろうし、そうでない者も当然居るだろう。現代にだって浮浪者くらい居るし、ニートも居る。だが、そんなに物価が高くては王都では暮らして行けないだろう。
「そういった者の犯罪も増えてきている。それも問題ではあるが、第一王子の掲げる改革はそれを救うものと言うわけでもない。貴族と商人との癒着を廃止し、新しい商人たちを導入してより活性化させようという物だ。癒着が無くなれば多少物価は下がる。だが、商人から賄賂を受け取っていた貴族達は当然それに反発した」
まぁ、そうだろうな。
「それと同時に、商人たちの地位も上昇した。中にはスツルベルグの様に貴族院に入った者も居る。要は今まで貴族に取り入っていた商人が今度は国王に取り入る事になった訳だ。このままでは貴族達も自分の地位が危うくなると考えたのだろうな。それまで第一王子を擁護してきた者の中から今になって殿下を支持する者が増えてきた」
ふむ。
「現在、第一王子が時期国王と言われているにも拘らず殿下に取り入ろうとする者が居るのはそう言った理由からだ。第一王子を廃棄し、殿下を擁立させようという魂胆だろうな。馬鹿馬鹿しい」
ベリルは吐き捨てるようにそう言った。
「でも、何でアゲイトなんだ? 他にも王子は居るのだろう?」
たしかアゲイトは第五王子だとか言っていたはずだ。わざわざアゲイトに取り入らなくてもいいだろうに。
「確かに他王子にも取り入ろうとしている輩は居る。だが、面と向かって第一王子を非難する材料が無いのだろう。殿下は血筋だけは第一王子を上回っているからな。それに貴族主義の掲げる理想として最適なのだろう。奴等は自分たちが王家の血を継いでいると言う事だけが自慢の様だからな」
ふ、ふむ?
小さい頃にピアノ教室で読んだ漫画のワンシーンが甦る。「くやしかったらベルサイユにいらっしゃい!」
つまりはあんな感じなのだろうか。ちなみに私が読んだ事のある唯一の少女漫画だ。貴族と言うとあんなイメージしか無いのだが。貴族は自分の地位の確保の為に今頃になってアゲイトに取り入ろうとしている訳か。
だが、それは分かるとして護衛が必要なのは何でだ?
疑問に思う私の顔色を読んだのか、ベリルが言葉を続けた。
「つまり、殿下と第一王子は対立関係にある。尤も殿下は王位を継ぐ気は無いだろうし、穏健派だ。だが第一王子を支持するものから見れば邪魔な事に変わりは無い」
……なんか物騒な話になって来たな。
「あくまでも憶測だがな。よからぬ事を考える者も居ないとは限らん。殿下はなるべく今回の行事を穏便に済ませ、自分に王位を継ぐ気が無い事を示す心算らしいが……」
ベリルはそこで言葉を止めると、何か考え事をしているのかカーテンの隙間から見える風景に目を移した。それは、外の風景を見ていると言うより、何かもっと遠くの物を見ているようだった。
そう言えば城の式典でも何かそれらしい事を言っていた気がする。
脳裏に甦るオーケン殿の狼狽したような表情と、アズライトの悲痛な叫び声にも似た言葉。そうか、アズライトはアゲイトを王位に着かせると言っていた。だから……。
なんだか複雑な心境だ。
「なぁ、ベリルは……」
「うん?」
話しかけられ、薄青色の目がこちらに向けられる。
「ベリルは第一王子とアゲイト、どちらが王になるべきだと思う?」
私の質問に、ベリルは少し怯んだ様な表情を見せた。
「俺に、それを問うのか?」
……。
ベリルの言葉の意味を理解するのに少しだけ時間がかかった。そういえばアズライトが何か言っていたな。
「あ、いや。個人的な意見としてだ」
慌てて取り繕う。
「個人的、か……」
ベリルがやや辟易したように溜息を吐いた。
「どちらでも構わん……と言いたい所だが。第一王子の改革には同意出来ない点が多いと言うのが正直な所だ。かといってあの色ボケを押す心算は無いがな」
う~~~む。つまり納得はしないものの第一王子の方が相応しいと言う事だろうか。
「じゃぁ、何でベリルはここに居るんだ?」
ふと前々から疑問に思っていたことが口を突いて出た。
ベリルの眉間に皺がよるのを見て、しまったと思ったが発言してしまったのは仕方ない。
「あ、すまん。答えにくい事だったら無視してくれ」
慌てて取り繕う。いかんな。また何も考えずにぽろっと思ったことが口を出てしまった。
「……構わん。どうせ何時かは話そうと思っていたことだ」
溜息交じりの声。
ちょっと怒っているようにも聞こえるが、ちゃんと答えてくれるみたいだ。
「2年前になるか。俺が枢機卿……『竜杖』を継いで間もない頃の事だ。枢機卿と言うのはその立場や権力、力からいろいろと特別な目で見られることになる。普通はそういったものに対応できるよう前もって枢機卿になるべきものとしても教育をされて『竜杖』を継ぐ。枢機卿には次期枢機卿候補とも呼べる者が教会には何人か居る」
ふむ。まぁそれは何となく分かる。ニュアンスでしか分からないが。
「少し込み入った話になるが、俺はそもそもその教育を受けてはいない」
どういうことだ? え~~と、つまりは……
「ベリルはその、『次期枢機卿候補』とやらでは無かったって事か?」
「そうだ」
話に着いて行けるだろうか。難しい話ばかりですでに頭が混乱しそうだ。
私の様子をやや飽きれ顔で見ながらベリルは話を続けた。
「教会は魔法の才のあるものや、自ら志願したものを受け入れている。俺の場合は少し特殊で、教会で生まれ育った。親の事は良く知らん。俺の母は俺を教会で産んでそのまま亡くなったそうだ」
……え、と。
「それは……何というか……」
「まぁ、それはどうでもいい」
いいのかっ! いや、良くは無いだろう。だが、淡々としたベリルの言葉にその後お悔やみの言葉を述べるつもりが、引っ込んでしまった。
「俺はその後ある人物の後見のもと、神官としての教育を受けつつ教会に留まる事を許された。俺自身枢機卿になどなる心算は無かったし、そうなるべきではなかった。だが、先代の『氷の枢機卿』が死去した際、『竜杖』が次期枢機卿に選んだのが……俺だった」
ベリルは眉間に皺を寄せたまま目を閉じた。
その表情は苦痛に耐えているようにも迷惑がっているようにも見える。どの道気軽に話しかけられるような雰囲気では無かった。
「教会はしばらく混乱した。『竜杖』の決定は絶対。それを覆すには『竜杖』に選ばれたその枢機卿が死ぬしかない」
「へっ?!」
ま、まてまてまて。いきなり物騒だぞ! それこそこんな所に居ていいのか? 何故だかわからないが窓の外、後方を確認した。うん、何も無い。
「それじゃ、そんな、えと……」
死ぬって、死ぬって。ベリルがか?!
「2年前の事だ。今お前が慌てる様な事は無い、落ち着け」
「……はい」
びっくりした。まだ心臓がどきどきしている。そ、そうだよな。過去の事なんだ。ベリルは今ここに居る。
「中にはそう考える者も居ただろうが、逆に俺に取り入ろうとする者も居た。俺も自分の立場と境遇について混乱していたしな。そんな折だ。殿下が俺を浚ったのは」
「さらった?!」
何だそれ! 訳が分からん。
「元々、神官として殿下に同行する事は決まっていた事だった。時期国王の選定から漏れたとはいえ、実際、国王を認定するのは教会の役目だからな。その時まで王位継承者には教会のお目付け役が付く事になる。俺の場合はたまたまお目付け役を言い付かった後に枢機卿に選ばれたと言うだけだ」
でも、問題だろう。さらったって……さらったって……さらわれたのか?
「当然教会からは非難の嵐だ。国王を選定する枢機卿が王位継承権のある者の元にあるなど言語道断、とな」
ベリルの声には面白がっているようなあきれているような色が含まれる。
いや、絶対面白がってるな、こいつ。
「それを殿下が黙らせた。『こいつは元々俺の目付け役のはずだ。大人しく地方に引き篭もってやろうと言っているんだから文句は無いはずだ』と。まぁ他にも何か色々言っていたみたいだがな」
その色々の部分にはきっと私は聞かない方が良い事が含まれているに違いなく、ベリルは愉快そうに少し笑った。
「結局教会は俺を一時除名、謹慎処分とすることにした。つまりは除名する事で枢機卿としての権力を使えなくし、謹慎とすることで教会に居ない事に説明をつけることにしたのだろう」
……あぁ、だからか。ベリルの教会での立場が微妙だとアゲイトが言っていたのは。てか全部アゲイトの所為なんじゃないのか? それは。
だが、さらったって。さらうって。……モルダから聞いたアゲイトとベリルの駆け落ち説に妙な説得力が……
ちらりとベリルの様子を見るが、ベリルは今の境遇を面白がっているように見えるし、今の言葉も少しだけ協会を批難するような口調だった。まさか……いや、そんな筈……
「アゲイトは、何でお前をさらったんだ?」
おそるおそる聞いてみる。いや、駆け落ちだったら駆け落ちで問題はあるような無いような……
「知らん。奴の事だ、面白いとでも思ったんじゃないのか?」
ベリルは素っ気無くそう答えた。
「それに俺は優秀だからな。使える手駒とでも思ったんだろう」
そうですか。
まぁ、たしかにベリルは優秀だ。この城の事務処理もほとんどベリルがやってるし。
「ベリルは、それで良かったのか?」
「構わん。どうせ教会に居ても誰かに利用されるだけだ。それが殿下のように毒にも薬にもならんような人物であれば、俺にとっても徳にも損にもならんだろう」
アゲイトが毒か薬かと言えば毒な気がするが……まぁいいや。
それにベリルは教会に居るよりここに居たほうが良い。なんとなくそんな気がする。そのおかげで私も拾ってもらえたんだし。それに、ベリルは教会の事を話してるとき、少し嫌そうだった。きっとベリルも教会よりこっちの方が好きなんだろう。
アゲイトの話しをする時たしかにベリルはアゲイトに対して毒を吐くが、少し楽しそうだ。
「それで、今は何の問題もないのか?」
「無い……とは言い切れんが、概ね問題は無い。俺が殿下の下にある限りは、な」
なんだか含みのある言い方だ。
あれ? 待てよ。殿下の下に……って事はアゲイトが王になった方がベリルにとっては都合が良いんじゃないのか? あ、でもそうすると私の分からない次元の権力だの何だのといった問題とかがあるのかな?
難しい事を考えるのは苦手なのだが、ベリルの安泰は私の安泰でもある。まじめに考えよう。
今、ベリルはアゲイトの保護下にある。という事で良いんだよな。
じゃぁそれが無くなったらどうなるんだろう? 枢機卿なのだから当然教会に戻るのだろうが……いきなり殺される……とか、無いよな。
ベリルの言葉を反芻する。たしか利用しようとする者が居たとか言っていた。なら、いきなり殺されるという事も無い……かな? その利用しようとしていた人物がどんな人物なのかは知らないが、その人物に保護してもらうとか……いやいや、それが嫌だったからこいつはアゲイトの下でおとなしくしているわけで……ん? んん?
うんうんと唸る私にベリルが苦笑した。
「悪かったな、いきなり混乱させるような話をして」
「へ? いや、構わん。むしろ話してくれて嬉しいぞ」
そう言うとベリルは少し驚いたようだった。
「少しは私の事を信用してくれていると言う事だからな」
うむ。そうでなくてはこんな込み入った話などしないだろう。
笑いかけると、ベリルは眉間に皺を寄せて顔を背けた。
「……信用……していない分けではない。信用も何もお前は嘘が下手すぎる」
うっ……た、たしかに私の嘘が上手く通った試しなど無いに等しいが。
「そ、それは美徳だろう!」
美徳……だよな? 自分の言葉に多少違和感はあるものの、嘘が上手いと言えば卑怯なイメージだが、その反対に嘘が下手と言う事はつまり正直者だと言うこと……だよな?
「……っは。たしかに、そうかもしれんな」
ベリルは口の端に笑みを浮かべた。
「そうだとも」
なんとなく馬鹿にされているような気もするがここはそう言う事で通す事にした。くそっ、今に見てろ。いつかあっと言わせてやる。
しばしの沈黙。
あれ? 何か重要な事を考えて……そうだ、そうだよ。そうじゃないか!
あぁ、もう。つい空気に流されて難しいことを考えていたはずなのに何を何処まで考えていたのか分からなくなったじゃないか!
えっと、えっと、え~~~っと……
ベリルがさらわれて、殺されるの殺されないの、利用するとか何とか……
何処まで何を考えていたのか思い出そうとこめかみを押さえていると、ベリルがやはり呆れた様にこう言った。
「俺の事で何か考えているのなら、心配は無用だ」
「ん……ん?」
ベリルは窓枠に肘をついて私を観察していた。
「お前、俺がこの2年何もしていないと思っているのか?」
庶務とか雑務とか……の意味じゃないよな。
あぁ、この余裕の笑み。陰険メガネそっくりだ。
きっと私など思いもつかない方法で何か策略しているのだろう。それがどんな方法なのかは思いもつかないが、ベリルが大丈夫だと言うことは分かる。
「なんだ。そっか……」
それもそうか。こいつは私と違って頭もいいし、こいつが大丈夫と言うのなら大丈夫なのだろう。
馬車はいつの間にか城の門をくぐっていたらしく、見覚えのある建物が木々の合間から見えた。
「がっかりしたか?」
揶揄するかのようにベリルが言う。
「いや、ほっとした」
ベリルは満足そうに笑った。
「何もせずにただ待つと言うのは苦痛な物だ」
部屋……執務室には私一人しかいない。
帰城してから小一時間。こちら風に言えば半刻弱といった所か。
私はベリルの屋敷で風呂にはいらされ、執務室で待機している。やっとあの忌々しいドレスから開放されのんびりと手足を伸ばしている所だ。窮屈な靴も足に絡まる長ったらしい裾もなく、清々する。
ちなみに今着ているのはベリルが私の小屋から持ってきた私の普段着。当のベリルはあのドレス姿からさっさと普段着に着替え、私と一緒に執務室まで来たのだが、執務室に到着するなり待機していた執務官に取り囲まれ何処かへ行ってしまった。
まぁ、街であんな事があったのだし色々と事後処理などもあるのだろう。
とにかくここから動くな。何処にも行くな。自分が戻ってくるまで大人しく待機していろ。と、去り際に何度も念を押されてしまっては私としてもそれに従わざるを得ないわけで……。
「しかし、いいんだろうか?」
相も変わらず隣の部屋では執務官たちが走り回っていて、窓の外もちらほらと使用人らしき人があわただしくしているのが見える。その割りにこの部屋に来訪者がいないのは何でだろうか?
……暇だ。おなか空いたし。
よく考えたら昼飯もろくに食べていない気がする。
食堂くらいは行ってもいいだろうか……いや、辞めておこう。
もしベリルと入れ違いになっては何を言われるか分からない。
机の上には書類が山積みになっているものの、私が見てもきっと何か分からないものばかりだろう。おそらくは何かの(特に街の竜化襲撃に関する何かとか)報告書などだと思うが、私が見てよいものか分からないし、見ても理解できるとも思えん。
窓の外から見える範囲は限られていて、木々とその隙間から城門の物見の塔の尖塔部分と庭園は見えるものの、訓練場は木に遮られ見ることは出来ない。
アゲイトは戻って来たんだろうか? それともまだ街に居て事後処理とかしてるんだろうか?
街の人や難民はどうなったんだろう? ベリルは心配ないと言っていたがやはり気になる。いや、今その為にベリルが忙しくしているのだから心配無い……いや、やはり気がかりだ。
ベリルが戻ってくるのを今か今かと窓とベンチをいったりきたりうろうろしていると、不意に執務室の扉が開かれた。
「ベリルか?! どうなったんだ? 街の様子は……」
扉には取っ手に手をかけたまま目を丸めるアズライトの姿があった。
「あっ! いや、すまん! てっきりベリルかと……」
アズライトは部屋の中をゆっくり見回した。
「なんだ、卿はここには居ないんだ」
少し気落ちした声。
「すまん……」
ベリルが留守なのは私の所為ではないにしろ、なんだか申し訳ない気になる。
アズライトは机の上の書類をしげしげと見た後、こちらを見てにっこりと笑った。
「……いえ、それはそれで好都合」
「は?」
ベリルに用があったんじゃないのか?
不思議に思ったが、アズライトはしげしげと私を観察するように私の周囲を一回りした。
「な、なんだ?」
「ドレス、脱いじゃったんですね。もったいないなぁ」
あ……そう言えばあのドレスはアズライトが手配して揃えてくれた物だった。しかも再起不能な感じに破いてしまった。
いくらくらいするんだろう? 弁償できる額だろうか?
「す、すまん! あれは、その、着られなくなってしまって、それで、その」
アズライトは大きな蒼天の目をくるくるしたが、私の言い分を追求するでもなく何事も無かったかのようにまた笑った。
「いいんですよ。あのドレスは兄上のご希望の物ではなかったですしね。次はどんなのにしましょうね」
「へ? 次?」
次って何?!
アズライトは私の手を取った。
「さ、行きましょうか。あの紺のドレスもよく似合ってましたが夜会ですからもう少し華やかなのがいいですね。兄上のご希望は赤いドレスでしたけど……白いのもいいですよね。卿には赤は似合いませんし」
何の話だ?
が、アズライトは楽しそうに私の手を引っ張った。
「どうせですから皆があっと驚くようなのがいいな。うん、そうしましょう!」
「だ、だから何の話だ!」
「いいからいいから。マイカさんだって見たく無いですか? 兄上や卿の驚く姿とか」
み、見たい。
たしかにあのドレスの時はベリルには呆れられ、アゲイトの反応はよくわからなかったが、私だって一応は女だ。もっとちゃんとした反応がほしくないといえば嘘になる。
アズライトが私にドレスを着せたいらしいというのは分かったが、何故私が今ドレスを着なくてはいけないのかに繋がらない。
「ま、待て。私は夜会でもアゲイトの護衛をするのだぞ。ドレスなど着ないからな」
あれは動きにくい。その事が良く分かった。
あの服ではいざと言う時困る。
「それに、私はここで待機しているようにベリルに言われている。だから……」
アズライトは残念そうに私の手を離した。
「そう、ですか……」
「うむ」
……ちょっとだけ残念な気もするが、あんなものは一度着れればそれでいい。
それにあっと言わせるのであれば家事を完璧に出来るようにするという目標もあるしな!
「じゃぁ、仕方ないですね。僕、先に夜会の会場の準備を進めて来ます。今回は僕が演出するんですよ、楽しみにしてて下さいね」
「あ、あぁ……」
演出? 何するんだろ?
「じゃぁ、卿が戻ってきたら会場に顔を出すように伝えて下さい。それと……」
アズライトはそこで言葉を止めると、すこしだけ言いよどんだ。
「う~~~ん……。ま、いっか。僕があまり口を出す事じゃ無いですしね。でも、ひとつだけ……」
な、なんだ? 意味深な。
アズライトは口の端に笑みを浮かべ、上目使いに私ににじり寄った。
「ひとつだけ、忠告しておきます。夜会では1人きりにならないほうが、いいですよ」
「へっ?」
アズライトはくすくすと笑って、私の反応を楽しんでいるように見えた。
「僕としてはそれもアリかな? って思うんですけどね。では後ほど、夜会でお会いしましょう」
くるりと向きを変え、足取り軽く執務室を後にするアズライト。
私は呆気に取られてその背中を見送った。な、なんだったんだ。
たしか夜会の演出はアズライトがすると言っていたな。何を企んでるんだ?
いや、考えすぎだ。あの子はまだ子供なのだし……なのに陰険メガネと同じ匂いがするのは何でだろう。背中を嫌な汗が伝う。
考えすぎ……だよな? そ、そうだ。そもそも私はアゲイトの護衛なのだから1人きりになるような事は無いだろうし、ベリルにも近くに居ろと言われて……。
そこまで考えて、はたと思いつく。もしかして、1人きりになるのが危ないから、なんだろうか?
な、何があるんだ!? 何なんだ、夜会って!
ただの打ち上げとか交流とかで酒飲んで料理食べて話するだけじゃないのか?!
それとも、夜会でも何かがあると言う事なんだろうか? そう言えば城の式典の時だって警護が必要だったわけだし。私のあずかり知らない所での陰謀だの策略だのとか言った小難しい何かがあるとか……。
まてよ? だとしてもそれって私にどうこう出来る話なのか?
喧嘩とかなら得意なんだが、殴って済む話なんだろうか? それは。いや、無理っぽい。
それに、そもそもそれが1人きりになるなと言う忠告にどう繋がるかもわからん。
ベリルにもっと詳しく聞いておけば良かった。アゲイトは……聞いてもはぐらかされそうだな。それとも、第一王子派の人間が暗殺者を送り込んで来る……とか?
適当に思いついただけだったが、それが一番しっくり来る理由の気がしてきた。
仮に暗殺者が居ないとしても、この夜会の招待客の中に第一王子派の人間が居たとしたらやはり陰謀や策略が……。……ど、どんな策略だろう? さっぱり思いつかない。
「はぁ……」
馬鹿なのがつらい。
いろいろ考えたけれど、どうしたら良いのかはまったく分からない。結局はみんなに言われたようにアゲイトのそばに控えて、ベリルの目の届く所にいる。と言うのが私に出来る精一杯の事なのだろう。
再びベンチに座り、考えを纏めようとした、その時だった。再び執務室の樫の扉がノックされる。
また来客か? 据えたばかりの腰を浮かせ、扉を見る。
「失礼致します」
若い女性の声。めずらしいな、執務室に女性が来るなんて。
入ってきたのは見覚えのある女官。思わず身が引ける。あ、あの人はたしか私の身支度を手伝ってくれた……ど、どうしよう。ドレス破いてしまったんだが。あ、髪飾りもベリルの家に置いて来てしまった。靴も……。
女官さんは執務室を見渡し、私を見るとにっこりと笑った。背中を嫌な汗が伝う。
「マイカ様、このような所においででしたのですね。さあさ、急がなくては宴に間に合いませんわ」
「う、宴に間に合わないって、どういう意味だ?」
いやな予感しかしない。
「あら、当然マイカ様の身支度の事で御座います。まさかそのような格好で宴に出席なされるおつもりでは無いでしょう?」
「い、いや、私はベリルにここで待機するようにと……」
これで引き下がってくれるだろう。と、思った。
が、女官さんはにっこりと笑ってこう言い放った。
「殿下のお申し付けに御座います」
うっ。
い、いや、引き下がらないぞ。あんなもの二度と着ないからなっ!
「私は護衛だ。あんなもの着せられて護衛など勤まらないっ!」
が、女官さんは少しも表情を崩さない。
「いいえ! 何としても着ていただきます。第一、殿下の傍に控えるとなればそれなりの格好をしていただかなければ。殿下の面子に関わります。第二に、この宴は貴方様のお披露目を兼ねているともお伺いしております」
「お、お披露目? そんなもの以前……」
言いかけるが、問答無用といった体で腕をしっかりと掴まれる。
「ですので、私たちが腕によりをかけて御支度させて頂きます」
「わたくしたち?」
その言葉が合図であったのか、ぞろぞろと女官たちがやってきて私を包囲した。
「ま、まて! ベリルに私はここで待機しろと!」
「この城の主は殿下に御座います。ベリル様には後ほど私から御伝達させて頂きますゆえ、ささ」
これが10人の女官ではなく武官であったなら力ずくで逃げ出すのだが、女性相手にそんなまねは出来ない。というか、女官たちはこういった事に慣れているのか、しっかりと私の両腕を固定し、かつ前後左右しっかりと包囲され身動きが取れない。
何この包囲網。
「では参りましょう」
女官さんはものすごくいい笑顔で意気揚々と執務室を後にする。女官達に包囲された私は引き摺られるようにその後に続かされた。