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竜の棲む国  作者: 佐倉櫻
28/31

第二十六話:襲撃4

「ま、こんなもんで大丈夫だろ」

 治療は、あっと言う間だった。呪文を2回、それで十分だった。たったそれだけの事。

 こんな一瞬で片がついてしまうものなのか。自分が、どれほど無力なのか思い知らされる。

 男性は呼吸も正常に戻り、顔色は優れないが寝ているだけの様に見える。少なくともさっきまで見えていた死の兆しは見えない。

 ほっとした途端、力が抜けてその場に座り込んでしまった。

「……ありが…とう……」

 腑に落ちない点はいくつかあるものの、こいつがこの男性を助けてくれたのは事実だ。むすっとしながらも一応礼を述べる。

 ベリルはこの男に近づくなと言った。が、この場合不可抗力だろう。私とて進んでは近づきたくは無い。胡散臭い事もさながらだが、この男が私の事を知っていると言うのが気味が悪い。……どこまで知っているんだ?

 アメシストは満足そうに目を細めた。

「で、こいつ何? あんたの知り合いか何かか?」

「いや、違う」

「んじゃ、知り合いの知り合いとかか?」

「……いや、たまたま下敷きになっていて……それを私が見つけただけだ」

 そう、見つけただけ。助けたのはこいつだ。

 私には何も出来なかった。魔法も使えないし、助けを呼びに行く事も出来なかった。ただ、泣いて叫んだだけだ。……情けない。八つ当たり気味にアメシストを睨みつけると、アメシストは非常に複雑な表情で私を見ていた。

「な、何だ!」

 馬鹿にされているようでイライラする。

 アメシストは深くため息をついた。

「い〜〜〜や、何でもない。……たまたま、ねぇ……」

「ば、馬鹿にしてるのか?! たしかに私は何の役にも立てなかったが……見つけてしまったのだから出来る事をするのは当然の事だろう!」

 その出来る事も……いや、やめよう。情けなくて泣けてきた。

「おいおい、馬鹿になんかしてねぇって。まじかよ……ほら、泣くなって。アメちゃんやろうか?」

「いらんっ!!」

 ごそごそと何か取り出そうとしたアメシストを怒鳴りつける。

「お〜〜、怖い怖い」

 おどけて肩をすくめるアメシスト。ふと、思い出したように首をかしげた。

「そういや式典の時から気になってたんだがよ、アンタ何でそんなモン被ってんだ?」

 言われて、そういえばまだベールを被ったままだった事に気が付いた。慣れって恐ろしいな。

「これは……アゲイトが被って居ろと……」

「邪魔じゃね?」

 ひょい、とベールを剥ぎ取られる。

「あ! 何をする!」

「……酷い顔になってんぞ」

「何!」

 そういえば泣いたし雨だし、さっきからなんとなく顔が気持ち悪いと……。

「返せっ!」

「いや〜〜、これは拭いたほうがいいんじゃね? ほら」

 ベールを奪い返そうとした手をひょいとかわして、そのベールで顔を擦られる。

「いひゃい! うぐっ、いひゃひゃ……」

「じっとしてろって。よし、マシになった」

 拭っていた手が退けられると、満面の笑みを浮かべたアメシストの顔があった。

「返せっってば!」

「はいはい」

 アメシストの手からベールを奪い返したが、雨が染みてぐっしょりと重いそれを再び被る気にはなれなかった。

「あの人は……あれでもう大丈夫なんだな?」

「ん? あぁ。ほっときゃ風邪くらいはひくかもしれんが、大丈夫だ」

 その言葉にほっとする。あとはこの人を街まで避難させて……あれ? そういえば何で避難させないといけないんだっけ? 森で火事があって、それで難民が北門におしかけて。

 でも、火は鎮火しつつあるのだからこの場に居ても……そう思いかけたとき、脳裏をふと切迫した表情のベリルの顔や、オーケン殿の「まずいですな……」という言葉が過ぎる。

 そうだ、火事が原因ならばなぜベリルは隊長を同行させたんだ? そして、私に待機していろと言った。私はそれを私が救助の役に立たないからだと思っていたが、危険がないのならば待機する必要は無いんじゃないだろうか?

 危険……火事の現場は危険が伴うものなのだろうが、それ以外に原因があったとしたら? 例えばこの火事自体よりも危険なものがそこにあるとしたら……?

 じっと、アメシストの顔を見る。相変わらずへらへらとした軽薄そうな考えのよく読めない男。そもそもこの男は何でここに居たんだ? タイミングが良すぎる。

「ん? どうし……」

 不思議そうに私を覗き込んだアメシストへ片膝を立て抜刀。その切っ先を喉元に突きつける。

「答えろ。この火事もお前の仕業か?」

「いきなりだな。おい」

 アメシストはちょっとだけ驚いたような表情を見せたが、すぐに口の端をゆがめて笑った。

「……そうだよ。……って、あぶねっ」

 肯定の言葉を聞き、即座に喉元に突きつけた刀を振り抜くが、あっけなくかわされた。

 アメシストは反撃するでもなく相変わらず余裕たっぷりに私を見下ろしている。初対面の時から少し気になっていたが、どうもこの男は本気で私に危害を加える素振りが無い。それは単に私が女だからとか言う理由では無いだろう。何か利用価値があると見ての事なのかそれとも、自分の腕によほどの自信があるのか。

 たしかにこの男は強い。が、今まで対峙した身のこなしからしてなんとか渡り合えないほどではないだろう。こちらには武器もある。だが、奴には魔法がある。詠唱させなければ私にも勝ち目はあると思うのだが、詠唱を完成させてしまったら私に勝ち目は無い。

 あまり回転の速いとも言えない脳みそを活動させて必死に考える。

 こちらには怪我人がいる。この場で戦闘に持ち込むのはあまり上策とは言えないだろう。つい抜刀してしまった剣先がかすかに震える。

 相手には戦意は感じられない。今こうして刃を突きつけていても、だ。このまま時間を稼げばベリルと隊長が私を探して来てくれるかも知れない。町に向かわせたエルペタという保険もある。

 ここは時間を稼ぐのが良いだろう。……とは思うのだが。

「気に入らん……」

 こいつの、このふざけた奴に何も出来ないでおくなどと言った状況が耐えられん! この男性はこの目の前のふざけた紫頭のへらへらした男が原因で死に掛けてたんだぞ?! この火事がこの男の仕業だというのなら、街を襲撃した竜化だってこの男が何か関係しているのだろう。あの竜化に怪我を負わされた物だって居る。ひょっとしたらこの火事で死人だって出たかもしれない。

 考えろ、どうやったら私の気の済む様になるのか。少なくともこの場でこの男に切りかかるのは良くない。それは絶対だ。

 ならば場所を移すか? この男性が助かれば良いのだ。その後であればこのふざけた男を殴れる。

 どうやって場所を移す? 何か上手い口実は無いだろうか? 

 あぁ、やはりもう少し頭が良く生まれれば……。男性を背後にアメシストに刀を突きつけ視線はそらさず必死で無い知恵を絞っていると、アメシストはそんな私の考えを読んだのか、やや呆れた口調でこう切り出した。

「なぁ、話があるんだったら場所変えねぇか? ここじゃゆっくり出来ねぇだろ」

 意外な申し出に目を丸くする。なんて都合の良い……いや、騙されるな。ベリルが言っていたはずだ、この男は信用ならんと。私もそう思う。

「そんな警戒すんなって。アンタに危害を加えるつもりは無ぇよ、その男にもだ」

 たしかにその気は無いだろう。最初からそのつもりであれば現れた時にいくらでもそう出来たはずだ。

「何を企んでいる?」

「何も。ただちょっと話がしたいだけさ、アンタも俺に聞きたい事があるんじゃないかと思ってね。いろいろと……さ」

 アメシストはそこで言葉を区切ると、おどけた様に肩をすくめた。

「まぁ、用は無いっつーなら俺はこのまま退散させてもらうけど。怖いお兄さん方に鉢合わせしたくも無ぇしな」

 アメシストはそう言うと踵を返し歩き出した。背後に気を張り詰めている様子は無い。今なら……いや、止めよう。仮にもこの男は恩人でもある。その原因を作ったのもこの男ではあるが、それでもいきなり背後からというのは義に反する。

 このままここで救援を待てば……。

「待てっ! 話が、あるっ……!」

 アメシストは小さく振り向くと、片手を挙げてちょいちょい、と手招きした。ついて来いと言う事か。

 先ほど取り出したハンカチで刀の雫をふき取り、鞘に収めた。

 約束を守らなかった事や散々注意された事などを思い出し、ちくちくと心が痛んだ。今度こそ愛想を尽かされるかも知れんな。

 そろそろ私が居ない事に気付いて、おそらく心配するであろう銀髪の青年に心の中で謝罪する。

 ゆっくり目を閉じ、覚悟を決めた。

 聞きたい事が沢山ある。この襲撃の事、そしてこの男が私の事を何故、どれだけ知っているのか。今を逃せば次は無いかもしれない。この場でこの男を見逃しても、この男について行っても後悔するのであれば後者の方がよほどスッキリする。

 もし……もしも、この男が私が異世界に来た理由や帰る方法を、ほんの僅かでも知っているのなら……。

 振り返る事無く進む紫頭を小走りで追いかけた。







「どこまで行く気だ」

 疾走するエルペタ。それを操るのはアメシスト。

「もう少し進んだ所だな。どんな所かは着いてからのお楽しみって事で」

 ふざけた男だ。考えがまったく読めない。

 アメシストはあの場所の直ぐ近くにエルペタを繋いで居た。それに同乗するのはやや気が引けたが、怖気づいていると思われるのも癪なので再び覚悟を決め、それに従った。

 が、乗っているうちに少々不安になってきた。そういえばこの男は以前私を拉致しかけていなかったか? 何が目的でそんな事をしでかしたのかは知らないが、あまりにも軽率だっただろうか。

 木々の隙間から見えていた街の城壁がまったく見えなくなった。どれくらい離れているんだろう? 帰れるかな。この場で置き去りにされたら一生街へは帰れないかもしれない。

「心配すんなって。話するだけだから、今日は」

 へらへらと笑う。どういう訳かまったく分からないのだが、私はこの男は嘘は言っていない様に感じる。信用できないのは相変わらずだが、嘘は言っていない気がするのだ。

 これはこの男が纏う雰囲気の所為なのか、私の人が良いのかは分からないが。この状況と成り行きだけ見たらものすごくおかしな事になっている。これでは仮にこの男の言うとおり、話だけして無事に帰してもらったとしても馬鹿にされるだけではなく激しく批難されても文句は言えない。尤も私が軽率なのだから文句を言うつもりも無いが。

 そして、この男の言う事が嘘だったとしても文句は言えないだろうな。

 思わずため息が出た。何をこんなにムキになっているんだろう。この男から話を聞くことか? それともこの男を殴りたいからなのか? 自分でも良く分からない。やっぱり馬鹿なんだろうな。自覚はしているが。

「……なんかさ、囚われのお姫様とそれを救出した勇者って感じしねぇ?」

「しない!」

 何馬鹿な事言ってるんだ、この男は。

「ちぇ、可愛くないなぁ。……んじゃあれだ、略奪された姫君と盗賊とか?」

「盗賊の部分は合っているかもしれんな」

 どんどん遠ざかる街にイライラしながら適当に相槌を打つ。

 一応の覚悟は決めたはずなのに、やはり心細い。早く話を済ませて帰らなくては。……帰れる、かな? そもそも私は何故この男の話を聞こうなどと思ったのだろう。自問自答を繰り返すがやはり上手く説明がつかない。強いて言うなら勘の様なものだ。

 だが、その勘もひどく曖昧で頼りない。いつだったか幼馴染の陰険メガネに「お前はしっかりしているように見えて案外、ころっと悪い男に引っ掛けられるか詐欺に会いそうな気がする」と言っていたが、あながち間違っていないかもしれない。

 と、急に視界が開けた。森を抜けたそこは崖の上。雨は上がっており、うす曇の空と眼下には今しがた上ってきた森とその先には荒野。そして、その境目辺りに街が見える。こんな状況でなければ歓声をあげていたかも知れない。

「さて、と。んじゃまずアンタの話から聞こうか?」

 アメシストは私に続いてエルペタを降りると、その手綱を近くの木に結びつけた。

「……私の事を、どこまで知っているんだ?」

 何故この街を襲撃したのか、何が狙いなのか。聞きたいことは他にもある。だが、それを聞いてしまったらこの男に刃を向けることが出来なくなるかもしれない。自分の立ち位置を間違えない為にも、それは聞かないほうが良いと思った。この男は敵だ。

 アメシストはちょっと意外そうな顔をした後、頭を掻いた。

「ん〜〜〜……どこから話したら分かりやすいんかねぇ……。睨むなって、ちゃんと話すからよ」

 そして少し考える素振りを見せ、こう切り出した。

「アンタ自分がこの世界に来た時の事、覚えてるか?」

 『この世界』……やはりこいつは私が異世界から来た事を知っている。

「だから睨むなって、満月の夜だったよな。二つの月が同時に満ちた夜。これって結構呪術的に重要な夜なんだぜ? 普段地中深くに眠っている竜気が月の引力で引き上げられる。あ、月の引力ってのは……」

「御託はいい。さっさと話せ」

 訳のわからん御託を聞いている暇など無い。そう、睨みつける。

 アメシストは気を悪くするでもなく、少し意地の悪そうな笑みを浮かべた。

「……月ってのは異界に通じる門があるんだってよ。そんなモン只のおとぎ話だと思ってたんだがな」

「何?!」

 初耳だ。そんな事ベリルは一言も……

「で、その門が開くのが満月だって言われてる。つってもその門は二つの月に分けられているから完全には繋がらない。それでもわずかにその門へと引き寄せられる物がある。それが竜気ってわけだ」

「繋がらない? でも……」

 なら何故私はここに居るんだ? 考え込んだ私を尻目に話が続けられる。

「まぁ、話を戻そう。で、だ。竜気の満ちた夜に俺はとある実験を試みた訳だ。竜化を、完全に制御する呪法……」

 竜化! その言葉にあの夜の出来事が脳裏に甦る。今、何と行った? 制御……?

「ま、その時は失敗しちまったがな。制御を失った竜化はたまたま近くにあった集落を襲った。俺もここで騒ぎを大きくするつもりはなかったんでね、そこに向かった」

 動悸が速い。それなのに顔からは血の気が引いてゆく。竜化……襲撃……ならばあの夜の出来事はこの男が原因で、それを行ったのは……おそらく今日のこの襲撃の為で……。

「で、そこにアンタが居た。正気じゃ無いと思ったね、見るからによそ者のアンタが魔法も無しに竜化に立ち向かうなんてよ……」

 言葉が途切れた。が、相手の様子など伺う余裕は私には無い。あの場に、この男が居た。居て……見ていた。見ていたのに何もしなかったんだ、この男は。

 あの時、地に伏していた人も居た。血を流している人も。こいつがどれくらい強いのかは分からない。でも、竜化を制御しようとしたのであればそれなりの対処も出来たはずだ。なのに、見殺しにしたのか? 

 一瞬血が上る。が、すぐにその血も引いた。そうだ、そうじゃないか。何を思い違いしていたんだ、私は。たまたま私を助けたからと言ってこの男が善人の訳がない。大体街を襲撃したのも、集落も、難民も、この男が原因じゃないか! 

「んで、まぁ気になって調べたって訳だ。城に忍び込むってのは結構骨が折れるんだけど俺ってば一度気になるととことん調べないと気が済まない性質なんでね。何つーの? 好きな娘の事ついつい調べちゃって後つけちゃったりする少年の様な……ってあぶねっ!」

 振り上げた拳は、アメシストの右手に掴まってその頬を殴打する事は無かった。

「拳は無いだろ、拳は。普通平手打ちじゃね?」

「ふざけるな! あの竜化がお前の仕業だと言うなら、この襲撃だってお前の仕業なんだろっ……!」

「……そうだけど?」

 いろいろな感情が一気に噴出して訳が分からない。あの場に、この男が居て。竜化の襲撃は、この男の仕業で……。

 頭が、痛い。吐き気がする。冷たい汗が背中を伝う感触。何だ、何なんだ! ……気持ちが悪い。

「おい、大丈夫か? 真っ青だぞ」

 こんな話を平気な顔で話しているこの男が気持ち悪い。

「触るなっ!」

 掴まれた腕を振りほどく。

 目の前のこの人物は、本当に血の通った人間なんだろうか? 何か、得体の知れないモノの様に感じる。……落ち着け、とにかく落ち着こう。

 まだ、話は続いている。

「どこまで……調べた? 私の事を……」

 アメシストは平然とした顔で語る。

「異世界から来たらしいっつー事、名前はマイカ・スギイシ。アンタの所じゃスギイシ・マイカって名乗るらしいな。性別は女、年齢25歳、童顔小柄、文字と言葉は分かるらしいが書くのは出来ない。武術の心得有り。あ、そうそう。家事が壊滅的に出来ないんだってな」

「何で知っているっ!」

 そんな事まで調べたのか?!

 アメシストはにんまりと笑った。

「いろいろ書いてあったぜ。いや〜、俺もそこまで調べる気は無かったんだけどよ。たまったま忍び込んだ所に面白そうモンがあったもんだからついつい……」

 書いてあった? 何処に? 思い当たる節なんてどこにも……。

 いかん! こいつのペースに巻き込まれるな。こいつは変質者で犯罪者で襲撃犯だ! 誤解するな。助けたのだってたまたまだし、私に危害を加えないのも何か理由があるからで!

「もういい! それで、お前の目的は何なんだ。何故私に構う!」

 そうだ、何か理由があるんだ。何か私に利用価値があるから、だから助けたりするんだ。

 目の前の男を思い切り睨みつける。

 アメシストはほんの一瞬顔を歪めた。

「何……か、何だろうな。そりゃアンタに惚れてるって訳でもねーんだけどよ、利用価値も……無いわけじゃねぇ。尤も利用するつもりもねぇしそんな事させもしねぇよ。ただ……」

 一瞬、言葉を区切った。隻眼の目がゆらぐ。

「……やーーめた。ま、アンタが此処に居たいっつーんなら俺にゃどーしようもねぇしな、好きにすりゃいいさ」

 何だそれ。

 それじゃ、何か? 意味ありげにもったいつけて只の気まぐれだったって事か?

 唖然とする私を尻目にひらひらと手を振って立ち去ろうとする紫頭。……はっ! いかん。ついこのまま見送ってしまう所だった。

「ま、待て!」

「あ、そうそう」

 アメシストはくるっと私に向き直ると、何かを投げて寄越した。反射でそれを受け取る。……本?

「それ、返しといてくれる? 面白そうだったんでつい持ってきちまったがやっぱ返さなきゃまずいかなって思ってね」

 革の装丁に鍵まで付いてる。その鍵は外されていたが、その重厚さに中身を見ることは躊躇われた。表紙に何か文字が書いてある……に…っき……?

「街まで送ってやれなくてわりぃけどよ。帰り道ならそいつが知ってるはずだ。そいつもついでに返しておいてくれ、街の駐屯地に」

 そいつ……木に繋がれたエルペタを見る。駐屯地だと?!

 いや、違う。そうじゃなくてこいつをこのまま見逃していいのか?! 捕まえるなら今だ。

「待てと言っているっ! お前は襲撃犯で犯罪者で、見逃せるわけ無いだろ!」

「なーんだ、やけに大人しいと思ったけどそんな事考えてたのか。ま、そりゃそうか。アンタ一応騎士団の一員だもんな」

 刀の柄に手を掛け、いつでも抜刀出来る様に身構えた。が、アメシストは相変わらず警戒心の無い様子で腕組みした。

「俺からしたら出来るだけアンタとは争いたくねぇんだけどなぁ。見逃してくんね?」

「却下だっ!」

 間合いが遠い。じりじりと相手を睨みつけたまま間合いを詰める。

「ん〜〜〜、どうしようかねぇ。ほら、俺はアンタを連れて行くことを諦めた。アンタが俺をここで見逃せばお相子って事で……」

「ふざけるな!」

 相手は油断している。今なら、いける!

 重心を低く、地を蹴って踏み込む。持久力と体力、腕力には自信が無いが瞬発力だけなら自信はある!

 一気に間合いを詰めた。相手の懐近くへ潜り込むように低く身構え、抜刀! 一瞬、呆けたようなアメシストの顔が見えた。振り抜いた刀身は咄嗟に身構えたアメシストの右手首と左頬をかすめた。……浅い!

 左手で固定していた鞘を投げ捨て、振り切った右手首に添える。刃は返さず、そのまま刀の柄でアメシストの米神を殴打……するはずだったが、一瞬アメシストの反応が早く、左手がそれを庇う。固い感触。何か仕込んで居る?!

 殴打した瞬間、嫌な予感がして咄嗟に後ろに飛び退る。ドレスの端を何かが引っ掛けた。体制を建て直し、見るとアメシストの右手が私の腕のあった位置で空を掴んでいる。

 あぶなかった。もし掴まれでもしたら……。

 アメシストは左手で掠めた左頬と左目を押さえながら崩れた姿勢を直した。油断している様子は無い。

「……やるじゃん。初めて見る剣術だな、それ。片刃の剣……か。なるほどね、左から来られてたらやばかったかもな」

 言われて自分の過ちに気付く。相手は眼帯をしている。当然左の視界は悪い。切りかかるなら左だ。

 アメシストの左手に血が滲む。それを見てはっとする。そうだ、この刀はもう飾りでも無ければ練習用でもない。きちんと研ぎ澄まされた凶器。

 相手を気絶させるつもりで放った一撃は、相手を即死させる殺意だった。

 今更そんな事に気付いた。今更、本当に今更だ! 

 がくがくと腕が震える。人を、殺していたかもしれない。殺しては居ないが傷つけた。

 殴った事ならいくらでもある。骨を折ってしまったことも。でも、これは違う人を斬ったんだ。その事実が怖い。

「おい、何だよ。人を斬ったのは初めてか?」

 私の異変に気付いたのか、呆れたような声が聞こえる。

「……ったく、つくづく変な奴だなアンタ。向いてねーんじゃねぇの? 騎士なんてさ、やめちまえよ」

「勝手な事を言うな!」

 間髪入れずそう叫ぶ。が、アメシストは私を見下すように笑った。

「たかがかすり傷負わせたくらいで動揺してるんじゃ無理だっつーの。手、震えてんじゃん」

 くやしいが、奴の言う通りだった。さっきから両腕だけ貧血になっているんじゃ無いかと思うくらい力が入らず、自分では止め様の無い震えでカチカチと小さく鍔が鳴っている。

 無言で奴を睨み付けた。奴は、敵だ。竜化は奴の仕業で、その竜化は集落でも町でも人に危害を加えている。ひょとしたら死人だって出ているのかもしれない。その竜化を殺す事には何の疑問も無かった。

 それが、何で人間だとこんなに躊躇してしまう! 

 自身を叱咤した所で手の震えは止まってはくれなかった。

「だからさ、アンタにゃ向いてないって」

 ため息混じりに吐き出される言葉。それが直ぐ近くに聞こえて顔を上げると、群青の目と、目があった。

 傷は本当に浅かったのか、すでに血は止まっている。

「大体、こんな程度のかすり傷。魔法が使えりゃ一瞬で塞がるっつーの」

 あ、そうか。

 ほっとした途端、肩の力が抜ける。

「だーかーら、そこはさぁ。もっと悔しそうな顔したら? 腕の一本くらい切り落とすくらいじゃねぇと俺、しぶといよ?」

「腕……いっぽん……?」

 ……ひょとして腕を切り落としてもまた生えてきたりするんだろうか? 人間なんて現金な者で、大丈夫だとわかった途端、力が抜け切ってその場にへなへなと座り込んでしまった。

 よ、よかった。だいじょうぶ……なんだ。

 再びため息。

「ほらほら、座り込んでねーでさっきみたいに斬りかかってくるとか。斬るのが嫌だっつーんなら殴るとかしてきたら?」

 アメシストが挑発してくる。が、興が殺がれた。

 そもそも斬っても腕一本切り落とさなくてはならないと本人が言っているが、今の私には「はいそうですか」と再び斬りかかるだけの意気地がない。……認めるのは悔しいが、こいつの言っていることは尤もかもしれない。私には人を殺せない。殺せないどころか腕一本切り落とすだけの勇気も無い。

 刀の切っ先のほんの僅かな曇りを袖で拭って投げ捨てた鞘を拾って収める。何の覚悟も無いのにこんな物、抜くんじゃなかった。

「あっれ~~? 俺に背中なんか見せていいの?」

「構わん。どうせお前は私をどうこうしようと言う気は無いのだろう? ならばもうお前に構っている暇など無い」

 我ながら矛盾している。……これでは負け惜しみではないか。言って後悔する。

 奴がどんな顔をしているのか知りたくなくて振り返る事無く繋がれたままのエルペタに近寄る。

「おい! ……忘れモンだ」

 え? その言葉に振り返ると、何かを投げてよこされた。皮表紙の本。

「ちゃんと返しといてくれよ」

「か、返すって、誰にっ?!」

 こんな誰の物とも知れない日記なんてどうやって返すんだ。

「中、見ればいいじゃん」

「み……? 見たのか?!」

 だって他人のだぞ? 見て良い物じゃないだろう?

「なかなか興味深かったぜ」

 にやにやと笑う。信じられん。他人のプライベートだぞ? ……と言いつつちょっと興味が無い訳ではないが……いや! いかん。失礼にも程がある。だが、中身を見なくては誰の物か……いやいや、いかんいかん。

 ふと背表紙から目を戻すとまだにやけた顔をしたアメシストと目があった。そのにやけ顔が心を見透かされたようでむっとする。

「読んじゃえば?」

「読まん! お前な、他人のプライベートを覗くなんて最低だぞ」

「ぷらい……べーと?」

 横文字が通じなかったのか、何だそれ。とでも言いたそうな顔。

「えーと、プライベートと言うのはだな。個人的な事情と言うか……え~~と……とにかく、個人的な事だ!」

 ……通じただろうか? 

 しばし、見詰め合う。……気まずい。説明が間違っていただろうか?

 と、アメシストは俯きがちにため息を吐いた。

「……悪かったよ。ソイツにも謝っといてくれ」

 あれ? なんか、予想外の反応だ。

「謝るなら、自分で謝ればいいじゃないか」

「やなこった」

 アメシストはくるりと向きを変えて歩き出した。

「わ、悪いと! 思ってるんだったら本人に謝るべきだ!」

 何でそんな余計な事を言ったのか自分にも分からない。でも、何か言うべきだと思った。

 アメシストの足が一瞬止まる。

「……そのうち、な。謝るよ、ちゃんと」

「そ、そうか」

 再び歩きだしたアメシストの背をなんとなく見送ってしまう。が、はっと我に返り再びエルペタの手綱の結び目に手を掛けた。そこではたと気が付く。奴はここからどうやって帰るつもりなんだ?

「アメシスト!」

 呼びかけると、薄紫の頭がゆっくりと振り返った。

「お前は、ここからどうやって帰るんだ? 私がこれに乗って行ってしまったら帰れないんじゃないのか?」

 アメシストは、意外そうな顔をした後笑った。

「アンタつくづく人が良いな。何の用意も無しに来るわけないだろ、こんなとこ」

 へ? 一瞬言葉の意味がわからず唖然として気付く。ま、まさか仲間がどこかに待機してるとか?! 

 慌てて辺りの様子を探る。そう思って見ればここって待ち伏せには最適だ。後ろは崖だし、人一人隠れられそうな茂みもある。

 アメシストはそんな私を見て、微笑ましい表情。まさか、からかわれた? 自分の単純さが歯がゆい。何か言ってやろうと口をあけた瞬間、アメシストが自分の口に手を当てた。甲高い鳥の鳴き声のような音。笛? 合図か?!

 咄嗟にエルペタを背に庇い、辺りの気配を探る。……馬……の足音、か? 多分、一騎。だが、蹄が軽い。金属音は、聞こえない。

 蹄の音に集中しながらも視線はアメシストに。だが、奴はそれ以上何か合図を送る素振りは見られない。

「……言ったよな、俺。あの日にあの場所に居たって。本当は後でゆっくり再会させてやるつもりだったんだけどな」

 再会? 誰と……

 蹄が近い! その正体を見極めるべく、そちらを見る。

 現れたのは黒い馬体。鬣も、尾も、足も、総てが漆黒の……柘榴、なのか?

 あの日、別れたきりだが見間違えるはず無い! 手綱や鞍は付け替えられているし、流鏑馬に備えて切りそろえた鬣や尾も少々伸びているが、大きさも肉のつき具合も鬣の分け目の癖もそっくりそのままだ。

「柘榴!」

 駆け寄った先を塞ぐ人影。そいつは、私の柘榴にひらりと跨った。

「コイツは俺が預かっておいてやるよ」

 コイツだと? 私の柘榴に向かって! そんな奴振り落としてしまえ! 

 が、石榴はそうはしなかった。それどころか私を一瞬見ただけで、あとは大人しく騎手の指示を待っている。……なんて事だ。

「じゃぁな、マイカ。また、な」

「ま、待て! 柘榴!」

 私の制止もむなしく、騎手の指示に従い踵を返す私の愛馬。

「待てーーーーっ! ま、待ってくれ!」

 慌てて後を追うが、人の足が馬に追いつけるはずも無く……そうだ! エルペタなら!

 あまりの出来事にあしをもつれさせながらもなんとかエルペタにたどり着く。が、手綱が解けない。

「くっ、な、何でこんな……固い!」

 革の手綱は湿気を含み、強固に結ばれたそれはびくともしない。

「ちょ、は、早く!」

 焦るが良く磨かれた革の表面は雨に濡れ、よく滑る。

「柘榴、柘榴、柘榴ーーー!!」

 もう、蹄の音は聞こえない。

 何て事だ。何て、何で。よりによってあんな奴に。

「柘榴ーーー!!」

 静かな山に、私の叫び声がむなしく響いた。



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