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竜の棲む国  作者: 佐倉櫻
26/31

第二十四話:襲撃2

 あの馬鹿、馬鹿っ、馬鹿! 

 あぁ、もう! もっと頭が良かったらもっと、こう、強い言葉で酷く罵倒してやれるのに!!

 何だってあの馬鹿の言う事を聞いてしまったんだろう。自分が腹立たしくて情けない。もっと頭の良い人間に生まれたかったぞ。

 あぁ、もう、もう、もう……。

 ……いい加減、此処を出よう。とにかく! 今は何とかあの二人に事情を説明して早くあの馬鹿を追いかけなくては。よし!

 覚悟を決めて化粧室の扉を開けた。途端、目前に立ちはだかる白い制服。見上げると、無表情のまま私を見下ろしている鳶色の目と、目が合った。

「マイカ・スギイシ、ベリル様がお待ちだ」

 副団長はそう言うと、くるりと向きを変えて歩き出した。その有無を言わさぬ迫力に、大人しくその後に続く。

 この人、ずっとここで直立不動で立っていたんだろうか?

 歩くたびに揺れる短い金髪を見上げながら、その後に続いた。





 案内されたのは屯所の最奥にある一室。と言っても、屯所自体がそれほど広くは無い為、村の旧小学校の校長室といった感じだが。ちなみに、私の村の小学校は3年ほど前に廃校になっている。今はそんな事どうでもいいがな。

 おそらくは高官用の応接室と思われるその部屋では、オーケン殿とベリルが向かい合って座っていた。

「マイカ、体調はもう良いのですか?」

 ベリルは私を見るなり立ち上がり、気遣わしげに近寄ってきた。

「だ、大丈夫だ」

 今更良心がちくちくと痛む。

「ならば早速ですが殿下の仰っていた意味を教えて頂けるか?」

 オーケン殿が威圧的な声で催促する。ベリルがオーケン殿を睨むが、それを留める。

「その事ですが、私には何の事かさっぱり分からないんです」

 金目銀目の両眼がこちらを見る。

「本当に、何も?」

「……はい」

 本当に、何であの馬鹿はあんな事言ったんだろう? 北って何かあったっけ?

「マイカ、では。殿下への報告などはどうでしたか? 何か……騒動に関することなどは」

「騒動……」

 竜化が門に3体現れた事や、アメシストが行方不明だと言う事などは聞いた。と告げると二人は軽くため息をついた。

 でも騒動に関する事って言ったら……あ、噂があったな。そういえばあの噂の話をしてからアゲイトの様子がおかしかった。

「あとは、噂! 噂の話しをした!」

「噂? あの、反乱がおきるかもしれないとか言う物ですか」

 ベリルが下らない、と言った様子で吐き捨てる。あれ? 反乱だっけか?

「いや……私が聞いたのは、暴動がおきるかもしれないと言う噂だが」

「暴動?!」

 ベリルとオーケン殿の声が被る。な、何だ? 似たようなものだと思うのだが。

「あ、ああ」

「それは、何時、どのようにして聞いたのですか?」

「え、えと、一昨日の夜、モルダに……」

 ベリルの剣幕に押されつつ答える。

 な、何が違うんだ?

「誰ですかな? そのモルダと言うのは」

「城の使用人です。マイカ、彼女は誰から聞いたかは言っていましたか?」

「えーと、たしか……城に出入りしてる、業者の人と、街から通ってる先輩たちに聞いたとか何とか……」

 な、何だ? 説明してくれないとさっぱり分からないぞ?

「と、言う事はその噂は街から流れていると見て良いでしょう。セレン! 北門は半年前から封鎖してましたね?」

 封鎖? 何だそれ。

「はい、街の北部からの住人の苦情により封鎖しております。現在も封鎖中かと」

 苦情?? ますます分からん。そこに何があるんだ? 

「待たれよ。卿、北門に何が在るのだ?」

 オーケン殿が私の聞きたい事を聞いてくれたのでそれに注目する。

 ベリルは少しだけ目をそらした後に、口を開いた。

「北には、難民が多く居を構えています。北には森も川もありますので彼等には住み良いのでしょう」

 何だろ? 何かベリルの態度に、ほんの少しだけ違和感がある。

「たしか、この街はその者共といざこざを起こして居ったな」

「……はい」

 まてよ? 北門が封鎖とか言ってたな。難民はどこへ避難したんだ? まさか……だが、以前街に来た時難民は街には入れないと言っていた。

 アゲイトが居た時によく報告を聞いておけば良かった。たしか街の人の避難はほぼ終了したと。なら、難民は? 難民に関する報告は?? 街でそれらしき人たちを見かけた記憶が無い! 

 まて、落ち着こう。竜化は東の大門に現れた。その竜化が何の目的で現れたかは不明だが、アゲイトや騎士団が向かっているのだから酷い事にはならないはずだ。

 だが、もし。もしも竜化が何かの拍子に北へ向かったとたら? そしたら北は……

 きつく目を瞑り、その想像を打ち消す。大丈夫だ。あの馬鹿だって余裕で出て行ったのだから。

「北門の警備はどうなって居るのか?」

 オーケン殿がベリルを見据える。その問いに答えたのは副団長。

「通常と同じく街の警備兵の管轄になって居ますのでおそらくはそのままかと」

「増員を! 私もそちらに向かいます」

 ベリルが鋭い声を発する。

「ならばわしも同行しよう。北門には配下の物を数人送って居る」

 3人があわただしく部屋を出ようとする中、一人置いてけぼりを食いそうになって、あわててベリルの後を追う。

「マイカ! 貴女はここで待機です!」

「嫌だ!」

 ベリルの裾を掴んで強引に引き止める。ベリルは困った顔をして私を見た。

「マイカ。北門は危険なんです。お願いですからここで大人しくしていてください」

 ベリルが私を心配してくれているのは良くわかる。普段から何でも無い事でも心配したがるこの過保護な私の保護者が、危険があるらしい場所に連れて行ってくれないであろう事も、よく分かって居る。

 だが、ここで大人しくしているなど冗談じゃない! 

「嫌だ! 私だって騎士団員の一人なんだぞ。大人しくなんてしていられるものか!」

「そう言うことは正式に配属されてから言いなさい! 大体、そんな格好で……」

「お前だってドレスじゃないか!」

 そう言うと、ベリルは思いっきり顔をしかめた。その表情を見て一瞬、まずかったかな。と思った。気まずい沈黙。

「いや、そういう意味じゃなくて、ふ、服装なんてどうでもいいって事が言いたかったっていうか、その……」

「そうですね」

 私の手を振り払うと、踵を返して早歩きで外に向かうベリル。

 その後を追う。

「だから、私も一緒に行っていいだろう?」

「駄目です」

「どうしても?」

「駄目です」

「絶対に?」

「駄目です」

 むむむ、やっぱりその格好の事に触れたのがいけなかったか。少しでも機嫌を直してもらわないと、このままでは取り付く島も無い。

「え、えーと……その、何だ。別に変じゃないと思うぞ? 似合ってるし」

 ベリルの足がピタリと止まる。

「私などが言っても説得力は無いと思うがな。どうやら私は他の人と美醜の価値観が違うようだし。でも、変じゃないぞ?」

 たしかに、よく見れば肩幅も女性にしては大きいし、背も高いが、モデルだといわれればそうかな? と思ってしまいそうだ。まぁ、これは私が単純なのもあるだろうが。

 ベリルは騎士団長の癖に普通の成人男性よりやや線が細いし、普段からずるずると裾の長い服を着ている。おまけに着ているドレスだってシンプルなデザインで、襟や袖にレースが使われている以外はゴテゴテとした装飾も無い。いつだったか映画で見たエルフの女性みたいな雰囲気だ。

 ベリルが怒っているような、困っているような、複雑な表情で振り返った。

 あ、よく見ると胸は無いんだな。ちょっとほっとしたような残念なような……。

「何が言いたい」

「え? だから変じゃないと思うぞって」

「お前は俺が好き好んでこんな格好をしているとでも思ってるのか?」

「私だって好き好んでこんな格好はしてないぞ?」

 またもや沈黙。オーケン殿と副団長は先に行ってしまって居るので廊下は私とベリルの二人きりだ。

 ベリルは深いため息をついた。

「とにかく、お前はここで待機だ」

「何で?! 服装なんて関係ないって、お前だって同意したじゃないか!」

 が、その問いは無視された。ベリルは私を無視して歩き出す。

 こいつ、どうあっても私を連れて行かないつもりだな?

「分かった。じゃぁ私はアゲイトを追うことにする」

「マイカ?!」

 ふん。そっちが私を無視するなら私だって勝手にさせてもらう。大体、私はあの男の護衛なのだからその後を追うのは当然だろう。

 つかつかと早足でベリルを追い越しかけたとき、腕をつかまれた。

「殿下は大人しくしてろ。と言っていただろうが」

「私は病人でもけが人でも無いんだぞ!」

「それでもだ」

「わからずや!」

「どっちがだ!」

 あぁもう。こんなやり取りしてる暇など無いのに!

「ベリルは私の事などほっといて北門へ行けばいいだろ! 私はアゲイトの所に行く!」

「駄目だ!」

 えぇい! こうなったらこいつを殴り倒してでも……と思って睨みつけたのだが、目が合った瞬間にそんな気は失せてしまった。恐ろしく真剣で真摯な眼差しに気おされてしまったと言っていい。

 きっと、ベリルの言っていることは正しい。アゲイトが言っている事も。喧嘩や取っ組み合いならばいざ知らず、こんな場面で私は役には立たないのだろう。強いとか弱いとか、男だとか女だとか言うんじゃなくて、その状況で的確に動けるかどうか。騎士団に正式配属されても居ない、警備の仕事もしたことが無い私は役には立てない。それどころか足手まといになる。

 でも、それでもっ! 

 悔しくて鼻の奥がつんとする。まずい、泣きそうだ。慌てて鼻をすする。

 こんな子供じみた意地みたいな事で泣いてたまるか! あぁ、もう。どうも私は精神面が弱くて困る。

 泣きそうになっているのを気取られたくなくて目を見開いて俯く。こうしていれば目だって乾くだろう。ベリルの困っている気配が掴んだ腕から伝わってくる。……情けない。もう私の事などほっといてさっさと北門へ行ってくれないかな。そしたら泣かずに済むし、その後でこっそりアゲイトを追いかけることも出来るのに。

「……わかった。北門について来い」

 ため息と共につぶやかれた言葉。望んでいたはずの言葉なのに素直に喜べず、顔を上げられない。

「どうした? 来たいんだろう?」

 イラついた声色。そうだけど違う。行きたいけど、こんな風にじゃなくて……あぁ、もう! 悔しいやら情けないやらでまたもや涙があふれてきた。自分に腹が立つ。

「おいっ!」

 ぐいっと肩をつかまれ、正面を向かされる。まずい! 

「な、な、泣くなっ」

「泣いてないっ!」

 うろたえたベリルの顔を見て、少し頭が冷えた。よし、泣かずに済みそうだ。素早く息を吸い込んで淀んだ空気を体から追い出す。

 目を瞬くと、頬を冷えた涙が伝ったが、それ以上落ちてくる気配は無かった。

「北門だな!」

 は、恥ずかしい。何だってこうもこいつの前でばかり情けない所を見られてしまうのだろう。いい加減この泣き癖も直さなくては。うん。

 多分、私に足りないのは身の程を知る事だな。だが、折角来てもいいと言うのだからそれに従わない手は無い。今回のこれで自分に力量が足りていないと納得できれば、今後こんなわがままを言う事も無くなるだろう。よし!

 一瞬でも早くこの場から立ち去って、この記憶を抹消したい。その一心で歩き出したのに、またもや肩をつかまれた。

「何だ!」

 少しだけいらいらしながら振り返ると、やや青ざめたベリルと目が合う。

「あ……す、すまん。言いすぎ……た。その、北門は、本当に危険なんだ。だから……な、泣くなんて……」

 うろたえながら言葉を搾り出すように吐き出すベリル。羞恥で頬が熱い。

「ち、違う! 違うんだ! だから泣いて無いってば! これは! え、と、その。わ、私は!」

 一度大きく息を吐いて、気を落ち着かせる。

「私は、本当に未熟で、だから。頭で理解していても、感情がついて来ないんだ。だから、これは、何て言うか……」

 何て言ったら良いんだろ?

「こ、子供なんだ。多分。だからこんなのは本当に何でも無くて、だから!」

 放っておいてほしい。と言い掛けて、言葉に詰まる。

 それを言い出せないのは、やっぱり私が未熟だからで。そんな私をベリルは片腕でそっと抱き寄せた。

「それでも、傷つけた」

「傷ついてなんてない。私を、甘やかすな」

 只でさえこいつは甘いのに。

「甘やかして何が悪い?」

 やさしく囁かれる言葉。

「本当に、本当に! 何でも無いんだぞ? 今後私が泣く事があっても無視してくれ。頼むから」

 でなくてはこちらが恥ずかしい。

「出来るわけ無いだろう」

 ちょっとだけ困った口調。そうだな。こいつは本当に過保護だから私が気をつけなくては。と、そこで気付く。しまった。急がなくてはいけないのに、こんな所でのほほんとホームドラマみたいに友情を深めている場合じゃない!

「そうだ、北門!」

 ぐいっとベリルを引き剥がし、急いで外に向かう。

「早く行かないと! 副団長を待たせてしまう」

 数歩走った所で、背後から足音が聞こえない事に気付き振り返ると、ベリルはその場で呆気に取られた表情で立ち尽くしていた。

「早く!」

 何やってるんだ、あいつは。

 早く来いと手を振ると、大げさに肩を落としてため息をついた。

「今行く」

 ベリルが歩き出したのを確認して、再び外へと急いだ。






「マイカ・スギイシ何故お前が此処に?」

 鳶色の目が威圧的に私を見下ろす。

「私が許可しました。セレン、責任は私が負います」

 兵舎の広場に用意されたエルペタの手綱を調整しながら、ベリルが私に手招きした。

 ベリルに仲裁されながらも不服そうな視線を背中に感じつつ、それに応じる。

「マイカ、貴女は私と一緒に」

「ベリル様?」

「責任を負う以上、彼女には私と行動を共にしてもらいます」

「ベリル様!」

 副団長が制止するが、それを無視して私に騎乗を促す。なんとなく気後れしつつそれに従う。副団長の視線が痛い。

 すでに騎乗しているベリルの後ろに乗ろうとして、それをベリルに止められた。

「そちらではなく前に」

 前? と言っても鞍は一つしかない。躊躇していると、腕をとられ強引に鞍の上に引き上げられた。

「おわっ?」

 細く見えるのにやっぱり男なんだな。意外と力がある。

 だが、完全に引き上げるとまでは行かなかったので、エルペタの首にしがみつくようにしてその背によじ登る。が、何処に腰を下ろそう? この体勢だとどうあってもベリルの膝の上に座るしかなさそうなんだが。またぐ時にエルペタの首を蹴ってしまいそうだ。

 一旦鞍の端に腰を下ろして、足を抜こうと頑張っていたらベリルに腰を抱えられた。

「両足は投げ出したままで構いません。大丈夫、絶対に落としません」

 ぬぬ。そうは言われてもすごく不安定なんだが。大丈夫だろうか?

 ちらりとベリルを見ると、薄蒼色の目が優しげに細められた。信用して無い訳じゃなんだけどな? まぁいいか。おそるおそるベリルの膝の上に腰を落とす。

 何と言うかこれはアレだ。おとぎ話にでも出てきそうな格好。白馬の王子様の馬に同乗するお姫様スタイル。……この場合は絵的に竜に乗ったお姫様に同乗する小娘と言った方が正しい気がするが。

 改めて周りを見ると、オーケン殿の姿が見えない。もう先に行ってしまったのだろうか?

 もう一度良く見ようとベールの端を持ち上げた途端、ベリルにベールを深く被せなおされてしまった。

「見えない!」

「きちんと被ってなさい」

 ぬぬぬ、こんな邪魔なもの被ってなど……と拭い去りたいのを押し留める。そうだな、これ以上ベリルの機嫌を損ねる事は無い。不満ではあるが大人しくしておこう。

 近づくエルペタの蹄の音。

「ベリル様、私が先導しますのでお急ぎください」

「頼みます」

「はっ」

「……セレン、迷惑を掛けます」

「いえ、その様な事は決して」

 ベリルの小さく笑った気配。

「では、マイカ行きますよ。しっかり掴まっていて下さい」

 頷いてしっかりとベリルの服を掴む。その一瞬の後、掛け声と共に一気に駆け出すエルペタ。

 しっかり体勢をとっていたのにバランスを崩してベリルにもたれ掛かってしまった。

「わ、わわわ!」

「しゃべると舌を噛みますよ!」

 そ、そんな事言ってもっ! 

 振動と重力とで振り落とされそうになる。必死でベリルにしがみつく。う、馬より機動力があるとは聞いていたが。は、速すぎるんじゃないか? こんなに速いの? そういえば私は未だクサビを全力疾走させたことは無かったな。

 姿勢を崩しかけるたびにベリルに抱え上げられる。う、お、お、お、お。苦しっ! いまいち自分がどんな体勢になってるか分からないが、多分エルペタの首とベリルの体の間に挟まれている格好になっているんじゃないかと思う。なるほど、これじゃ後ろにしがみ付いているのも難しそうだ。

 頭の奥底でぼんやりとそんな事に納得しつつ、必死でベリルにかじりついた。





 

 気分は最悪。例えるならバイクのタンク部分に括りつけられて全速力で振りまわされたらそれに近いんじゃないだろうか。上下の揺れも酷かったが、遠心力が半端なく酷い。

 おかげで到着早々、副団長に襟首をつかまれ吊り上げられている状況なのだが足元がふらついて上手く立てないで居る。

「さっさと立てっ!」

 いらいらと、怒気をはらむ副団長の声。

「セレン!」 

 ベリルの声が聞こえる。いかん。しっかりしなくては。

「だ、大丈夫……だ」

 しっかりと両足に力を込め、背筋を伸ばす。まだ耳鳴りがしてる気が……いや、違うな。何だ?

 そこは、大門と比べてなんだかじめっとした雰囲気。門の造りは良く似ているがこちらの方が小振りだ。湿った灰色のレンガには所々コケが生えて、硬く閉じられた扉に掛けられた閂も半年前から動かされた様子は無く、うっすらとコケが生えている。

 城壁の向こうに生い茂った樹木が見える。なるほど、ここはあまり陽が当たらないのだろう。が、何だ? この耳鳴りと言うか大気が震えているような感じ。

 門の上には警備兵と、オーケン殿らしき人物が見える。

 が、門の前には誰も居ない。

 どうなってるんだ? ここに向かったのは、北門が破られないようにする為じゃかなったのか?

 門の横に小さな木戸がある。その扉は開けっ放しになっていて、奥に螺旋階段が見える。あそこから上に上がるのだろう。考えるより早く、その方向に走り寄る。

 と、空が光った。雷? 上を見上げるが、相変わらずの晴天。思わず足を止めて様子を伺う。……また光った!

 空では無くもっと低い場所が光っている。さらに注目すると、それはこの街の上空にガラスのようなものがあって、それが何かに反応して光っているようだった。これって結界ってやつなのかな?

 ガラスが反射しているのとも違う、鈍い光。

「マイカ、上へ!」

 腕をつかまれ、ぐいと引かれる。

 その、妙に慌てた様子に釈然としないながらもベリルの後を追って階段を駆け上がった。




 狭く細い石造りの階段の先に小さく四角い空が見える。

 躊躇する間もなく、そこを潜り抜けた途端壁が光った。とっさに腕で顔を覆う。壁、と思ったのは例の結界らしかった。光ったのも一瞬の事。何だ? 何が起こってるんだ?

 皆一様に城壁の下を見ている。その城壁の外側に見えない壁があるらしく、その壁に手を突いて下を覗き込んでいる。まるで、全員でパントマイムをしている様な異様な光景だ。

 門の上は両端に30センチくらいの段差があるものの、それなりに高くて狭い。本来はこんな大人数で上る所じゃないのだろうな。高さは2階建ての建物の屋根とほぼ同じくらい。幅は大人がぎりぎりすれ違えるくらいだろうか。

 足元に注意しつつ、ベリルの横に立つ。塀の向こうは、城壁から街道一本分くらいの距離を置いて木が生い茂っている。その木々の合間から無数の人だかりが見える。

 彼らは着の身着のままといった様子で、お世辞にも清潔そうとは言いがたかった。切羽詰った必死の形相。中には赤子を抱いた母親の姿も見える。

 衛兵等が、大声で森へ避難するように指示しているのだがその場を動く気配は無い。門を必死に叩く者、何かを必死にわめいている者、その場にうずくまる者……。時折、その中の何人かがさらに後方の森や、東の方向をちらちらと気にしている。

「ベリル、何故彼らを街に避難させないんだ?!」

 今、こうしている間にも竜化は……。まてよ? 竜化は東に3体現れて……何で彼らは森へ逃げないんだ?! この門は封鎖されていることは彼らも知っているはずだ。森へ逃げず、わざわざ封鎖されているこの門に来たのは、そうしなくてはいけない理由があるはずで……。

「……状況は?!」

 ベリルが衛兵等に説明を求める。

「はっ! 現在北門は封鎖中。押しかけた難民はおよそ300。東門の竜化襲撃の報告を受け、難民に森への避難を勧告しておりますが従いません。オーケン様の使いの者が東門より、難民の先導の為移動しております」

「ベリル!」

 何故難民を街へ避難させるよう指示しないのか! きつく睨みつける。薄く目を細め私を見下ろす薄蒼色の目。

「彼等を街に入れる訳には行きません。貴女が聞いたという噂。その噂を町中の人が知っていたとしたら、どうなるか分かるでしょう?」

 ぬ? 噂ってたかが噂だろう? 噂……暴動……。

「難民が暴動を起こすとでも言うのか?」

「分かりません。この際、事実はどうでも良いのです。問題はそういった噂が流れているこの場所に興奮した彼等を入れた場合、町の住民がそれをどう受け取るかです」

 どうって、そりゃ……でも、でも! 

「彼等は助けを求めてるんだぞ?! 何も出来ないのか?」

「ですから、彼等を森へ避難……」

 言いかけた言葉が途切れた。

「まずいですな……」

 いつの間にかオーケン殿がベリルの近くに移動して、そう言った。二人の視線は森の奥へと注がれている。私もその方向を見た。

 ここから1キロくらい離れた場所から黒煙と、目を凝らせば木々の合間からちろちろと舐めるような炎が垣間見られる。

「なっ――――」

「森へ避難させるわけには行かなくなりましたな」

 オーケン殿が渋り顔でため息を吐く。

「じゃ、じゃぁ何処へ――」

 東もダメ。森もダメとなると、あとは西か?! 

 城壁に集まった難民を見下ろす。これだけの人数を移動させるのか? 森ではなく西へ。

 改めて森へと目をやる。そのはるか西の小高い山の上に城の尖塔が見える。城から南へは木々もまばらとなり、草原が広がる。その先はここからは確認できないが、荒野が広がっているはずだ。はるか北に見える山脈から流れる川を中心にこの森は形成されている。

 まだ森の一角を焼いているにすぎないその炎は果たしてどこまで広がるだろうか。炎はまだ遠い。だが、火事の勢いというのは結構速い。風向き次第では難民の移動が間に合わないかもしれない。いや、それどころではなくこの街や城も危ないかもしれない。

「セレン、私は東へ向かいます。殿下にはさっさと竜化を始末して頂いて難民は東へ移動させましょう。その後鎮火にあたります」

 言うが身を翻し、階段へと向かうベリル。

「ベリル様?! お待ちください!」

 副団長がその後に続いた。当然、私もその後を追う。

「貴方はこの場に残り、引き続き警戒と結界の強化を。可能であれば難民の誘導もお願いします」

 ドレスを着ているなどとは思われない程華麗な足捌きで階段を駆け下りるベリル。私はといえば、手すりも無いこの石段を裾を軽く持ち上げておっかなびっくり横ばいに降りた。上るときはさほど苦でもなかったが、角の磨り減った狭い石段はなんとなくじめっとしていてよく滑りそうだ。

 階段を降りきって再び門の前に出ると、ベリルはすでにエルペタに騎乗しており、副団長を宥めていた。が、私に気付いてこちらを見る。

「マイカ、早くこちらへ」

 その言葉に安堵する。よかった。ちゃんと約束通り連れて行ってくれるみたいだ。

 走りよろうと進み出ると、目前に副団長が渋い顔をして立ちはだかった。

「な、何でしょう?」

 忌々しげに私を見下ろす鳶色の目。

「……同行するのであれば俺の乗ってきたエルペタを使う事を許可する」

 え? 一瞬何を言われたか理解できない。てっきり小言でも言われるのかと思ったのだが。

「愚図愚図するなっ!」

「は、はいぃっ!」

 叱責され、慌てて副団長の乗ってきたエルペタに駆け寄り、手綱を取る。い、いいのかな? いいんだよな?

 鐙に足をかけ、一気に鞍に跨る。……鐙が長い。一気に跨る筈が足が回らず、一旦鞍の上に膝を置いてよじ登るのが精一杯だ。足裏に巻き込んでしまったスカートを引っ張り出しなんとか跨ったものの、かかとが浮くほどではないにしても鐙が長すぎて踏ん張りが利かない。が、まぁ短い距離ならなんとか走らせることは出来るだろう。調節する時間が今は惜しい。

「行きますよ、ちゃんと着いて来て下さいね」

 心配そうな視線を私に向けながら、ベリルが言った。その視線に力強く頷き返す。

 今更私ごときが向かった所で何の役にも立たないだろうが、それでも大人しくなどしていられない。私に何が出来て何が出来ないのか。それを自分自身が思い知る為にも、今はこの状況を正確に知っておくべきだ。

 そして、可能であれば役に立って見せてやる。そしてあの馬鹿を一発殴ってやるっ!

 ベリルがエルペタの腹を蹴るのと同時に私も手綱を短く握りなおし、エルペタの腹を蹴った。


 

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