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竜の棲む国  作者: 佐倉櫻
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第二十三話:襲撃1

 今、何て……?

 脳裏に過ぎる、黒い巨体。

「……竜化……が! 竜化がっ!?」

 人々の動揺は次第に大きく膨れ上がり、悲鳴を上げその場を逃げ出すものや、おろおろと立ちすくむ人も見える。

 私はその光景を何処か遠く、見ていた。あの夜の光景がそれに重なる。黒い闇。燃え上がる家屋。逃げ惑う人々。悲鳴。焔と月明かりに照らし出される漆黒の鱗を纏った化け物。

 左肩が、右脇がうずく。あの化け物は何処に……そうだ! アゲイトは!  はじかれるように祭壇を駆け上がる。

「静まれっ!」

 低い怒声。アゲイトだ。

 中段まで上りかけて、あの赤髪が見えた。

 観衆の、祭壇の近くにいたものはその声に一瞬、落ち着きを取り戻す。が、その声は全体には届かない。観衆の多くは直も取り乱したままだ。

 その中には、その場で立ち尽くしている人を突き飛ばすようにして逃げようとしている人も居る。まずいな、このままでは竜化以前にこの混乱で怪我人が出そうだ。

 そういえば、人が多い場所で民衆がパニックになるとその混乱での怪我人が多いとか聞いたことがある。酷い時ではそれによる死者も出るとか。

 避難訓練などでも決して焦らず行動するように、と言われるが、この世界のここの人たちが避難訓練をしているとは思い難い。

 おまけに、もし、アゲイトが何者かに狙われているのだと仮定して、この混乱は襲撃者にとって絶好のチャンスとなってしまう。

 アゲイトは、少し焦ったように顔をゆがめている。

「ちっ」

 階段を上りきると、祭壇の中央にアゲイトと竜姫。その傍らに副団長が見えた。

 他の騎士は祭壇を降りて、貴族や民衆を取りまとめたりしようとしている。

 大通り方面を見るが、竜化らしき姿は見えない。が、その更に後方の城壁の向こうからはかすかに煙が上がっているのが見える。煮炊きしている物とは別の黒煙。あそこか?!

 目を凝らすと、かすかに魔法を使用しているのか、ときどき閃光などが見える。

 難民や町の人は?! 戦闘に巻き込まれては居ないだろうか?  早く行かなくては……いや、アゲイトの傍を離れるわけには行かない。鉄扇を握りなおし、アゲイトの背に立つ。

 金色の目が私を見、大きな手が私の頭をぽんと叩いた。

「上出来だ。まずは民衆の避難からだ」

「分かった」

 とは言ったものの、アゲイトの言ですらよく聞こえてないのにどうすれば良いのやら。と、その時まだ避難して無かったのか、竜姫が祭壇の中央に進み出た。

 ゆっくりと伸ばされる右手。女性にしてはやや大きな手。その右手にゆっくりと光が収束した。

 現れたのは見覚えのある蒼銀の杖。……あれ?

「理と律動を制す者。宵闇と月光に佇みしヘーカティスよ。我が視界に在りしものの動きをしばし留めよ。静止スタマティセ

 唱え終えると同時に、広場一帯の動きが止まる。

 動いているのは竜姫とその背後に居た副団長。それと祭壇の裏手に居た人々。それと、私。

「てめぇ、俺まで巻き込むな」

 アゲイトが苦々しげに竜姫を睨みつける。むむ?

 竜姫は、ベール越しにちらりとこちらを向いた後、ゆっくりと杖を掲げた。

「……ディアマンタイト王家に永遠の忠誠を誓いし者の束縛を放つ」

 すると、騎士達や、貴族、それと民衆の一部が、その束縛から放たれた。杖を動かすたびに、それに巻きついた細い鎖がシャラシャラと小さな音を奏でる。……あれって、竜杖だよな?

 2度ほどしか見たことは無いが、多分間違いないだろう。あれを手にすることが出来る人物って一人しか思いつかないのだが。何で竜姫?!

「長くは、持ちません。さっさと先導をお願いします。私はセレンと共に結界の準備をします」

 ベールを被ったまま、すたすたと祭壇を降りる竜姫。

 その姿を遮るように副団長がその後に続く。

「……なぁ、あれって……」

「……今はそこに突っ込んでやるな」

 ちょっと呆れたような低い声。

 うん。なんとなくおぼろげに事情が読めた気がする。

 多分、あれだ。この厳戒警備と言い、私がいきなり護衛なんぞ言われた事と言い、アゲイトやベリルは今日、ここで、何かが起きる事を知っていたのだろう。よくよく考えてみればモルダが暴動が起きるかも。などという噂を耳にしていたくらいだ。この二人が何も知らない訳が無い。

 で、念には念を……と言う事でこういう事になったのだ。と、思う。

 その予測道理に何かあったからこの事態な訳で。しかし、何も無かったらどうするつもりだったんだろう? あいつは。

 その先は考えるのが怖くなったので止めた。大体、それどころではない。

「さて、今のうちに民衆を非難させないとな」

 アゲイトはゆっくりとひな壇を降りて、駆け寄ってきた騎士になにやら指示を出す。

 私もその後に続いた。






 アゲイトは、騎士達に次々と指令を出して行く。

 その指示に従って、騎士や衛兵が民衆を大きな建物の中へグループごとに分けて避難させるべく、通達と、動けるものから先導を始めていた。

 貴族達は町の屯所に一時避難するらしい。

「なぁ、大門には行かなくて良いのか?」

 貴族達の座っていたひな壇に陣取って、街の地図を睨みつけているアゲイト。

「そっちは他の騎士が何とかしてる。それよりも今は現状を把握する事のほうが大事だ」

 むむ、それはそうかもしれんが。

 ちらちらと大道り方面に目をやる。そうしていても大門までは見えないし、何が出来る訳でも無いのだが。だが、この緊急時に何もできないと言うのが歯がゆい。

 あの後、馬車から小太刀を持ってきて、しっかりと剣帯に結びつけた。

 最初こそこの男の警護なのだから。と気を張っていたが、皆が次々と伝令を持ってきては次の指示を与えられる中、ただ傍で立ってその報告を聞いているだけと言うのはもどかしい。

 しかも、状況はあまりよくは無い。

 第一に、現れた竜化というのが現在大門に3体居ると言う事。

 これは非常に珍しい事らしく、そもそも竜化が街を襲うなどと言う事は非常に例が少ない。まず、無いと言っても良いくらいらしい。

 通常はもっと竜気の濃い山奥などに現れるらしく、それも個体で行動するのだとか。竜化同士で殺しあう事も珍しくは無い中、何故3体も同時に現れたのか。

 第二に、アメシスト。あの男が行方不明だということ。

 現在避難している民衆の中も捜査中だが、おそらく紛れ込んでいることは無いだろう。というのがアゲイトの見解だ。私もそんな気がする。目撃例は幾つか報告されているのにその足取りがまったく掴めない。

 第三に、現在城がやや手薄だと言う事。

 留守番役のベリルが出てきてしまっているしな。だが、あいつが居たからこそ混乱は最小限に収まっている。

 何でも街中で魔法を使うのは本来教会が禁止しているらしく、こんな緊急事態に……とは思うのだが、大規模な魔法は教会の許可が必要なのだとか。そもそもあれだけの人数に魔法をかけるには相応の人手や準備が必要になるらしいが。

 そして、現在までにアゲイトの元に届いている情報を纏めると、その竜化は突然北東からやってきて、難民の列を襲ったらしい。

 運良く逃げ出した人の何人かが、広場まで辿り着き、竜化が襲ってきたことを報告したのだとか。

 その人は現在集会所にて治療中だ。魔法による治療でも、失われた体力や血などは直ぐには回復しないらしく、しばらく安静が必要だと言っていた。

 大門は現在封鎖され、その外では騎士団や衛兵が竜化と応戦中。街の外に居た人の大部分は避難しているが、取り残されて居る者も数名居るとか。そして、隊長も戻ってきていない。おそらく門の外で竜化と応戦中なのだろう。

 あの城壁の向こうでは現在戦闘が繰り広げられているのだ。

「おい、変な気は起こすなよ」

 金色の目が、私を見る。

「……変な気って、何だ」

 内心、どきりとしたが出来るだけ平静を装ってごまかす。

「お前は俺の護衛だ。その事をしっかり肝に銘じておけ」

「分かってる」

 分かっているが、もどかしい。

 この男はこの状況をどこまで正確に把握しているのだろう。そもそも、あの竜化はアメシストと何か関係があるのだろうか?  だとしたら、アメシストの目的は何だろう。あの男が絡んでくるのだとしたら、私とも無関係とは言えない。

 私も竜化退治に参加して、さっさと竜化を始末して被害を最小限に抑えるのが良いと思うのに、この男はさっきからここに座ったままだ。

 他にも何か問題があるのだろうか?

 例えば、あの竜化は囮で、他に何か目的があるとしたら……?  その目的を、この男は知っているのだろうか?

 いらいらしながらアゲイトを八つ当たり気味に睨みつける。

 一人の騎士がこちらにやって来た。

「避難、終了しました。結界の準備ももうすぐ完了するそうです」

 その言葉を聞いたアゲイトはにやりと笑った。

「そうか。警備兵には引き続き避難所の護衛を。それと役人を何人か回して避難所に全員避難できているか、不審人物が紛れていないか確認させろ。残りの騎士は引き続き街を巡回だ」

 言い終えると立ち上がり、何処かへ歩きだした。当然、その後を追う。

「何処に行くんだ?」

「屯所だ。念のために前もってサルファーを待機させている」

「大門に行くんだな!」

「やけに嬉しそうだな」

 ふふん。当然だ。この緊急時にじっとしているなど性に合わん。大体、朝から訓練も無しで窮屈なドレスなんぞ着せられて辟易していた所だ。

 アゲイトは、ちょっとだけ呆れた視線を遣したが、そのまま言葉を続けた。

「王族として、この地を任されている以上俺が出向かなくては領民にも貴族にも示しがつかん。もっとも、今頃はもう片付いてるかもしれんが、な。言っとくがお前はここで待機だぞ」

「何でっ!」

 当然付いて行くつもりだった私は、その言葉に愕然とした。

「当たり前だろ! その格好で何するつもりだ」

「何って……大体! お前がドレスを着ろと言ったんじゃないか!」

「あぁ、良く似合ってるぞ。だが、戦闘向きじゃねぇよな?」

 にっこりと小憎たらしい笑顔。

「お前っ! まさか、最初からそのつもりでこんなもの着せたのかっ?!」

「さぁてな〜〜。まぁ、いいじゃねぇか。ベリルの野郎も喜んでただろ?」

「呆れられたぞっ!」

 しかも盛大なため息つきだ。アゲイトはおや、と片眉を上げたが、それ以上は聞き返してこなかった。

「とにかく、私も付いて行くからな! 護衛なんだから当然だ!」

 ここは譲れない所だ。まさか自分で言い出したことなのだから、今更護衛を解任するなど言い出さないだろう。

「……好きにしろ」

 アゲイトは、諦めたように小さくため息をついた。

「なぁ、何で教えてくれなかったんだ?」

「何をだ」

「知ってたんだろ? 何か起こるって」

 アゲイトが振り返って、目を細めた。

「何が起こるかまでは知らない。だから打てるだけの手を打っておいただけだ」

 胡散臭いな。

「結局後手に回ったがな。何もしなかったよりマシってとこか」

「ふーん……で、何で教えてくれなかったんだ?」

 やっぱり信用されていないって事だろうか?

「知らないのはお前だけじゃねぇ。俺とベリル。それに伯父貴以外は知らなかったはずだ。まぁ、何かあるだろうって思ってた奴は居るだろうがな」

 伯父貴……あぁ、エルバイト公の事か。

「大体、何が起こるか分からねぇから注意しろっ。つったって、兵を無駄に不安がらせるだけだろ。祭りを意味無く取りやめりゃ、噂道りになりかねん」

「噂って、知ってたのか?」

「その様子じゃお前も知ってるみてぇだな」

「あぁ、モルダに聞いた。竜姫祭で暴動が起きるかもしれない……と」

 それを聞いたアゲイトの足が一瞬止まる。

「……何?」

「あれ? 違うのか?」

 様子を伺い返答を待つが、アゲイトはそのまま無言で歩き出した。

「おい!?」

 やはり返事は無い。

 仕方が無いのでそのまま後に続いた。






 屯所は、以前来た時よりもあわただしい様子ではあったが、よく見ると兵の数は少ない。そのかわりにここに避難してきた貴族やその従者らしき人たちがあちこちに見られる。

 意外にも彼らは特に取り乱したような様子は無く、中にはどこから用意させたのか椅子とテーブルを用意させ、お茶を楽しんでいる人も居た。あわただしく衛兵が走り回る中、その一角だけ園遊会でも開いているかのようだ。

 なんとも緊張感のないその光景に目を奪われていると、隣に立っている男が口を開いた。

「お前、その噂はいつ聞いたんだ?」

「ん?」

 金色の目が私を見下ろしている。一瞬、何のことか分からなかったがすぐに思い出す。

「暴動が起こるかもしれないとか言うやつか?」

「あぁ」

 えーと、たしか昨日……じゃないな。一昨日の、いつだったかな。モルダに会った時だから……そうだ、夕食の後にちょっと話す機会があったんだっけ。ここ数日の話題は竜姫祭の事ばかりだったが、その時にモルダがちょっとだけ得意げな様子を含みつつ、深刻そうに教えてくれたんだった。

「一昨日の、夜だったはずだ。夕食後に」

 モルダは相当の噂好きらしく、新しい噂を仕入れるたびに教えてくれる。おかげで私は会った事もない城の使用人の恋愛事情に結構詳しくなってしまった。……ついでにこの男のただれた女性関係も。

 アゲイトは、私の返答を聞くと僅かに目を険しくさせた。

 何だろ? 相変わらず何も行ってくれないので何がどう問題なのかさっぱり分からない。

「どうかしたのか?」

 聞いてみたがやはり何も答えてくれない。

 イライラしてもう一度声を掛け様としたその時、背後から別の低い声が掛けられた。

「これはこれは、殿下出陣ですかな?」

 振り返ると、細い杖を突いた金目銀目の老人が立っていた。

 たしかオーケン殿、だったかな? 式典で見たときは杖など突いてはいなかったはずだが。

「オーケンか」

 オーケン殿は、小さく礼を取ると僅かに私を一瞥した後、言葉を続けた。

「殿下はこの事態、どのようにお考えで?」

 アゲイトを試すかのような鋭い視線。

「俺か? そうだな……」

 アゲイトはちょっと面倒臭そうに頭を掻いた。

「偶然じゃね? 今の所は、な」

 オーケン殿の眉がぴくりと釣り上がる。

「ほぅ」

 なんとなく気まずい空気。二人の間には緊迫した……と言うより何か探り合っているような雰囲気が漂っている。私にはついていけない空気だ。気になることがあるならはっきり言えばいいのに。

 が、私が口を出すにも何を言えば良いのか分からず、ただただ気まずい空気に晒されている。

 傍を離れるわけにも行かず、何より私自身アゲイトが何を考えているのか知りたい。でも聞いても答えてくれなさそうだしなぁ。

 第一、この空気で私が口を挟めるはずも無く。

 ふと、竜の鳴き声に振り向くと、広場にはサルファーが待機していた。その近くには、衛兵が待機している。もう離陸できる状態なのだろう。サルファーと一緒にこちらを見ている。

 アゲイトはそれに気付いていないのか、オーケン殿とにらみ合ったままだ。

 サルファーの準備が出来た事を知らせようと、アゲイトの袖を軽く引っ張る。

「ん? 何だ、便所か?」

「違う!」

 引っ叩きたいのをこらえ、サルファーを見る。

「あぁ、準備できたのか」

 興味なさそうにつぶやく。おい? 門に行くんじゃないのか?!

 そんな不満が顔に出ていたのだろう。アゲイトは苦笑しながら宥めるように私の頭をぽんぽんと叩いた。

「そんな顔すんな。ちゃんと門には行くさ。結界の準備が出来たら、な」

「結界?」

 そういや、ベリルが何か言ってたな。

「準備でしたら、先ほど完了しました」

 冷たい声色と共に、白いドレスを身に纏い、上から隊服を羽織ったベリルが副団長と共にこちらにやってきた。ドレスを着ているのに違和感が無いのは、そのシルエットが何時も着ている長衣に似ているからだろう。上に副団長の物と思われる軍服のおかげで装飾も隠れているし。

 やっぱあの竜姫ってベリルだったんだな。 

「ほぅ……これはこれは『竜姫』殿。お役目ご苦労でしたな」

 オーケン殿が挑発するかのような声色でベリルを労う。ベリルの片眉が不機嫌そうにつりあがる。

「おや、オーケン殿。こちらに居られたのですか。老の御手を煩わせるとは心苦しい。どうぞ、あちらでお休み下さい」

 ベリルが一層冷ややかな声で貴族達のお茶会を示し、冷酷な笑みを浮かべた。

 オーケン殿の金目銀目もまた、不機嫌そうに細められた。

「いや何、あのような物は女子供にこそ似合いの物。貴殿こそあちらで休まれてはいかがかな?」

「いえ、私にはまだすべき事が御座います。老こそ、この陽気にお疲れになられたのでは? どうぞあちらへ」

 両者口の端は笑っているように見えるのに、目はにらみ合ったまま。

 こ……怖い。何故かこの一帯だけ気温が下がった気がする。

 晴れ渡った青空の下、陽は燦々と降り注いでいるのに……暑くてかく汗とは別の冷たい汗が背中を伝う。だから私はこういう空気は本当に苦手なんだってば!

 副団長はと言えば、平然とした顔で涼しげにベリルの背後に立っている。アゲイトは……少しだけ困ったように眉をひそめつつも、面白そうに二人を見守っている。ってそんな場合じゃないだろ!

 早くここから立ち去ろう、とアゲイトの袖を強く引く。

 アゲイトは少しかがんで、小声で私に耳打ちした。

「まぁ、待て。行くのは構わんが俺が出た後の事をこの二人に指示しねぇと、な?」

「だったら早くしろ!」

 イライラしながら、アゲイトを睨みつける。アゲイトは、仕方ないなぁ。といった様子で顔を上げた。

「あ〜〜〜、何だ。取り込み中すまんが……」

「えぇ! 仰るとおり取り込み中です。準備は整ってます。さっさと行ってらっしゃい!」

 ベリルがきつくアゲイトを睨みつけた。

「殿下、出陣さないませ。そこな若輩などに頼らずとも後顧の憂いなぞ、私にお任せくださればすべて絶ってみせましょうぞ」

 オーケン殿の視線は揺らぐ事無く、ベリルを睨みつけている。

「あ〜〜〜……」

 アゲイトは困ったように頬を掻いた。おい! お前こいつらの上司だろ!! 頼りにならない奴め。

 とは言うものの、ますます険悪な空気が漂う二人の間に割ってはいるのは、さすがに私でも躊躇われる。が、覚悟を決めて一歩、二人の前に進み出た。アゲイトの金色の目がちょっとだけ愉快そうに私を見る。

「おー、そうかそうかマイカ!」

 ん? 背後から声を掛けられ、ぐい、と両肩を掴まれた。

「おいベリル! こいつが腹が痛ぇってさ」

「はぁ?! 何言って……むぐ……」

 抗議しかけたその声はアゲイトの手に塞がれた。そのままそっと、耳打ちされる。

「いいから話合わせろ。今こんな所で言い争ってる場合じゃないのは分かるな?」

 もっともな事なのでこくこくと頷く。

「マ、マイカ? 具合が悪いのですか?!」

 その、ちょっと動揺した声に心が痛む。

「い、いや、私は……」

 言いかけた口をまたもやアゲイトの大きな手が塞ぐ。

「だーかーら。話合わせろって」

 そ、そんな事言われても腹など痛くないぞ?!

「適当に腹抱えてうずくまってろ。貴族共の、ベリルに対する心象がこれ以上悪くなったら、奴は失脚するかもな」

 何?! 何だそれ!

「そうなりゃお前も困るだろ?」

 こくこくこくとさらに頷く。何があったのか分からんが重要な事らしい。

「分かったな? これはベリルの為なんだ」

 そ、そういう事なら仕方ない。……のか? 

「い……痛たたた……?」

 良く分からないが言われた通りに腹を抱えてうずくまる。……何でこんな事してるんだろ? 疑問がないわけではないが、ベリルの為だと言われれば仕方がない。

「マイカ?!」

 明らかに動揺した声と共にこちらに走り寄る足音。肩に添えられる冷たい手。……うう、良心がずきずきと痛む。

「ベリル! こいつはお前に任せる。俺はこれから門へ向かう。離陸と同時に結界を作動させろ」

 滅多に聞けない威厳ある声。ちくしょう。こいつ、こういうときに限って……。

 俯いたまま、アゲイトの声に耳を傾ける。遠ざかる足音。……ん? 待てよ? まてまて、ちょっと待て! 私も門に行くんじゃないのか?!

 あわてて顔を上げると、ちょっとだけいたずらっぽく細められた金色の目と、目が合った。

「大人しく、してろよ?」

 やや脅迫じみた声色で言い含められる。う……え……あぅ……

 で、でも。私は護衛で! 門には竜化が!

「マイカ、立てますか? ひとまず建物の中へ」

「い、いや! 私は……」

 ど、どうしよう。どうすれば……

 そうだ、腹痛は収まった事にして無理やりにでもアゲイトに付いて行こう! とりあえずケンカはもうなさそうだし、いいよな。そう決めて、すっくと立ち上がる。

「ベリル、あのな……」

 言いかけた言葉はアゲイトの低い声に遮られた。

「それと、オーケン! 街の警備に気をつけろ。特に北門に注意しろ」

「北門ですと?」

「理由はマイカに聞け」

「はっ?!」

 なんだそれ! し、知らないぞ?! 何だ、その理由って!

 驚いてアゲイトを見る。が、その前に立ちはだかる金目銀目。

「どういう意味ですかな?」

「し、知らな……ちょ、アゲイト?!」

 オーケン殿の肩越しに見えたのは、サルファーに乗り込むアゲイトの姿。

「ちょ、ちょっと待て!」

 アゲイトはにやりと笑うとそのまま飛び立ってしまった。

 嘘だろ?!

「マイカ、急に立ち上がってはいけません! 具合が悪いのなら建物の中へ……」

「その前に、何故北門なのか説明して頂きたい」

「オーケン殿! その話は後で」

「いいえ! 理由を聞かなくては指示が出せませぬ!」

「オーケン殿!」

 またもや険悪な空気が漂い出す背後を尻目に、遠ざかるアゲイトを見上げていた。置いて行かれた……本当に置いて……あの馬鹿っ!

 あの馬鹿、やっぱり最初から私を連れて行く気など無かったんだな?!

 置いて行かれ、騙され、騙して、情けないやら悔しいやら。呆然とその場に立ちつくす。

「マイカ?」

「マイカ殿!」

 こ、こいつらの所為で……。いや、この二人も立派な被害者と言えるだろう。しかもその片棒を担いだのは私だ。

 やり場の無い怒りを抑え、歩き出す。

「マイカ? 何処へ……」

「……イレ……」

「は?」

「トイレ! 行ってきますっ!」

 トイレなんぞに用は無かったがこの場にこれ以上居られるはずもなく、つかつかと大股で歩き出した。が、数歩進んだ所でドレスに足をとられ、転びかけた。

 地面に手がつく前に差し出された無骨でしなやかな腕。その腕にしがみついて、なんとか転倒は免れた。

 見上げると、その腕の主は感情の無い鳶色の目で私を見下ろしていた。

「マイカ・スギイシ」

「は、はいっ!」

 緊張しながらその目を見返す。

「トイレならあちらだ」

 私を振りほどくようにして示された方向は私が向かおうとしていた方向から70度ほどずれていた。

 無機質な声。無機質な目。

 頬が熱い。くそ、また醜態を。

「〜〜っ、ありがとうございますっ!」

 ドレスの裾を両手で抱え上げ、全速力でその方向へ走る。

 情けなくて涙まで滲んで来た。

 くっ……あ、あの馬鹿! 戻ったら只では措かんっ!! 戻ってきたらどうしてくれようか! 

 私は必死でアゲイトへの復讐方法を考えつつ、トイレへと走った。






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