第二十一話:執務室
アゲイトは私を担いだまま、ずんずんと歩いていく。
「いいかげん降ろせ! 自分で歩く!」
「裸足でか? いいから大人しくしてろ」
「担がれるより裸足で歩くほうがましだ!」
「黙れ」
しばらくはそうやって抵抗していたのだが、この男はまったく聞き入れてはくれない。
廊下を行き交う人たちも、急ぎ足だったその足を止め、すれ違いざまにこちらを見てゆく。
「頼むから降ろしてくれ。みっともない……」
何故蓑虫みたいにくるまれて担がれねばならんのだ。
「堂々としてりゃみっともなくもないだろ」
「この格好がすでにみっともないわっ!」
「そうか?」
アゲイトは不思議そうに返した。
あぁ……もう。この男に正論を説こうとした私が間違っていた。
「せめて……このマントくらい外してくれ……」
「もうちょっとで着く。我慢しろ」
もうちょっとって……そういえば何処に向かってるんだろ?
なんとなく見たことのある区画。絨毯の敷かれた廊下。すれ違う人も近衛兵ではなく、執務官が多くなってきた。逆向きだから良く分からなかったがこの道ってたしか……。
目的の部屋に辿り着いたのか、アゲイトは足を止めると私を片手で担ぎなおし、その部屋の扉を開けた。
「おい、居るか?」
その問いに返ってきた声はうんざりするほど聞きなれた声。
「何用ですか? 殿下」
見覚えのある扉。下を見れば、やはり記憶にあるものと同じ柄の絨毯。
アゲイトが慣れた調子で後ろ手に扉を閉める。目前に迫る扉。ちょっ……ごつん。
「ふぎゃ!」
て、手が使えれば……
顔面にごつごつとした扉の彫刻が直撃。
「お、すまん」
「こ、この…馬鹿男っ!」
「マイカ?!」
背後、おそらくは執務室の奥の椅子あたりからベリルのちょっと慌てたような声。
アゲイトは相変わらず私を担いだまま執務室の奥へと進む。遠ざかる扉。
「おい、手ぇ出せ」
「は?」
ベリルが書類を置く気配。と同時に、ひょいっと体が浮き、視界が反転。どさりと、やや乱暴に何か柔らかくやや不安定な布の上に下ろされた。
金色の目が私を見下ろしている。
「すまんがこいつの足を診てやってくれ」
「はぁ?!」
「足?」
アゲイトが一歩下がる。追おうと身じろぎすると、肩と足をつかまれる感触。視界の端に写る純白の神官服。直ぐ近くにあるベリルの顔。……ちょっとまて、此処どこだ?
冷静に辺りを伺って見れば頭の直ぐ傍に机の角。顔のすぐ左にはベリルの肩が見える。ほぇ? ベリルの肩からさらに視線を下にやると、真紅のマントと、そこからはみ出た紺のドレスの裾と私の素足が見える。道理で不安定だと……じゃなくて! 何でベリルの膝の上に居るんだ?
ベリルはやや呆気に取られた表情で私を抱え、見下ろして居る。
「んじゃ、マイカ。準備できたら迎えに来るから大人しく待ってるんだぞ」
アゲイトはそう言うと踵を返し、さっさと出て行ってしまった。
呆気に取られていたが、扉の閉まる音に我に返った。
「ちょ、待て! アゲイト!」
護衛なのに! 護衛なのに置いてくとかっ!
慌ててベリルの膝の上から降りようとすると、一瞬早くベリルに抑えられる。
「離せ!」
「離しても良いが、落ちるぞ」
「む……」
一瞬怯むと、すかさずベリルが私を抱え上げた。
「足がどうとか言っていたな」
「足とかどうでも良いから降ろしてくれ!」
「暴れるな、頭から床に落とすぞ」
「むむ」
やりかねん。こいつなら。
ベリルは私を抱えたまま立ち上がると、応接用のテーブル脇にある木製のベンチに私を座らせ、足元に膝を落とす。
「おい、解けってば」
「足を診るのが先だ」
ひんやりとした手が私の足を救い上げ、純白の膝の上に乗せる。
「……靴擦れか。少し腫れているな」
「だからそれくらい何でもないって言ってるのに!」
前もそうだったな。かすり傷だと言っているのにわざわざ小屋まで治療に来たり。どれだけひ弱だと思われてるんだ。
ベリルの手を軽く蹴り上げ、膝から足を下ろす。と、薄蒼色の目が、私を見返す。
「お前は……魔法が効かないから、心配なんだ」
「かすり傷くらいで魔法など必要ないだろう」
そう言うと、ベリルは軽いため息を吐いた。
ゆっくり立ち上がると、奥の机へ向かい、何か手にして戻ってきた。手にしていたのは小振りのナイフ。書簡の封を開ける時に使用しているものだろう。
「見てろ」
ベリルはゆっくりと自分の手の甲にナイフの刃を当てて、そのまま引いた。
「ちょっ!」
白い手の甲に浮かび上がる赤い筋。
「な、なにやって!」
「よく見ろ」
ベリルは傷口が良く見えるように手の甲を私の前に差し出す。生々しい鮮血。が、白い指がそれを拭うと、そこにあるべき傷がその血とともに拭われたかのようにきれいさっぱり見当たらない。
「え?」
手品? な、わけないか。どういう事だ?
「魔力の高いものは自身の魔力で多少のかすり傷程度であれば治癒する。魔力の低いものでも治癒でたやすく癒える。だから、本来俺たちは怪我とは無縁だ。それが無いお前が異端なんだ。それに……」
怪我と無縁……ちょっとうらやましいような怖いような。つくづく異世界なんだな。ここは。薬とかあるから普通に怪我くらいすると……あれ? じゃぁあの薬は何だ?
もぞもぞとマントを振り払おうとしつつ傷口に見入る。……マントが外れる気配が無い。あれ? このっ! さらにもがくが、どう包んだのかさっぱり解けない。
ベリルはそんな私にやや呆れた視線を送りつつ、先を続ける。
「たしかに、一般庶民であればかすり傷程度、わざわざ治療師を呼んで治療してもらう程ではないが……お前の場合、傷口が化膿してしまってからでは遅い。例えかすり傷と言えども油断は……」
ほ、解けない。くそっ!
危害が加えられる訳では無いが、拘束されているというのはあまり良い気分ではない。さらにもがいていると、バランスを崩してベンチに倒れた。
「あぁ、もう!」
「……解いてやるから大人しくしろ」
ため息と共に白い腕が伸ばされる。
「す、すまん」
ベリルは私を拘束していたマントを丁寧に剥ぎ取ると、きちんと畳んでベンチに置いた。
ふう。やっと腕が自由になったぞ。軽く肩を伸ばし、座りなおす。
「とにかく、そういう理由だから大人しく治療を受けろ」
ため息交じりの声。
「理由は分かった。だが、これくらいの傷など何時もの事なのだから、いちいち気にしていては何もできないだろう」
「お前は俺の話をちゃんと聞いていたのか?」
「うむ。聞いていたぞ。お前が心配性なのはよく理解した」
「そこじゃない! お前が心配だと言ったんだ!」
「だから心配するような事では無いと……どうした?」
ベリルはこめかみを軽く抑えてうなだれている。
「やはり疲れているんじゃないか? 顔色が悪いぞ。働きすぎだ」
式典前も何やら妙な様子だったしな。このところ働きづめで疲れているのだろう。
そう言ってやると、ベリルは横目でこちらを見て「そうかもしれないな」と言った。
ちょっと意外だ。素直に自分が疲れていると認めるとは!
「な、なら。そんな所に立っていないで座って……いや、少し横になったらどうだ? 水となにか食べるものでももらって来る」
そうだ、こういう時こそ私が看護してやろう。いつも面倒を見てもらってばかりだからな。
ベリルの腕をつかんで横に座らせ、いそいそと食堂に取りに行こうと立ち上がりかけると、逆に、ベリルに腕をつかまれ、ベンチに引き戻された。
「裸足で出歩こうとするな! ……そんな事より、薬を塗ってやるから座ってろ」
ベリルは再び立ち上がると、怪しげな器具の置かれた棚の引き出しから、以前持ってきた物とよく似た瓶と布を手に持って戻ってきた。そして、再び膝を突くと、私の足を持ち上げ、薬を塗り始めた。
ひやりとした指の感触と、薬草を練り上げたような独特のにおい。
薬を塗るくらい自分で出来るのに。が、そんな事を言ったところでこの男がはいそうですか、と聞き入れてくれるとは思えず……かと言ってわざわざ膝を突いてまで薬を塗ってもらっているというこの状況が、なんとなく気まずい。
ずっと見ているのもなんだか照れくさいので視線を上に上げると、棚に飾られた怪しげな実験器具のような何かが目に入る。
前々からちょっと気になっていたがあれは何なのだろう?
薬を塗り終わったベリルにそれとなく聞いてみた。
「あぁ、あれか。あれは前任者の趣味だそうだ」
「趣味?」
「執務の合間にここで簡単な薬の調合や新薬の開発をしていたらしい」
ふむ? 思わずベリルの顔を見る。こいつも薬湯を煎じたり薬を調合していたからな……
薄青色の目が冷ややかに私を見返す。
「言っておくが俺とは無関係だ。器具の大半は地下倉庫に移動させた。あれは収まりきらなかった物をそのまま置いているだけだ」
「ふ〜〜ん……」
ベリルは薬の瓶を机の上に置くと、私の隣に腰掛け、深いため息をついた。
「なぁ、やっぱり横になったほうがいいんじゃないか。疲れてるんだろ?」
傍目には分かりにくいが、少々顔色が良くない。病的な感じはしないが酷く疲れ切った表情。
「……そうだな。確かに疲れている」
「うむ。無理のしすぎは良くない。この後も忙しいんだろう? アゲイトがゆっくり出来るのは今のうちだけだと言っていた。だから今のうちにゆっくり休むと良い。大体お前は働きすぎだ、このままだと過労死するぞ? あの馬鹿みたいに……とは言わんが少しくらいの息抜きは必要だ」
うむ。大体こいつが疲れているのだって大半はあの馬鹿の所為なのだから少しくらいサボっても罰はあたらんだろう。
仮にそれで仕事に差しさわりが出たとしても、あの馬鹿になんとかさせれば良いのだ。あの馬鹿も少しくらい働いてもらわねば。
「他人の心配よりもまず自分の体調管理が出来て居なくてはな。特に私の事など少しくらいほっておいても大丈夫だ。私は見た目以上には丈夫なのだぞ? ここ十年ほど風邪すらひいたことが無いしな」
まぁ、昔はよく熱など出していたらしいが。鍛錬を積んだ今は真冬に水を浴びようが平気だ。ふふん。
いい気になって説教してみたが、ベリルが何も言わないので気になって隣を見ると、なにやら神妙な面持で手を組み、何やら考え込んでいるらしかった。私ごときに説教されたのがこたえたのかと思ったが、どうやら違うようだ。
何と言うか……心此処にあらず、と言うか、その様子は何か熱心に祈りをささげているようにも見える。
「ど、どうした?」
様子がおかしい。覗き込んでみるが反応が……あった。ゆっくりと薄青色の目がこちらを向く。
しばし、見詰め合う。
「……大丈夫か?」
「……あまり、大丈夫ではないな。思っていたより重症の様だ」
「何?!」
それはいかん!
え……と、こ、こういう時どうすれば良いのだったか。医者! ……ってここにいるのか? 一番それに近い心当たりは隣に居るこの男なのだが。
だが、この男が自ら重症などとは! ど、ど、どうしたら……
脳裏を過ぎるのはあの赤毛の馬鹿男。ああみえてこの城の責任者なのだし、あの男ならなんとかしてくれるだろう。よし!
「ちょ、ちょっと待ってろ! 今、アゲイトを呼んで……」
「あの男の事は口にするな!」
ふぇ?!
急に腕を掴まれ、怒鳴られる。今まで見たことの無い、激しい口調。激しい怒りの表情。あの馬鹿を叱る時にもこんなの見たことが無い。
「あ……え……と……」
その気迫に飲まれ、上手く言葉が出てこない。
ベリルは静かに俯いた。
「すまん……声を荒げた。許せ」
「き……気にするな。お前は疲れてるんだ。こちらこそ悪かった。具合が悪いのに説教など」
腕を握る手に、力がこめられる。
そうだよな。疲れてイライラしてるのに余計な手間をかけさせた上に説教など考え無しだった。
「やはり少し休め。大丈夫だ。私は静かにしている」
せめてこれ以上邪魔にならないようにしなくては。
「邪魔にならないように他の部屋に居る事にしよう。ゆっくり休め」
立ち上がりかけるが、相変わらず強く腕を握ったままだ。
「……私が居てはゆっくり休めないだろう?」
「いや、居てくれ」
「……そうか」
再び座りなおす。やはり様子がおかしい。どうしたものか……。
この、心もとない様子といい情緒不安定な所といい、よほど疲れているに違いないのだが。しばし、気まずい沈黙が続く。むむむ。このままでは気まずさに私の気がおかしくなりそうだ。おまけにあの馬鹿のその後の様子も気になる。
仮にも婚約者に対してあんな態度、失礼にも程がある。ベルチェさんが気を悪くしていなければ良いが。いや、すでに十分気を悪くしているだろう。
あの後、ちゃんと二人で話し合ってくれていれば良いのだが……。良いのだが……なんだろ? もやもやする。
別にあの馬鹿がどうなろうと知った事では無いはずなのだが。いや、そうではないな。
あの馬鹿が改心して、ベルチェさんと仲直りすれば、あの男の女遊びも少しは落ち着くだろう。そうなればきっと、わたしにちょっかいを出す事も無くなる。うむ。それが良い。
それで、良いはずだ。
なのに何故かそうなったら少し寂しいような気持ちになる。ふむ……。妙なものだな。ひょっとして私はこの境遇を少しは好ましく思っていた。という事なのだろうか。
よくよく考えてみれば、たとえ相手があの馬鹿であれ、異性に好意を持たれるなどというのは人生初の快挙だったのではないだろうか?
いやいやいや、待て。あれは数には入らないだろう。小娘でもあるまいに、ちょっとベタベタされたくらいで舞い上がるなど……舞い上がる?! 私が、か?!
ちょ、ちょっと待て! それはアレか? 私はあの男にちょっかい出されて嬉しかったとでも言うのか?! 自分の思いつきに愕然とする。いや、まさか。
だが、思い起こしてみれば押し倒され、抱きつかれ……と、さんざんセクハラされて来ながら本気で嫌だとか嫌いだとか思ったことは……いやいやいや!
た、たしかにあの男の事は嫌いではないが、うん。嫌っては居ない。だが、だからと言って好意を抱いては無いはずだ。
待て、落ち着け? これは、そう! 今までそういった経験が無かった故に勘違いしているだけだ。うむ。そうに違いない。はは……。
自分を落ち着かせる為にも瞑想でも……と思いかけた時、やっとベリルが口を開いた。
「少し、横になる」
「そ、そうか」
「膝を貸せ」
「へ?」
ベリルは、そういい終わらないうちにベンチに半身を横たえると、私の膝に頭を乗せた。
「誰か来たら起こせ。少し、眠る」
「ふぇ?」
そう言うなり、目を閉じた。
寝てる……のか? ……本当に?
膝の上にある奴の顔を凝視するが、よく分からない。まぁいいか、疲れているみたいだし。そっとしておいてやろう。
白い、陶器の様になめらかな肌に長い銀色の睫毛が影を落としている。精巧な人形の様に整った顔。蒼銀の髪が紺のドレスに流れるような文様を描いている。
眠りを妨げないよう、そっと指で掬うとさらさらと指から零れ落ち、新たな文様を描き出す。
寝顔、初めて見たな。
改めて見ると、確かにローゼやモルダが言っていた様に整った顔をしている。しかも、今はその冷たそうな目を閉じているおかげで近寄りがたい雰囲気が薄れている。
こうしていると、ますます隼人に似てるな。顔立ちは違うんだが、雰囲気とか。
むむ、そう思ったらつい、いたずらなどしてみたく……いや、止めよう。仕返しの事を考えるとアレなのもあるが、第一こいつは疲れているのだからな。そっとしておこう。
執務室の大きな窓からは心地よい日差しと鳥のさえずり。それに混じって、外から忙しそうな声などがおぼろげに聞こえる。
……アゲイトには此処で待っていろ、と言われたが。皆が忙しそうなのに私までくつろいでいて良いのだろうか?
すぐ隣の部屋からも、壁越しに話し声などが聞こえてきて、なんだか落ち着かない。多分、執務官達も忙しいのだろう。こいつも式典が終わったばかりだと言うのに書類を見ていたしな。こんなに疲れている癖に。
むむむ、やはり何か手伝って来た方が良いような気がしてきた。そのついでにこっそりあの馬鹿の様子も見てこよう。
裸足で出歩くな、と言われたがどうせドレスの裾に隠れて見えやしないだろうしな。よし!
ベリルを起こさないようにそっと、傍に畳んで措いてあるアゲイトのマントを手繰り寄せ、私の膝とすりかえる。起こさないように、慎重に。……起きてない、よな?
寝顔に変化が無い事を確かめ、立ち上がる。と、腕を掴まれた。
「……何処へ行く」
「起きてたのか」
「何処へ行くのか、と聞いている」
……むぅ、気まずい。
「皆、急がしそうだろ? 何か手伝えないかと……」
「傍に居ろ、と言った」
「そ、そうだけど……」
ちょっと拗ねたような目。
ゆっくりと瞬いて、再び私を見る。
「嫌、か?」
「何が?」
「俺に膝を貸すのが」
「そんなんじゃない」
ベリルは、私の腕を放すとゆっくりと半身を起こした。
再び伸ばされた手、頬に触れる冷たい指先。
「だったら、膝を貸せ」
むぅ。促されて再び座りかけるが、目に入る真紅のマント。
「枕なら、そっちの方がいいんじゃないか?」
薄青色の瞳が、真紅のソレに注がれる。
「……」
ベリルは無言でそれを手に取り、机の上に半分投げるように置いた。……気に入らなかったのだろうか。
再び腕を掴まれ、座らされる。
こちらをじっと見つめる薄青色の目。
「寝てなくていいのか?」
気まずい。
なんだかよく分からないが追い詰められているような。何で私が追い詰められるんだ? 何かしたか?
つい、と後ろに下がる。すると、下がった分だけベリルが詰め寄る。むむ? 再び腰を浮かせて少しだけ端に寄る。またもやベリルが距離を詰める。むむむ……。
「な、何だ?」
言いつつもう少し端に移動。
やっぱり様子がおかしい。怒っている分けではなさそうなんだが、何だろう?妙な気迫がある。
私は何かベリルの気に入らない事でもしでかしたのだろうか?
「どうしたんだ? 今日はなんだかおかしいぞ?」
「……そうだな。そうかもしれん」
だから、どうしたって言うんだ?! 気付けばベンチの端にまで追い詰められ、逃げ道を塞ぐかのようにベリルが圧し掛かってきている。……なんとなく身の危険を感じる。な、何だ?! 何するつもりだ? まさか寝てるときにいたずらしようとしたのがばれたとか……いや、思いついただけでそんな素振り見せて居ないはずだ。
疲れているとか、そう言う問題ではないような気がしてきた。が、何がどうなって様子がおかしいのかはさっぱり分からない。
私の行動が関係してるのか、それともそれとはまったく別の何かが関係しているのか。
無い知恵を絞って考えてみるが、さっぱり分からん。竜姫祭で何か問題が起きた……のであればもっと違う反応だろうし、それならば休むなどとは言い出さないだろう。
やっぱり、疲れから来る情緒不安定とかの方がよっぽどしっくりする。
まてよ? 私が来るまではまともそうだったから、もしかして私が疲れさせているからなのか?
「なぁ、ひょっとして私が原因なのか?」
ベリルの目が見開かれる。
「やっぱりそうか。すまん。気がつかなかった。私も気が利くほうではないのでな」
「……いや、もっと鈍いと思っていた……」
「そうか?」
急にベリルの気迫が薄れたかと思うと、妙にそわそわしだした。
「それで……」
「ん?」
どうしたんだろう?何か言いかけて、言葉を止めた。
わずかに首をかしげて、こちらを見る。……心なし、顔が赤い気がする。熱でもあるのか? そう思って見れば目も潤んでいる気がする。
「お、お前は……」
さらに言いかけて、ますます顔が赤くなる。……何だ?!
「熱があるんじゃないのか?!」
大変だ! このままさらに疲れさせては倒れてしまうんじゃないか? 今こいつが倒れてしまっては式典にも差しさわりが!!
「ね、熱?!」
ちょっとあわてた様子のベリル。声が裏返っている。
すっと手を伸ばして、額に触れる。熱い。
ベリルがびっくりしたように肩を揺らす。
「やっぱり! すまん! 私が居るから余計に疲れさせているんだよな。隼人にも「お前と居ると気が休まらない」とよく言われていたのに。私が無神経だから、何か気がつかないところで余計な気を使わせていたか、神経を逆なでしていたのだろう?」
こうしては居れん! 熱まで出すとは大事だ。やはり誰か呼んで来よう! ベリルの腕をすり抜け、扉に向かう。
「ま、待て。なぜそうなる! というか誰だ! それは」
「幼馴染だ。お前にそくっりな奴でな。と、誰か呼んで来るからゆっくり休め」
「だから待てと……」
「大丈夫だ。お前の気に触らないように私は隣の部屋に居させてもらう」
心配性なベリルに、安心するようにとにっこり笑いかけ、執務室の扉に手をかけた。途端、扉が遠ざかり、前につんのめる。
「おわ?!」
「お?」
とすん、と何か硬くてがっしりした物にぶつかる。
「何してんだ? お前」
頭上から聞こえる低い声。
見上げると、金色の目が私を見ていた。
「アゲイト?」
「おとなしくしてろって言っただろ」
そう言うなり、ひょいと抱きかかえられる。
「うわっ!」
いきなりの浮遊感。視線が高い。
「裸足で、何処に行くつもりだったんだ?」
「お、降ろせ!」
「暴れんなって。すぐに降ろしてやるから」
その言葉道理、数歩歩いてすぐに降ろされた。……アゲイトの膝の上に。
アゲイトはベンチに座ると、膝から降りようともがく私を押さえながら、ベリルを見た。
「……何やってんだ? お前」
ベリルは、ベンチに座ったまま片手をついた状態でまだ呆けていた。
「な、何でもありません」
扉の方向に差し出していた腕を握り締め、ちょっと拗ねた様に視線をずらす。と、思い直した様にこちらを向くと、アゲイトを睨んだ。
「それより! 貴方こそ何をしてらっしゃるんですか!」
「見りゃわかるだろ」
私を抱く腕に力が込められる。
「だから放せと……!」
もがくが、びくともしない。やっぱり殴らないと駄目か?
「お放しなさい! 嫌がってるじゃありませんか!」
「嫌だね。お前に指図されるいわれは無ぇ」
さらに腕に力が込められた。
「ちょ、いい加減放せってば!」
このままでは圧死する。
「殿下っ!」
ベリルがアゲイトを睨みつける。あ、いかん。こんな馬鹿な事でまたこいつを疲れさせる訳にはいくまい。
「ベ、ベリル。私は大丈夫だ。それよりもゆっくり休め」
「は?」
アゲイトが素っ頓狂な声を上げ、ベリルを見た。
「何のことだ?」
「アゲイト、気が付いてないのか? ベリルは疲れてるんだ。今だって熱が……そうだ! だから医者を呼ぼうと」
「は? 医者?」
金色の目が私を見た後、ベリルを見る。
「わ、私の事などどうでもよろしい! それよりも、早くマイカを放しなさい! 」
「お前、熱あんのか?」
その声はどこか面白がっているように聞こえた。
「ありません!」
ベリルが反論すると同時に執務室の扉が開かれた。
「失礼します。ベリル様、ニュージェイドでの式典ですが……」
そう言いながら入ってきたのは竜鱗騎士団の副団長。
その鳶色の目が私達3人を見て、わずかに細められる。一瞬の間の後、かつかつと規則正しくブーツを鳴らしこちらにやってきた。
「……式典ですが、ご出席される貴族の名簿が出来上がりましたのでご報告に参りました」
副団長はアゲイトと私を視界からはずし、何事も無かったかの様にベリルに書類を渡した。
「……ご苦労。名簿は机の上に、後で目を通します」
「畏まりました」
副団長はベリルの指示道理、持ってきた書類を執務室の机に置いた。
「……で、お前、熱あるんじゃねぇの?」
アゲイトが会話を再開する。何でか「熱」の部分だけやけに強調した。
副団長の肩が揺れる。
「ありません!」
「ベリル様?!」
副団長がこちらを振り向く。逆光でよくわからないがやや顔色が悪いように見える。かつかつと再びブーツを鳴らし、早足でベリルの元に歩み寄ってきた。
「ご気分が優れないのですか?」
心配そうにベリルに問いかける。
「何でもありません! それよりも殿下、いい加減マイカを放して下さい」
「嫌だっつてんだろーが」
「痛たたたっ……ちょ、痛いってば!」
そろそろ本気で抵抗しないとまずい気がする。
「ベリル様、体調が優れないようでしたらあまり興奮なさらない方がよろしいかと」
「セレン! 私は大丈夫だと言っているでしょう。それよりもマイカを……」
鳶色の目が、ちらりとこちらを見た。刹那、きらめく白銀の斬光。
「うわっ! と、と」
「ふぇ?!」
連続した風切り音。私はアゲイトの拘束から放たれたと同時に後方に倒れかけたが、倒れる前に何者かの手で背中を支えられた。
見ると、アゲイトは副団長に剣を突きつけられ、私は副団長の左手に支えられていた。
「……これでよろしいですか?」
鳶色の目が私の後方に注がれる。
「……結構」
背後でやや不満そうなベリルの声。副団長はその返答を聞いて、その後私を見た。忌々しそうな目。
「あ、ありがとうございます」
「礼はいらん。早くどけ」
言われて、即座に身を起こし立ち上がる。
「す、すみません!」
「おい、セレン! 剣をおろせ」
「マイカ」
背後から腕をつかまれ、そのまま後ろに引っ張られる。2、3歩下がったところで何かにぶつかった。
振り返ると、いつの間にかベリルがそこに立っていた。
「マイカ、以前も言ったと思いますが、殿下にはあまり近寄らないようにしなさい」
「ベリル! てめっ……」
「殿下、お静かに願います」
再び剣を突きつけなおす副団長。
「……ちっ、おい、マイカ」
アゲイトは、軽く副団長を睨みつけた後、私に何か投げてよこした。ぽとんぽとんと軽い音を立てて私の足元に見覚えのある靴が転がる。
「裸足じゃ出歩けねぇだろ」
「あぁ……」
ちゃんと持ってきてくれたんだ。
屈んでその靴をそろえて履く。靴擦れが少し痛むが大丈夫そうだ。
「ありがとう」
「ふん」
アゲイトは副団長に剣を突きつけられ、不満そうに腕組みをしている。
に、してもやっぱりすごいな。副団長。またしても剣筋が見えなかった。
体勢の所為もあるだろうが、今だって突きつけた剣先が1ミリもぶれること無く構えたままだ。しかもその視線は標的であるアゲイトではなくベリルを見たままだ。やっぱりすごい。
明日になれば模擬試合とやらでこの副団長の剣技を見られるのだ。
欲を言えば実際に受けてみたいのだが……今度、こっそり頼んでみようか? あぁ、でも所属が違うから無理かな?
ふと、肩に手を置かれ、振り返る。
「マイカ、どうかしましたか?」
ベリルと目が合う。
「……ベリル、お前寝てなくていいのか?」
「は?」
「だって疲れて居ると言っていたじゃないか。熱もあるし」
「ベリル様?!」
「それは貴女の気のせいです」
むむ? 否定され、ベリルの様子を伺うが、その表情は何時もと同じ……あれ?
ついさっきまで明らかに様子がおかしかったはずなのに!
「だ、だが。さっきはたしかに熱があったぞ! 顔も赤かったし」
「忘れなさい」
「わ、わすれ? いや、たしかに赤かった!」
ちょっとイラついた調子で言われ、むきになって反論する。と、アゲイトが堪えきれないといった様子で噴出した。
「はーーーっはっはっはっはっはっ! そうか、そうか」
「ア、アゲイト! 笑い事では……」
「殿下!」
ベリルがアゲイトを睨みつける。
副団長はいつの間にか剣を納めていて、ベリルの様子を伺っている。
アゲイトは愉快そうに顔をゆがめ、ベリルを見た。
「そりゃ邪魔して悪かったな。もう少し気を利かせて遅く来りゃ良かったか?」
ベリルは渋い顔をしてアゲイトを睨みつけている。
アゲイトはゆっくり立ち上がると私に手招きした。
「まぁ、具合が悪いってんならそっとしてやらねぇとな」
「うむ」
この男もたまには気を利かせることがあるのだな。
私はアゲイトの手招きに応じてベリルの傍を離れた。
「マ、マイカ?」
「ゆっくり休め。そもそも私が居ては気が休まらんのだろう?」
「そ、それはっ!」
アゲイトは笑いを堪えているのか、変な顔になっている。
「アゲイト、笑うことは無いだろう。たしかに私は気が利かない無神経なところがあるらしいが……」
「…っ、あ、あ〜確かにそういった面もあるかもしれんなっ……ふっ……くっ」
「だから笑うなと!」
アゲイトは口元をひくつかせながら一度大きく息を吐き、私の頭に手を乗せた。
「ま、まぁ。何があったかは後でゆっくり聞かせてもらうさ。それよりマイカ、俺達はさっさと退散しようぜ。ベリルは疲れている上にお前が居ると気が休まらねぇんだろ?」
何がおかしいのか顔を背けているが大きく肩を揺らしていて、笑いをこらえているのが誰の目から見ても明らかだ。
まぁいい。この馬鹿は後で殴っておくとして、今はさっさと執務室を出たほうが良いだろう。
「ではな、ベリル。ゆっくり休め。邪魔して悪かったな」
私はそう言って、馬鹿男の手を掴んで執務室を出ようとしかけた。
「待ちなさい、マイカ」
背後から声を掛けられ、振り返る。
ベリルが何か意を決したようにつかつかと近寄ってきた。
「何だ?」
「忘れ物です」
差し出したのはアゲイトの赤いマント。あぁ、すっかり忘れてた。
受け取ろうとすると、横から大きな手がそれを奪った。
「あぁ、すまん。忘れるところだった」
見上げると、金色の目が意地悪く笑っていた。
まぁ、たしかにこいつの物なのだからこいつが受け取るのが正しいのだろうが、なんとなく腑に落ちない。
「それと……」
不意にアゲイトではない、別の腕に抱き寄せられる。頬にやや冷たく、柔らかい感触。そちらに目をやると、直ぐ近く、吐息が感じられるほど間近にベリルの顔があった。
……、……今の、ベリルが??
私の憶測を裏付けるかのように、私の肩に置かれた白い手に一瞬、力がこめられ、名残惜しそうに離れた。
「気をつけて、行ってらっしゃい」
ベリルがやさしく、しかしどことなく脅迫じみた響きを含んで微笑んだ。
「あ……あぁ」
そして、その薄青色の目がゆっくりと私の頭上を見た。
その視線の動きにつられて見上げると、アゲイトの金色の目がベリルを睨みつけて居た。が、その
口元には笑みが浮かんでいた。
更新やや遅くなりました。
気が付けば書き始めて1年が経とうとしています。早いなぁ。
現在1周年記念て事で、とある絵師様にキャラクターイラストを依頼中です。有難い事に引き受けてくださいました。イラストが完成次第拍手ページに掲載したいと思います。皆様首を長くしてお待ちくださいませ。とっても素敵な絵を描かれる方ですよ!
ついでに番外編も現在執筆中です。こちらは本編の竜姫祭終了後くらいにアップ予定です。(多少のネタばれを含む為)こちらも気長にお待ちくださいませ。