第二十話:式典
副団長に教えてもらった小部屋の扉を開けると、アゲイトはすっかり準備の整った様子で椅子に座り、ワイン片手に寛いでいた。
その傍には隊長が控えている。
「おう、マイカ。お前も飲むか?」
「いらん! ……遅れてすみませんでした」
待たせてしまったようなので一応詫びる。
「ん? まだ多少時間はある。気にするな」
あれ? 探してたって聞いたんだけどな。まぁいいか。
「あぁ、そうです。今のうちに進行を確認しておきましょう」
隊長がのんびりとした口調で言う。
「今から殿下は広間の玉座に参られます。私達はその後に続いて入り、殿下の左後方に控えます。マイカさんは私の後に続いて入って、私の隣に並んでくだされば結構です」
「はい」
「式典は1刻程の時間で終わる予定ですが、その間私達は座ることはありませんが……お辛い様でしたら椅子を用意させますので我慢などなさらず配下の者に合図してくださいね」
「大丈夫です」
1刻と言う事は1時間半か。まぁ、なんとかなるだろう。
隊長は気遣わしげな視線を私に遣し、小首を傾げた。
「大丈夫です!」
「そうですか?」
「無理すんなよ? その靴じゃすぐに痛くなるだろ。城だけじゃなくて街でも式典がある。おまけに夜会まであるんだからな」
むむ、そう言われると……辛いか?
実を言えば今、すでにつま先が痛い。歩くのには不自由ないんだが。
「なんなら俺の膝の上にでも座っとくか?」
「馬鹿を言うな」
すでに酔ってるんじゃないだろうな? この男は。
「馬鹿じゃない、男の浪漫だ!」
頭が痛い。真面目に言っている辺り、やっぱり酔っているのかもしれない。隊長は慣れた調子で、アゲイトの妄言を軽く流した。
「はいはい。……では、後方に椅子を用意しますので辛くならないうちに座ってくださいね。いざと言う時に困りますから」
「……はい」
そうだな。つまらない意地など張っている場合ではない。護衛なのだから足が痛いなどという理由で任務に差しさわりが出ては、その方が問題だ。
その後も、幾つかの注意点を付け加えられる。
式典中は退席することは出来ないので、トイレなどは今のうちに済ませておく事。とか、身だしなみも注意する事(あとで女中さんが来てくれるそうなので、その時にもう一度整えてくれるらしい)、喉が渇かないように、軽く飲み物を飲んでおいたほうが良い。などなど。
それと、万が一の事態には、まず第一にアゲイトの身を守る事を優先する事。
式典には護衛兵も数人待機しており、会場内の警備と、万が一の事態に備えて後方の待合室にも何人か待機しているのだそうだ。
なので護衛任務としては、襲撃者を排除する事よりもアゲイトの身柄を守る事のほうが優先されるらしい。
「今回は殿下がエルバイトに赴任されて初の式典となりますので、失敗は許されません」
「はい」
……あれ? たしかアゲイトが赴任したのって2年前だよな?
「あの、初ってどういう事ですか?」
「昨年は隣国の戦争の影響で『竜姫祭』自体が取りやめになったんです。一昨年も赴任と開戦のごたごたで簡略化されましたからね」
なるほど。以前聞いた事情をふまえて推察するに、ここに難民が流れてきていると言う事は戦争はこの直ぐ近くで起きていたのだろう。祭りで浮かれている場合では無かったのだろうな。
ならば、戦争の終結した今こそ、この祭りを無事に終わらせなくては。
「そんなに気負うこた無ぇぞ。中央貴族もこの地に来るのはたいした事ない、いわば使いっぱしりの連中ばかりだ。式典なんざ寝てても終わる」
「殿下!」
隊長に諌められ、面倒臭そうに顔をゆがめるアゲイト。自分の事なのに何でそんなに適当なんだ。
「……とにかく、そう言う訳ですからマイカさんもそのおつもりで居てください。必要以上に気負うことはありませんが、万が一の際には取り乱す事のないように、心構えだけはしておいて下さいね」
「はい!」
万が一の際、か。そんな事態など考えた事も無いが、そういった事態が予測されるからこそ護衛や、警備兵が必要なのだろう。
……しかし、暴動が起こるかもしれないという噂といい、アズライトとアゲイトの温度差といい、訳の分からない事だらけだ。
まぁ、アゲイトはいい加減な奴だから事態を深刻に捉えていないだけかもしれないが。だが、護衛が必要で、後方にも兵を待機させると言うのはあまり穏やかでは無い事態だよな?
しかも、暴動が起こるとかいう噂のある街ではなく、城でこの体制が取られると言うことは、この式典でそういった自体が起こるかもしれないと言う事で……式典の出席者はアゲイトに面会を求める貴族だから……えっと? でも、その貴族はアゲイトを支持してる人たちなんだよな?
むむむ。ますます訳が分からなくなってきた。
「だからそんなに考え込む事ねぇって。気楽に構えとけ」
いつの間に隣に居たのか、大きな手が頭をぽんぽんと撫でる。
思考を遮るノックの音。
「殿下、お支度を」
「入れ」
入ってきたのは先ほど私の着付けを手伝ってくれた女中さん以下数名。
彼女等は慣れた手つきで服の皺を伸ばしたり、髪を整えたりしてくれた。その仕度が整ったのを見計らったかのように執務官がアゲイトを呼びに来た。
「んじゃ、行くぞ」
アゲイトは柔らかい金色の視線を私に向けると、真紅のマントを翻し、部屋を出た。
その大きな背中が、服装の違いはあれども普段とまったく変わらない様子だったので、私も考えるのはやめてその背に従った。
広間はやや薄暗い舞台裏に比べ、まぶしいくらいに光がともされ、布一枚隔てただけだと言うのに別世界のようだった。
実際、そこに居るべき人とそこに出られない人では、別の世界の住人と言えるだろうという意味ではそこは紛れも無く別の世界、なんら臆する様子も無く堂々とその光の中へ出てゆく大きな背中。
真紅のマントが翻り、その上には鮮やかな赤髪が光に透けて焔の様にゆらめく。
背後からは見えないが、その黄金の瞳はきっといつもの様に強い意志を宿し、不敵な笑みを浮かべているのだろう。それを面付けるかのように、アゲイトが姿を見せると、広間は一層の静寂と緊張に包まれた。
正面から見たかったかも。
いや、面会式の時にも見ているはずなのだがあんな蹴り飛ばしたくなるようなのじゃなくて、もっと……。
「行きますよ」
声をかけられ、現実に戻る。
「はい」
私の返事と同時に進み出た隊長に続いて、私も進み出る。
隊長が、玉座の左後方の定位置に立ち、私もそれに習って隊長の左に立つ。正面を向き、視界に入ったのは広間の中央、玉座まで続く赤い絨毯。その脇に控える貴族と衛兵。
一段高くなっているひな壇の左にはベリルと竜鱗の副団長。そしてアズライト。右側にはエルバイト公と、その隣には見慣れない女性。きっと彼女がアゲイトの婚約者とかいう女性なのだろう。赤茶色の、エルバイト公の髪に良く似た色合いのまっすぐで癖の無い長い髪。清楚な雰囲気の女性。
中央の玉座にはアゲイト。その姿は背後からは玉座の背もたれに隠れ、見ることは出来ないが、肘掛にはあの大きな手と真紅のマントが見える。脇に控えた貴族がちらちらと私に視線を送るが、以前のようなざわめきや戸惑いのような雰囲気はあまり感じられない。
ふと、わたしに気遣わしげな視線を送るベリルと目が合う。
だからそんなに心配しなくても大丈夫だってば。ちゃんと任務はこなす。と、意思をこめて視線を送り返すが、それが通じたのか通じていないのか、ベリルはゆっくりと俯きがちに瞬きをした。
あぁ、あれは多分ため息でも吐きたい心境なんだろうな。最近何も言わなくても薄々そういうのは分かる様になってきた。失礼な奴だ。軽く憤慨しつつその隣を見れば、これまた胡散臭げな視線をこちらに向ける副団長。目が合うと、すぐに視線を外されてしまった。
なんでだろ? なんとなくだが、この人には嫌われている気がする。
やはり実績がないからなのだろうな。たしかにぱっと出の胡散臭い女がこんなところに立っているのは、騎士団を束ねるものとしては納得できない事態なのだろう。
この人に認められることも今後の重要課題だな。うむ。
アゲイトがゆっくりと右手を挙げた。
その合図に、エルバイト公が式典の開幕を告げる。
「これより、エルバイト領主アゲイト・ルヴィ・ディアマンタイト殿下とエルバイト領、そしてディアマンタイト王国の繁栄と栄光を祝う。『竜姫祭』式典を開会する!」
式典は、エルバイト公が名前を読み上げ、名を呼ばれた貴族が順にアゲイトの元に進み出て祝辞を述べる。
それに対して、アゲイトが一言、二言返礼をして終了。と言うもので、2名目、3名目と順調に進んでいったが、4名目のスツルベルグ伯の時になって、突如参列者の仲から「待った」の声が掛けられた。
その声と共に進み出てきたのは、若かりし頃はさぞや名をはせたと思われる風貌の(いや、今でも十分その風格はあるのだが)老齢の男性。
横の隊長が、しまった。といった感じのため息を吐いた。
ベリルは不機嫌そうに眉を顰め、その横のアズライトは愉快そうな笑みを浮かべた。
「何ゆえこの忠臣より先にこの若輩者が名をよばれるのですかな?」
その老人は進み出た青年を威圧しつつ、アゲイトを見やる。
よく見れば、その目は左右で色が違っており、右目は緑掛かった薄茶色。左はアゲイトと同じ金色だった。
「オーケン殿。今は式典中ですぞ!」
エルバイト公が窘めるが、オーケン殿と呼ばれた老人は、今度はエルバイト公を睨み付けた。
「なればこそ、納得の行くお答えをお聞かせ願いたい」
静かだか、威厳のある声。
そういえばさっきベリルが隊長に順番がどうとか言ってたような気がする。
「傍流とは言え我が一族もれっきとした王家の血を引き、代々王家に忠誠を誓ってきた武家なればこそ。そこな商人あがりの若輩に軽んじられる訳には行きませぬ。公は私がその者よりも忠誠が劣っているとでも良いたいのですかな?」
「その様なことは申しておりませぬ」
「なれば、理由をお聞かせ願いたい」
たしか、あの時アズライトは「気難しいおじいさん」とかいっていた。たしかに気難しそうだ。
隊長とアズライトが説得したのだと思っていたがこの様子では説得はしきれなかった様だ。
ベリルが一瞬冷ややかな視線を隊長に向け、(視線を向けられた隊長の肩がちょと強張った気がした)オーケン殿に進み出た。
「オーケン殿、貴殿の言い分は分かりました。ですが彼もまた十貴族の一員。近年での王都の流通、繁栄の貢献を認められ国王よりその称号を与えられたことはご存知かと」
「金で買った地位が建国より続く忠誠より上だと、そう卿はおっしゃるのですかな?」
オーケン殿の金目銀目が鋭くベリルを睨みつけ、ベリルのひややかな蒼目がオーケン殿を見返す。
そして、沈黙。二人とも譲る気は無いらしい。その沈黙を破ったのはアゲイトではなく、アズライトでもエルバイト公でも無い、ついでに言うなら話題の中心に居ながらまったく存在感の無かった男性。
「あの〜〜。オーケン殿の仰る通り、私の家はいわば成り上がりの商家。忠誠はともかく家柄や由緒はオーケン殿とは比べるべくもありません。ですから、オーケン殿が先に、と仰るのでしたら私に異存はありません」
その発言に、一瞬二人の視線がそちらに向けられる。
いたって平凡な顔立ち、服こそ高級そうであったが、この場にいる誰もがそういった服を着ているので埋没してしまいそうなほど目立たない。
他の人と違う点と言えば、謙虚……と言えば聞こえはいいが、はっきり言えばおどおどした雰囲気。
背は低くはないが、痩身。おまけに寝てるんじゃないかと思うくらい目が細い。どことなく小動物じみて見える。
「あ、あの……ですから……」
その人は二人に見られて、しどろもどろになりながらも言葉をつむごうとする。
「わ、私は後でも……」
が、二人が彼に注目したのも一瞬の事。再びお互いを睨む。
「スツルベルグ伯はああ言っておられるが?」
「それは彼方が言わせているのでしょう。すでに決定している順序に反論するとは、オーケン殿こそ殿下を軽んじられて居られるのではありませんか?」
「老輩の忠誠を軽んじていると言われるか?!」
ここで初めてオーケン殿が声を荒げた。
え〜〜と、どうすればいいんだろう? 殴り合いの喧嘩の仲裁ならばお手の物だが、こういった口論には私が口を挟むと悪化しそうだ。おまけに今は口を出せる立場でもない。
一触即発な空気。その空気を払拭したのは玉座に座る男だった。
「それくらいにしておけ」
ゆっくりと、広間に響く低い声。
「オーケン。理由を聞きたい、と言ったな」
「はっ」
オーケン殿は直立したまま、深い礼を取った。
「俺は今、この椅子に座っている。エルバイト領主のこの椅子に、だ」
一瞬の沈黙の後に、アゲイトはこう付け加えた。
「忠誠を捧げるのであれば王家と国にそれを捧げろ。それを誓うと言うのであれば王都に出向け。この場にはこの地に貢献を捧げる者だけが訪れればいい」
その言を発した直後、会場の空気がざわめきたつ。
「兄上!」
アズライトが悲鳴に近い声を上げた。
進み出ようとしたが、玉座の大きな手がそれを制する。
「異論は、あるか?」
「………ございません」
頭を下げたままオーケン殿が返答したが、その声色からは苦渋がにじみ出ていた。
「ならば下がれ。……スツルベルグ、続けろ」
オーケン殿がゆっくりと列に戻る。
スツルベルグ伯はおどおどとオーケン殿を見送りつつ、口上を述べた。
以後も、オーケン殿を含め似たような向上が述べられて式典は終了したが、式典の間ずっと、アズライトは玉座を睨み続けた。その蒼天の目は少年に似つかわしくない、暗い光を宿していた。
そして私はなんとなく気後れがして椅子を用意してもらい損ねた。
胃が痛くなりそうだ。それが私の、式典の感想だった。
実際、隊長は控え室に下がってから女中に苦そうな薬湯をもらっていたから本当に胃にきているのかもしれない。
「な? 何もなかっただろ」
控え室の椅子に座り、ワイン片手にくつろぐ赤毛の大男。
やっぱりこの男の神経はどうかしている。
「あっただろうが!」
「あれっくらい何事でもねぇよ」
面倒くさそうにワインの入った木製のゴブレットをくゆらせる。
何事でもないって、あれがか? ……やっぱりこの男の神経はおかしい。大柄なだけあっていろいろと大雑把にできているのかもしれない。
「それより、今のうちに何か食っとけよ。今だけだぞ? ゆっくりしていられるのは」
あまり広いとは言いがたい控え室には椅子が数脚と、大きめのテーブルがいつの間にか運び込まれ、その上には料理や飲み物が用意されていた。言われて、小腹が空いている事に気付く。
座ったまま手を伸ばして取ろうとしたが、微妙に届かない。立ち上がると、足が少し痛んだ。が、できるだけ平静を装い、小皿にパンと鶏肉と豆のトマト煮を取って再び椅子に座った。ちょっと迷ったが、ドレスを汚してはいけないので小皿を手に持ったままフォークで鶏肉を口に運ぶ。
料理は少しだけ冷めていたが、鶏肉はよく煮込まれていてフォークで突き崩せるほどだった。食堂で食べているものよりちょっとだけいい料理なのかもしれない。パンも柔らかいし。
と、左に人影。見上げると金色の目がちょっとだけ不機嫌そうに私を見下ろしていた。
「おい、足。見せてみろ」
む? ……おかしいな。気取られないよう気を配ったはずだが。
「嫌だ」
皿を手にしたまま顔を背ける。
「良いから見せろ」
「……やだ」
我ながら大人気ないとは思うのだが、バツが悪すぎる。あれだけ注意されたのに。
無視して食事を進めようとした時、不意に椅子の左肘掛が小さく軋み、影が小さくなった。横目で様子を伺うと、アゲイトの右手が肘掛に見える。
次の瞬間、私の左足首が持ち上げられた。上体が後ろに傾いて、あやうく皿を落としそうになる。
「うわ、わ、わ、わ、わ……とと」
頑張れ私の腹筋。足が釣りそうになりながらもなんとか皿を水平に保つ。
「何をする!」
なんとか料理をこぼさずにすんだ事を確認して、アゲイトを睨みつける。
「お前こそ何だ。この足は」
どうやら足を持ち上げられたときに、靴も脱げたらしい。
何だと問われたものの、足は親指と小指、それとかかとがすこしだけ赤くなっているだけで他に異常は見られない。
「何だって……何もなってないじゃないか」
皮がめくれているわけでも無ければ腫れてもいない。ただほんのり赤いだけだ。
「ほ〜〜……」
金色の目が不機嫌なまま細められる。
「……痛くないもん」
つい、言い訳がましくあごを引いたままアゲイトを見る。
アゲイトは無言で足首を掴んだまま、右人差し指で特に赤くなっている親指の付け根辺りを強くこすった。
「痛っ……く、ない!」
うぅ、本当は予想以上に痛かったが……しかも、強がっているのがばればれなんだが……
こうなったら意地でも痛がってなんかやるものか。
今日一日くらいこれで通してやる!
「スティーブ、薬取って来い」
「だから痛くないってば!」
抗議すると、さらに足を高く持ち上げられた。
「うあっ!」
またもや皿を落としそうになる。ちょっとだけ愉快そうな金色の目。こ、この……
反抗しようにも皿が、皿が邪魔だ! だが、皿をテーブルに置くにも、アゲイトが邪魔で置けない。床には肘掛が邪魔で手が届かず、椅子の肘掛は不安定で、皿を置いたらひっくり返しそうだ。
ひざの上においてはドレスを汚しかねない。いっそこの男の顔面にぶつけることができたらどんなにすっきりするだろう。
扉の閉まる音。隊長が薬を取りに出て行ったのだろう。
アゲイトが低くかがんで私を覗き込む。再び軋む椅子。
「だからつまんねー意地張るなって。座ってろって言っただろ」
たしかに言われた。私だって座ろうと思ったさ! ……ちょっと言い出せなかっただけで。
言い返すと墓穴を掘りそうなので押し黙る。
「いいかげん足を離せ」
これ以上持ち上げられたら椅子から滑り落ちる。
アゲイトは目を細めると、ゆっくり私から離れた。足を離してくれるのだと、ちょっとだけ安心したのも一瞬のこと。金色の目が私の足を見たかと思うと、そこに顔を近づけた。小指に生暖かく、柔らかい感触。
「うひゃぅ……!」
き、気持ち悪っ! くすぐたいし!
「な、な、な! ……この、ヘンタイ! へんたい! 変態っっ!」
だから何で何かと舐めるんだ! この男は! 犬か!
あまりの気持ち悪さに皿を落としそうになったが、一瞬早く皿をアゲイトに取り上げられた。その皿を思わず目で追うと、不意に足が離され、その勢いで椅子から落ちそうになる。
「ばーーーか」
ちょとだけあきれたような顔で見下ろしてくる大男。くそ、面白くないな。さっきから良い様にからかわれてばかりだ。
あわてて座りなおし、ついでにドレスのすそも直す。
「馬鹿はお前だ! バカ! 変態! バカ、バカ、ばーーーか!」
「……餓鬼か、お前は」
「ふん!」
つい、勢いで罵ってしまったが、たしかに大人気ない。なんだってこう……あ〜〜〜、もう! 調子が狂うな。アゲイトは面白そうに肩を揺らし、クツクツと低い声で笑っている。
何でやる事なす事この男を喜ばせているんだ。そんなつもりなど微塵も無いのに。
殴ってやろうか、とか料理をぶちまけてやろうか、などと考えをめぐらせるが、料理を喧嘩に使うなどもったいなくて出来ない。殴りかかったところでいいようにあしらわれてこの男をさらに喜ばせるだけだろう。……ここにペンキとかあれば良いのに。ワインは…もったいないな。水でいいか。
テーブルの上に水差しを見つけ、手を伸ばしかけた時、ドアをノックする音が。隊長が戻ってきたのだろう。あわてて手を引っ込める。が、入ってきたのは隊長よりも一回り小さく、華奢な人影。
赤茶色の長い髪、金味がかった黄緑色の目の女性。落ち着いた色の赤いドレスがよく似合っている。
「あら、お邪魔だったかしら? 失礼させてもらうわね」
その女性はそう言って柔らかく微笑む。
アゲイトが軽く舌打ちする。あれ?
「……帰れ」
「あらあら、つれないのね。2年ぶりに再会したかわいい婚約者になんて口の聞き方かしら」
婚約者。じゃぁやっぱりこの人がエルバイト公の娘とか言う人だろうか。
アゲイトと彼女が立っているのに私だけ座っているわけにもいくまい。慌てて靴を履いて立ち上がる。
靴を履くときに少々きつく感じた。ちょっと浮腫んでいるのかもしれない。こすれた箇所がひりひりと痛む。
帰れとか言われたのに典雅に笑ってみせるその様子は、清楚な大人の女性としての魅力をたっぷり兼ね備えていた。
ついでに言えば清楚なドレスながらも出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる、同性から見てもうらやましいほどのプロポーション。……巨乳だ。つい、目がそこに行ってしまう。
この世界の女性はみんな巨乳なのか、それともこの男の周りにいる女性がたまたま巨乳なのか。だが、間違いなくアゲイトは巨乳好きだということを考えると後者だろう。多分。
私が彼女に見入っていると、不意に大きな手に抱き寄せられる。
「言っとくが、これは俺のだからな!」
「は?」
意味が分からん。抱き寄せる相手が違うだろう。
「もう! そんな意地悪しないで紹介してよ!」
その女性はそんなアゲイトの不誠実な態度に憤慨……? ではないな、不誠実な態度にというよりは……あれ?
私と同じくらいかやや年上と思われるが、そのややすねたような態度はなんだかかわいらしい。
「駄目だ。さっさと帰れ!」
「嫌よ!」
言いながら彼女は私の手を取り、強引に引っ張る。……あれれ?
「だから、これは俺のだって言ってるだろ!」
「独り占めなんてずるいわ! 私、彼女とは仲良くなれると思うの」
「ならなくていい!帰れ!」
「彼方がお父様の条件を飲むか、彼女を私に譲るかするなら言われなくても帰るわよ!」
……はい?
「だからこれは俺のだって言ってるだろ!」
「じゃぁ、条件を飲むのね?!」
しばし、両者にらみ合う。なんぞ、これ。
「……嫌だ」
一瞬アゲイトが怯む。その隙を突いて、強引にアゲイトから引き離された。
状況が飲み込めず、唖然とする私の両手を細く、華奢な手が握る。
「じゃぁ、マイカ。私と一緒に……」
「駄目だっつってんだろーが!」
またもや大きな手が私を抱き寄せる。
「ケチ!」
「ケチで結構! さっさと帰って遺跡でも掘り返してろ。この遺跡オタクの変態が!」
「変態とかオタクとかってやめてちょうだい! 歴史調査よ!」
やっぱり、さっぱり状況が読めない。歴史調査だか遺跡調査だかに興味のある人が何故私を連れて行きたがるのだろう?
当たり前ながら私は歴史も遺跡もさっぱりで、何の役に立つとも思えないのだが。
「せめて紹介くらいしてくれても良いじゃない! 彼女が彼方のものだって言うなら私にだって無関係じゃないはずだわ!」
いや、私は誰のものでもないのだが。
あ、待てよ? 私はこの男の部下だからそういった意味では……いやいやいや、やっぱり違う。うん。
アゲイトは軽く舌打ちすると、しぶしぶ紹介し始めた。
「あ〜〜、マイカ。こいつは俺の従兄妹でベルチェ・リチア・エルバイト。……一応俺の婚約者って事になってる」
「ベルチェって呼んで頂戴ね。よろしく」
ふわりと、やさしげに微笑まれた。
「ベルチェ、こいつはマイカ・スギイシ。俺のだからな。変な気起こすなよ?」
私は妙な紹介にキッとアゲイトを睨み、次いでベルチェさんにお辞儀した。
「マイカ・スギイシです。翼竜騎士団に配属されています」
頭を上げると、黄緑色の目と、目が合う。
「よろしくお願いしま……」
「よろしくするな!」
私の言葉を遮って、アゲイトが声を荒げる。
「紹介してやったんだから帰れ」
私を片手で抱き寄せながらベルチェさんを威嚇する。ちょっと待て、それはあんまりじゃないか? さっきからこの男の態度はどう考えても婚約者に対する態度でも、従兄妹に対する態度でもない。
他人の事情にとやかく口を挟むつもりは無いがあんまりだ。
「もう、つれないんだから」
ベルチェさんはそんなアゲイトの態度に慣れているのか、ちょっとだけ眉を顰めて軽いため息を吐いた。
私は、アゲイトの腕を少々乱暴に振り払うと、アゲイトに向き直る。
「さっきから、お前の態度は何なんだ? ちょっと酷くないか? 」
アゲイトはさも心外だとでも言いたそうに片眉を上げた。
「何だ。物扱いされたのが気に入らないのか? だってお前俺の女だって言うと殴るじゃないか」
「そんな妄言はどうでも良い! 私のことではなく彼女の事だ! さっきから帰れ帰れと失礼じゃないか!」
目の前の男は、何を言われたのか分からない、といった様子で私を見返す。
「だって2年振りなんだろう? 仮にも婚約者だと言うのならそれなりの対応は出来ないのか?!」
相変わらずきょとんとした表情。……むかつく。
「だから! 普通はもっと……」
「お前、やっぱ変わってるな」
「はぁ?!」
変わってるのはお前だろう?!
アゲイトに掴みかかると、背後から可愛らしい笑い声が。
「ふふふふ、ありがとう。でも、そんなに怒って頂かなくても良いのよ? だってこの人は何時もこうなんですもの」
見ると、ベルチェさんは子供のたわごとを優しく見守るかのようなまなざしで私を見ている。あれ? ……ひょっとして、余計なお世話だっただろうか?
握り締めた拳を見つめて考える。もしかしたら、これは一種の愛情表現…とか? 円熟期の夫婦がおいとかお前とか呼ばれてはいはい、って答えたりするあんな感じとか??
だったら確かに私の行動は余計なお世話だな。
「だって、私の事が大嫌いなんだもの。ねぇ?」
「お前だって似たような物だろう。俺の着任が決まったと同時に国外逃亡したくせに」
「あら、心外ね。元々遺跡調査の話は来てたのよ? たまたま時期が重なっただけ。それに、その話を根回ししたのは彼方じゃない」
「まぁな」
……何だ? この会話。さっぱりついていけない。
お互いに、世間話でもしているかのような調子で会話しているが……あ、あれ? じゃぁ何か? 政略結婚とかでお互いに本意では無い、と言う事なのか? この女好きが?!
ベルチェさんがアゲイトを嫌うのはなんとなく分かる気がするが、この女好きがベルチェさんを嫌う理由が分からない。美人だし、清楚だし、巨乳だし。言う事なしじゃないか。
「ベルチェ、いい加減出て行け。お前の望み道理紹介もしてやっただろ」
アゲイトが妙に冷めた声でベルチェさんにそう言った。
「嫌だ、って言ったらどうなるの?」
ベルチェさんも負けないくらい冷めた声で挑発する。
「もうここに用は無いだろ」
「あるわよ! さっきから言ってるじゃない、彼女を私に渡すか、お父様の条件を飲むか!」
「お前は条件飲むのかよ!」
「仕方ないじゃない!」
「大体、その2択は何だ?! 条件飲むとか言っておきながらマイカを渡せとか関係ないだろ!」
「あるわよ! 援助なんて無くてもやっていけるし、いざとなれば逃げ切って見せるわ!」
「だったら条件飲む必要ないだろうが!」
「本音を言えば逃げるなんて面倒臭い事より条件飲む方が楽なのよ!」
何の話だろう? 条件とかって。
どうも話の流れからするとエルバイト公が二人に対して出した条件みたいだけど。
「とにかく! お前と話すことは何も無い!」
アゲイトがきっぱりとそう言い放つ。
ベルチェさんはアゲイトをきつく睨みあげた。
「出て行け!」
「嫌よ!」
両者にらみ合う。
どうすれば良いんだ。口を挟んだところで先ほどの二の舞だろう。大体この男は彼女のどこが気に入らないんだ? 不思議だ。それともまだまだ遊んでいたいから結婚は嫌だ。とか言う理由なのだろうか。
不意に開けられた扉。
「薬、取ってきましたよ。殿下……あれ?」
入ってきたのは先ほど薬を取りに行っていた隊長。アゲイトとベルチェさんに同時に見られ、きょとんとした顔をしている。
「……お邪魔しました」
隊長は薬を手にしたまま扉を閉めた。えぇ?!
再びにらみ合う二人。
「彼方が彼女を渡すか条件を飲むのか選択するまで、出て行かないから!」
アゲイトは、ゆっくりとため息を吐いた。
「……そうか」
言いながらマントを外す。やっと話し合う気になったか。と、思いきや、マントを手に私の前に立つ。ん?
何だろう? と思っていると、アゲイトは手にしたマントで私をぐるぐる巻きにした。
「は?!」
そして、そのまま私を担ぎ上げる。
「んじゃ、俺が出て行く」
「ちょ、ちょっと待て!」
しまった、マントに巻かれて手が動かせない。かろうじて動かせるのは首とマントからはみ出た膝から下のみ。
「降ろせーーっ!」
もがくが、片手で担がれ、もう片手で足を押さえられる。
それでももがいていると、ぽとんぽとんと何か軽いものの落下音。見ると、床に私の靴が転がっている。
「ちょ、靴! 靴が!」
「はいはい、後で持って行ってやるよ」
「降ろせってば!」
抗議するが、アゲイトは私を無視してベルチェさんに向き直った。
「とにかく、こいつには手を出すな。俺の物に手を出すって言うなら誰であれ容赦しねぇ」
そう吐き捨てると、私を担いだまま部屋の外に出た。
扉が閉まる間際、アゲイトの背中を睨みつけるベルチェさんの姿が見えた。なんとなく、だがその姿がすこしだけ寂しそうに見えた。
拍手・コメント有難う御座います。大変励みになります。ご意見、ご感想など出来るだけ参考にさせていただきますのでお気づきの点などございましたらお寄せくださいませ。
さて、拍手返信ですが、拍手イラストを下げたのでそちらで返信させて頂く事にします。
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