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竜の棲む国  作者: 佐倉櫻
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―16話舞台裏―

〜16話舞台裏・スティーブの場合〜




 それは昨夜の事でした。マイカさんがベリル様に付き添われ執務室を出て行かれた後の事です。

 しばらく、書類に埋もれながら未練がましい視線を扉に向けられていた殿下ですが、何か思いつかれたのか、なにやら意味ありげな視線を私に遣されました。……嫌な予感がします。女性がらみでこの視線を送られたときは決まって面倒な事を申し付けられるに違いありません。

 良い年してやる事がみみっちいと言うか大人気ないというか……

「おい、スティーブ。お前今『また面倒な事を押し付けられるに違いない』とか思っただろう」

「いえ、そのような事は少しも思っておりません」

 危ない危ない。つい忘れそうになりますがこの方はこう見えてれっきとした王族。読心術には長けておられます。尤も伝説にある『竜眼』では無いでしょうが。

 殿下のお顔が意地悪く歪みます。……ますます嫌な予感。

「大当たりだ。……お前、明日の午後は非番だったな」

 殿下の言う非番とは団員に課せられた見回りの事です。それぞれ午前、午後、夜勤、そして国境の見回りと日毎に竜鱗騎士団の方とローテーションを組んで見回りを行うのが騎士団の主な仕事の一つです。

 私は明日はお休み。訓練が終了すれば午後はそのまま休暇となるわけですが……

「はい。そうです」

「んじゃぁ暇って事だよなぁ?」

「……そうなります」

 いえ、本当は午後は部屋の掃除と貯まっている洗濯物の始末。そして新作のチョコレートケーキのレシピを完成させると言う予定があるのですが。

 ここはそう言って断ったところで殿下が聞き入れてくださる事はあり得ません。えぇ、それはもうよく存じております。存じておりますとも!

「なら特別任務だ」

「何でしょう?」

 酷く嫌な予感がします。

「マイカが街へ行くと言っていたな。お前、マイカに気付かれないように護衛して来い」

「……嫌だと言っても聞き入れてくださらないのでしょうね」

「無論だ」

 はぁ……護衛、ですか。

「いいか、ばれないように、だぞ」

「畏まりました」

「ついでに、マイカをナンパしようとするような奴が居たら叩きのめせ」

 ……居ないと思います。

「畏まりました」

「完膚なきまでに叩け」

「承知致しました」

 私の返事に満足したのか、殿下は軽く手を組まれたまま椅子にもたれ寛がれております。

「……どうした? もう下がっていいぞ」

「いえ、ベリル様より殿下を見張っているよう申し付けられております」

 殿下は不服そうに私を睨まれますが、ここは私も譲るわけには参りません。……氷漬けにされるのはもう嫌です。あの方を怒らせて平気なのは殿下だけです!

 しばらくその視線に耐えて居りますと、やっと誠意が通じたのか殿下がしぶしぶと言ったご様子で書面に向かわれました。

 やれやれ、最初からそうやって素直に執務に取り組んでいただければ私の気苦労もずいぶんと減るのですが…。

 ふと、先程出て行かれたお二人の身を案じます。主にマイカさんの身を。あの方もずいぶんと厄介な方たちに気に入られてしまわれて……知らず目頭が熱くなって参りました……お気の毒に。心から同情を禁じ得ません。



 そして今朝の事で御座います。

 迷子になられたマイカさんを無事発見し、無事ベリル様にお届けいたしました折、世にも珍しい光景を目に致しました。

 あのベリル様がこれほどの失態にも関らず何の処罰も無くお許しになられ、あまつさえ笑って手を振って居られます。……天変地異の前触れでしょうか?

 一年前のあの惨事以来殿下をいびる……いえ、躾けられる時意外にあのような笑顔見たことがありません!

 元々、神殿育ちの純粋培養ボンボ……こほん。教養もあり礼儀正しい方です。時々非常識な以外は天然……いえ、少々常識の無いところもおありですが殿下に比べればずいぶんまともな方です。そうですね、そういう事もあるかも知れません。

 通常、遅刻者は腕立て1000回腹筋2000回を課せられている竜鱗騎士団の方々……心から同情致します。まぁあの方々はマゾ……いえいえ、厳しい訓練も耐えてこられた方々です。

 それに、ベリル様を崇拝していらっしゃいますので、ベリル様の行う事に文句を言う命知らずな方も居られないでしょう。

 それに比べうちの、翼竜騎士団はと言えば団長が殿下ですからずいぶんおおらかです。おおらか過ぎて部下の人権を無視される事もしばしばありますが……本当、どっちが良いんでしょうね? なんだか泣けてきました。

 無事挨拶も済まされたマイカさんを、とりあえずと言う事でエルペタの騎乗訓練など行う事に致しました。あの特殊な外見や、殿下から絶対に怪我をさせるなときつく言い渡されている事もありますし、他の方々との訓練は先延ばしにしたほうが良いでしょう。

 まぁ、うちの団に外見を気にするほど繊細な神経を持ち合わせた者など皆無でしょうが……念のためです。

 しかし、殿下のお話ではマイカさんは異世界から来られた方だとか。異世界なんて本当にあるんでしょうかね? ですが魔法が効かないなどといった例は聞いた事がありませんし、何よりあの外見です。……本当にあるのかもしれません。

 不思議な方です。あのお二人相手に物怖じしない態度もですが、武術をたしなんでおられる様ですが、その割りに警戒心が無いと言うか無邪気と言うか……余程育ちが良いのかと思いきやそうでも無いようですし。

 強いて言うなら、首都から出た事がない平和ボケした良家の子女と言ったところでしょうか? ふと、我が姉達など思い起こし……いえいえいえ! 断じて違います! あれは良家の子女と言うよりはバケモノ……

 マイカさんにはそんな一面など無い……ですよね? いいですよね、ちょっとくらい夢見ても。私も、女の子は可愛くて甘い砂糖菓子で出来ているのだと……思いたい年頃なのです……。はぁ……

 さて、そのマイカさんですが、さすがに乗馬経験がおありとの事で。なるほど、初心者にしては小器用にエルペタを乗りこなそうと奮闘なさっております。さすがに勘が宜しい様でこの御様子であれば2,3日で乗りこなす事も出来るでしょう。

 私がここで見なくとも、放っておいても良さそうな気がします。教える事もほとんどありませんし。

 ですが万が一、と言う事もあります。落馬して大怪我でもされては私の首が飛びます。……黒焦げになるのと氷漬けではどっちがましか、などと選択を迫られないためにも、こうして見守らなくては。いえ、決してさぼっている訳ではありませんよ?

 と、部下がなにやら用件を言い使わされて来たようです。見れば回廊の影に隠れるようにして立っているあの白っぽい人影。……幽霊じゃないですよね? いえ、そちらの方がよほどマシなので……ゲフゲフ。ベリル様が何やら話があるそうですのでそちらに向かいます。……あぁ、嫌な予感。

「スティーブ、彼方は聞く所によると午後は非番だとか」

「……はい」

 予感が当たってしまったでしょうか?

「では一つ頼みたい事があります」

「何でしょう」

「マイカの事です」

 ……本当に何なんでしょうね? このお二人は。まさか、ベリル様にまで殿下の色ボケが移ったわけでも無いでしょうに。あぁ、ですがベリル様はマイカさんの後見人を自ら勤められて居ります。

 しかもマイカさんはいろいろと特殊ですから、神殿に繋がりのあるこの方がお気になされるのはご尤もですね。邪推してしまう所でした。

「マイカは午後から友人と街に出かけます。彼方にはその護衛役を引き受けてもらいたいのです」

「……と仰いますと?」

「彼女はまだこの世界の事をほとんど知りません。彼女の身に危険な事が無い様気を付けてほしい。出来れば彼女には見つからない様にそれとなく」

「……具体的にはどのような危険でしょうか?」

「そうですね……今朝のように迷子になったり……」

 あぁ、それは有るかもしれません。

「ケンカに首を突っ込んだり巻き込まれたり……」

 えぇと……それは……

「それと不審者に気をつけてください。万が一にも誘拐などされぬように……」

 それは決して無いと思います。

 その後も、つらつらとベリル様の心配を聞かされた訳ですが……。正直どうでもい……いえ、自分で質問したのですから聞くべきでしょう。ですが……いつまで続くのですか? 保護者と言うより母親みたいです。

 初めてのお使いですか? これは。

 ですが……いえ、何でもありません。深く考えるのは止めておきましょう。どの道、殿下からもマイカさんの護衛を言い渡されております。

 内容も同じ物ですから断る理由もありませんね。ただ重圧は10倍くらいに膨れ上がった気が致しますが。

 ベリル様は用件を言い使わされました後、「では、くれぐれも頼みますよ」と念を押して竜鱗騎士団の練習場へと戻って行かれました。

 はぁ〜〜〜〜。……気が重い。

 単純な用件のはずなのに何でしょう。この重圧感。







 ……色々ありましたがなんとか任務を終え、マイカさんを小屋に送り届けた後、マイカさんのお連れの方々の様子を見るついでに謝罪する為、再びペト・エルペタに騎乗。街に引き返します。

 大人しく馬車で帰って頂いていれば良いのですが、念の為です。

 緊急を要した為、通りすがりの竜鱗騎士の方にお二人を任せてきてしまいましたが……不安です。

 私、常々思うのですがあの方々ってベリル様に似たのか無口な方が多い気がします。だからと言ってうちの団はどうかと言えば……殿下の悪影響を受けた方ばかりですので余計な心配事が増えるだけですが。

 屯所裏に竜を着地させ、まずはお二人を任せてきた騎士を探しましたが……居られない様子。

 入れ違いでしょうか? 一応市まで戻ってみる事にします。もし市に居なければ入れ違いでしょうから再び城に戻る事になりますが。

 早々にお二人を探し出してさっさと報告して報告書を纏めなければ。

 報告の事を考えると少々頭が痛いです。何故、よりによってあの変態テロリスト……いえ、推察ですが。本人であると確認を取ったわけではありませんしね。もし本物なら厄介です。あまり深く考えない事にしましょう。

 最近、殿下の身代わりにベリル様に所用を申し付けられる事が多くなってきた御蔭で、事務処理や報告書の作成能力が王都にいた頃に比べ各段に上がってきている気がします。怪我の功名とでも言うべきでしょうか……はぁ。

 ふと前方に目をやるとなにやら人だかりが出来ています。たしかあの辺りはあのお二人を置いてきた場所……

 注意してみれば若い女性の声でなにやら文句を言っている様子。

 何か不手際でも……と人だかりを掻き分けますと、銅色の髪の女性(たしかモルダさんと仰いましたか)が竜鱗の方と何やらもめておられる様子。

「だから、大丈夫って何がよ! ちゃんと説明してよね!」

「ちょっと、モルダ。言いすぎよ……」

 お連れの方(こちらはたしかローゼさんと仰った様な気が致します)が止めていますが効果は無い様子。

 竜鱗の方は……渋い顔をして黙秘しておられます。それはそうでしょう。何の説明も無く私に言付かって来ただけなのですから。

 なんとか騒ぎを収めなくては。慌てて彼女等の前に進み出ます。

「すみません。遅くなりまし……」

「アンタね、この変質者!」

 は? ……と思う間もなく左頬に平手打ち。何故?

「変質者……」

 何の落ち度があったのでしょう? 訳がわかりません。

「ロード……」

 言いかけた竜鱗の方の言葉を手で静止します。この格好でこの状況で私とばれるのは遠慮願いたい。

「マイカを何処にやったのよ!」

 目の前の少女に思いっきり睨まれています。……つまり、私が変質者でマイカさんをどうかした、と思ってらっしゃる。と。

「彼女でしたら保護して帰城させました」

「はぁ?!」

「あの、ここでは何ですので移動しませんか? 城まで送ります」

「その前に説明してよ!」

「モルダ……」

 お連れの少女が周りの目を気にしつつ、彼女を制止しました。彼女もそれに気付いたのか声を和らげます。

「……ちゃんと説明してくれるんでしょうね?!」

「はい」

 人ごみを分けて屯所に引き返します。竜鱗の方も着いて来ようとしましたが、これ以上面倒臭いのも目立つのもお断りです。「結構ですから、有難う御座いました」と言って下がって頂きました。

 人ごみを抜けるまでやたらと人々の視線を感じましたが、幸い絡んでくる者は居ませんでしたのでそのまま、なるべく目立たない人通りの少ない路地へ二人を誘導します。

 ……つけられてる? いえ、この気配は……

 こちらを警戒しながら着いてくる二人。その二人をなるべく驚かせないようにゆっくりと振り返ります。

 その背後には大きな人影。まったく、趣味の悪い。

「よぉ、変質者」

「きゃーーーーーっ!」

 突然頭上から降ってきた声にびっくりしたのでしょう。お二人がすごい声で悲鳴をあげます。

「殿下!! この状況では変質者は彼方です! 」

「え……でん……?」

 二人はよほどびっくりしたのか蹲っておいででしたが、おそるおそる殿下を見上げて呆けております。

「はっはっは……ところで、お前任務はどうした?」

「それでしたら……」

「ま、色に目が眩んでるんじゃ仕方ないか。忠告するが二人同時はやめとけ?」

「違います! ってか仕方ないって何ですか!」

「何だよ? せっかくお前にも春が来たのかと……祝ってやろうか?」

「頭が常春の人に言われたくはありませんね! 祝って頂かなくて結構です。と言うか他に言う事あるでしょう?!」

「ん〜〜〜? ……俺は幼児趣味は無いぞ?」

「そちらではなく!」

 あぁ……頭が痛い。

「分かってるって、お前がここに居るって事は無事なんだろ? 何があったかは城に帰ってから聞く」

 ああ、そうですか。分かってて鹹かったのですね! ……本っ当に趣味の悪い!

 見れば、お二人は訳が分からず固まって居られます。

 ですが殿下のお顔は知っているのでしょう。警戒した様子は見られません。

「……申し遅れました。私はスティーブ・ロードナイト。翼竜騎士団の副団長を勤めております。そして、こちらは……知っているかと思いますが、アゲイト殿下です」

「……略すな。ま、いっか。驚かせて悪かったな」

 殿下は気さくにそう仰ってお二人に手を差し出し、助け起こします。

 庶民に正式に紹介させる方がどうかしてると思うのですが。こういった身分を気にしないところや気さくなところは美徳ではあるのですが、もう少し弁えていただかないと。

「驚かせた侘びに城まで送ってやるよ」

 ひらひらと手を振って歩き出す殿下……と、ちょっと待ってください?

「殿下? 送るって殿下自らですか?」

「そうだが? どうせ城に戻るんだろ?」

「いけません! 御自分のお立場を弁えて……」

「堅っ苦しい事言うなって。城の使用人だろ? なら身内じゃねぇか」

「そう言う問題ではありませんし身内身内と軽々しく……」

「大体、こいつらあれだろ。マイカの友人だろ?」

 ……あぁ、そうですか。そこですか!

 屯所ではすでに通達がされていたのかペト・エルペタが用意されていました。

 私のものと、殿下のものと2頭。

「そろそろ帰らねぇとベリルが怒り狂うからな」

 つまり、今回はベリル様公認のお出かけだった、と。

 1年前のあの騒動以来、殿下を矯正させようと躍起になっていたベリル様が、唯一女遊びに関してのみ、3日に1度の頻度で遊びに行く事を許容する様になりました。

 ……まぁ、そうする事で噂を否定しようと言う事なのでしょうが。

 今でも少し疑っているのですが、あの事件。殿下がベリル様に女遊びを許容させるために仕組んだものじゃないでしょうね?

 もしそうなら……お、恐ろしい。思わず身震いが。この疑惑は私の胸のうちに永遠にしまって置きましょう。

「ねぇ、ちゃんと説明してくれるって言ったわよね?」

 騎乗準備しておりますと、モルダさんが私を軽く睨みつけながらそう催促されました。

 あぁ、そういえばまだきちんと説明してませんでしたね。

「あぁ、はい。マイカさんですが……」

「お〜〜い、何やってんだ? さっさと帰るぞ」

 殿下はすでにサルファーに乗りかけています。

「少々お待ちを、彼女等に説明を……」

「んじゃ、俺はこっちのちっこいの乗せて先にいくぞ」

 殿下はそう仰るや否や、ローゼさんの手を取って(と言うか担いで)さっさと騎乗してしまわれました。

「あ! 一寸待ってくださ……」

 制止しようにもすでに離陸体制に入っており……まったく人の話を聴いてくれないお方です。やれやれ。

「ちょ、ローゼ!」

 離陸際に、少々不安そうなローゼさんの顔が見えました。

 何故でしょうね、人買いとか人攫いとか言う言葉が頭を過ぎるのは。

「何してんのよ! さっさと追うわよ!」

 モルダさんは私を無視してペト・エルペタに乗ろうとされています。

「あの……説明は……」

「そんなの後でいいわよ!」

「はぁ……」

 まるで、早く追わなくては彼女が捕って食われるとでも言いたそうな気迫です。

 殿下が『興味ない』と言った以上安全確実なのですが……殿下が普段どういう目で見られているのか良く分かりますね。お気持ちは良く分かりますが。

 おまけに彼女は、殿下が今一番お気に入りのマイカさんのご友人です。決して手荒に扱うはず無いのですが殿下お一人先に行かせる訳には行きません。

 一応、殿下の護衛が私の第一任務ですし。えぇ、一応。たまに忘れそうになりますけどね。

「早く!」

「……はい」

 急かされ、ペト・エルペタに騎乗し、上から彼女を引っ張り上げ、前に座らせます。

「ちゃんと捕まってて下さいね」

 そう言うと、彼女は頷いて私に抱きついて来ました。いやいや、そんな……せっかくですからこのままでいいか。

 良いですよね? これくらいの役得があっても。感触が柔らかいとか柔らかくないとか華奢とか良い香りがするとかしないとか!

 ……何言ってるのか分からなくなりました。ごほん。気を取り直して、なるべく丁寧に離陸します。

 前方の殿下とやや距離を置いて追従します。モルダさんは……と見るとしっかりと私に抱きついたままおそるおそる周りの景色を見ています。

 今更ですが少し恥ずかしくなってきました。離陸と着陸時以外はそんなにしっかり抱きついて頂かなくても安全なのですが……まぁ、近いですからこのままで……

 城の練習場に先に着陸した殿下ですが、よく見るとマイカさんと……白っぽい人影が。もしかしなくてもベリル様ですね。はい。わざわざ殿下を連行しにいらしたのでしょう。

 なるべく砂を巻き上げないように静かに着地します。

 再び視線を殿下に移して……おや、マイカさんと目が合まし……突如、殿下とベリル様がこちらを振り向かれ……え?! 何で私殺気をこめて睨まれてるんでしょう?!

 背中をいやな汗が流れます。え……私、任務ちゃんと果たしてますよね?! ナンパ……はありませんでしたが、スリやかっぱらいの類は近づく前に撃退しましたし、迷子にもなってませんし。……アメシストの件については予想外でしたが、誘拐は防ぎましたよ? そりゃちょっと怪我させてしまいましたが、アレは不可抗力と言うか何と言うか……

 左遷? 左遷ですか? クビですか? 私!

 ……左遷よりクビの方がいいなぁ。シデラゾートで遺跡調査とかは遠慮させて頂きたい物です。

 クビになったら王都のケーキ屋に弟子入りさせて頂きましょう。などと、将来の夢に花を咲かせつつ、あぁ、でもその前にまず、氷漬けか黒焦げになるか選択しないといけないんでしょうね。と、薔薇色だったり灰色だったりする未来に、歓喜したり悲観したりしながら殿下の前に進み出ます。

 おや? マイカさんがお二人に手渡されているのは……対の銀の腕輪。

 ……え〜〜と、補足しますと、腕輪と言うのは幾つか種類がありまして。装飾品として自分で購入することもありますが、多くは贈答に用いられます。

 一般的なのは「竜姫祭」の糸や紐で編んだものですが、これは「編む」事によって友情や愛情を「組む」「結ぶ」などの意味があります。

 一方、金属や石などで作られたものは「不変の物」あるいは「永遠」などを意味し、稀にその一族などで代々受け継がれるものなどを除いては、普通、男女間での愛情表現に使用されます。特に、銀や金などの対になったものはその意味合いが強く、男女で対になったものを所持する事で「私は彼方のもの」などの意味があるそうです。

 そして、それはしばしば贈り物としても用いられますが、その場合はその二人の間を祝福する。つまり、「私は彼方達を祝福します」という意味になるそうで、主に婚礼が決まった恋人や新婚の二人に贈られるそうです。

 何でしょう、この複雑な心境。笑ったら命の保障は有りません。ですが……げふっ! ごほっ、ごほごほごほ……

 未だ嘗てこれほどまでに忍耐を要求される場面が遭ったでしょうか?! 噴出さないように、直視するのは避けたほうが良さそうです。

 おそるおそる殿下を見ると、殿下は苦笑しておられるご様子。私に気付くと右手でベリル様を示しました。

 つい、その動きにつられてベリル様を見ると……完全に直立不動。ぴくりとも動く気配がありません。……て、ちょ! 殿下! 何笑わせようとしてるんですか!

 即座に顔を背け……堪えろ、堪えろ! 私!

 必死にこみ上げる笑いを堪えておりますと、不意に殿下に襟首を捕まれました。

「お前、この事と襲撃者について。これからじっくり報告聞かせてもらうからな?」

 この事……と言いながら、マイカさんから贈られた腕輪を私の目の前にちらつかせます。

 その腕輪に関して私に何の落ち度が……

 ちらりとマイカさんを見ると、丁度モルダさんの話が終わったのか、モルダさんがマイカさんの手を引いて行かれ様としています。

 殿下はそれを苦笑しながら見ておられ……マイカさんを問い詰めるつもりはさらさら無いようです。はぁ。そうですかそうですか。私の所為ですか!

 ……は、はははは……泣いて良いですか?

 マイカさんはモルダさんに手を引かれ、申し訳なさそうに去って行かれた訳ですが……私はしっかりと殿下に襟首を捕まれ、逃れられそうにありません。……とほほ。

「んじゃ、さっそく酒場にでも行ってゆっくり報告きかせてもらおうじゃねぇか」

「え? 此処じゃないんですか?」

「阿呆か、お前。……ベリルが正気に返る前にずらかるぞ」

 あぁ、それは……。ん? 何で殿下が逃げるんですか?

 殿下に急かされるまま、訳も分からず再びペト・エルペタに騎乗しかけた、その時です。

 地の底から響く様な恐ろしい声が。

「……殿下……スティーブ……どちらへ行かれようとしておられるのですか?」

 こ、怖い。本気で怖いですっっ!

「あ……あ〜〜……市井見学だ、な?」

「あ、あと、えっ、その……」

 すみません殿下。私は殿下ほど神経図太く無いんです。

「先程遊んで来たでしょう? ……お話が御座います。執務室まで来ていただけますね?」

 ……口調は柔らかですが、目は笑っていません。

 殿下は……面倒臭そうな顔をしながらも、しぶしぶ騎乗を諦められました。……ほっ。

 とりあえず状況はこれ以上悪化しなさそうです。

 ですが……嗚呼、今日は本当、なんて厄日なんでしょう。

 私、何か悪い事しましたか?









〜16話舞台裏・アゲイトの場合〜


 マイカを下がらせた後、スティーブの報告とマイカの証言を反芻する。

 思ったより行動が早い。仕掛けてくるなら「竜姫祭」だと思ったんだが。奴等が焦っているのか、それともこれは予定外の事だったのか。

「殿下、どういう事なのかきちんと説明して頂けますね?」

 横でベリルが俺を睨む。……面倒臭せぇな。

「たいした事じゃねぇよ。巻き込まれるのが嫌なら教会に帰ってもいいんだぞ?」

 ま、そんな事しねぇだろうがな。

 案の定俺を睨みつける目が鋭くなる。……ったく、そんなにマイカが気になるならとっととモノにしちまえば良いのに。

「そんなに睨むな。所詮餓鬼のお遊びだ。たいした事にはならねぇ……と、言いたい所だが。厄介な奴が出てきたな」

 アメシストか、どこでどう繋がったんだか。

 マイカは記憶に無い、と言った。その言葉を信じるのであればマイカが記憶を無くしたのはあの夜。あの時に出会っていたのだとすれば辻褄が合う。だが奴の目的がマイカなのだとしたら、その時に行動を起こさなかったのは何故なのか。

 確証が無かったのか? それとも偶然の出来事だったのか。

 マイカの、竜気に影響されないと言う特殊な体質。そんな者が存在するのであれば……

 横目でベリルの様子を伺うが、相変わらずの無表情。目だけがきつくこちらを睨んでいる。

「ベリル、「竜姫祭」の警備を少し見直す必要がある。つってもちょっと配置を弄るだけだが、念のため前日まで関係者にも伏せておく。それと当日の式典及び夜会の出席者名簿はあるか?」

 そう言うと、ベリルは無言で机に積まれた書類から数束を選んで寄越した。

 まったく、神官にして置くには惜しい位の事務処理能力だ。

 おまけに長年教会に引篭もっていたおかげで魔法も武芸も一流。ついでに家事もこなせる。そして世間知らずでくそ真面目。実に理想的な手駒だ。

 あとは、もう少し忠誠心があれば言う事無しだがそれは高望みが過ぎるだろう。少なくとも、今は俺を裏切る理由が無いというだけで十分だ。

 手渡された書面に軽く目を通す。

 出席者の多くは、この地に居を構える地方貴族、中には中央の貴族の名前もあるが、そちらは傍流の者やその代理などがほとんどだ。

 が、その中に数名見知った名を見付ける。

 ……まぁなんとかなるだろ。どこまでこちらの手を読まれて居るのか、見当もつかないが少なくともマイカの事はまだ知られていない。と見て良いだろう。

 あ〜〜あ、適当に降りかかる火の粉だけ払って地方領主やって、兄貴が戴冠したら楽隠居気取って、面白おかしく適当に人生楽しむ予定なのに。面倒臭せぇ。

「殿下、ご説明を」

「あ〜〜……マイカの事なら、ただの偶然だろ。使えそうな手駒があったから手に入れようとしただけだ。多分、な」

 ベリルは、いまいち状況が読めていないのかまだこちらを睨んで居る。

「殿下は……マイカをどうなさるおつもりですか?」

「あん? そりゃどういう意味だ」

 ベリルを睨み返す。

「そのままの意味です。殿下は今マイカの事を『使えそうな手駒』と仰いました。殿下もそうお考えですか?」

「俺も、ってそりゃ……」

 言いかけて言葉を止める。

 奴の目からは、返答次第では喧嘩を吹きかけてきそうな気迫を感じる。マイカを手駒と言われたのが気に入らないのか、それとも……

 しっかし、こいつも分かんねぇ奴だよな。そもそも、マイカを拾ってきたのはこいつだ。教会としても興味有る材料だろうに、教会に連れて帰るでも無く手元に置いて世話している。

 こいつが、どう言うつもりでそんな事をしているのかは謎だが、マイカを利用したくて庇護している訳では無さそうだ。まさかとは思うが本気で惚れてるとか言うんじゃ無いだろうな?

 それはそれで面白いが……試してみるか。

「興味が無ぇと言やぁ、嘘になるな」

 ベリルの視線がさらに鋭いものに変わる。

「第一、あんな面白い女そうそう居ねぇだろ。鈍いんだか天然なんだか知らねぇが俺相手に暴言吐くわ暴力振るうわ、しかもかなり強い。よく見りゃ可愛いしな、ちょっとばかし貧相ではあるが抱き心地は良さそうだ」

「なっ!」

 途端、ベリルの雰囲気が驚愕したような間の抜けた物に変わったかと思うと、今度は憤慨しだした。

 おーおー、普段生っ白い顔色がどんどん赤くなって行く。と言っても良く見ると眦が赤くなっている程度だがこいつにしてみりゃ滅多に見れない変化だ。面白れー。

「そういうお前こそどうなんだよ? 女一人囲っておきながら今更抱いて無ぇとか言わねぇよな?」

 これは嘘だ。どうせ手を出すどころか何もしていないと俺は確信している。

 ……あの色気の無さは絶対に処女だ!

「か、かこっ……だっ!」

 が、ベリルは動揺しているのか憤慨しているのか、ますます真っ赤になる。こんな状況でなければ腹抱えて笑いたいところだ。

「どうなんだよ?」

「どうして貴方はそういう風にしか考えられないんですかっっ!」

 あ、怒った。

「大体、私はマイカを保護しているのであって、そういった目的で彼女の後見人になった訳ではありませんっ!」

「そうか〜〜? 大体アレだろ? 神官の養女だの何だのってのは体の良い妾だろ?」

 これは周知の事実だ。結婚が認められていない訳ではないが好ましくないという風潮の元、体裁を整えるために、意中の者を養女だの養子だのと称して一所に住まわせている神官は多い。しかもその養女を複数抱えている者も居る。

「殿下!」

 ベリルの怒りに呼応するかの様に、奴の周りに冷気が渦巻く。

 奴の気質は「氷」魔力の高い者(この場合の魔力とは竜気に影響を与えやすい気質の事だ)は感情と魔力が呼応しやすい。つまり、奴が怒るとその感情と気質に見合った竜気の変換が成される。この場合は冷気だな。もっと怒らせればその辺の物が凍り出すだろう。

 ちなみに、じゃぁ嬉しい時とかはどうなるのか、と言えばそれは気質の問題なので一概には言えない。ただ、その気質自体が攻撃的なものが多いため、一般的には怒りにのみ呼応すると考えて良い。喜ぶ度に植物が呼応して花が咲く……なんて珍妙な奴は一人しか見たことが無い。いや、一人で十分だあんな変態。

 元々、魔力の高い者は魔力が感情に引きずられる事が無い様に、幼い頃からそれらを抑える術を身に付ける。が、こいつの場合は元々の感情の起伏が無いのか、あるいは感情そのものを抑えている為かそういった術は持っていないようだ。……厄介な。

「んじゃ、お前はマイカに対してそういった感情を抱いていない……と?」

「当然です」

「それじゃぁ……俺がマイカに手を出しても良いんだよな?」

「それはっ……そうでは無く! どうなされるおつもりなのかをお聞きしているのです」

「だから、手を出すつもりだが?」

「駄目ですっ!」

「……何故?」

 問われてベリルが口篭る。そりゃそうだ。自分で言うのもあれだが直系の王族、しかも王子に差し出せと言われれば断る理由は無い。少なくともそれが伴侶であったり、婚約者であったのであればともかく、恋人でもなくまして血の繋がりも無いのだから、むしろそれで俺に恩を売る事が出来れば重畳だろう。尤も、俺はそう言うのは好かないが。男なら自分で口説いてこそだろ。

「……目を掛けている、自分が後見になっている者に、幸せになってほしいと思うのは当然でしょう。貴方に遊ばれて捨てられるのを、黙って見ていろ。とでも?」

 ……そう来たか。俺は、俺が捨てられた記憶はあっても、捨てた記憶は無いぞ? 人聞きの悪い。

「なら、本気なら良いんだな?」

「冗談でしょう?」

「そうでも無い。たしかにマイカには利用価値がある、これは認めよう。俺にとっては正直どうでも良いがな。だがそれを差っ引いても滅多に無い位は楽しめそうだ」

 これは本音だ。あんな女は他には居ないだろう。まっすぐに俺を見返すあの目が特に気に入っている。媚びるでも無く威嚇するでも無いただ純粋にまっすぐに見返すあの視線。

「楽し……む……?」

「あぁ。……面白そうだろ?」

 俺の言い回しが気に入らないのか、やはり表情は険しいままだ。

 訳の分からん奴だな。ちょっかい出されるのが嫌なら「マイカは俺のものだ」ぐらい言やぁ良いのに。そうすりゃマイカは譲ってやっても良い。その代わりこいつにはもう少し俺の為に働いてもらう。

「楽しむとか……面白いとか……それの何処が本気だと言うんですかっ!」

 本気なんだがなぁ。楽しむ事も無く、面白みも無い人生なんぞやってられるか。

「じゃ、どうしろって言うんだ」

「仮に、本気だと言うのでしたら誠意くらい見せてみてはいかがですか?」

 ベリルが皮肉たっぷりにそう言い放つ。

 な〜〜んかどんどん話がずれて行ってる気がするが。まぁいいか。誠意、誠意ねぇ。

 もし、ここで俺がマイカを妾にするとか妻にするとか言った所で、この男が承諾するはずは無い。仮に承諾されてもそれじゃ面白味に欠ける。

 大体こいつが後見人になっていると言う事はマイカを妾、あるいは妻にした場合こいつももれなく付いて来ると言う事だ。枢機卿が後ろ盾になるのは良い手に見えるが、それじゃ俺が兄貴に喧嘩売っている様に見られる。少なくとも今はまずい。

 それに、俺はすでにマイカに腕輪を贈っているのだからこれ以上誠意を見せろと言われても……。待てよ? そうか、それがあったな。

 幸か不幸か、マイカは腕輪の事をよく理解していないらしい。でなきゃ、対の腕輪を買ってきて俺とこいつに贈るなんて事しねぇだろうし、その気が無きゃ気付いた時点で腕輪を突っ返しに来るだろう。

「誠意ねぇ……っつか腕輪ならすでに贈ってんだから、これ以上の誠意っつったらアレか? 手順で行くと俺はお前に挨拶でもしたほうがいいのか?」

 直視すると噴出しそうだ。わざと考え込む振りをして視線を床に移す。

「は?!」

 ばさばさと書類の落ちる音。動揺しすぎだろ。だ、駄目だ。おかしすぎる。

 そもそも、今時腕輪を贈るとか贈られたとかで即婚約だのと言う話には成り得ない。事前にそういう話しがあるのであれば、儀礼的にそういったやり取りはあるが、通常は腕輪だの指輪だのと贈ったところで相手に好意があるという程度の意味合いしか無い。

 だが、こいつは筋金入りの世間知らずな上に、クソ真面目で男女の機微にも疎いから馬鹿正直に受け取るだろう。……せいぜい焦るが良い。あーー、良い気味だ。

 これ以上ここに居ては堪えきれずに笑い出しかねない。……とっととずらかるか。

 椅子から立ち上がると、ベリルが焦った様な声を出した。

「で、殿下。どちらへ?!」

「ん? ……ちょっとマイカの所にな。少々落ち込んでそうだから慰めに行ってやる」

「待っ……」

「あ〜〜、そうそう。警備の見直しちゃんとやっとけよ。じゃな」

 奴の言葉を遮って仕事を押し付け、部屋の戸を閉めた。……追いかけてくる気配はまだ無い、か。まぁいい、どうせすぐに追いかけてくるだろう。

 しっかし意外だよなぁ。あの堅物があそこまで入れ込むとは。それならそうと言えば、俺だって身内や部下の女に手を出すなんて真似しねぇのに。

 本気になるかもしれない、と思えるくらいには楽しめそうだったんだがな。

 物怖じしない勝気な言葉。態度。媚の無い笑顔。黒く艶やかな髪。まっすぐに俺を見返す黒い瞳。

 ――――奴が追いかけてこなかったら。手に入れてしまおうか―――

 それも悪くない。やっかいな火種を抱え込むことにはなるがそれ以上にあれが傍らに居ると言うのは魅力的だ。畏怖でも媚でも無く、まして蔑むでも無い、幼い頃どれ程求めても得られなかった対等の視線。

 あの黒い目は熱を帯びた時どんな表情を見せるのだろう。どんな声で鳴き、俺を求めるのか――。

 ……まずいな、欲情してどうする。

 少し頭を冷やす必要がありそうだ。城の裏手ではなく、練習場から小屋に向かう事にする。少々遠回りになるが歩いているうちに頭も冷えるだろう。

 回廊から練習場に出る。空には満には足りない楕円の月。

 もし、再び俺の腕に有る事に成るのであれば次は逃がさない。お前の総てを喰らい、飲み込み、守ってやろう。お前が俺を裏切らない限り。

 深く、ため息を吐く。

 ま、そんな事にゃなら無ねぇだろうがな。柄じゃねぇし。知らず頭を掻く。そんな事には成らない。今更何かを欲するなど。今まで道理適当に楽しんで本気になる前に手放すさ。

 大体奴め、あれだけ入れ込んでるんだ。すぐに追いかけてくる。奴が来たら出来るだけ煽ってやろう。そして適当に退散してやる。そんで俺に取られたくなかったらさっさと告白するなり押し倒すなりすりゃ良いんだ。清々する。

 マイカだって奴にゃ懐いてるしあんだけ思われてりゃ悪い気はしねぇだろ。

 思えば贈った腕輪は邪魔とか言われキスすりゃ逃げられ散々だ。頃合いだな。これ以上固執すりゃ本気に成りかねん。振られるのは慣れているが本気になった相手に捨てられるのはかなりきつい。

 なんて考えているうちにマイカの小屋が見えてきた。ベリルは……まだ来ていないようだ。

 小屋の戸に手をかける。……親父に会う時より緊張するな。

 耳を澄ましてみるがまだ気配は無い。まぁ成るように成るだろ。

 奴の事だ、クソ真面目に書類整理してから来るのかもしれない。さっさと来ねぇと……知らねぇぞ?









〜16話・アゲイトその後〜


 何時もと変わらない朝。

 そのさわやかさが逆に欝にさせる。

 はーーーーー……

 いっそ訓練休んでやろうかとか思ったが、結果が気になる。っつっても成るように成っただけだろうが。くそ。やっぱ止めときゃ良かったか? いや、今だからこの程度で済んで居るんだ。アレ以上はまったらやばいだろ。

 ……マイカは処女だった訳だし今日は休みの可能性も……やばい、泣きそうだ。

 練習行きたくねー……行きたくねぇ……幸せそうに恥らう二人とか絶対見たくねぇ。

「殿下、練習始まりますよ」

 この時ばかりはこの純朴な忠臣が疎ましい。

「行きたくねぇ……」

 再び布団に潜り込もうとすると、襟首をつかまれ引きずり出される。

「今度は何処のどなたに振られたんですか! そんなの何時もの事でしょう。早く行かないと!」

 何時もの事……あぁ、そうだな何時もの……気が重い。

「ほら! 練習場に行けばマイカさんが居ますよ。青春を謳歌するんでしょう?!」

「俺の青春は終わった……」

「ふざけてないで、さっさと行きますよ!」

 ずるずると引きずられるように練習場に向かう。

 ……そうだな、分かりきっている結果とはいえ、見届ける必要はあるだろう。

 でも、しばらくは二人の顔など見たくない。なんとかこじつけて二人を王都にでも使いに出すか。いっそそのまま帰ってこれなくしてやる。

 はっ、ははは……はは……はぁ……

 練習場が見渡せる回廊の柱にもたれ、そのままずるずると座り込む。

 あーー……良い天気だなぁ。ちくしょう。

 横で小うるさい忠臣が何か言っているが一言も頭に入ってこない。思ったより重症の様だ。

「……で、あ! ほら殿下。マイカさんが来ましたよ!」

 マイカと言う言葉のみが鮮明に頭に響く。

 おそるおそるその方向を見る。そこには幸せそうな……何時もと変わらぬ様子の二人。……何?! 目を瞬いて見直すが、やはり何時もと変わった様子は何一つ無い。

 再び、目を凝らして観察する。ベリルの野郎はいつもの様に未練がましい目でマイカを見ている。それはどうでもいい。マイカはそれにまったく気がついていない。……いやいやいや。

 告白なり押し倒されるなりされたら、もうちょっと反応とかあるだろ! この女がそうされて、普段道理振舞えるほど図太くは無いはずだ。と言うか、あれだけ煽ったんだぞ? 普通気付くだろ! つーか何かあるだろ! 何かあったんだろ?!

 と、マイカが俺に気付く。途端ちょっと顔を赤くして睨まれた。……やっぱ何かあったんだな? そうだろ?

 マイカはつかつかと早足で俺に近づくと、怒ったように「おはようございます」と言った。……あぁ、マイカが怒ってるのは昨日のアレか?

 その後、マイカは団員と少しだけ談笑すると、小うるさい忠臣と共にエルペタの練習に向かった。ちなみにベリルと分かれて以降ちらりともベリルの方を見ようともしない。何時もと変わらぬ様子。……何でだ?

 練習が終了するまで観察してみたが、やはりマイカに変わった様子はまったく無い。強いて言うなら時々俺を睨みつけるくらいか。

 練習が終わったのを見計らってマイカに声をかける。

「何ですか? 殿下」

 ちょっと怒っているのか、わざとらしい敬語。

「マイカ、お前……ベリルとは……」

 言いかけて言葉に詰まる。正面から何かあったと聞かされるのもしんどい。何かあったならあったで、こう切り出せば何かしら反応はあるだろう。と思ったのにマイカは反応が鈍いのか良く分かってない顔をしている。

「ベリルが? どうかしたのか?」

 その言葉にも表情にも、何も変わった様子は無い。

「……何も無かったの……か?」

 信じられん。

「何かって何だ?」

 やっぱり、何も分かっていない表情。

「いろいろあるだろ。キスしたとか押し倒されたとか……ぐはっ!」

 言い終らない内にマイカの拳が鳩尾にめり込む。……相変わらずいいパンチだ。じゃ、なくて。

「あ、あるわけ無いだろう! お前じゃあるまいし!」

 きっぱりと否定される。……寝不足に鳩尾は…効くな。

 マイカは痛かったのか、右手をぷらぷらと振りながら俺を睨みつけている。その表情には恥じらいなどまったく見られない。

「本当に何も無かったのか?」

「だからベリルはお前とは違うと何度も言わせるな! この変態!!!」

 ……あれだけ煽って……俺がせっかく諦めてやったのに……

「……あのヘタレ神官」

「ん? 何か言ったか?」

 その呟きはマイカには聞こえなかったらしく、聞き返される。

 俺を不思議そうに見上げる黒い瞳。まだ誰のものにもなっていないと分かったせいなのか、何時も以上に可愛らしく見える。そこで何かが吹っ切れた。

 そうか、そうだな。奴が手に入れないのなら俺が手に入れても良いって事だよな!!

 マイカを引き寄せ、抱きしめる。

「ぎゃーー! 離せっ! この変態! 色魔!」

「嫌だね、逃がさねぇ」

 腕の中でもがくその様子ですら、子犬がじゃれているようで可愛らしい。

 馬鹿だなぁ。そうやって嫌がるから可愛いんじゃないか。

 よしよしと宥める様に頭を撫でてやる。

「は・な・せ!」

「い・や・だ!」

 ますますムキになってもがくマイカ。騒ぎを聞きつけてかベリルが慌ててやってくる。遅ぇんだよ。見せ付けるように軽くマイカの頭に口付ける。

 こいつは俺がもらう。張り合うってなら張り合おうじゃねぇか。せいぜい焦ろ。俺が本気になる前に手に入れなければ……容赦はしねぇぞ?




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