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竜の棲む国  作者: 佐倉櫻
17/31

第十六話:腕輪

 駐屯地から隊長の竜に乗せてもらい、帰城すると隊長はそのまま竜を別の隊士に預け、私を小屋まで送ってくれた。

「では、私はこれで」

 隊長は私を送り届けると、そのまま踵を返して去ってしまった。

 私は部屋のベットに座ると、早速今日の戦利品を見ることにした。と言っても腕輪と腕輪を作る材料だけだが……

 あぁ! ……忘れていた……完全に。

 ベリルのお土産も買う予定だったのに……

 ちらりと材料の入った包みを見る。いやいや、これは作るだけであげると決めたわけではないし。大体報奨金のお礼にと考えていたのだから今日渡さなくては意味が無い。

 いっそこの腕輪を……いや、一応約束してしまったのだから別の人に渡すのはいかんだろう。

 どうしよう? 頑張って腕輪を編み上げて……って出来るかっ!

 あぁ、もう。うだうだ悩むくらいなら無難に酒か食べ物でも買って置けばよかった。もし渡せなくても自分で処分できたのに。

 と、とりあえず腕輪でも見るか。よく見ずに買ってしまったからどんな物だったのか良く分かっていないしな。

 腕輪は小奇麗な布に包まれており、ちょっと解くのが躊躇われたがまぁ相手がアゲイトなのだからそんなに気を使わなくても良いだろう。

 丁寧に包まれたそれを解くと中には銀色の腕輪が……二つ。あれ? 何で二つも?

 よく見るとそれは太さや大きさが異なっており、フリーサイズなのかアルファベットの『C』の字のように切れ目が入っている。

 フリーサイズなのに大小あるって何でだ?

 さらに見ると文様や細工がそっくり同じ物だ。……ふむ。

 と、言う事はよく見ずに手に取ったから偶然同じデザインの大きさの違う物を買ってしまったと言う事か。

 よくよく見ると、裏に何か文字のような文様のような物が彫ってあるようだがよくは分からない。

 試しに嵌めてみると、大きいほうは二の腕でも余裕があるほど大きく(私の腕はそれほど細くないはずだが)小さな腕輪のほうは私の腕で丁度くらいだった。……ふむふむ。

 包みには小さな取扱説明書のような紙が一緒に入っていたがそれはよく見ずに部屋のゴミ箱に捨てた。どうせ銀製品の手入れの仕方などが書いてあるのだろう。

 う〜〜〜ん……せっかく買ったのだからこれは予定道理アゲイトに渡すとしても同じ物を二つもらってもアゲイトも困惑するだろう。大体こちらの小さな腕輪はいくらフリーサイズでもアゲイトの腕には小さすぎる。大きいほうはアゲイトに渡すとしてもう一個は……どうしよう?

 私は腕輪を付ける習慣は無いし。そうか、これをベリルの土産にするのはどうだろう?

 こちらの世界では男女共に腕輪をする習慣があるらしいし、身に付けてくれなくても贈り物としては妥当な気がする。

 このやや小さい腕輪でも、フリーサイズなのだからベリルには丁度良いだろう。細工もなかなか良さそうだ。

 さて、そうと決まれば早速渡しに行くか。

 この小屋から練習場までならばそれほど遠くは無い。さすがに2度3度と往復しているのだから迷うことは……無いと思う。うん。さっき通ったばかりだしな。

 練習場に辿り着ければ後はそこに居るであろう隊士の誰かにアゲイトとベリルの居場所(おそらくは執務室だと思うが)を聞けば良いだろう。

 早速、腕輪と材料の入った包みを持って小屋を出た。








 夕方、日もすっかり沈みかけた時刻という事もあり(多分)多少時間は掛かってしまったがなんとか訓練場までは辿り着けたようだ。ふぅ。

 なんとなく見覚えのある建物を曲がると広い練習場に出た。

 さて、ここで誰か見つけてアゲイトとベリルの居場所を聞かなくては。

 さすがにこの時間では練習している人影は無い。が、端の厩舎には何人か出入りしている様なのでそちらへ向かう。

 と、空が陰る。見上げるとどうやら竜が帰還したらしく大きな翼竜の影が二つ。

 ん? よく見ると片方の竜はもう片方より一回り大きい。あれは……まさか、アゲイトか?

 どうやらこの練習場に降り立とうとしているようなので離れたところに移動しようと、城の回廊方面へと目を向けると白い長衣を纏った人影が見えた。ベリルだ。おそらくアゲイトを捕獲しに来たのだろう。まめな奴だ。

 私がベリルに気付くのとほぼ同時にベリルも私に気付いたらしいのでそちらに向かう。

「ベリル。ただいま」

 声を掛けるが返事は無い。ん? どうしたんだろう? なんだか顔色が悪い。夕日のせいだろうか?

 ベリルは近くまで寄ってくると私の頬に手を添えた。

「マイカ、何があった?」

 その声は切迫しており、更に言えば表情も真剣そのもの。一瞬何の事か分からなかったが中途半端に短くなってしまった横髪が頬をかすめ、その感触で思い出した。そういえば切られたんだった。すっかり忘れていたが。

「あぁ、これか」

 う〜〜む、さすがにここだけ短いと言うのも変だよな。頬などちょっと掠めただけだからすぐに直るだろうが、髪はすぐには伸びてくれないし……いっそ切るか。

 短くなってしまった髪をつまむ。まだ鏡で見ていないからどうなっているのか分からないが、こうも凝視されると気になってくる。そんなにおかしな事になっているのだろうか?

「また喧嘩にでも巻き込まれたのか?」

 ベリルがやや呆れたように聞いて来る。

「まぁそんな所かな……」

 どちらかと言えば首を突っ込んだと言うべきだろうが、説明するのも面倒臭い。大体どう言って説明して良いのかも分からない。伏せておけるのであれば伏せておきたい……と思う。いや、やはりきちんと話すべきか……。

 言葉を捜して考えあぐねていると、上空から竜の羽音と共に旋風が巻き起こる。

 わわわ、乗っているときはそれほどにも感じなかったが近くに居ると結構風が強いな。

 巻き上げられる髪を押さえ、竜を見る。砂埃がすごいな。と、ベリルが私を庇うように片袖で風を遮ってくれた。

「相変わらず荒っぽい乗り方をされる……」

 忌々しげにつぶやくと騎手であるアゲイトを睨みつける。

 最近思うのだが、アゲイトとベリルってひょっとして相性悪いのかな?ベリルはアゲイトを気遣って居る様で何気に毒舌だし。

 見ると、アゲイトの他にもう一人誰か乗っているようだ。

 逆光でシルエットしか見えないが小柄でお下げの女の子……ん?

 まさか……と思いつつ竜を降りてくる二人に駆け寄る。

 先に下りたアゲイトに、手を借りながらおそるおそる降りてくる少女。やっぱり!

「よぉマイカ。お出迎えか?」

 なんとなく嬉しそうな声のアゲイトを無視してその先の少女に声を掛ける。

「ローゼ! 何で……」

「マイカさん! よかったぁ……」

 ローゼは着地するとすぐに私に抱きついてきた。

「心配したんですよ、だって全然戻ってこないし……兵隊さんは心配無いとしか言ってくれないし……私……」

「そうか、すまん……」

 私はローゼに涙声で抱きつかれながら、そんな事を言われ申し訳ないのと嬉しいのと慣れない状況にどきどきするのとで胸がいっぱいだった。

 そうか、男連中と一緒だとこれっぽっちも心配された事など無いが(迷子になっても携帯もあるしな)女の子相手だとこんなに違うのか。

「おい、俺は無視かよ……」

「ご心配無く。私が居ります」

「お前暇なのかよ……いちいち出迎えに来やがって」

「いいえ、ちっとも。殿下の御蔭で少しも政務が進まずに居ります」

 背後で冷え切った会話が聞こえる。

「でも、マイカさんが無事でよかったです……あぁぁ!」

 顔を上げたローゼが私の顔を見て奇声を上げる。

「ど、どうしたんですか!? 傷が……」

「あぁ、これか。心配無い」

「でも……何があったんです?」

「いや、ちょっと襲われて……」

「何?!」

「何ですって?!」

 背後で、アゲイトとベリルが同時に話に割り込んでくる。

「でも何でも無かったから、大丈夫だ」

 とりあえずローゼを宥める。

 何となく背後で妙な殺気が渦巻いている気がするが……うん、これは無視して。

 近くでもう一匹の竜が降り立つ気配。先程よりも風は起こらず僅かに髪がなびく程度だった。

 振り返ると、その竜の上には隊長とモルダの姿が見える。

 そしてその手前には、殺気だった様子でこちらを見るアゲイトとベリル。

「マイカ、今お前『襲われた』って言ったよな?」

「誰に、どのようにして襲われたのですか?」

 二人とも反論の隙も見えない程妙な気迫が……てか何で意気投合してるんだ?

「いや、それはもう……」

「良いから話せ」

「話なさい」

 むむむ……襲われたって言っても、アメシストは私に害意を持っていたわけではないし……それに亡命云々に関しても私にはさっぱり分からない話だったし……どこからどうやって話した物か。

 思わず、あの場に居合わせた隊長を見る。と、同時に私の視線を追ってアゲイトとベリルも隊長を見る……というか睨みつける。

 その視線に気付いた隊長が怯えたような表情を見せた。

 しまった、隊長を尋問に巻き込むつもりは無かったのだが。

 なんとかこの場をごまかせないかな。と、手に持っている荷物に気付く。そういえば二人にお土産があるんだった。

 ついでだから今渡してしまえ。

 ごそごそと腕輪を取り出す。その様子に二人が気付く。

「何だそりゃ……」

「土産だ。お前が買って来いと言ったんだろうが」

 大きいほうの腕輪をアゲイトに押し付ける。

「お……」

 アゲイトは受け取った腕輪をまじまじと観察する。そしてその様子を見ているベリルにも小さいほうの腕輪を渡す。

「こっちはベリルに」

「私に?」

 ベリルもまた、受け取った腕輪を観察する。

 アゲイトは受け取った瞬間、ものすごく嬉しそうな顔をした。そんなに腕輪が欲しかったのだろうか。が、ベリルの受け取った腕輪を見て眉をひそめる。ベリルもまた、腕輪を観察した後アゲイトの手にした腕輪を見て固まる。……何だ?

「ちょ、お前これ……!」

「マイカーーーー!」

 アゲイトが何か言いかけていたが、その言葉を遮ってモルダが私に抱きついてきた。

「もーーーーっ! どこ行ってたのよぅ。本っ当に心配したんだからね!」

「す、すまん」

「大体アンタ、方向音痴で道も分からないのに一人でどっか行くなんて馬鹿じゃないの?!」

「すみません……」

「最近街は物騒だって話したじゃない!」

「ご免なさい……」

「もーー〜〜〜……」

「ご免な、モルダ」

 私に抱きついたまま文句を並べていたモルダだが、ぱっと顔を上げると、

「いいわ。言い訳はこれからゆっくり聞かせてもらうから!」

 と言って、私の手を取って歩き出そうとする。

 いや、私はこれからアゲイトとベリルの説教を……

 見ると、アゲイトはモルダの勢いに押されたのか、苦笑しながら隊長の襟首を捕まえている。

 あぁ……隊長……

 隊長は、哀愁漂う薄ら笑顔を浮かべ力なくこちらに手を振っている。

 本当済みません! この借りはいつか何処かで!

 ベリルはと言えば、さきほどから固まったまま動く気配が無い。

 そんな訳で私は、誰に邪魔される事も無くローゼに付き添われながらモルダに引きずられていった。







 ローゼとモルダの部屋は城の半地下にあり、部屋の上部に明り取りの窓があった。

 中は二つのベットと小さな箪笥と小さな机が置かれている。

 この区画は、主にこの城で働く女性の寮の様な場所になっていて共同の炊事場などもあるらしかった。

 モルダは私をベットの端に座らせるとその向かいに座った。

「さぁ、話してもらうわよ!」

「はい」

 私は、買い物の途中で怪しげな人物を見かけたので後を追いかけた事。

 後をつけたのが相手にばれて襲い掛かられた事。

 でも隊長が駆けつけてくれたので無事だった事などを手短に話した。

「ふ〜〜〜ん……じゃ、あの人本当に騎士団の副団長だったのね」

「あぁ」

「それにしてもマイカさん女の人なんですからそんな危ない事しないほうが良いと思います」

「いや、これでもケンカは慣れているしこれくらい何でも無いよ」

「でも顔に傷まで作って……髪も……」

「こんなの……いや、すぐに直るよ」

 一瞬舐めとけば直ると言いかけて止めた。いやな記憶まで過ぎったからだ。

「ね、その髪そのままだとちょっとおかしいから反対側も切っちゃわない?」

 む、やはりおかしいか。

「あぁ……まだよく見ていないんだが。やっぱり変かな?」

「変っていうか、そうね。揃えた方がいいわ」

 モルダは、ベットの脇の棚から小さな鏡を取り出して手渡してくれた。

 見るとたしかにちょっとおかしな事になっている。う〜〜〜む。

 これはどうした物か。いっそ肩くらいの長さに切りそろえてしまおうか? いい加減邪魔だしな。と、提案したらローゼとモルダに揃って猛反対された。

「せっかく綺麗な髪なのにもったいない!」

「そうですよ! 絶対に長いほうが良いです!」

「だが、このままだとおかしいのだから、いっそ切ってしまえば……」

「駄目よ!」

「駄目です!」

 二人に睨まれる。

「だから、この反対側のこの部分だけこっちに合わせて切るだけでいいんだってば」

 モルダが手鏡を持たせたまま髪を手にとって説明してくれるが、全部切るのと一部分だけ切るのの違いが良く分からない。

 どうせなのだからばっさり切ってしまえば鬱陶しなくなるのに。

「あぁ、もう。貸しなさい。私が切るわ」

 余程焦れたのか、モルダが私の手からはさみを奪う。

「うむ。頼む」

 ここは大人しく任せたほうが良さそうだ。

 モルダは、纏めていた髪を解いて丁寧に梳ると、私の正面に向き合い慎重にハサミを入れる。

 傍で見守るローゼも目が真剣だ。……そんなに慎重にならなくても適当に肩くらいで切ってくれても構わないのだが……

 そんな私の思惑とは裏腹に、二人はまるで何かの儀式にでも立ち会うかのように真剣そのもので……う〜〜ん。

 慎重に、ゆっくりと髪を切り終えると、二人は同時にほっとため息を吐いた。

「ありがとう」

「ん。まぁこれで大分ましになったと思うわ」

 モルダは満足そうに笑った。

「私としては、このまま肩くらいまで切ってもいのだがなぁ」

「もぅ、マイカったら何でそんなに無頓着なのよ」

 と、モルダが何か思い出したように表情を変えた。

「どうかしたのか?」

「ううん。ちょっと1年前の事を思い出しちゃって……」

 何だろう? ローゼも良く分からないといった表情をしている。

「あぁ、1年前じゃローゼも知らないわよね。ベリル様の事よ」

「ベリルの?」

「あのね、普通神官様ってのは教会に入ったときから御髪を切らない事になってるのよ」

「ふむ」

 そういえばベリルの髪は肩位の長さだ。

「ベリル様がこの地に赴任なされた時はそれはそれは綺麗な長い御髪をしてたわ」

 モルダはそれを思い出したのかちょっとうっとりしたような顔になる。

「じゃぁ何で切っちゃったの?」

「それがね……」

 モルダは内緒話でもするかのように、やや声を潜めた。

「当時ちょっとした噂が流れてね、その噂自体は2年前に殿下とベリル様が赴任なされた時からあった物なんだけど……」

 この国の内情は相変わらず私にはピンと来ないが、アゲイトがこの地に赴任するのはともかく、当時教会から高位の司祭、特に枢機卿が地方にやって来る。しかも出張ではなく赴任するなど前代未聞の事だったらしい。しかもその枢機卿が中性的な美貌を持った青年。そしてそれを連れてきたのが女好きで有名な第5王子。当時赴任したての頃はアゲイトも女遊びを控え、何かとベリルに気を使う事も多かった……らしい。

「しかも、噂ではベリル様は教会を除名されたって話でね。枢機卿が除名されるなんて前代未聞で、よっぽどの事があったんじゃないか……って」

「ふむ……」

「ほら、教会では同性愛を禁じてるでしょ?」

モルダのこの一言でその場がいやな空気に包まれた。……いやいやいや……はは。

「それって……」

 ローゼが興味深げに先を促す。

「つまり、殿下とベリル様が道ならぬ恋に落ちて駆け落ちなさったって……噂よ、噂。でもベリル様のあの容姿でしょ? 当時は神官服もきちんと着ていらっしゃって、中性的って言うよりどこかのお姫様みたいなご様子でね、実際城の男連中もベリル様の前だと顔を赤くしたり『罪を犯してでも』って懸想する人もいたとか……」

 ……なんて面白……いや、恐ろしい。ふと幼馴染の冷血漢メガネを思い起こす。奴も男に言い寄られたりとかあったのだろうか? いや、奴の事だ。もしそんな素振りでも見せられたならば、陰険な方向で完膚なきまでに再起不能にしているのだろう……多分。

「それでね、1年前とある方がベリル様に言い寄ったらしいのよ。詳しくは知らないんだけど相当露骨に」

 ……命知らずな。

「それで激高なさったベリル様が、その方を半殺しにしたとか何とか……」

 ……やっぱり。

「それはもう凄かったらしいわよ。殿下が止めに入らなければ殺していたんじゃ無いか……って」

 ……やりすぎだろう。

「そして、その場で手にした短剣でばっさりと御髪をお切りになられてね、以来、ベリル様の容姿や御髪に対しては触れてはいけない事になったのよ」

 ふむ。……なるほど。覚えておこう。

 しかし、だからなのかもしれない。ベリルがアゲイトに対して何となくトゲがあるのは。

 その後、何となく小声で談笑しながらも話は腕輪の作り方になった。

 二人は小さな机いっぱいに本日の戦利品を広げる。

「私はね、これとこれとこれを使って、この石をここにこう……」

「私は、この図案で編むんです。今年はモルダに教えてもらうからちょっと難しいのにしたんですよ」

 二人は嬉しそうに一つ一つ手にとって材料を仕分けていく。

 私も二人に選んでもらった材料を取り出す。

「ね、せっかくだからさっき切った髪も混ぜてみない?」

 は? 訳が分からずモルダを見る。

「だって勿体無いじゃない。この長さなら十分足りるわよ」

「いいですね。だって元々は髪を編んで作る物なんですし」

「ふむ……」

 この髪にそんな再利用法があるとは……

「しかしそうなると図案は……」

「ちょっと難しくなるけどこう……端のところの糸を髪に変えて……こう」

 ふむ。モルダが図案の書かれた紙にそれぞれの糸を照らし合わせて説明してくれる。説明では簡単そうに聞こえるのだが、そう上手くいくだろうか?

「じゃ、作りましょ。やってみれば意外と簡単にできるわよ」

「そ、そうかな……」

 糸を数本づつ束ね、図案に合わせて配色する。その糸の端を適当な重石になるような物で固定して(ちなみにこの重石には鉄扇を使った)端から慎重に編んでゆく。最初はモルダがお手本を兼ねて編んでくれた。器用に編むその手つきは手馴れていて職人みたいだ。

「じゃ、ここからはマイカが編むのよ」

「うむ」

 モルダに一目一目教えてもらいながら慎重に編む。が、やはり編み目が不揃いでやや不恰好だ。

「大丈夫よ、編み目を間違えなければ多少の不揃いは後で修正できるから」

 というモルダの言葉に励まされてこつこつと編む。……むむ、細かすぎて目がちかちかする。

 一息入れようと顔を上げると、モルダもローゼも熱心に腕輪を編んでいる。二人ともとても器用で、そのまま店に並んでいてもおかしくない出来栄えだ。しかも早い。

 つい二人の作業に見入っていると、不意に部屋をノックする音が聞こえた。

「だれかしら? こんな時間に」

「ちょっと見てきますね」

 ローゼは作業を止め、ドアに向かう。

 ドアを開けると、ローゼは驚いたような声を上げた。……何だろ?

 そのまま少し話をしているようだが、小声で何を話しているか分からない。しかもここからは死角になっていて、誰と話しているのかも分からない。

 話が終わったのか、ローゼが振り返って私を見る。ん?

「マイカさん、あの……お迎えです」

 お迎え? ……まさか。

 お迎えといえば約一名しか思いつかない。多少過保護な私の後見人。……あの噂話をちょっと思い出しかけてしまった。いやいや、今思い出すのはまずい。そして、お迎えと言う事はやはり説教か……うん、ちょっと欝になったおかげで笑い出さずに済みそうだ。

 さて、どうやって説明しようか。

 覚悟を決めて、おそるおそるドアから顔を出す。そこにはやはり予想道理の人物が、ミネットさんに付き添われて立っていた。

 その何時も以上に無表情な顔と雰囲気に顔が強張る。まずい、何故か分からないがこれは相当怒っている。

「マイカ、話が有ります。時間ももう遅いですから彼女等との話は今日は此処までになさい」

「……はい」

 一度部屋に戻ると、編みかけていた腕輪とその材料を纏めて、モルダとローゼに礼を言って部屋を後にした。

 薄暗い廊下をベリルが先に立って歩く。

 やはり怒っているのか無言だ。……気まずい。が、何と言って説明しよう? 街で不審者を見かけて……追いかけて……

 アメシストとのやり取りは……どうやって言おう?

 ベリルの後姿を追いながら、頭の中はどう説明するかでいっぱいいっぱいだ。大体アメシストの言葉を一言一句覚えている訳ではないから、何と言ったか正確に思い出すのも難しい。

 ふと見覚えのある絨毯。まずい、まだどう言うのか考えているところなのに。

 が、ベリルはそのままずんずんと進んで執務室の扉を開ける。

「どうしました? こちらへ……」

 やや躊躇したが、無表情のベリルに促され扉を潜る。

 執務室にはアゲイトと隊長も揃っていた。背後で扉が閉められる。

 執務室の中央に置かれたテーブルを挟み、アゲイトと対面する。そのアゲイトも何時ものムカつく笑い顔ではなく真剣な面持だ。

 しばしの沈黙。

 ややあって、ベリルが切り出す。

「マイカ、話のおおよそはスティーブから聞きました。貴方にはその襲撃者について伺いたいことが有ります」

「……はい」

 ベリルに視線で促され、アゲイトが口を開く。

「まず、お前を襲った襲撃者だが……おまえ自身に何か心当たりはあるか?」

「心当たり……って言われても、あれは私が不審者を見かけて追いかけて襲われたのだから……それかな?」

「不審者? 」

「ん……と。街で、何か取引をしているのを見かけて……」

 私はあの男、アメシストを追いかけるに至った経緯を簡単に話す。

 アゲイトとベリルは、私の話を聞きながら隊長に目配せする。おそらく私を尾行していた隊長の証言と合っているかどうか確認しているのだろう。

「それで、襲われて……」

「では次に、その男と貴方が、何か会話を交わしていたとスティーブより報告がありますが。その件について話してください」

「え、と……」

 アゲイトもベリルも表情が硬い。……何だろう? これは。これじゃまるで警察にでも尋問されているかのようだ。

「私にもよく意味がわからないのだが……あの男……アメシストが、私に亡命しないか、と……」

 私が『アメシスト』と言った瞬間、微かにアゲイトとベリル、おまけに隊長の目までもがやや険しいものに変わる。

「その男は何故貴方に亡命を進めてきたのですか?」

「……さぁ? よく分からないが、このままだと私が教会のおもちゃになるとか何とか……私の特異体質が関係しているみたいな事を言っていたが……」

 なんて言ったんだっけ? 重要な事だった気がするんだが難しくてよく分からなかった。

「……それで?」

 ベリルが無表情のまま先を促す。

「断った。だって意味がわからない」

 きっぱりと言い放つが、ベリルは私の返答にやや不満げな表情を見せた。が、すかさず隊長が横から助け舟を出してくれる。

「その辺りの会話は断片的に、ですが私も確認しています」

 ベリルは私と隊長の顔を見比べると、小さく息を吐いた。

「そうですか。ではマイカ確認しますが貴方はその男と面識はありましたか?」

「う〜〜〜ん……」

 どうなんだろう? 私はさっぱり覚えてないんだが……

「どうした?」

「いや……私はまったく覚えていないのだが、奴は私に会った事があると言っていた」

「……本当に記憶に無い、と?」

「うん。まったく」

 本当に、どこで会ったと言うんだろう? そういえば、奴は私の顔も名前も、それに私の特殊体質の事も知っていた。多分、私以上に詳しそうだった。

 考えながらも、横からのベリルの視線が痛い。

 少しの間、執務室は沈黙に包まれた。

 アゲイトが独り言のようにつぶやく。

「記憶に無い……か」

 その言葉に反応するように、ベリルがアゲイトを見る。……何だ?

 ベリルが何か言いかけるが、アゲイトが右手で軽く制す。

「大体の事情は分かった。もう下がっていいぞ」

「殿下!」

「もういいだろ。スティーブ、マイカを小屋まで送ってやれ」

 隊長は、やや躊躇するようにベリルの顔色を伺っていたが、ベリルが何も言わないのでアゲイトの指示に従う事にした様だ。

「ではマイカさん。こちらへ」

「……はい」

 隊長に促されて席を立つ。

 部屋を出かけた時、後ろから声が掛けられる。

「そうだ、マイカ。明日の訓練はちゃんと迷子にならずに来いよ?」

 ぐっ。今になってそんな嫌味言わなくても……

「分かってる!」

 後ろを振り返り、アゲイトを睨みつける。

 そこには何時もの嫌味ったらしいにやけた顔があった。






 その後、何事も無く小屋に送ってもらい、隊長にお礼を言った後部屋のベットに腰掛けた。

 手にした荷物をベット脇の棚に置く。はぁ……気が重い。

 何故、ベリルがあんなにも怒っていたのかも分からないままだ。いっそ何がいけないのかはっきりと言ってくれれば対処の仕方もあると言うのに。

 二人きりのときは砕けた口調で、他の人がいるときはあの丁寧な言葉遣いになる。それは以前から分かっている事だったが、それにしても、さっきは特に突き放した様な雰囲気だった。最初にこの小屋で目覚めたときの様な……

 あの時は私の素性を疑っていた節があった。と言う事は今回もそうなのだろうか?

 薄紫の髪、群青の瞳。宵闇に浮かぶ男の影。差し伸べられた手――――――。

 浮かんだ光景を即座に手で振り払う。

「……そんな事、無い」

 ベリルのあの態度だって、きっと私に何か落ち度が有るからなのだろう。

 私が一人でアメシストなど追いかけなければ、隊長の手を煩わせる事も無かった。いや、あの刃をきちんとかわす事が出来れば……

 悶々とどす黒い後悔が胸を渦巻く。

 大体、あの男が現れさえしなければこんな思いせずに済んだのに。そうだ、奴が悪い!

 変態だし、変質者だし! 知ったような事言って、そんなの全然的外れなのに!

 あぁ、もう! こんな事ならば話などせず殴っておくべきだった。よし、今度会ったら問答無用で殴ろう。

 大体、刃物に毒を塗るなんて陰湿すぎる。それにあのへらへらとした軽薄な態度も好かん!

 おまけに何なんだ、あのおしゃれ染めそっくりな髪は!

 思い起こせばムカつく事ばかりだ。

 アメシストの馬鹿! アホ! ……え、えと……変態! ……変質者! え〜〜と……馬鹿!

 思いつく限り罵ってやろうとして、自分の語彙の少なさに気付いた。……馬鹿は私だ。

 ……

 ……、……

 ……、……、……はぁ。

 止めよう。例え相手が変態とは言え、落ち度は私にある。ふと左手にはめたままの腕輪をいじる。

 先程とはまた別の自己嫌悪でさらに落ち込んでいると、誰かが小屋の戸を開ける気配。……誰だろ? ベリルかな?

 丁度良い。何故怒っているのか問い正さなくては。身を起こし、ベットの端に座りなおす。

 その足音は、夜の静寂の所為なのかやけに大きく聞こえる。部屋の前で立ち止まると二度、ノックして扉が開かれた。

 入ってきた人影は、予想した物より一回も二周りも大きな影。赤い髪。

「よぉ。……ちょっと良いか?」

「アゲイト……」

 予想外の人物にやや戸惑ったが、アゲイトはそのままずかずかと部屋に入ってくると私のすぐ隣に腰掛けた。

 そういえばこの男が夜にやってくるのは初めてだな。

「何の用だ?」

「いや……用っつーか……」

「襲撃者の話ならさっきしただろう」

「そうじゃなくて……どうしてるかと思ってな」

 妙な事を言う男だな。どうしてるも何も部屋でくつろいでいる所だが。

 そう言うとアゲイトは気まずそうに頭を掻いた。

「まぁ……そうなんだけどよ……」

 妙な沈黙が流れる。本当、何しに来たんだ?

「髪、切ったんだな」

 アゲイトがぼそりとつぶやく。

「ん? ……あぁ、横のところだけ少し、な」

 すっとアゲイトの手が伸ばされ、その指が頬で切りそろえた髪を掬い上げる。

 掬い上げた指から零れ落ちる髪が頬に当たり、くすぐったい。

 その指が、今度は傷口に触れる。皮一枚切れただけのそれは触れられても痛くは無い、が触れたアゲイトの方がやや痛そうな顔をした。

 あぁ、居るよな。傷とか苦手で見ると痛そうに顔をゆがめる人間。道場の子弟にも一人居た。御蔭で練習中に爪がはがれたり足の裏の皮がはがれたりするたびに面白がって見せては怒られたが。

 こいつもそういった類の人間なんだろうか? 団長の癖に傷が苦手とか情けない。いや、ひょっとしたら例の魔法とやらで直ぐに直るのだとしたら苦手なのも尤もなのかもしれない。などと思っていると不意にその顔が近づいてきて……ん? なんか見覚えあるぞ。このパターンは……

 咄嗟にアゲイトの顔を防ぐ。

「……何する気だ」

 アゲイトは私に顔を抑えられながら不満そうな表情だ。

「何って、舐めてやろうとしただけだろうが」

「舐める必要は無い! 大体もう塞がっている!」

「まぁまぁ、そんな事言うなって。大人しく舐められろ」

「断る!」

 あぁ、もう。この世界変態ばかりだ。

「そんなに何回も舐められてたまるかっ!」

 アゲイトが剣呑に目を細める。……あれ? 失言だったか?

「ほぅ……誰に舐められたんだ?」

 その声色は有無を言わせない迫力があって……てなんでそんな必要の無いときだけ偉そうなんだよ!

「いや……今のは、ちょっとした失言って言うか……い、良いだろ! 誰だって!」

 アゲイトに睨まれ、どきどきしながら答える。この目は苦手だ。心の中を見透かされるような、それで居て従わざるを得ない様な気にさせられる金色の目。

「誰だ」

 さらに睨まれる。

「……アメ……シスト」

 私の返答を聴いたアゲイトは、さらに険しい顔をして両手で私の顔を挟み、強引に顔を近づけようとする。

「ま、待て待て待て! だから舐める必要は無いんだって!」

「いいや、有る」

「何で?!」

「消毒だ」

「訳分からんわーーっ!」

 怒鳴ってみても効果無し。

 そもそも腕力でこの男に適う訳など無く、ありったけの力で押し返すも、その舌先で傷口が舐めとられる。

「うひゃ」

 生暖かくて柔らかい感触。本日二度目なり。

 殴りたい。何で何度もこんな目に!は、恥ずかしすぎる。

「どけ、この変態! 色魔!」

 二度、三度と舐められる。……犬かこいつは。

「どけってば! もう良いだろ!」

 精一杯アゲイトを睨みつけると、直ぐ近く、目線の高さにあるアゲイトの目と合う。ち、近いって。

「口も塞ぐ必要がありそうだな」

 ……はぁ?!

 アゲイトは、そのままやはり強引に口を頬から口元に移動しようとしていて……

 冗談じゃない! さすがにそれは全力で拒ませてもらう!

 両手をアゲイトと私の顔の間に潜り込ませ、体がこれ以上密着しないように膝を割り込ませる。

 ぬぐぐぐ……むむむっ……

 渾身、精一杯押し返す。そりゃぁもう必死だ。

 必死すぎて腕がぷるぷると震えている。

「や……めろっ……嫌だって……言ってるっ……だろっ!」

 両手でアゲイトの口を押さえ、必死に押し返す。一瞬、アゲイトの視線が私の左手に注がれた。

 ふと、アゲイトの右手が頭から離れる。ほっとしたのも一瞬の事。その右手は私の左手をつかみ、アゲイトの顔から引き剥がされた。

 片手だけになった抵抗はそれほど長く持つとは思われず、じわりじわりとアゲイトの顔が近づいて来て、得体の知れない恐怖に襲われた。

「やだ、嫌だってばっ! やだーーーっ!」

 ふとアゲイトの拘束が弱くなった気が、した。

 と、派手な音を立てて部屋の扉が開かれた。見ると、常に冷静沈着ついでに無表情のはずのベリルが走ってきたのか息を切らせながらもそこに立って……アゲイトを睨みつけていた。

「殿下、何をしておいでで?!」

 その声色には隠す事無く怒気が含まれており……思わず身がすくむ。

 いや、私はまだ何もしてないよな?! 何か出来るならとっくにこの男をのして居る。うん。

 ふと以前アゲイトに襲われたときに、この男に手刀食らわせて気絶させてベリルに怒られた事とか頭の中に甦る。

 アゲイトは舌打ちすると、ややあって左手を私の顔から離し、身を引く。ちなみに右手は相変わらず私の左手首を掴んだままだ。

 ほっと胸をなでおろす。助かった……んだよな?

 アゲイトの手が、私から離れるのをなんとなく見つつ、背後(扉の方向)から夜の冷気にも似た冷たい空気が流れて来て……夜ってこんなに寒かったっけ? 鼻がむずむずする。

「……くしゅっ、へくちっ!」

 うぅ……くしゃみが。堪えようとしたら妙にアニメっぽい変なくしゃみに……

 すんすんと鼻をすすりながら袖で鼻を押さえる。う〜〜寒い。

「す、すまん。なんだか寒気がして……」

 殺伐とした空気が一瞬なごむ。いや、邪魔する気はまったく無いんだぞ?

 ちらりとアゲイトが呆れたような顔で私を見る。一瞬、目が合う。

 と、アゲイトは扉の方向、おそらくはベリルを見た。何だろう? と思う間もなく不意にアゲイトに片腕で抱き寄せられる。

「は?!」

 あ、暖かい。とか思った直後背後からは冷気と共に殺気。体が硬直する。

 私に向けられた物じゃないよな? 違うよね?!

 目前にはアゲイトの胸板。二人の表情はまったく分からない。何が起こってるんだ? 緊張しているのか、心臓がばくばくと音を立てて痛い。

 とりあえず、この腕を振り払うべきか否か……変なことして来なければこのままでもいい気はするのだが(暖かいし)先程の事も考えるとこのままでは危険な気もする。が、背後を振り返る勇気が出ない。……なんだか変な汗出てきたし。

 あぁ、そうか。『穴があったら入りたい』というのはきっとこんな時に使う言葉なのだろう。

 今までの経験上、私が何かすると事態が悪化する危険の方が高い。なにしろくしゃみしただけでこの状況だ。いっそ大人しくしていたほうが状況もこれ以上悪化することは無いだろう。何がいけないのかはさっぱり分からないがそれくらいの空気は読めるつもりだ。

「殿下、マイカは体調が優れないようですので離していただけませんか?」

 ベリルの声がする。さっきよりも普段の声色に近いが妙な迫力の有る声だ。

「お前こそ出て行ったらどうだ? 体調が優れないなら尚の事、そっとしておいてやるべきだと思うが?」

 アゲイトは……よく分からない。なんとなくトゲがある様なからかうような口調だ。

「いえいえ、私はこれからマイカの傷を診る必要がありますので」

 傷? 傷って頬のこれか? わざわざ見てもらうほどの物では無いんだが。それとも完治している肩の傷のほうだろうか?

「これなら俺が診てやったから、お前はもういいぞ」

 これ、と言いつつアゲイトがわたしの頬に触れる。こら、触るな変態!

 抗議するつもりでアゲイトを見上げ、睨みつける。

「……刃物には毒が塗られていたとか。その後遺症などもあるかもしれません。やはり私が診る必要があるかと」

 ……怖い。口調はいつもの物とさほど変わらないのに、言葉一つ一つに殺気が込められている気がする。

「そりゃ無ぇだろ。こうしてピンピンしてるじゃねぇか」

 そういうアゲイトの口調はからかう様な挑発するような……やめてくれ。これ以上ベリルを怒らせないでくれ。

 アゲイトはそう言いながら私の髪をなでる。

 私はといえば、先程から発せられる背後からの殺気に身を強張らせるばかりで……何でこの男は平気なんだよ! 大物なのか? それとも単に馬鹿だからなのか?!

 と、どんという床に長物を叩きつけたような音と共に冷気が膨れ上がる。さ、寒いぃぃ。

 おそるおそる背後を振り返ると、ベリルが蒼銀の美しい装飾を施した杖のような棍の様な物を手にしている。

 その棒には細い鎖が巻かれ、よく見るとその鎖はベリルの右腕にも巻きついていた。……何だ、あれ? はじめて見た。

 殺気や冷気も気になるが、その棒はそれらを一瞬忘れるほど異様な物で、それ自体が光り輝いているようにすら見える。

 ベリルはここに来たときあんなもの手にはしていなかった。ってことはあれも魔法の一種なのかな?

 アゲイトは、と見るとこの異様な光景にもかかわらず渋い顔をしているだけだった。……やっぱり馬鹿なんだろうか?

「……ちっ、分かったよ。ここは俺が引くとしよう」

 アゲイトは私の左手、正確にはそこにはめたままの腕輪に軽く口付けると私から離れた。と同時に杖が消える。おぉ。やっぱり魔法なんだ、あれ。

「素直なことは美徳ですよ。殿下」

 ベリルは、そう言いながらも表情は険しいまま戸口をアゲイトに譲る。

「じゃな、マイカ」

 アゲイトはひらひらと手を振って出て行った。……だから何しに来たんだ。あいつは。

 ベリルは、そんな様子のアゲイトをすれ違いざまに睨みつけると、扉を閉めこちらに向き直った。

 さっきまでの冷気は戸を閉めるとさっぱり収まった。……外、寒いのかな? などと思いつつ部屋に残ったベリルを見る。目が合う。

 ベリルに聞きたい事が幾つかあったはずなのだが、今のやりとりで何をどこから聞けば良いのか分からない。

 ベリルは何事も無かったかのように懐から小さな包みを取り出し、机の上に置くと一旦部屋を出て、戻ってきたときには小さな桶と布を手にしていた。

「何だ?」

「傷の治療だ」

 ベリルはそっけなくそう言うと布を水に浸し、私の頬を丁寧に拭った。

「いや、かすり傷だぞ? わざわざ治療しなくても……」

「毒が塗ってあったと言っていただろう」

 ややいらついた口調で答える。……だから何で怒ってるんだ?

 が、いらついた口調とは裏腹にやたら念入りに、やさしく傷口を拭われる。毒ってそんなに慎重に拭かなくてはいけないのだろうか? あれからかなり時間が経っている。今更無意味だろうに。

 口答えすると怒られそうなのでそのまま大人しくしておくが。

 傷を拭い終わると机の上に置かれた包みから小さな浅くて口の広い瓶を取り出して中のクリームみたいな物を少量指に取り、傷口に塗る。ってことはあれは傷薬か。……自分で塗れるのに。

 薬を塗り終わると先程の布で指を拭いながら、ベリルが普段と変わらない口調で指に痺れは無いか? とか眩暈は無いか? などと聞いてきた。無いと答えると、そうか。とだけ答え、やはり包みから粉薬を包んであると思わしき小さな紙の包みを手渡された。

「何だ?」

「毒消しの薬だ。念のために飲んでおけ」

 ベリルは棚の上に置かれた水差しを覗くと、それを手に外に出て、また戻ってきた。中身を汲み直してくれたのだろう。

 水差しからコップに水を移して手渡してくれる。

「ふむ」

 そこまでしなくても問題ないと思うのだが……と思いつつ、逆らうのは躊躇われるので大人しく従う。……苦い。

 つい、コップの中の水をすべて飲み干す。

 ベリルは私の様子を見守っていたが、コップの中が空になるとそれを見計らって声をかけてきた。

「……何か、聞きたいことがあるんじゃ無いのか?」

「何で分かったんだ?」

「そんな顔をしている」

 そんなに顔に出やすいのかな? まぁいいや。向こうから切り出してくれれば私からも話しやすい。

「何で怒ってるんだ?」

 単刀直入に切り出すと、ベリルの眉間に皺が寄った。

「単独であの男を追いかけたのは考え無しだったと思う。でも、何でそんなに怒られるのか分からない」

「……そっちか」

 ベリルがぼそりとつぶやく。……あ、あれ? 他にも怒ってる事があるのか? 私が原因で?

 ちょっと焦るが、ベリルが答えてくれそうなので黙る。

「確かに考え無しの行動だな。が、あれはこちらの落ち度でもある。お前の事を楽観視しすぎた」

 ぐっ……それは私が頼りないとかいう事だろうか。

「お前を詰問したのは、お前があの男と接点があるかどうかが分からなかったからだ。……分かりやすく言えばお前があの男と繋がっている。つまり、この国に潜り込んだ間諜である可能性があったからだ」

「は?」

 何で異世界から来ていきなり間諜なんてしなくてはいけないのか?

「たしかにお前を拾ったのは俺だ。が、その前にこの世界に来ていたとしたら? 拾われるということ自体が仕組まれた事だとしたら? ……その可能性が無かったわけでは無い」

「それは、私を信用できないという事か?」

「……念のためだ。可能性がある以上はっきりさせる必要がある」

 ……ショックだ。じゃぁ何か、私が嘘を吐いていると? わざわざ死に掛けて拾われる様に見えたって事か? そんなに信用無いのか?

「それは……」

「が、もういい。よく分かった。お前はあの男と関係ないだろう。大体、お前に腹芸など不可能だという事が嫌というほど良く分かった」

 ……信用されているのか馬鹿にされているのか微妙だな。この空気。要はあれだろ?私が単純だとか馬鹿だとか言いたいんだろう。

「え……と……わ、私だって腹芸ぐらい……腹芸って何だ?」

 腹踊り……じゃ、無いよな? この話の流れでそれは無い。

 ベリルは盛大なため息を吐いた。

「いい。難しい事を言って悪かったな」

 むか。ものすごく馬鹿にされた気がする。

「今後、あの男を見かけたら全力で逃げろ。あれはお前とは正反対の男だ。何を言われても決して信用するな」

「ベリルはアメシストの事を知っているのか?」

「噂程度だがな。が、お前が知る必要は無い」

 きっぱりと言い放たれる。面白くないな。いくら後見人で保護者とはいえ私に関係する事くらい教えてくれても良いだろうに。

「じゃぁ、もし私がアメシストに誘われてそのまま亡命したら?」

 ……ちょっと危険な質問だっただろうか?

 ベリルはじっと私を見る。……こんな変な質問やめとけばよかった。思っても無い事を口にするもんじゃないな。

「お前がそうしたいのならばそうすれば良い……ただし、俺もついて行くがな」

「……へ?」

「お前は危なすぎる。保護者が必要だ」

 ……そうですかそうですか。ちょっと感動しかけたのに。私が危ないって私が頼りないという事なのか、それとも危険だという事なのか……微妙だ。もし、危険人物みたいに見られていて亡命先で迷惑かけそうだから……とか言ってついて来るのだとしたら、ものすごく私に対して失礼じゃないか? でもありそうだ。……うん。ものすごくあり得る。

 でも、そっか。付いて来てくれるんだ。

「ま、まぁ。冗談だけどな」

 笑って誤魔化す。

「知っている」

 ベリルにさらりと答えられる。……むむ。私の考えなどお見通しって事か。

 今後、私はこの男に隠し事など一切出来ないかもしれない。

「そういえば、もう一つ何か怒っている事があるのか?」

 ふと思いついて切り出す。この際だ、不満に思っていることがあるならすべてぶちまけてもらおう。

「……無い」

 怪しい。怪しいが見たところ表情に変化が無いので嘘かどうかは判断しにくい。いや、さっきそっちか、と言っていたから何かあるだろう。

「本当に?」

「無い」

 やっぱり表情に変化は無い。

 心当たりは……あ、あれかな? 土産の腕輪。そういえばあの時、ベリルは何も言わなかったがアゲイトは何か言いかけていたような気がする。

「ひょっとして……土産が気に入らなかった……とか? 」

 おそるおそる切り出してみる。と、ベリルの顔色が少しだけ変わる。これか!

「むむ……こちらでは腕輪は一般的な贈り物だと思ったのだが。そうか。やはり酒の方が妥当だったか」

「……一応確認するが、お前は腕輪の意味を知っているのか?」

「意味? そういえばモルダが何か言っていた気がするが……何の意味があるんだ?」

 あの時はよく確認せずに買ってしまったからな。……言われてちょっと気になってきた。

 が、ベリルは一瞬言葉に詰まると、そっぽを向いてしまった。

「無い! 意味など何も無い!」

 ふむ……

「じゃぁ、何が気に入らなかったんだ?」

 今度から気をつけよう。そう思って尋ねるとベリルはちょっと言葉に詰まった。

「いや……俺は腕輪は身に付ける習慣など無い。だから必要ないだけだ」

「そうか、覚えておこう」

 そっか……腕輪だったから嫌だったのか。

 ちらりと、引き出しにいれたままの編みかけの腕輪を見る。そっか……そうなのか……

 ちょっとだけ気まずい沈黙。ベリルもまた気まずそうな表情。いかん、せっかく仲直り出来そうなのに。

「そうだ、さっきの杖。あれって何だ? 魔法なのか?」

 気になっていたことなので聞いてみる。

「……あれは『竜杖』と呼ばれるものだ。竜と契約している司祭、つまり枢機卿の持つ契約具だ」

 ほぅほぅ。

「契約?」

「教会が管理している竜と契約する事により、その竜の力を直接借り受けることが出来る。そして竜と契約できる者が枢機卿と呼ばれるんだ。文字道理『この世界の枢軸たれ』と言う意味だ」

 ……なんだか大げさな話だな。

 今までベリルに聞いた魔法の話を頭の中で整理してみる。たしか魔法は竜脈を介してこの世界の基盤となった竜の力を借りる事で使える。その力は才能や血脈が大きく関係する。つまり血統の良い者(例えばアゲイト)や才能のあるもの(ベリルとか)はその力をたくさん借りる事が出来る。故に他の者より強大な魔法を使う事ができる。

 竜杖は竜の力を直接借りる事ができる……て事はすごい事なんじゃないか?!

 まじまじとベリルを見る。モルダやローゼが凄いとか言って憧れる気持ちが少し分かった気がする。偉そうなだけじゃなかったんだな。

 ベリルは眉間に皺をよせつつ、軽くため息を吐いた。

「もう、質問が無いなら俺は帰るぞ」

「あぁ、すまん」

「それと、これは此処に置いていく。また必要になるだろうからな」

 そう言って傷薬の入った瓶を棚の上に置いた。

「ありがとう」

 うん。たしかに必要になると思う。

「それと、今後あの馬鹿殿下と二人きりになるよう事がないように注意しろ。何かされそうになったら全力で抵抗しろ。いっそ殺しても構わん」

「大げさな」

 ベリルの言い方に苦笑する。

「いいや、馬鹿は死ななくては直らないらしい。俺が許す」

 やっぱりアゲイトとベリルは仲が悪いのかもしれない。

「ははは。まぁ、善処する」

 本当に過保護だな、こいつは。心配性だし。

「ちゃんと戸締りするんだぞ。それとその腕輪も外せ。お前には似合わん」

 念を押して去っていくベリル。腕輪ってこれか? そういえば付けたままだったな。……たしかに私に装飾品など似つかわしくは無いだろうが、あぁもはっきり言わなくてもいいのに。ちょっと傷付いたぞ。

 言われた通りに、今度はちゃんと内側から閂を掛ける。何時もは外かか閂を掛けられていたので内側ははずしっぱなしにしていた。

 そうだな、また夜中にアゲイトに押しかけられても困る。

 再びベットに戻り、腕輪を外して横になる。

 今日はいろいろあったな。早朝迷子になって、クサビに振り落とされて。それから街に行って……アメシストに会って……

 そういえばあの男。私に会った事があると言っていた。私の事を良く知っていた。知り合いなのかと思っていたが、アゲイトやベリルの様子ではこの城のものではないらしいし……あれ? じゃぁ、何で私の事を知ってるんだ? しかもあんなに詳しく。

 私の事を知っている人物と言えば……アゲイトと、ベリルと……あと面会式に参列していた貴族達は私が異世界人だと言う事は知ってるな。あとは……そういえば騎士団の人たちはどこまで知ってるんだろう?

「あ、あれ?」

 モルダとローゼには、私が異世界人であるということは言っていない。初対面のベリルの反応からして、やはり突拍子も無い事だと言う事が良く分かっている。自分自身呆れる様な設定だ。……いや、よくよく思い出してみればアメシストは異世界人だとは言っていなかった様な……ただ、私が魔法が効かないという事を知っていただけだ。だが魔法が効かないと言う事が異例だと言う事は知っていた。私がベリルに拾われたと言う事も。……どういうことだ?

 考えに没頭しようとした途端、お腹が情けない音を立てる。……そういえば夕飯、食べてない。

 その事を思い出した途端に、胃袋が空腹を訴える。あぁ、もう!

「お腹……空いた……訳が分からん……」

 よし、寝よう。

 こういう時は寝るに限る。

 布団を頭からかぶって寝よう、寝ようと念じてみる。が、目を閉じれば赤毛の男がちらつく。あーーーーーー鬱陶しい! 寝られないじゃないか!





 結局、ずっとそんな調子でやっと寝付いたのは夜明け近くになってからだった。



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