第十五話:再会
パパゴお爺さん(御者のお爺さんの事らしい)との待ち合わせは門前で夕方の鐘の鳴る頃(大体午後4時くらい)らしいのでまだ1時間ほどあるのだがまだ見て回りたい店がいくつかあるらしいので早々に店を出た。
支払いを済ませると残金は金貨2枚少々。ふむ。
「どうしたんですか? マイカさん」
財布を覗いて小銭を数えているとローゼが訝しげに尋ねてきた。
「いや、あと一つ買いたい物があるのだが……何が良いかな」
「何です?」
「ベリルに土産でも、と思ってな。何が良いだろう?」
「ベ、ベリル様にですか?!」
「あ……ああ」
そうか、そういえばベリルは彼女等にとっては憧れの人なのだったな。
やや顔を赤くして真剣に考え始めるローゼを見る。
あぁ、やっぱり女の子はこういう所が可愛いなぁ。これが男だったら(主に道場の子弟とか)酒か食い物で良いんじゃないか? とか即答されそうだ。……一瞬私もそう考えたしな。
だが、やはりその辺りが妥当だろうか? 食堂で葡萄酒とか飲んでたわけだからまったく飲めないわけでは無いだろうし。
「どうしたのよ? 二人とも立ち止まっちゃって」
「モルダ、あのね……」
ローゼがコソコソとモルダに事情を説明する。
「そうねぇ……って言ってもあたしベリル様のお好きな物とかほとんど知らないのよね」
「私もです……」
「……私もだ」
よく考えたらベリルの趣味とか好みとかほとんど知らないな。
やはり酒か?
それとも家事が得意そうだからそれ関連の何かのほうがいいのだろうか?
「まぁいい。それよりもローゼ、モルダ。行きたい店があるのだろう?とりあえずそこに移動しないか?」
「あ、そうだった。急がないと良い糸が見つからないかも!」
「そうでした! 次の休みじゃ間に合わないし……」
糸? 何の事だろう?
やや早歩きで移動しながらその糸について聞いてみる。
「竜姫祭の事です……てマイカさん知らないですよね。大切な人に腕輪を編んで贈る日なんです」
ほぅほぅ。
「糸で編むのか?」
「紐とかリボンで編む事もあるけどね。うんと昔に『竜姫』って呼ばれるお姫様が居てそのお姫様が自分の髪で編んだ腕輪を戦地に向かう恋人に贈ったの。で、その腕輪が恋人を救ったって言い伝えがあって。それに準えて大切な人に腕輪を編んで送る日になったのよ」
モルダが自慢げに話してくれる。
しかしどうやったら腕輪が恋人を救えるのだろう?
その疑問にはローゼが答えてくれた。
「高位の術者や神官様の御髪というのはそれだけでもお守りになるそうですよ。だからじゃないですか?」
そういう物なのか。ってことはベリルの髪とかもお守りになるのかな?
ふとベリルの頭を思い出す。肩のあたりで不揃いにゆれる蒼銀の髪。……いくらお守りになると言っても、あの長さで腕輪を作ろうとしたら相当短くなりそうだ。ちょっとだけ欲しいと思ったがやめておこう。
「その竜姫祭というのは何時なんだ?」
「第一の月が満月になる日なので、5日後ですね」
などと話していると以前アゲイトと訪れた大通りの市に着いた。
以前と変わらない活気。話を聞いた後だからかもしれないが、そこかしこに刺繍糸や細い紐を大量に掲げた露天が見える。
ついでに、造花や飾り付けに使われると思われる小物などもある所を見ると、その竜姫祭というのは結構大きな祭りなのかもしれない。
よく見れば、それらの露店では女の子達が何やら楽しげに色とりどりの紐や糸を選んでいる。
こういう風景ってやっぱいいなぁ。元の世界だったらなんとなく気まずいのだがこちらでは私のことを知っている人間など居ないし、それほど恥ずかしくは無い……と思う。
いつの間にか、その娘達に混じってローゼとモルダも熱心に紐だの糸だのを見入っている。
糸の他にもその糸で編んだと思われる腕輪が幾つか置かれていて、女の子たちはその模様も見ているようだ。
幾つかパターンがあるらしく、どれも凝った文様を浮かび上がらせている。
「この文様には何か意味とかあるのか?」
あまりに熱心に見ているので傍に居たローゼに尋ねてみる。
「はい、ありますよ。例えばこれ。鷲の文様ですけどこれは『勇気』とか『強靭な精神』なんかを意味しますしこのクチナシの文様は『幸福』『私は幸せです』と言った意味ですし、それにこの竜の文様は『富と権力』で、薔薇の花は『憧れの彼方』とか『私の愛しい人』って意味ですし……」
と、いろいろ説明してくれる。……気のせいか愛だの恋だのといったキーワードが多いような……
「それに糸の色も関係あるんですよ。赤は『情熱』白は『清純』黄色は『幸福』緑は『知的』とか……」
ほほーーいろいろありすぎてよく分からん……
「あ、あと特別な人にお守りとして贈るときは自分の髪を編んで贈るんだそうですよ」
ほーー……すみません。もうお腹いっぱいです。
しかし、そう言った意味があるのならばこの娘達が熱心に選んでいる理由も分かる。これはアレだ。強いて言うならバレンタインのチョコ選びみたいなもんか……私には無縁の世界だ。
見れば、モルダなどはさまざまな色の糸や紐を何束も購入している。全部編むのかな……
更によく見ると、穴の開いた小さなビーズのように加工した石やガラス玉なども並べられている。あれも腕輪の材料だろうか。
客の女の子達の会話がちらほらと聞こえてくるので思わず耳を傾ける。
どうやら文様にも流行などがあるらしく、最近はビーズも使うのが良いらしい。
贈る相手は両親や兄弟、恩師、友人。一番多いのは恋人に贈る物らしい。よく見れば女の子達の中にも何本か腕輪をしている娘も多く、材質は様々だが店で飾ってあるものと同じ紐や糸で編んだと思われる物を数個付けている娘も居る。
アゲイトのお土産リクエストも腕輪だったし、どうやらこの地では腕輪は一般的な装飾品のようだ。
今更気付いたが、ローゼやモルダもよく見れば糸で編んだらしい腕輪を数個袖口から覗かせていた。
最初こそ興味深かったものの、送る相手も居ない私には無用の物だ。大体こんな複雑な物私に作れるわけ無いしな。
「マイカさんは腕輪、作らないんですか?」
ローゼが無邪気に聞いてくる。
「あぁ。……私には無理だと思う」
「……頑張れば一番簡単な奴なら作れると思うわよ? 無理に作れとは言わないけど」
モルダが助言してくれる。モルダは私が不器用な事はわかっている筈だが。しかしモルダが出来ると言うのであれば……いやいや、空気に呑まれて作ると言った所で送る相手が居ないじゃないか。
「そうだ。ベリル様に作って差し上げたらいいんじゃないかしら?」
「何?!」
ベリルにだと? ……たしかに恩師といえば恩師だし世話にはなっているが……
思わず苦笑するベリルの顔がよぎる。むむ。口は悪いが苦笑するだけで受け取ってはもらえるだろうが喜んでもらえるとは思い難い。
その昔バレンタインデーに憧れて母親と作ったチョコレートを陰険メガネ(当時はメガネでは無かったが)にも贈ったときは呆れたような顔をされ、挙句その後数年間からかわれ続けた。……あれをまた体験するのか?
ふとアゲイトの顔が浮かぶが慌てて頭の中から追いやる。冗談じゃ無い。アゲイトに贈るなど散々笑われるだけに決まっている! 大体こんな意味深な物渡せるわけが無い。今朝だって散々だったのに。
「そうねぇ……やっぱり白とか青とかかしら」
「文様は……簡単なのだと……」
「あ、この色とか良いんじゃない?」
「じゃぁこの石を使ってみるとか……」
「それならこっちの……」
ローゼとモルダは楽しげに糸やビーズを選んでいる。その様子は見ているこっちまで楽しくなるようで……ん?
見ていると、二人はにっこり笑って選んだその品を私に手渡す。
「はい?」
思わず受け取ってしまったが……なんぞこれ?
「と、言うわけでこれがマイカさんの分です」
はいぃ?
「城に戻ってからも時間あるんでしょ? 基本の編み方は教えてあげるわ」
「一緒に作りましょうね」
とても楽しそうな二人。……作る? 作るって……
手渡された糸とビーズを見る。
「私も作るのか?」
「はい」
「もちろん」
とってもいい笑顔の二人。
「文様はこれなんですけどこれなら小さい子でも作れる一番簡単な物なんです」
「ちょっと地味だけどビーズも使うからそれなりに見栄えは良いはずよ」
「糸も太目の編みやすい物ですし。編み棒とか使わなくても作れますよ」
「帰ったらお茶の用意しなくちゃね」
……お茶。二人と一緒。
「マイカさん、私とモルダも今年は奮発してビーズ使うんです。ほらこれなんですけど綺麗だと思いませんか?」
「私は今年はちょっと凝ったの作ろうと思ってるのよねこの図案なんだけど」
嬉しそうに戦利品を見せてくる二人。
さすがに嫌だとは言えず……お茶。……一緒に作る。
ま、まぁ。渡すかどうかは置いといて。……一緒に作る、か。
ちょっと、いや、かなり嬉しい。どうしよう。
「ほら、さっさと買っちゃおう」
「そうですね、ちょっとだけお小遣いも余ったし。お菓子も買いましょうか?」
「ほらほら。早く」
「あ、あぁ」
二人に急かされ、会計を済ませる。
その後も、他の糸や紐を扱う店を覗きつつ大通りをぶらぶらと歩く。
何軒目かの露店を覗いている時だった。
ふと視界の端に何やら商談中らしき二人組みが目に入る。
なんと言うことはない風景のはずだが……何か気になる。
その男は、服装自体はどこにでもある様な格好だが頭に布を巻いていて、それ自体は良く見かけるのだがその布から零れ落ちる薄紫に波打つ髪。
どこかで見たような……
そのまま見ていると、その男はもう一人の男に短剣を見せ、執務室で見たような丸めた書類を渡した。
書類と短剣。ちらりとしか見えなかったがその短剣には2匹の竜が向かい合いその周りにヒヤシンスみたいな花の図案。あの図案もどこかで見た気がする。どこだったか……
ローゼは相変わらず糸やビーズを見ていて、モルダは気に入った物があったのか店主に小銭を渡している。店主は受け取った小銭を手元の仕切られた木箱に入れる。木箱には仕切られた区画に3種類の銅貨や銀貨が分けられていて……そうか! それだ。
この地では3種類の硬貨が流通している。3種類ともその国の紋章がそのまま用いられている。ディアマンタイト硬貨は竜が剣を銜えている図案。カコクセン硬貨は三つ首竜の図案。そしてコランダム硬貨は2匹の竜が向かい合いその周りには花のモチーフ。なんとかスイトピーとかいう花らしいが説明されたときもスイトピーには見えないな。という感想しかなかったが。
そのコランダムの紋章の短剣。そして書類。
確証も無い。何が気になるのかもはっきりとはしないが気になる。
その男は交渉を終えその場を離れようとしていた。
「どうしました? マイカさん」
「すまん。ちょっと離れる」
「え?! どこへ……」
よく分からないが、何故なのか分からないがあの男を追いかけなくては!
背後でローゼが何か言っていたが私の意識はあの男を追いかける事に集中していた。
人ごみを掻き分け見失わないように後を追う。この際見つからないようにとかは二の次だ。元々そう言った事は苦手だしな。
男はこちらに気付いていないのかいるのか……どんどん人ごみを掻き分け歩き続ける。
気付けば人気の無い路地に差し掛かる。やはり気付かれたか?
まったく人気の無い狭い路地を男が曲がる。
注意を払いながらも見失うわけにも行かず、その後を追って曲がり角に差し掛かった。
刹那、閃く刃。
咄嗟に身を引くが凶刃は頬をかすめ、頬に一房垂らしていた髪が裁断され地に舞う。
身を引いたまま構え、相手を伺う。男は眉をひそめそこに立っていた。
「あっれ〜〜? たしか……マイカ、だったよな? 何でアンタがここに居るんだ?」
その声には、まったく警戒した様子も殺気も感じられない。
薄紫の髪が暗がりから出てきて姿が露になる。
群青の目。左目には眼帯。軽薄そうな顔と態度。
男は相手が私だったのがよほど予想外だったのか、驚いた様子だった。
「う〜〜ん。予定じゃもうちっと後で再会するはずだったんだがなぁ……これってひょっとして運命って奴か?」
「私を知っているのか?」
「覚えてねぇの? 薄情だな」
そんな事言われても……
「まったく記憶に無い」
「……オレってそんなに印象薄いのか?」
どうかな? この世界では珍しくも無いかもしれないがおしゃれ染めそっくりな髪は見たらある意味印象に残るはずだが……
「本当に覚えてないんだ。何処かで会ったのか?」
知り合いか? いや、この世界での私の知り合いなど片手で足りそうな物だが……ふむ。
可能性が高そうなのは騎士団の誰かとか……居たかな? こんな奴。
本気で考え始めるがやはり分からない。
「まぁ……な……」
「すまん。本気で思い出せん」
謝ると男はがっくりとうな垂れる。……なんだかものすごく申し訳ない気持ちになってきた。
「あ、あれか? 騎士団に所属してる……とか? 」
「……ちがう」
「じゃ、じゃぁ……え……と、厨房に出入りしている人……じゃ、ないよな……」
「ちがう」
「じゃぁ……」
誰だ?
あとは晩餐会の出席者か? あるいはこの街で会った……とか?
「あ〜〜〜、もういい。お前さんがオレを覚えてないのはよ〜〜〜っく分かった」
「……すまん」
なんとなく見覚えがあるような気はするのだが。
男は呆れながらひらひらと手を振る。
「いい、それ以上言うな」
「むぅ」
気まずい。おかしいなぁ。たしかに名前とか顔とか覚えるのは苦手だがこんなに酷かっただろうか?
ふと男が私の顔を見て何かに気付く。何だろ?
「悪りぃ。怪我させちまったな」
言われて先ほど頬を掠めた事を思い出す。手で触れてみると痛くは無いが指にうっすらと血が付いている。
「あぁ、痛くないから大丈夫だ」
「ちょい動くなよ」
そういって男は頬に手をかざす。
「慈悲深き竜ディメンテールよ竜の子等にその力を分け与えたまえ…治癒」
が、やはり効果は無い。
「……ふ〜〜ん。まさかと思ったけど。やっぱ効かねぇのか」
男は独り言のようにそうつぶやく。
「あぁ、……特異体質でな」
「じゃ、舐めときゃいいか」
は? ……と思ったときには頬に生暖かい感触と同時に外国産の葉巻のような妙な香り。全身の毛が逆立つ。
「消毒、だろ?」
男の目が意地悪く笑う。
「何する! 気持ち悪い!」
振り上げた手は男の頬を殴打する……はずだったが一瞬早くかわされた。
「おっと、それはもう食らわね……」
半歩踏み込んで今度は左足で男の脛を狙う……がこれも寸での所でかわされた。……ちっ。
男はたたらを踏んで後ずさる。
「あっぶねーー! ……おっそろしい女だな。お前」
「五月蝿い、この変態!」
「変態はねぇだろ。変態は」
男はへらへらと笑いながら抗議する。……なんかむかつくな。こいつ。
舐められた頬を拭う。鼻腔をくすぐる香り。
「で、お前は誰なんだ?」
「あ〜〜〜、覚えてねぇならもっかい名乗っとくか。オレはアメシストだ」
「アメシスト……」
やっぱり知らないな。今度こそ忘れないと思うが覚えておこう。
しかし、この身のこなしや先ほどの怪しげな取引と言い胡散臭い。
「で、何者なんだ?」
アメシストは不満そうに眉をひそめた。
「ん〜〜〜〜〜……教えてやっても良いけど……どうしようかなぁ〜〜」
「何だ、不審者か」
ならばうだうだと話すより手っ取り早く叩きのめしたほうが良いだろう。
後ろ腰に挟んだ鉄扇を握り絞める。
「まてまて。いや、そこはもうちょっと、こう、『どうしたら教えてくれるの?』とか『教えてくれたら何でもしちゃうわ♪』とか……」
アメシストは身振り手振りでわざわざ裏声まで使って実演してくれるが……
「気持ち悪い」
「非道っ!」
「すまん。声に出てたか……」
「まぁまぁ、……とにかくそんな感じの交渉っつかやり取りとかあってもいいんじゃねぇの? 」
相変わらずへらへらと笑う。
「寝言は寝てから言え」
「うわぁ……良い反応。癖になりそう?」
「……訂正する。不審者ではなく変質者だったか」
「だから違うって」
やっぱりこの男はへらへらと笑いながら先ほどから態度を変えない。緊張感を微塵も感じさせない。が……
私の頭の奥で微かに警鐘が聞こえる。『この男は危険』だ、と。
身に危険を感じるわけではない。おそらく、この男は私に危害を加える気は無い。
そのつもりならばこうして話をする前にけりをつけようとするだろう。
そして後をつけて来た私を攻撃してきたと言う事は、やはり何か後ろ暗い事があるのは間違いない。
にもかかわらずこうして話をするのは何のためなのか……
鉄扇を握り直し、視線は目前の男から外さない。
「何かすっげー警戒されてるみたいなんだけど……」
「相手が変質者だからな」
「だから、違うって言ってるじゃん?」
しばらく見詰め合うとアメシストはふと、笑うのを止めた。
いや、笑ってはいるのだがその目には剣呑な光を宿していた。
「……ったく、やり難いよなぁ。ちょっとくらい交渉する気ねぇ?」
「交渉など聞かん」
「まぁ、そう言うと思ったよ。んじゃ単刀直入に言うが……」
と、急に真面目な顔になる。
「アンタ、亡命しないか?」
「……は?」
何故に亡命?
亡命って……亡命? ボウメイ……ぼうめい……
……ボウメイって亡命だよな?
「だから、国を移る気は無いか? って言ってるんだよ」
私が混乱しているのが分かったのか、分かりやすく言い直してくれるが余計に混乱するだけだった。
何故、私が国を移らなくてはいけないんだ?
亡命ってのはその国に不満があったり身の危険があったりした場合、他の国に保護してもらうっていうアレだよな?
別に不満など微塵も無いし身に危険は……ふと赤毛の大男が頭をよぎるがあれはまた別として……特に無いはずだ。
「……意味が分からん」
「んじゃ知らねぇのか。アンタ、この国に居たら教会のおもちゃにされるだけだぜ?」
「教会?」
ますます分からない。
「あ〜〜〜。教会ってのは神官共を束ねる組織の事だ。竜脈を管理して竜討伐後の世界を平定したとかっていう大陸最大の組織だ。今じゃ魔法や医療の粋だなんて言われてるが裏じゃ相当あくどい事してるらしいぜ?」
「それが私に何の関係がるんだ?」
大体、私は魔法がまったく使えないと言うのに。
「アンタのその体質さ。魔法が効かない……つまり、竜気にまったく干渉されない稀有なる存在。アンタのその体質、いや、存在はアンタが思ってる以上に貴重で……重要な存在なのさ」
「……何が言いたい」
「ま、アレだな。具体的に言うと人体実験とか……」
「はぁ?!」
「……解剖とか?」
「はぁぁ?!」
脳裏に浮かぶのは某国の某記事。コートを着た二人連れの男に両手を繋がれて連行される子供のようなシルエット……
いやいやいやいや! 宇宙人とか嘘だし!
「……ま、冗談だけどな」
あ、あぁびっくりした。さすがにそんな非人道的な……
つい、真っ白な何も無い部屋に閉じ込められて部屋の隅でひざを抱えてうずくまる自分を想像しかけてしまったじゃないか!
……リアル過ぎて嫌だ。
いや、この世界なら真っ白な部屋ではなく石牢とかかな? ……ちょっと欝になったぞ。
「でもそれに近いことはやりかねねぇな。そして用済みになりゃ……やっぱ解剖か」
「そんな事ある分けないだろう!」
「無いと、言い切れるのか? この世界の事。何も知らねぇのによ」
「それは……」
「この世界では、生きとし生けるものすべてが竜脈の竜気に影響される。その中で唯一アンタだけが影響されない。そんなモノ教会が黙って見過ごすわけねぇだろ」
たしかに私はこの世界の事を知らない。
だが……蒼銀の髪。薄青色の瞳。彼は私がどんな選択をしても味方になってくれると言ってくれた。
崖の上で一人死に掛けていた私を拾って介抱してくれた。
破れた服も繕ってくれてポムの実だって食べやすいように綺麗にむいてくれた。
行くところが無いのならば屋敷に住めば良いとも言ってくれていた。
(知る必要の無い事や知らないほうが良い事……)
これはどちらなのだろう。なんだか頭がぐらぐらする。
「な、悪いことは言わねぇからこっちに来い。オレの手を取れ」
アメシストがやさしく手を差し伸べてくる。
この手を、取れば……
「ほら……悪いようにはしねぇ。後悔もさせねぇ」
その手は魔力でも有るかの様に私を惹きつける……だが。
「だからオレの手を取れ」
私はその手を、鉄扇で弾いた。
アメシストにはその動きが見えていただろう。だがかわすでもなくそのまま、僅かに痛そうに指を引きつらせただけだった。
「……断る!」
「……後悔しても知らねぇぞ」
「しない。するものか!」
後悔などしない。……味方になってくれると、言ってくれた人が居るのだから。
後悔、する訳など無いはずなのに、何故その手から目が離せないのか……
「迷ってるんだろ? ……疑問に思ったことは無いのか。どうして自分が拾われたのか」
一瞬、心臓を鷲掴みされたかのような痛みが走る。
「なんの……事だ?」
「普通さぁ、いくら死に掛けてるからってこの状況でいかにもな怪しい人物を手元に置いて介抱するとかねぇだろ」
「そ、それは……」
「立場ある人間なら、尚更だ。その外見ですらある種の奴らを畏怖させる。……心当たりあるだろ?」
面会式……あれは単にこの世界ではこの外見が異質だからなのだと思っていたが……
急にざわざわと気が落ち着かない。否定してしまえば良いのにそれが出来ないで居る。
今立っている石畳の床ですら心許無く……おかしい。さっきから何でこんなに……
まずい、と思った時すでに遅く、何の前触れも無く膝が崩れ落ちる。
「な……?」
気付けば指先も小刻みに震えている。気分が悪い。
「あらら。……そんなにショックだったか?」
「ふざけた事を……」
酷く気分が悪い。吐き気、眩暈、手足のしびれ……鼻を突く香り。
ひざを突き見上げるとそこには宵闇を思わせる薄紫の髪と群青の瞳。
「私に……何をした?」
男はゆったりと笑う。
「あー……わりぃな。オレ、刃物には毒とか塗る派なんだよなぁ。言ってなかったか?」
脳裏に甦る凶刃のきらめき。……あれか。
男の顔が逆光でより暗く、不確かな物に変わる。
「死ぬようなヤツじゃねぇから安心しろ。ただちょーっと手足が痺れたりするだけだ」
その声さえ壁越しに聞こえてくるように、どこか遠い。
「ありゃ、しくったな。これじゃ交渉どころじゃねぇか……」
それじゃぁ……
頭に靄がかかったように思考が不鮮明になる。
考えろ。かんがえろ。……なにを?
なぜ……こんな……だめだ、しっかりしなくては……
この男……なぜ、どこまで知っているんだ?
何か、声がする。
大声、うるさい。なに……
閉じかけた目に映る閃光と轟音。
きけん、ここは、あぶない……
重い体を引きずるように後ずさる。
地面を這うようにしてなんとか後退しながら見えた物は、アメシストの後姿と……それに対峙する覆面の男。
……だれだ? あれ?
「………」「……が……」「……、……せ……ん!」
何か言い合っている声。
音、刃物の音と……雷みたいな……
人影が、見える。
誰か、戦って……る?
薄いもやに包まれた視界。
体は此処にあるのに意識だけが遠い。
ゆっくり、ゆっくりと座り込んだまま後ろに下がる。手足の感覚がほとんど無く、夢の中に居るようだ。
これ以上下がる事ができず、手探りでようやく自分が壁まで下がる事ができた事を知る。
そのまま壁に背を預け、成り行きを見守る。
あの男が、覆面の、男と、対峙している。
覆面の男、は、剣を、抜いて。
覆面が剣を、振るうごとに、斬撃に、稲妻が走る。魔法、か?
あの、男は。
どこに?
ようやく、決着が付いたのか、覆面の男、は、剣を納め、こちらに歩いてくる。
近くまで来る、と、覆面をずらした。
「……ん!」
……よく、聞こえない。
「……カさん!?」
聞き覚えのある、声。
顔は、覆面を外しているのに、よく見えない。
「マイカさん!」
と、急に現実に帰る。
目の前にあるのはどこと言って特徴の無い薄茶色の目と髪。……隊長?
「……いちょう? な……んで……」
隊長は、はぁ〜〜〜〜〜と大きなため息を付いた。
「……よかった……命拾いしました」
ぼそりと呟く。
何の事だろう? ……あぁ、今の、戦闘の事か?
どうも頭も視界もぼんやりとしていて、夢でも見ていたような気分だ。
短いような……長かったような……あれ? あの男は?
ゆっくりと立ち上がる。多少手足に痺れは残っているが立ち上がれないほどではない。
それにしてもやたら視界が暗い。
目が慣れていないせいかとも思ったが違うようだ。ふと空を見上げると夕日に照らされ茜掛かった雲が見え……なに?!
「隊長! いま、今何時?!」
「え……え? 今ですか? ……そうですねぇ、夕刻の鐘から……かれこれ一刻ほど過ぎたところでしょうか?」
……てことは夕方6時くらい? か?
待ち合わせは夕刻の鐘。
一気に血の気が引く。ま、まずい。しかも今ので立ちくらみまで起こしそうだ。
思わず壁に手をつく。
「だ、大丈夫ですか?! まだ毒が抜けて……」
「……大丈夫じゃない」
「えぇ?!」
「待ち合わせが! 門に鐘までにって! あぁぁ! 」
どうしよう? まだ待っていてくれるだろうか? それとももう戻っているだろうか?
たしか、おじいさんは仕入れで街まで来ているのだから、夕食の準備とかで一度城まで戻らなくてはいけないはずだ。
どうしよう? 何か連絡……携帯も無いのにどうやって連絡とるんだ! ってかここ何処だ?
「あの……連れの方でしたら問題は無いかと思いますよ」
「へ?」
「いえ、貴方が路地裏へ行くのを見届けてから隊の者に通達させましたので適当に話をつけているかと思われます。後ほど私からも事情を説明に行く予定ですのでご心配なく」
「そう……ですか……」
「はい」
……、……路地裏に行くのを……って、隊長、どこから見ていたんだ?
つい、しげしげと隊長の格好を頭の天辺から足の先まで観察する。
旅人風のあやしげなマント、どこか異国風の服装(どこがとはよく分からないがこの辺りではあまり見ない類の服だ)肩には頭や顔を覆っていたと思われる怪しげな大量の布。
にこにこと人の良さそうな笑顔を浮かべているが、間違いなく不審者だ。
「ところで隊長」
「何でしょう?」
「……何やってたんですか?」
「……さぁ。何でしょうね?」
そう言いつつ隊長はつい……と視線を外す。……怪しい。
「先程、私が路地裏に入るのを見て…とおっしゃいましたが?」
「……そんな事言いましたでしょうか?」
隊長は顔を背けてそう言いつつ視線が泳いでいる。……ますます怪しい。
「……まさか後をつけていたなんて事……無いですよね?」
「……ははは……まさか……」
乾いた笑い声を上げつつ口元が引きつっている。……やっぱり怪しい。
「え、え〜〜とその……」
「つけてたんですね?」
「……、……はい」
思わず隊長の襟首をつかんで揺さぶる。
「何やってるんですか?!」
「いやぁ……何やってるんでしょうねぇ……」
がくがくと揺さぶられながら情けない声を出す。
あぁ、もう。この国にはまともな人間は居ないのか? それとも何か? 私が不審者なのか? それとも保護が必要なほど頼りないと思われているのか? 思わず手に力がこもる。
「マ、マイカさん……ちょ、苦し……」
「あ、すみません」
抗議されて、やっと自分が隊長の襟を絞めている事に気付く。
いかんいかん。仮にも上司であり、しかもついさっき窮地を救ってもらった恩人に失礼な事をしてしまった。
「すみませんでした!」
頭を下げて謝る。
「い、いえ。大丈夫です」
軽く咳き込みながらも隊長は笑って許してくれた。
良い人だ。……良い人なんだが、何でこうも偉い人に見えないんだろう?
「それと、有難うございました。なにやら危ないところを助けてもらったみたいで……」
そうだ。そうだよ。助けてもらったんだからまずはお礼を言わないといけないのに。
「いえいえ。当然の事をしたまでです」
やっぱり良い人だ。うん。
「……で、誰に言われて私の後をつけていたんですか?」
「……それは秘密です」
「隊長?」
「すみません! それだけは言えないんです!」
……聞いてはいけない事だったのか心無し隊長の顔色が悪い。ふむ。
隊長に命令できる立場の人間と言うと直属の上司であるアゲイト、あるいは何かと隊長を起用しているベリル……か。
そういえば、ベリルは昨日ローゼとモルダに対して「明日も迷惑を掛けるかと思いますがお願いします」とか何とか言っていたような……
あれは単に迷子になった私に対する当てこすりだと思っていたが本気で迷子になりかねないとでも……思っていそうだ。今朝の事もある。
(迷ってるんだろ? ……疑問に思ったことは無いのか。どうして自分が拾われたのか)
アメシストの言葉が脳裏に甦る。
いや、そんな事は無い。ただベリルはちょっと過保護なだけだ。
(普通さぁ、いくら死に掛けてるからってこの状況でいかにもな怪しい人物を手元に置いて介抱するとかねぇだろ)
ある! 私が……ベリルがそうだ。たしかにちょっと見は冷たそうに見えるけど……でも……
「どうしました?」
「いや、なんでもない」
ふるふると頭を振ってあの男の言葉をかき消す。
あいつは、あの男はベリルの事を知らないからそんな事を言うんだ。そうに決まっている。
「……では、街の駐屯地まで行きますよ。そこに私の竜を待機させています」
「はい」
……何か忘れている気がするが。まぁいいか。
ローゼとモルダには後で改めて謝りに行こう。……ひょっとしたらその後腕輪の編み方を教えてくれるかもしれないしな。
あぁ、でもあまり遅い時間になっては迷惑だろうか?
何時くらいまでなら大丈夫だろう?
隊長の後を追いながら私の頭の中はローゼとモルダに何と言って謝るか、腕輪の編み方を教えてくれるかどうかについて必死に考えた。……そうしないと、あの男、アメシストの言葉が頭の中にまた甦って来そうになるからだと、漠然と理解していた。
ベリルに限ってそんな事ある訳無いのに。しかしその不安は小さな染みのように脳裏に焼きついて消えてくれそうに無かった。