第十三話:アゲイト捕獲計画
ベリルに連れられ、執務室を出る。
時々立ち止まっては、ここをまっすぐ行くと食堂だとかこの角を曲がると訓練場に着くなどと教えてくれるがどこも同じに見えて後をついて行くので精一杯だ。
先ほどモルダとローゼの後について行った時も同様。
せめて何処かに「食堂」とか「この先訓練場」とか書いてあれば覚えられそうなのに。
外は夕暮れ近く、回廊には日の光がややオレンジ掛かって差し込んでいる。
ベリルは、ちらちらと食堂近くや裏庭らしき場所に注意を払っているようだったが、そんな所にアゲイトが居るのだろうか?
「少し遠回りになるが……」
ベリルはちらりと私を見る。
「アゲイトを捕まえるんだろう? 私は急がないからそちらを優先すればいい」
「そうか。そうだな」
ベリルは元来た道を引き返し、なんとなく見覚えのある中庭らしき場所に出た。
そして、そのまま中庭を横断して回廊をまたいだ広い庭に出る。
どこからか水音が聞こえてくる。見ると、少し離れた場所に噴水が見えた。……噴水?
何だろう? 激しく見覚えがあるような……
思わず噴水を眺めつつ首をひねっていると、横からベリルが声をかけてきた。
「噴水が珍しいのか?」
「いや……そういうわけではないのだが」
「あれは、先々代の領主が愛妾のために作らせた物で、ほら、あの山の上の湖からわざわざ水脈を引いて作らせたらしい」
と、言いつつひときわ高く見える山の一角を指して説明してくれた。
なるほど。……いや、そういった説明を求めているわけではないのだが。
まぁいい。どこにでもありそうな噴水だし。多分テレビか何かで見たものと記憶が混同しているのだろう。
「さて、おそらくこの庭のどこかに殿下が居るはずだが」
言われて改めて庭を見回す。
広い。ちょっとした公園くらいありそうだ。
以前、上空から見たときこの城は小高い山の上に立っていたはずなのに何で無駄に広いんだろう。作るのはさぞや大変だったに違いない。
ひょっとして山一個削ったのだろうか?……この広さならばありうる。さすがにブルトーザーとかの機械は無いだろうがそこは例の魔法とやらでどうとでもしてしまいそうだ。というか山の中でさらに庭って意味あるんだろうか?
異世界の金持ちのやることはわからん。
「マイカ、提案がある」
「ん? 何だ」
「殿下を捕まえるのに協力しろ。上手く殿下を捕まえることが出来たら特別手当を即金で出そう。ただし……」
「ただし?」
「もし逃がしたら明日の午後は殿下の変わりにお前に政務を手伝ってもらう」
「何!」
それは困る。せっかく、やっと、同性の友達が出来たと……私も、普通の女の子と同じように町でショッピングしたり、アイスクリーム食べたり……
ベリルには世話になっている。その手助けをしたいのはやまやまだが、だがしかし。それは果たして明日の午後の予定をつぶす危険を冒してまでも成さなければならない物なのだろうか……
明日、明日でなければ即答できただろう。が、しかし……
ちらりと手にした空の包みを見る。同時によみがえるのはうれしそうなローゼの笑顔。思わず包みを握りしめる。
「明日、街に行くのだろう? 多少現金が必要になるんじゃないのか」
横からは冷たい悪魔のささやき。
た、たしかに。アイスクリームは無料では食べられない!
「お前も無一文で街に同行して彼女らに余計な気を使わせたくないだろう?」
「……もし、アゲイトが居なかったら?」
「そのときはこの提案は無しだ」
「やる!」
包みを握り締める。
特別手当がどれほどの額なのかは分からないが、アイスクリームくらいは食べられるだろう。それよりも多かったら、モルダとローゼに今日のお礼に何かプレゼントくらいは買えるかもしれない。
そう、アゲイトを捕まえればベリルも助かる。私も助かる。アゲイトを捕まえさえすれば問題ないのだ。
「ではマイカ。俺はこちらから見てくるからお前はこの道を道沿いにまっすぐ行け」
「この道を進めば良いんだな?」
「そうだ。絶対に道から逸れるなよ。途中殿下を見つけたら捕まえておいてくれ」
「了解した」
私はベリルの指した道を見る。それは庭の中央をよぎる路。ここをまっすぐ、だな。
包みをズボンのポケットにしまい、腰に挿した鉄扇をかわりに握り締める。
悪く思うなよアゲイト。そもそも政務をすっぽかしたお前が悪い。
ベリルが庭の木立に消えたのを見計らって目前の小道に歩を進めた。
庭は、茜色に染まる日の光を受けて金色に輝いて見える。こんな事態でなければ、ゆっくりと堪能したい気分ではあるがそれどころではない。
目標はアゲイト。その身柄の拘束。こんな事なら何か縛るものでも持ってこれば良かっただろうか。手にした鉄扇を握り締めながら、些細な気配も見逃すまいと気を配る。
あの巨体を押さえるのは難しいかもしれない。どうせ魔法で回復するのだから足の一本や二本折っても大丈夫だろうか? アゲイト相手にそこまでするのは気が引けるが、何としても逃がすわけには行かない。どうせ政務は足が使えなくても大丈夫だろう。などと物騒なことを考えながら歩いていると前方でかすかに人の気配がする。
慎重に気配を消して様子を伺う。
気配がするのは、前方の身長よりやや高い生垣の向こうあたり。かすかに人の話し声。
よく耳を澄ますとそれはアゲイトと、誰か若い女の声のようだった。何をしゃべっているのかは分からないが少なくとも言い争っているような様子は無い。むしろ親しげな……
……妙に胸がざわざわする。緊張しているのだろうか?
静かに呼吸を整え、慎重に生垣に近づく。慎重に、気取られないように。
その生垣は小道からやや離れた、その裏に回れば小道からは完全に死角になる場所にあった。こちらから向こう側が見えないということは、向こう側からもこちらが見えないということだ。
足元の小枝に注意しながらそろそろと生垣にたどり着く。そっと生垣にしゃがみ込み、小さく深呼吸。
深呼吸しても、胸のざわめきは止まるどころかむしろ居ても立って居られないほどに大きくなるが、これも明日の午後のためだ。
生垣の向こうにはアゲイトと若い女の二人。生垣の足元からかすかに紺色のスカートの裾が見える。そしてその向こうからは、甘ったるい女の声と妙に浮ついた音色のアゲイトの声。
……なぜ私がこんな事を。
だんだん腹が立ってきた。が、ここで逃げられては意味が無い。冷静になれ、私。が、背後の生垣の向こうでは尚も甘ったるい女の声。そこで何かが吹っ切れた。
そうだ。そもそも私がこそこそする理由などどこにも無いではないか。要するに、アゲイトをとっちめてベリルに突き出せば済む話だ。
すっくと立ち上がってそのまま生垣に回り込む。
立ち上がった時点で向こうも私に気がついたようだがどうでもいい。逃がしはしない。
見れば、若い女性。おそらくはこの城の女中だろう。その女性は生垣を背に、アゲイトは彼女に覆いかぶさるように生垣に手を突いていた。二人とも、私が姿を見せるとほぼ同時にこちらを見る。
アゲイトは私が現れたのがよほど予想外だったのか、間抜けに口をあけたまま目を見開いて立ち尽くしている。
「アゲイト……殿下。政務に戻っていただけませんか?」
私は勤めて冷静に、臣下らしく振舞う……ちょっとベリルに似てきただろうか?
手にした鉄扇をぴしゃりと手で打ち、一歩、二歩と間合いを詰める。
あと少しで間合いに入る、という時になってやっとアゲイトが口を開く。
「マ、マイカ?! 何でここに! てかなんか怖いぞ?」
アゲイトは狼狽しながらじりじりと後ずさる。
「……政務に、戻っていただけますね?」
むかつく。アゲイトの反応もこの状況も、何もかもが腹が立って仕方ない。
つかみ掛かりたいのを押さえるのでやっとだ。
「こ、これは……アレだ。浮気とかじゃなくて、その……」
アゲイトは見苦しくわたわたと言い訳を始める。何の言い訳だ。わけがわからん。
「そんな言い訳は聞いていない!」
「だから、そんなに怒るなって!」
必死に弁解するアゲイト。
大体、浮気って何だ。そんなもの私に弁解する必要ないだろう。そもそも浮気でなかったら何なのだ。本気だとでも言いたいのか? この男は。
「問答無用!」
腹立ち任せに手にした鉄扇をアゲイトに振り下ろす。が、その一撃はあっさりとアゲイトに腕ごとつかまれて止められる。
「これは、アレか? 嫉妬か?」
どこかうれしそうなアゲイトの声。
「そんな訳あるかっ!」
思い切りかかとでアゲイトの脛を踏みつける。
「痛ってーーっ!」
いっそ折ってやるつもりで踏みつけてやったのに、アゲイトは両手で脛を押さえてうずくまっただけだった。
本当に頑丈なやつだな。
女性は青い顔をして下がっている。
同性から見ても、うらやましいくらいの豊満な胸。豊かに波打つ金髪。何もかもが私とは正反対だ。
……むかつく。
まだ痛そうにうずくまるアゲイト。
もう一発殴ってやろうかと身構えたとき、反対側の生垣からベリルがやってきた。
「殿下!」
「あ、ベリル」
「げっ! ベリルか!」
アゲイトはベリルから逃げようと身を起こし、走り出そうとする。
その前に立ちふさがる。
「マイカ?」
「逃げるなよ。アゲイト」
「マイカ! 殿下を逃がすな!」
両手を広げて身構える私。何とか逃げようと同じく身構えるアゲイト。その後ろにはベリル。
じりじりと間合いを計りながらにらみ合う私とアゲイト。
「なんでマイカが……! ベリル、お前まさか……」
「逃げるなよ! アゲイト!」
何か言いかけたアゲイトの言葉をさえぎって叫ぶ。
「逃げたら、逃げたら、一生怨んでやるからな!」
そう、ここで逃がすわけには行かない。
長年の夢が、憧れがやっと明日叶うかもしれないのだから!
その必死な様子が伝わったのか、アゲイトは呆気にとられていたようだったが、大きくため息をつくと構えを解いて小さく舌打ちする。
「……仕方ねぇな。好きにしろ」
「よし!」
私は嬉々としてアゲイトの右腕を抱えてベリルに駆け寄る。
「捕まえたぞ」
アゲイトの右腕を掲げて見せる。……なぜか妙な沈黙と共にその腕。正確にはアゲイトの腕を掴んだ私の左手にアゲイトとベリルの視線が注がれる。
「……どうかしたのか?」
沈黙に耐えられず聞いてみる。
最初に口を開いたのはベリル。
「いえ、何でもありません。行きますよ、殿下」
ベリルは私の手からアゲイトの腕を引っ手繰るように掴むと歩き出した。
「ちょ、ちょっとまて! 何で俺がお前と手ぇ繋がなきゃなんねぇんだよ!」
慌ててアゲイトがその手を振り払う。
「逃げるのか?!」
とっさにアゲイトの腕を掴む。……またしても視線。何なんだ一体。
「……逃げねぇよ……」
アゲイトは視線はそのままでそうつぶやいた。
「当然だ」
逃がしてしまっては私の夢が叶えられない。
そして、目的を果たしたのだからその夢が叶うのもあと少しだ。
おもわず顔がにやけてしまう。
ベリルは小さくため息をついた。
「ではマイカ、殿下を執務室まで連れて行きますよ」
ベリルは、アゲイトを捕まえたというのに少し不機嫌そうだ。そのまま踵を返して歩き出す。
私は、アゲイトを逃がさないように腕をしっかりと抱え掴んだままその後に続く。
アゲイトはおとなしく私に連れられて歩く。
上機嫌の私とは正反対に黙ったままの二人。何なんだろう、さっきから。
まぁいい。そんな事より明日の事だ。
何を着ていこう? いつも着ている様な服で構わないだろうか?
今ならはしゃいでいた二人の気持ちが良く分かる。
結局、執務室に着くまでベリルとアゲイトの二人は押し黙ったままだった。
執務室では先ほどの騎士、たしかスティーブとか言ったか。彼が書類の束を抱えていた。
エルバイト公からの追加書類と、アズライト殿下付の執務官からの報告書と、アズライト殿下からの要求書などらしい。
こまめにも急ぎのものと重要なもの、特に急ぐ必要の無いものなどに分類されている。
「ご苦労。さ、殿下。すべての書類に目を通してサインをいただけますね?」
ベリルは、アゲイトを椅子に座らせるとにこやかに書類を突きつけた。
「……そんなのお前がやれば良いだろう」
アゲイトがつぶやくと、ベリルが間髪いれずに机を叩いた。
「そもそも! 私は政務に深くかかわることは禁止されています! それにたかだか目を通してサインするだけでしょうが。それくらいはやって頂きますからね!」
ん〜〜〜と、これはあれか。聖職者が権力を持つと良くないとかいうやつだろうか?
そういえばベリルは騎士だけど神官なんだったな。それも枢機卿。
枢機卿がどれほどの物かはよく分からないが、昨日の様子では結構偉い人みたいだ。……あまりそんな感じはしないのだが。
ふと、枢機卿で権力者というと、三銃士で有名なリシュリューが枢機卿で宰相だった事を思い出すが、政務に関わる事を禁じられていると言う事はこちらではいろいろと違うみたいだ。
アゲイトは尚もぶつぶつと何か文句を言いながらも、しぶしぶと書類に目を通してサインし始めた。
ベリルはそれを満足そうに見る。
「ではスティーブ。しばらくここをお願いします。くれぐれも殿下から目を離さないように」
「畏まりました」
「さて、マイカ。行きましょうか」
ベリルは騎士に用件を言いつけると、私を連れて部屋を出ようとした。
「ちょ、どこ行くんだよ!」
背後でアゲイトが慌てた様な声を出す。
「マイカを送っていくんですよ。すぐに戻ってきます」
「お前じゃねぇ! マイカだ」
「私か? 当然部屋に戻るに決まってるだろう」
何で文句を言われなくてはいけないのか。
「ここに居るんじゃねぇのか?」
「ここに居て何をするというんだ」
「や、だから……お茶入れてくれるとか……」
その言葉を聞いたベリルがやや渋い顔をしながらもあきれた目でアゲイトを見る。
その口元が微かに「無謀な……」と動いたのを私は見逃さなかった。
以前、ベリルに家事をやりたいと申し出たときに、ついでにお茶の入れ方も教えてもらったことがあるが、同じようにやっているはずなのに、どうしても濃くてまったく飲めないものになるか、薄くて何の味もしないものになるかのどちらかにしかならず、やはり掃除や洗濯と同じに禁止された。
ベリルはそのときのことを思い出したに違いなく……失礼な。
「よし! ならば茶くらいは……」
「やめなさい」
腕まくりして茶器を探し始めた私を、ベリルがやんわりと止める。
「殿下も、あまり無茶は仰らないで下さい。マイカ、行きますよ」
促されて、しぶしぶ手にしたつぼと得体の知れないビンを棚に戻す。
あの大きさのつぼなら湯を沸かすのに丁度いいかと思ったんだが……
仕方ない。せっかく送ってくれると言うのだから待たせる訳にはいかない。
と、ベリルが思い出した様に机に引き返し、引き出しから小さな袋を取り出した。
その袋からは小さな金属音が聞こえる。
「そうそう、マイカ。約束の報奨金です」
ベリルは、にっこりと笑ってその袋を私の手のひらの上に置いた。
袋の中には硬貨が何枚入っているのかは分からないが、ずっしりと重い。
「ありがとう……」
「あまり無駄遣いはしないように。後で物価の相場や両替について教えます」
「ちょっとまて、何だそれは?」
見ると、アゲイトが不満そうな顔でこちらを見ている。
「これか? ベリルと約束したんだ。お前を捕まえることができたら報奨金を出してくれる。と」
よかった。これで街に行ける。思わず顔が緩む。ふふふ。
「じゃ、何か?お前、そのために俺に逃げるな、と?」
「当然だ」
だって、逃げられたら明日の午後は執務室で過ごすことになってしまう。
「そ……金がほしいなら俺が……」
「金はほしいわけでは無いがあるに越した事は無いだろう? 明日街に行くんだ」
ふふふ。あの二人と一緒に出かけるんだ。
「じゃ、じゃぁ俺と街に行けばいいだろ」
「お前と?」
何でアゲイトと行かなくてはいけないのだ。
……アゲイトとショッピング。アゲイトとアイスクリーム……
いかん。薄ら寒い想像をしてしまった。
大体、こういうのは女同士で行くから楽しいんじゃないか。
アゲイトと行っても楽しいかもしれないが、それでは意味が無い。
男友達とならば、隼人や道場の子弟と何度か映画や食事に行っている。
うん。やっぱりここは女の子と一緒がいい。滅多に無い、いや、初めての機会なのだから。
「何だよ? 不服か?」
「うん」
素直に頷くと、アゲイトは書類に埋もれながら不満そうな顔をした。そんなに街に行きたかったのだろうか?
だが先ほどからベリルの視線が痛い。
これはやはり、ここで甘やかすなという事だろう。
私としても明日アゲイトについて来られるのは遠慮してほしいところだ。
「……何かほしいものでもあったのなら土産に買ってこようか?」
一緒に来られるのは困るが、土産くらいなら構わないだろう。
この金もアゲイトのおかげでもらったようなものだし。
それを聞くと、アゲイトは一瞬呆れたような顔をしたが、何か思いついたのかこちらを見る。
「それは……お前が俺に何か買ってくるという事か?」
「……まぁ、そうだな」
アゲイトの顔がいやらしく歪む。
……何か、とんでもない事を言い出す気じゃないだろうな?
「それなら、俺が以前お前に贈った物のお返しがいいな。高いものでなくて構わんぞ」
それはあの腕輪の事だろうか?
たしかに強引にとはいえ、貰ってしまった以上お返しは必要かもしれない。
「で、何が良いんだ?」
「同じもので良い」
にやにやと笑うアゲイト。
その笑みに邪な物を感じないわけではないが、お返しとしては妥当かもしれない。
「……そうか。分かった」
しぶしぶ承諾する。
「絶対だぞ」
念を押すアゲイト。不吉な予感。
書類に囲まれながらもニヤニヤと笑うアゲイトに見送られながら、私はベリルと共に執務室を後にした。
小屋に戻る途中、食堂に寄る事にした。
二日酔いの症状はすでに良くなっていた。パン2個とパイの切れ端とポムだけでは腹が減るだろうが、ベリルは夜は小屋に来れないかも知れないし、私も一人で食堂までたどり着く自信は無かったからだ。
食堂は、思っていたよりもずっと広く、100席くらいはありそうだったが、今は人もまばらでそれほど忙しくは無い様だった。
ベリルと同じようにトレイを持って、メイン料理を鳥か肉か魚かで選び(魚は売り切れていたので鶏肉のバターソテーにした)メイン料理の皿とスープを受け取って、パン籠からパンを2個取った。
ベリルは先ほど食べたのだが、私に付き合ってパイを一切れとぶどう酒をトレイに乗せていた。
硬い木製の椅子に座る。この食堂はこの城で働く者ならば誰でも利用できるそうなのだが、それぞれ休憩時間が異なるためあまり混雑する事は無い様だ。そして騎士団は敷地内に寮があり、寮内で自炊する事もできるらしい。
ベリルのような高官は、敷地内あるいは街に屋敷があり、よほど忙しいときでなければ食堂を利用することは無い。
そのせいだろうか。先ほどからちらちらと食堂と厨房の出入り口に若い女の子達のすがたが入れ替わり立ち代り見える。ついでにミネットさんの少女達を諌める声も聞こえる。
……内面を知らないというのは、ある意味幸せなことかもしれない。
思わずベリルの顔をまじまじと観察する。美しい、ねぇ……あまり意識して見たことは無いが、私にとってこの手の顔というのは須らく幼馴染を彷彿と思い起こさせる。
中性的な顔立ち。色白。冷酷そうな目。神経質な指先。清潔で折り目正しい服装。
傍に居られると安心するような、それでいて居心地の悪いような……何しろ、私に小言を言うのが趣味みたいな奴だったからな。真面目な数学教師に、出来の悪い生徒がマンツーマンで補習を受けているような気分というか。うーむ。
「……食べないのか?」
ベリルが眉をひそめながら聞いてきた。
「食べる」
冷えかけた食事に手を伸ばす。
格好良いとかならなんとなく分かるのだが。ふむ。考え事をしながら食べたせいなのか料理の味はよくわからなかった。
食堂から小屋までは比較的近い位置にあるようで、外に出て2,3分くらいで小屋に着いた。
これくらいの距離ならばすぐに覚えられそうだ。
ベリルは先ほどの袋から硬貨を取り出すと机の上に並べた。
「いいか、硬貨の種類は金貨、銀貨、銅貨の3種類。1金貨は5銀貨と両替できる。1銀貨は20銅貨と両替。つまり1金貨は100銅貨に両替できることになる」
「ふむふむ」
「今の物価は……いや、まぁいい。そうだな、ポムの実なら銅貨2〜5枚。大衆食堂で食事をするなら大体銅貨8〜12枚程度か。服は物によるがお前が今着ている様な物ならば銀貨2〜3枚で買えるだろう」
ん〜〜〜、と言うことは銅貨1枚がだいたい100円くらいか?
だとすると銀貨は2000円、金貨は1万円か。
「それと、王都でしか流用していない金貨で高額金貨というこの金貨より2回りくらい大きな硬貨もあるがこのあたりで目にすることは無いだろうからまぁいいだろう」
ほほー。
「気をつけなくてはいけないのは隣国のカクコセン硬貨やコランダム硬貨もこの街では流用しているという事だ」
「……と、言うと?」
「カコクセン硬貨はこちらとほぼ同価値だが、実際にはこちらの貨幣より1割程度低めだ。つまりカコクセン銅貨11枚とディアマンタイト銅貨10枚で両替していると思えばいい」
「……ふむ」
「コランダム硬貨はこちらのほぼ半額程度。コランダム銅貨10枚とディアマンタイト銅貨5枚で両替できる」
「……え〜〜〜と」
コランダム貨幣が半額でカコクセン硬貨が1割低い……と。
と言うことはディアマンタイト銀貨1枚はカコクセン銅貨22枚、コランダム銅貨40枚だな。
で、コランダム銀貨はディアマンタイト銅貨10枚と、カコクセン銅貨は……9枚でいいのか?
指を折りながら必死に計算する。
普段使わない頭を使おうとすると痛くなるな。……あぁ、頭の片隅で冷血漢メガネのあざ笑う声が。
「……要は店で買い物をする時や、両替時にディアマンタイト硬貨以外の金を受け取らなければ良い」
あ、そうか。
「それなら大丈夫そうだ」
いちいち計算しないとだめなのかとあせったじゃないか。
「変な店に入りさえしなければ大丈夫だろう。あの二人と共に行動するのならばおそらく問題は無いはずだ」
「うむ」
「それと、現在隣国のコランダムとカコクセンは冷戦状態にある。ここは国境のすぐ近くだから未だに難民も多い。街の中ならば安全だが、絶対に一人で街の外には出るなよ?」
「……何でだ?」
「外の城壁には難民が多く住み着いている。その殆どは国外逃亡してきた不法滞在者だ。中には柄の悪いのも多い」
「難民の受け入れはしていないのか?」
「両国からの難民を受け入れるには手続きが必要になる。身元のしっかりしている者はこの城で下働きとして雇ったりもしているが、それにも限度はある。国は難民の受け入れは拒否しているしな」
「何故?」
「……現在ディアマンタイト王国は両国に対して政治的介入は一切しないことになっている。難民に関しても同様だ。戦争が終結するまではどうにも出来ない」
政治的配慮ってやつか。どこでも似たような問題は起きるんだな。
難民と言えば、某国の難民キャンプのニュース映像が頭に浮かび上がる。
国に帰りたくても帰れず、食も無く働くことも出来ない。ボランティア団体の配給に並ぶ痩せて骨と皮だけのような体つきの子供達……
国に帰れないという点では私も難民のような物だ。なのに私はこうしてベリルに保護されて、毎日3食しっかり食べて寝るところも働く場所も与えてもらった。
「その話、詳しく聴いてもいいか?」
ベリルは小さくため息をつくと、「まぁ、騎士団で働く以上知っておかなくてはいけない事だしな」と前置きして話してくれた。
そもそもこの地はコランダム、カコクセンの両国に隣接していて貿易の盛んな場所だったらしい。
コランダム、カコクセンの両国が戦争を開始したのが約2年前。両国ともにディアマンタイト王国に参戦の要請があったらしいがディアマンタイト王国はこれを拒否。その代わりに両国のどちらにも加担しないことを約束した。
そして、コランダム、カコクセンの両国は一進一退の攻防を繰り広げた挙句、半年前に一応の平和条約が結ばれた……らしいのだが、その直後にコランダムの元首が暗殺される。カコクセンに容疑がかけられるがカコクセンはこれを拒否。
再び戦争になりかけるが、その条約にはディアマンタイト王国も連名していた為現在条約は一応の効力を発揮し、現在に至るらしい。
そして、両国が戦争を始めた直後からこの地に両国からの難民が流れてくる。
戦争と言っても最初は小競り合いのような物だったので、直ぐに終結するかと思われたが徐々に本格的なものへ発展。当然コランダム、カコクセンの両国間の出入国は禁止。
そして、両国に隣接しているディアマンタイト王国に対しても出入国の際に厳しい検査が行われる事になった。
そこで困ったのが難民達。なにしろ着の身着のままに出てきた者も多く、身元を証明できる物は無い。よって自国なのに帰れなくなってしまったそうだ。更には両国の難民が混じっているため、ディアマンタイト王国から正式に返還しようにも難しいらしい。
そして、一応の条約が結ばれたものの、コランダムの元首暗殺によって更に出入国が厳しくなってしまった。
現在、この地には一部の交易商人以外は両国からの出入国は禁止されている。
帰れなくなってしまった両国の難民はここ、エルバイト地方の城下町、ニュージェイドの街の郊外に住み着いている。
アゲイトは現エルバイト領主として一応の対策は取っているらしい。
「どんな対策なんだ?」
「街道の補強工事だ。その工員を難民から採用する。戸籍は無いから日雇いだがな。収入があれば引ったくりや強盗の類は減るだろうし自国との街道の補強という名目であれば働く物も多いだろう。出稼ぎ労働者と大差無い扱いだ」
……なるほど。難民ではなく出稼ぎ労働者として扱うのか。
「国にその予算を出させるのは一苦労だったがな。その下見に勅旨が来るとは聞いていたが……」
途端、ベリルの顔が渋い物に変わる。
あぁ。じゃぁアズライト殿下が来たのは偶然や気まぐれとかじゃなくて仕事だったのか。だから執務官がアズライト殿下に付いて回ってるんだな。そしてベリルの仕事が増えた、と。
「そういえば早く戻らないといけないんだったな。引き止めてしまってすまん」
「構わん。どうせあとは殿下にサインをもらうだけだ」
言いつつベリルが席を立つ。
私も席を立ち、ベリルを戸口まで送る。
「それと、ありがとう」
「何がだ?」
「お金。これで明日街で買い物が出来る」
「なんだ、そんな事か」
ベリルは少しだけ表情を緩めた。
「せっかくだから楽しんで来い」
「うん」
外はすっかり日も暮れ、夜風がやや肌寒い。
不意に雲間から月明かりが射し込み、視界がやや明るくなった。
ベリルの銀色の髪が月光を反射して宵闇に浮かび上がる。
……なるほど。『美しい』か。
綺麗とか言うよりは宗教画みたいだが、なんとなく彼女等が言っていた言葉の意味が分かった気がする。
「……どうした?」
夕暮れに似た薄青い目が、不思議そうに私を覗き込む。
「なんでもない。おやすみ!」
いかんいかん。つい見とれてしまった。
ベリルの顔など見慣れているはずなのに。
慌てて視線を外し横を向く。……顔、赤くなっていないだろうか?
ふと、気配がしたかと思うと、頬に柔らかくてやや冷たい感触。
「おやすみ」
慌ててベリルを振り返るが、すでにベリルは背を向けて歩き出していた。
……何だ? 今の。
……
……、……。
まさか、あれか? 外人がよくやる挨拶。……まさか。ベリルが?
自分の思いつきに苦笑する。そんな柄じゃ無いだろうあいつは。馬鹿馬鹿しい。
部屋に戻ると、さっそく服を物色する。
さて、明日は何を着ようかな。と言っても持ち服はそれほど多くない。上着が5着とズボンが3着。シャツが6着。あれこれと組み合わせてみる。
現在持っている服では、流鏑馬装束が一番のお洒落着(?)となっているがさすがにあれで出歩くのは恥ずかしすぎる。かと言って、以前アゲイトが持ってきた女中の制服では駄目だろう。いろんな意味で。
二人はどんな服を着てくるのだろう。街に着いたら何をしようか? あぁ楽しみだ。