第十二話:調理場
少女に連れられて入ったその場所は、夕食の準備か大勢の人が慌しく働いていた。
大鍋を掻き混ぜる人、大量の野菜や肉を刻む人、厨房の片隅では小学生くらいの少年少女がジャガイモの皮を剥いている。
かと思えば、大きな袋や樽をかかえた男の人が往復していたり食器を運んでいたり。
毎年、公民館で開かれる夏祭りや小学校で開かれる村民運動会の準備ってこんな感じだったよな。と思い起こさせる雰囲気だ。もっともこちらのほうがもっと殺気立っているかと思われるほどの喧騒だが。
呆気にとられていると忙しなく働く人たちにぶつかりそうになる。
「マイカさん、ここが厨房です。私、親方さんに言って何かもらってきますね」
少女はそう言うと、慣れた様子で忙しそうに働く人々の合間を縫って奥に入っていってしまった。
私は、なるべく邪魔にならないように部屋の隅に籠を下ろして少女が戻ってくるのを待った。
働いている人をよく見ると、先ほどの少女、ロゼッタと同じ服を着た少女を数名見掛けた。
この城の制服だろうか? 以前見た女中のものよりも質素な刺繍にふくらはぎまでの短めのスカート。
さらによく観察すると、15、6歳くらいまでの女の子はふくらはぎまでの短めのスカート。年配の女性は足首まである長いスカートをはいている。
……先ほどから妙に視線を感じる。
前をよぎる人の半数以上が横切る際、興味深げにこちらに視線を向けてきているのだ。
いや、前をよぎる人だけでなく忙しく働きながらもちらちらとこちらを見ているものもいる。
面会式の時に向けられたような、畏怖するような視線ではなく、純粋に興味深げな視線。
やはり、この風貌は目立ってしまうらしい。私から見れば青や緑の頭のほうがよほど珍しいのだが……
いや、それだけではないのかもしれない。なにしろこれだけ忙しそうに働いている人たちの中で私だけ何もせずに突っ立っているのだから。
ロゼッタと名乗った少女はまだ戻ってこない。
「もう、ローゼったらどこ行っちゃったのよ。ポムの実はまだなのーー?」
見ると、ロゼッタと同じ服を着た少女がいらいらしながら生地を伸ばしている。横に浅い陶器の器が数個並べられているところを見ると、あの生地はパイになるのだろうか。
足元の籠を見る。中にはやや青いリンゴ。
ロゼッタは、みんなからはローゼと呼ばれていると言っていた。ならば、あの少女が言っているのはロゼッタの事で、このリンゴはポムの実なのだろう。
籠を持って少女に近寄り声をかける。
「ポムの実というのはこれの事か?」
少女はいきなり声をかけたせいか、びっくりして振り返る。
ロゼッタと同じ15、6歳くらいの女の子。やや赤みを帯びた茶色の髪。真新しい十円玉と同じ色。あざやかな緑色の目。
「あ、あら。ありがとう……あなたは?」
「マイカだ。マイカ・スギイシ。昨日からこの城に勤める事になったのだが迷子になってしまって。ロゼッタ……さんに厨房まで案内してもらったんだ」
嘘じゃないよな。昨日騎士に任命されたのだから。うん。
「あら、そうなの。私はモルダって言うの。よろしくね」
そう言って少女は笑った。
「ああ。よろしく」
「じゃ、さっそくで悪いんだけどローゼ呼んできてくれない?」
「ロゼッタさんなら奥へ行ってしまって戻ってこないんだ」
それを聞くと少女は眉をひそめた。
「もう! あの娘ったら。じゃ、あなたでいいわ。これ、剥いてちょうだい」
モルダと呼ばれた少女はリンゴ……ポムの実を指して籠の横に小さなナイフを置くと視線を生地に戻し作業を続行した。
リンゴの皮むきか……
いや、これは好機と見るべきだろう。掃除、洗濯以外にもリンゴの皮むきも出来る様になれば、多少女らしいと言える様になるのではないだろうか?
よし! さっそくこれをマスターしてベリルに食べさせてやろう。わたしは、軽く袖をまくると真剣にリンゴの皮むきに取り掛かった。
まずは左手でリンゴを持って、右手にナイフ。慎重にナイフをリンゴにあてがう。そしてリンゴにナイフを入れる。
ザク……ザクザク。ザクザクザク……こんなところか。
二つ目、三つ目……と手を伸ばしかけたとき横から悲鳴に似た声がかけられる。
「ちょ! ちょっと! あなたポムの実を剥いた事がないの?! これじゃ食べられるところなんて無いじゃない!」
「……そうかな」
「貸しなさい!」
少女は、私の手からリンゴを奪うと器用に剥いてゆく。
そうして剥かれたリンゴは、薄く皮を剥かれたきれいな原形をとどめた形。その横に並ぶのは私が剥いた歪な……刻まれたリンゴ。
むむむ……こうして並べて見ると一目瞭然だな。自分がどれだけ不器用かよく分かる。
「ほら、こうやって剥くのよ」
モルダは手本を見せながら指導してくれるが、どうしてもスルスルと剥けてくれない。
私がナイフを振るうごとにリンゴは刻まれてゆく。
「……もういいわ。これはあたしがやるから。あなたは……そうね、この生地をこねてちょうだい。それ位は出来るわよね?」
そう言ってモルダが指したのは伸ばす前のパイ生地。
「こ、こうか?」
うどんをこねる様に力いっぱいこねてみる。
「そうそう。まかせたわよ」
「うむ。まかされた」
力いっぱい生地をこねる横で、モルダがリンゴを剥きながらもちらちらとこちらの様子を伺ってくる。
が、何も言わないという事はこれで良いようだ。
先ほどの失敗を挽回すべく真剣に生地をこねているとモルダが話しかけてきた。
「ね、あなた。マイカって言ったかしら。どこから来たの? あたしあなたみたいな髪の色も目も初めて見たわ」
「ん? あぁ。この髪か。よく言われる。こちらではめずらしいらしいな」
「で、どこから来たの?」
「日本、という国だ。知らないと思うが」
「ニホン……聞いた事が無いわ。遠いところなの?」
「あぁ。とても遠い」
生地を夢中でこねながら答える。
「そう……あ、生地はもうそれくらいでいいわ。つぎはこのポムの実をこうやって生地に並べるの」
モルダは、いつの間にかあの大量のリンゴを剥き終え、しかもそのポムの実は綺麗に薄くカットされていた。
その薄くカットされた実を、先ほど伸ばしていた生地を器に敷いたその上にジャムを塗って並べて行く。
見よう見まねで一枚ずつ丁寧に並べる。
「そうそう。その調子」
「うむ!」
褒められた。ちょっとうれしい。
だんだん使命感を帯びてきて真剣に、丁寧に並べる。
一枚を並べ終え、二枚目に差し掛かったときロゼッタが戻ってきた。
「ごめんなさい、マイカさん。遅くなっちゃって」
ロゼッタは額にうっすらと汗をかいて、手には小さな包みを持っていた。
「ローゼ! 遅いわよ。どこ行ってたの?!」
「ごめん! モルダ。あ、マイカさんこれ……」
差し出された包みを受け取る。
その包みを開けてみると、中には小さなパンが二つと小ぶりなポムの実。
「ありがとう」
「いえ、ごめんなさい。そんな物しか分けてあげられなくて……」
「いや、充分だ」
「何、どうしたの?」
モルダが手にした包みをみて尋ねて来た。ロゼッタが手短に説明するとモルダは顔を真っ赤にした。
「やだ、そう言う事は早く言いなさいよ! てっきり厨房に新しく入った子かと思っちゃったじゃない!」
「え? モルダ、あなたマイカさんに手伝いなんかさせてたの?!」
やだー、と笑いあう二人。実にほほえましい光景。
いいなぁ。うらやましい。
「あ、そうだ。ちょっと待っててね。そう言う事なら……」
モルダは、私が先ほど剥いたポムの実を器用に切り分けると、切り落としたパイ生地に包んで他のパイと共に竈に入れた。
「ちょっと味が薄いかもしれないけど……ま、いいわよね」
綺麗に焼けたそれを包みに追加した。
「いいのか?」
「かまわないわよ。これくらいならばれないわ」
いたずらっぽくふふふ、と笑う。
「ローゼの恩人なんだもの。これくらい当然よ」
「有難うモルダ!」
ロゼッタが感激してモルダに抱きつく。
「ちょと、離れなさいってば」
そう言いながらもモルダもうれしそうだ。
「有難う。モルダさん、ロゼッタさん」
そう言うと二人は顔を見合わせて笑った。
「もー。モルダでいいわよ」
「私も、ローゼって呼んでください」
「じゃぁ、……モルダ、ローゼ。有難う」
女の子を呼び捨てで呼ぶなんてなんだか気恥ずかしい。
二人はまたもや顔を見合わせて笑った。
「こら! そこのおしゃべり雀」
壮年の恰幅の良い女性が、トレイを持ってこちらに寄ってくる。
「あんたたち、手が空いてるならこれを届けてちょうだい。そのパイも添えてね」
「はい、ミネットさん」
二人は笑いを止め、やや緊張した面持ちでそれを受け取る。
ミネットさんと呼ばれた女性はにやりと笑った。
「執務室までだよ。粗相の無いようにきちんと届けるんだよ」
それを聞いた二人は顔を輝かせた。
「女官に頼もうと思ったんだけどつかまらないんだよ。だから、あんたらに頼むんだ。くれぐれも粗相の無いようにね!」
「ありがとうございます! ミネットさん!」
二人はトレイと水差しを受け取ってうれしそうだ。
「それと! 部外者はここには入れないでおくれよ!」
「はーーい」
女性が立ち去ると、二人は顔を見合わせて噂し始める。
「ねね、執務室って言ったら……」
「そうよ、あの方にお目にかかれるかもしれないわ」
楽しそうな二人。パイを切り分けて皿に移すとトレイに追加した。
トレイと水差しを持って厨房を出て行く。
おもわず二人の後を追う。
「あの方?」
「あ、そうか。昨日からってことはまだ知らないわよね」
「ベリル様の事です。ご存知ですか? ベリル・アクア・マリン様」
……様付けで呼ばれてるのか。
「……あぁ。知っている」
「素敵な方よね。お美しくて」
「そうそう。それに冷たそうに見えるんだけど、私たちみたいなのにも丁寧に接してくれるし」
きゃーー。とまたしても笑いあう二人。
そうか、あれは美しいと言うのか。
よく私は目が腐ってるとか、美的センスが皆無だとか言われるが……主に幼馴染に。
いつだったか、好みのタイプとか無いのか? と聞かれたときに三沢光晴(元プロレスラー)と答えたらあきれられた。
打たれても投げられても立ち上がるあの勇士。……かっこいいのに。
そりゃ、全日分裂の時は反感を買ったかもしれないが……
「そういえばマイカさん。ついて来ちゃいましたけど……道、わからないんでしたっけ?」
「うん。まったく」
「じゃ、これ置いたらちょっとだけ分かるところまで案内するわね」
「いや、執務室にベリル……様が居るのならば問題ない。多分」
二人は何か訪ねたそうな顔をしたが、すぐにベリルの噂話を続け、その話は次第に明日の休みはどこに行くか。という話になった。
「ね、どうする? 街までいっちゃう?」
「どうやって行くのよ」
「だから、そうね。パパゴ爺さんに頼んでみるとか」
「そっか。仕入れのついでに乗っけてもらえば問題無いわね」
街、か。それは以前アゲイトに連れられて行ったあの街だろうか。
あの時は見物どころではなかったな。
と、二人の視線がこちらに向いている。
「あの……マイカさん」
「ん? 何だ」
「明日は、何か予定入ってます?」
「明日……」
明日は今日の仕切りなおし。たしかアゲイトの話では午前中に訓練。午後からは暇になるらしかったな。
「明日は午後からなら暇だと思う」
「じゃぁ、一緒に街に行きませんか?」
「いいのか?」
「もちろんです! やった。マイカさんが一緒なら心強いわ」
うれしそうな二人。そっか、二人だけじゃ危ないかもしれないな。
それに二人は街に詳しそうだ。
楽しそうに話す二人についてしばらく歩くと建物の奥、絨毯の敷いてあるちょっとそれまでとは雰囲気の違う区画に入る。
その一番奥の彫刻の施された重そうな扉。
その前まで来ると二人は緊張した面持ちでその扉をノックした。
「入ります」
声をかけて扉を開く。
部屋の中は、片面の壁一面にはびっしりと重そうな本や丸めた紙などが納められていて、もう片方の壁にはタペストリーや高価そうな調度品と共に怪しげな器具などが置かれている。
そして窓を背にしてなにやら書類に書き込んでいるベリルの姿。この部屋の窓には宴会場と同じ透き通ったガラスが使われていた。
「ご苦労。そこに置いて下さい」
そこ、と部屋の中央に置かれたテーブルを指して顔を上げた。
目が会うと一瞬ベリルの姿が固まる。
「……マイカ? なぜここに!」
勢い良く立ち上がると脇に積まれた書類がデスクから落ちたが、ちらりと見ただけでこちらに歩み寄ってくる。
「やぁ……なんて言うか、成り行き? 」
それを聞くとベリルは小さくため息をついた。
「……なんとなく想像はつきますが……あぁ、それはそこに」
二人は驚いたみたいだったが、指示された場所にトレイと水差しを置いて立ち去ろうとする。
「あ、ちょっとまってくれ」
二人を呼び止めてベリルに向き直る。
「ベリル、確認しておきたいんだが」
「何ですか?」
「明日の私の予定だ。午後からは暇になるんだよな?」
ベリルはちらりと二人を見た後、頷いた。
「じゃぁ、明日街まで行ってもいいか?」
「……一人で、では無いでしょうね?」
「ああ。ローゼとモルダが一緒だ」
「そうですか。その二人というのはこちらの?」
そう言って二人を見る。
二人はやや顔を赤らめた。
「うん。ローゼとモルダはいろいろ世話になって、仲良くなったんだ。いいだろ?」
「そうでしたか」
ベリルは入り口近くで固まっている二人に近づいた。
「二人とも、迷惑をかけましたね。明日も迷惑をかける事になるかもしれませんが、マイカをお願いします」
「い、いえ! そんな……」
「ご苦労でした。もう下がっても良いですよ」
「は、はい! 失礼します!」
二人はぎこちない動作で一礼するとそのまま去ってしまった。……もう少し話したかったな。
扉が閉まると、ベリルはこちらに向き直る。やや不機嫌そうな顔。さっきまでとは大違いだ。
「え〜……っと、怒ってる?」
「呆れてるんだ。この阿呆が」
吐き捨てるように言う。
「おとなしく寝ているかと思えば……」
ため息をつきながら椅子に座る。
ベリルに促されて私もその向かいに座る。
「なんだ? その包みは」
ベリルの目が私の手の包みに注がれる。
「あ、これか? お腹が空いていると言ったらローゼとモルダがくれたんだ」
包みをテーブルに置いて包みを解く。
ベリルは何か言いたげに口を開きかけたが、小さくため息をついた。
「ここで食べてもいいか?」
「好きにしろ。俺もこれから少し休憩するつもりだったしな」
ベリルは、先ほど二人が持ってきたトレイを引き寄せる。
ちなみにトレイの中身は鶏肉のグリル。パン、スープ、サラダ。そして先ほど作ったポムのパイが一切れ。
「ベリルはいつもここで食事を取るのか?」
パンをかじりながら聞く。
「いや、いつもは屋敷で昼食を取ることにしている。今日はたまたまだ」
「……昼食なのか。それ」
すでに夕方に近い時間帯だ。
「政務が貯まっているんだ。しかも他の執務官は勅旨殿の担当に回っている。おまけにアゲイト殿下に逃げられた。今日こそは貯まった政務を片付けさせるはずだったのに……あいつめ」
ベリルはくやしそうにナイフを握り締める。
「マイカはどういう経緯でここまで来れたんだ?」
「え〜〜と、お腹が空いて、とりあえず厨房か食堂にたどり着ければ食べ物が手に入るんじゃないかと」
「それで?」
「迷子になっていたら声がして、ローゼに厨房まで案内してもらって…。あ、そうだ。そのパイ、私が手伝ったんだぞ」
「……お前が?」
疑わしげにパイを見る。
「生地をこねたんだ。リンゴ……じゃなくて、ポムの実の皮を剥くのも手伝ったんだがそっちは失敗してしまった」
「……そうか」
ベリルはパイを一口食べた。
「うん。うまい」
「そうか、よかった」
と言っても作ったのはほとんどモルダだが。
「それで、ここまで案内してもらった、と」
「うん。で、ここに来るまでにいろいろ話をしていたら二人が明日は休日で街に行く話になって。で、私も一緒にどうかと誘ってくれたんだ」
「そうか。まぁ、迷子にならないように楽しんで来い」
ベリルは食事を終えると立ち上がった。
「じゃ、行くぞ」
「ん、どこへ?」
「お前を送ってやる。また迷子になられても困るからな」
「執務は?」
「ついでに殿下を捕まえる。捕まえるついでに城内を案内してやるから覚えろ」
デスクの脇に置かれた小さなベルを手に取るとそれを鳴らす。
小さく澄んだ音色。
「そんな小さな音で聞こえるのか?」
「これは対になるもう一つのベルがある。そちらと連動する仕組みだ」
これも魔法の一種だろうか。
しばらくして一人の騎士がやってきた。……なんだか見た事があるような気がする。
「スティーブ。決済済みの書類は左、急ぎの書類は上に積んであります。エルバイト公に届けてください。それと、殿下は見つかりましたか?」
「いえ、ですがエルペタ、ペト・エルペタ共に差し押さえていますので城内におられるのではないかと」
「そうですか、ご苦労。行きますよ、マイカ」
そうか、思い出した。アゲイトと街に行ったときにペト・エルペタを用意してくれた騎士だ。
……その後、この騎士が私に気付いたおかげで、酒場に私が居る事がベリルに気付かれてしまったんだったが。
あの時は変装していたから気付かれてはいないと思うのだが、つい恨めしげな目で見てしまう。
「マイカ」
「今行く」
空になった包みを掴んでベリルの後に続いた。