―11話舞台裏―
〜11話舞台裏・ベリルの場合〜
朝、何時もの様にマイカに朝食を持っていくと、台所で桶を抱えたまま倒れていた。一瞬死んでいるんじゃないかと思ったが、台所中に充満する酒と吐瀉物の臭いでそうでは無いと知れた。人騒がせな。
とりあえずマイカを担いで寝室に運ぶ。昨夜といい今朝といい、まったく世話の焼ける。
相当ひどいらしく、とにかく着替えろと言いつけて吐瀉物の始末をする。
ふと、殿下と共にこの城に入ったときの宴会の惨状を思い出しかけた。こういった時、酔わないものというのは自然酔っ払ったものの世話をする羽目になる。
おかげでこの城に来てからというもの酔っ払いの始末には慣れてしまった。思い出したくも無いな。あの時の事は。
桶を外の井戸で洗って、台所の隅に立てかけて乾かす。ついでに窓も開けて換気しておく。
水差しを片手に寝室に戻ると、マイカはまだ着替えている最中で、またもや寝台に突っ伏していた。
この様子では訓練も無理だろう。
「う〜〜」とか「あ〜〜」とか唸り声を上げるマイカを引ん剥いて着替えさせる。
色気も何も合ったものではないな。この酔っ払いめ。
昨夜は明らかに様子がおかしかった。
戻ってきたときはまともそうに見えたのだが、少し目を離したらすでに酔いつぶれていた。傍に居たアズライト殿下に一言礼を言って退散してきたが、もう一度改めて礼を言いにいく必要があるだろう。気が重い。
濡れタオルで顔を拭いてやり、窓を開け、水を飲ませてやると少しは気分が良くなったのかありがとうと言ってきた。
試しに、利かないだろうが解毒を試してみるがやはり利かない。
回復魔法はその者に流れる竜の血脈に呼びかけその回復を促す魔法だ。竜の血脈が強ければ強いほど効果もそれに比例する。
それがまったく利かないと言う事は、マイカには竜の血脈は流れていない事になる。やはり異世界人なのだ。
多少会話ができるなら、と昨夜の記憶があるかどうか尋ねてみた。が、知らないと言う。
異世界人であれ薬草は利くようだから、利きもしない他の魔法を試すより薬を調合してやるほうがいい。
一つだけ、多少効果があるであろう魔法が無くは無いが、死に掛けているのならばともかく二度と使わないほうがいいだろう。俺に対する制約もある。
マイカに、薬を取ってくるとだけ言い残し、小屋を出た。
訓練には出られそうも無いから、その旨も伝えるために屋敷ではなく訓練場に向かう。
訓練場には、竜鱗騎士団はすでに集合していたので副隊長に訓練を任せ、翼竜騎士団の練習場に向かったが、やはりと言うべきか。翼竜の奴らはその半数以上が欠席していた。おまけに隊長である殿下まで具合が悪そうだ。めずらしい。
昨夜は、勅旨殿の歓迎会と称して騎士団の連中も散々に騒いでいたようだから、この惨状は大いに予想できることだが。
聞けばやはり連中は二日酔いで臥せっているとか。殿下にマイカの事を伝えると小さくそうか、とだけ答えた。自分から誘っておいて、もっと騒ぐかと思ったがやや拍子抜けだ。
殿下は、ズボンのポケットからリボンを取り出してため息をついた。あのリボンには見覚えがある。俺がマイカに送ったものだ。
マイカが宴会場に戻ってきた時リボンはしていなかった。と、言う事はマイカが酔いを醒ましに外に出たときに落としたのだろう。そしてそれを殿下が持っている。
自分が贈ったものを、他の男が悩ましげに手にとってため息を吐かれるなど薄ら寒くて仕方が無い。どうしたのかと聞くと、昨夜のことを話してきた。
要点だけまとめると、酔ったマイカにキスして逃げられたという物だった。
この男が女にだらしが無いのも手が早いのも見境が無いのも知っているが、キスして逃げられたくらいでここまで落ち込むのはめずらしい。
が、同情してやる価値は無い。ついでに酔っ払った女に手を出すのは最低だ。とか、もしかしてマイカが臥せっているのは仮病で殿下と顔を合わせたくないのかもしれない。ついでにそのリボンは自分が送った物でマイカはとても喜んでいた。拾ってくれてありがとう。と、言っておいた。
もっと言ってやりたいことはあったが、これくらいにしておこう。
殿下の顔が真っ青になる。いい気味だ。その場に居合わせていたら氷漬けにしてやったのに。
薬草を取りに屋敷へ向かう。
屋敷の地下で薬草を選ぶ。
ふつふつと怒りに似た感情が湧き上がる。
俺が目を離さなければ……いや、殿下も殿下だ。よりによってマイカに手を出さなくても良いものを。昨夜のマイカの行動は、殿下の事が影響しているのだろうか?
いや、たしかマイカは挨拶だと言った。
誰かが、マイカにそう吹き込んだのだろうか? 誰が、どうやって。
そう吹き込んだものが殿下だとは考えにくい。他の誰かだと考えるほうが自然だ。
一番疑わしいのは酔いつぶれたマイカの横に居合わせていたアズライト殿下だが、あの方はそんな事を吹き込むとは……いや、在り得る。面会の場から連れ出した後にも、くだらない事を吹き込む時間は多いに在った。
あの方は皆を混乱させることに全神経を注いでいる様にも見える。よく分からない方だ。
元々マイカの世界にそういった習慣があるとは思えない。
一体、どういうつもりでマイカがああいった行動をしたのかさっぱり分からない。
あれが酔った勢いでの意味の無い行動だとすれば、昨夜それに振り回された自分は何なのか。
だが、いくら酔った勢いとはいえ好意のかけらも無いような相手にはキスしないだろう。やはりここは多少なりとも好意を持ってくれていると見て良いのか……
いや、やはり分からない。無駄な期待は抱かないほうが良いだろう。
大体、着替えを目撃しようが衣服を引ん剥こうが警戒心のかけらも見られないのだから、マイカが俺を異性として意識しているのかどうかも疑わしい。
むしろまったく意識されていないのだろう。それなのに、殿下にキスされて逃げた、だと?
薬草を手当たり次第に袋に詰める。こんなところか。多少、関係ない薬草も混じっているが。最後にビンの中から氷砂糖をひとかけらつまみ出し、紙に包む。
小屋に戻ると、マイカはまだ伏せっていた。
なるべく音を立てないように薬草を調合し、鍋に投下する。完成した薬湯を多少多めに持って行き、マイカに飲ませた。よほど苦かったのか、口を押さえながら顔を青くしていたが、これで体調は良くなるはずだ。
口直しに持ってきた氷砂糖を口に放り込んでマイカを寝かせる。
台所にはまだ薬湯が鍋いっぱいに残っている。火にかけたままで多少煮詰まってドロドロとした液体になっているが、このまま余らせてしまうのも勿体無い。とは言えマイカにすべて飲ませるのも酷だろう。
有効活用するべく持ってきた薬草の残りをすべて鍋に入れ、翼竜の奴らに差し入れしてやることにした。
鍋を抱えて翼竜の練習場に向かう。
練習場では、動けるものはだらだらと訓練を始めていたが、殿下はまだうじうじと膝を抱えていた。
〜11話舞台裏・スティーブの場合〜
都合によりここからは私、スティーブ・ロードナイトの視点にてお届けします。
え? 誰かって?
え〜と、その。私はアゲイト殿下の元・従騎士で、現在殿下と共に王都からエルバイトに移り、エルバイトの地にて翼竜騎士団の(一応)副団長を勤めさせて頂いております。
王都での次期王太子選出に漏れて、ほぼ左遷に近い形でエルバイト領主に赴任された殿下は、王都に居たときと変わらずに(殿下曰く)青春を謳歌なさっておいででしたが、今朝は元気がありません。
女性に振られるのはいつもの事……いえ、なんでもありません。ですが、今朝はいつも以上に気落ちしておられるご様子です。
何を言っても上の空。もっとも明日になればまた青春を謳歌し出すに違いありません。
また修道院に潜り込むような事にならなければ良いのですが……
ですがリボン片手に膝を抱えてため息を吐くご様子は、はっきり言って気持ち悪……コホン。
先ほど、ベリル様が来られて以来、ますます落ち込んでいるように見受けられます。
あの方も意地がお悪……ゲフゲフ。
そろそろお声をお掛けした方がうっとおし……いえ、気も落ち着かれるのでは無いかと思いかけた頃、ベリル様が何やら一抱えもある大きな鍋を持って来られました。
何か言い合っておられる様ですが、まぁ何時ものことなので大した事ではないでしょう。
あっと、殿下が逃げようと……いえ、逃げようとしたところで固まってしまわれました。
かすかに、魔法を使用した波動を感じましたので、ベリル様が静止をかけられたのでしょう。
あ、首だけは動くようです。ぎりぎりと苦しげに殿下がベリル様を睨んでおられます。
ベリル様は、にこやかに鍋の中の液体を椀で掬って殿下に飲ませようとしておられる御様子。
そして殿下はそれを頑なに拒んでおられる様です。……何やら苦い臭いがここまで漂って来ました。
さすがはベリル様。何だかんだと言いつつも殿下の御様子を危惧しておられ……るのでしょうか?
鼻をつまんで無理やり飲ませる御様子はとても楽しそうに見受けられ、少々自信が無くなってまいりました。
殿下が何やら大声で叫んでおられます。
なになに? 二日酔いでへばっている連中を呼んで来い……と。
あの連中をここまで引き摺って来るのはめんどくさ……大変なのですが。仕方ありませんね。上官命令です。
切羽詰った御様子の殿下と、なにやら至極にこやかな御様子のベリル様が恐ろし……いえ、なんでもありません。あるわけありません。
しぶる連中を引き連れて殿下の元に向かいます。
願わくは……願わくは私にまで災難が降りかかりませんように……