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竜の棲む国  作者: 佐倉櫻
11/31

第十一話:二日酔いの朝

 頭が痛い。割れるように痛い。

 入団初日だというのに、私はいつもの小屋の私のベットの上で死んだように横たわっていた。

「飲みすぎだ。馬鹿が」

 頭上からいつも以上に冷ややかな声が降ってくる。そう大きな声ではないが頭に響く。

「ベリル、もうちょっと、小声で……」

 だめだ。自分の声さえも響く。

 天地がひっくり返っているみたいだ。ついでに胃までもがのた打ち回っているようにねじれて気持ち悪い。

 昨日、面会式があった。

 面会式直後(と言うかその途中だが)アゲイトの弟であるアズライト殿下に城内をあちこち案内してもらった。そして、戻ってきたら晩餐会だった。

 ここまでの記憶ははっきりしている。問題は、その後だ。

 今朝、いつものようにベリルが朝食を持ってきた時、すでに二日酔いの症状に悩まされ起き上がれなかった。(正確には台所で桶を抱えたまま吐くだけ吐いて倒れていた)

 具合の悪い私を心配してくれたベリルは、すぐに冷たい水を持ってきてくれ、ついでに解毒リノ・ジリティオという魔法も試してくれたがさっぱり効果は無い。

 その魔法で二日酔いから逃れられるのならば、この世界はなんて素敵な世界なんだろう!……私には関係ないが。心底羨ましい。

 寝返りを打つ事すら出来ないで居る私を心配しつつ、ベリルは昨夜の事を聞いてきた。なんとなく落ち着かない様子に見えたが他人の事を気にする余裕も無いので良くは分からない。

 晩餐会の途中から記憶が抜けている事を知るとベリルは二日酔いに効く薬草があるかどうか見てくるといって出て行ってしまった。……そして、戻ってきてからというもの何故か、非常に怒っている……ように見える。

 きっと私は晩餐会で何かとんでもない事をしでかしてベリルに迷惑を掛けたに違いない。

 早く、早く思い出さなければ。

 先ほどから扉の向こう……おそらくは釜のあたりから。非常に苦々しい匂いが漂ってきている。おまけに、食事用の小さなテーブルの上ではあやしげな薬草と思われるものを熱心に調合しているらしきベリルの姿。あれが二日酔いに効くという薬なのだろうか…?その匂いだけでも口の中が苦くなる。そんな匂いだ。

 晩餐会。最初こそきちんと席に座っていたものの、直ぐに飲めや歌えやの大宴会になった。

 よし。ここまでは大丈夫。

 ぐわんぐわんと耳鳴りのする頭で必死に思い出す。

 気の抜けたまずいビール。香草を利かせた羊肉のグリル。木の実のパイ。ニシンの酢漬け。私はビールを、飲んで……そう、気の抜けてぬるくてまずいビールだった。

 あとは……

 ……思い出せない。

 何故だか分からないが、思い出してはいけない事のような気がする。私は一体何をしでかしたのだろう? 過去酔った自分がしでかした(らしい)事を思い起こす。

 ・酔っ払って電柱によじ登った。

 ・居酒屋に居合わせた見知らぬ中年男性のカツラを毟り取って店外に投げた。

 ・暑いと言って川に飛び込んで泳いだ。

 ・コンビニの前に陣取っている高校生数人と喧嘩。その後正座させ2時間説教。

 ・帰りの車の中で延々マーラーの交響曲第8番を大熱唱。(なぜマーラー)

 ・寝言で般若心経。

 ……ダメだ。どれもこれも変質者のそれと大差ない。

 何を、どれをやったんだ?! 私!

 さっぱり思い出せない。シーツを頭まで引被って考える。

 ベリルの機嫌を直すには記憶を思い出さなくては。

「マイカ、出来たぞ。これを飲めば多少気分も回復するはずだ」

 シーツから顔を出すとベリルが手に、どんぶりくらいの大きさの器を持っていた。

 ……何? その大きさ。普通薬って湯飲みくらいの大きさじゃないか? 以前、怪我の治療で熱を出した時なんかに飲んだのは小さな木の椀だったはずだ。

「……本当に飲まなくてはいけないのか? これ、全部」

 このどんぶり……もとい、木製のサラダボールには毒々しい深緑のどろどろとした液体。

 椀の端には泡。青汁というよりは下水処理場で見たような、あるいはプール開き直前の清掃前のプールの水……苦いにおいに混じって何か、生臭いような気がするのは何故だろう……

「……もちろんだ」

 胡散臭げな笑顔。なんて怪しい。改めて手元を、見る。

 頭痛と吐き気で元々食欲どころか水以外のものは咽を通りそうに無いが、それでなくても飲みたくない代物だ。

 しかし今、ベリルの機嫌は最悪だ。こんな胡散臭い笑顔のベリル見たことが無い。しかもこの胡散臭い笑顔は最悪の幼馴染。隼人の浮かべるものに非常に似ている。

 今、非常に重要な決断を迫られていた。私はこの薬を飲みたくない。非常に飲みたくない。というよりこの量を飲み干せるわけが無い。しかし、これを拒否してさらにベリルの機嫌が悪くなれば、それは、私自身の身の破滅を呼ぶかもしれない。

 あの笑顔。あの笑顔こそが恐ろしい。ごくり、と唾を飲む。

 手の中のボールに集中する。見れば見るほどすさまじい代物だ。飲もうとは思うものの胃から吐き気が催してなかなか飲めそうにない。躊躇していると、ベリルが声をかけてきた。

「飲まないなら無理やり飲ませるぞ」

 横目で様子を伺うと、あいかわらず胡散臭い笑顔。目が、笑っていない。

「飲む!飲むから!」

 覚悟を決めて、ひとつ深呼吸。

 なるべく鼻かで息をしないように、色を見ないように、決して味わわぬように一気に、飲み干す。口に入れた途端あまりの苦さに吐き出しそうになったがぐっとこらえる。

「の、飲んだぞ」

 薬は見た目ほどはひどくは無かった。

 空のボールを手渡すと、口を押さえる。気を抜くと吐きそうだ。胃の中で大量の薬が踊っている。頭痛も相変わらずだが、今はそれどころではない。

「ふん。……おかわりもあるぞ」

「それは……さすが……に……」

 勘弁してくれ。泣きそうだ。

「冗談だ」

 ベリルは多少気が晴れたのか小さく笑った。よかった。ゆっくりと横になる。

「おい、口開けろ」

「へ? 」

 何だろう、と思う間も無く口に何か放り込まれる。硬くて甘い、石のような感触。……氷砂糖?

「口直しだ」

 そう言うとベリルは、さっさと部屋を出て行ってしまった。

 ふと横を見ると、ベットの横の棚の上には小さな水差しに白い、クチナシの花が一輪。今朝、気付いたときにはもうここにあった。

 クチナシ……昨夜も見たような……?

 甘い、香り。深い紺色の、夜空。輝ける、二つの月―――

 頭の奥がチカチカと光る。思い出しそうな……いや! 思い出してはいけない!

 何だろう? なぜ思い出してはいけないのか。思い出したくない程の何かをしでかしたのか? つい、いらいらして口の中の氷砂糖を噛み砕く。甘い香りとざらざらした食感が口の中に広がる。

 まぁいい。さっさと寝てしまおう。私は口の中の氷砂糖を食べ終わると布団の中に潜り込んだ。






 ―――卿はこんな所に居るべき人じゃ―――

 誰だ?

 ―――11人の枢機卿――

 何のことだ。

 大人びた、子供の声。

 賑やかな広間。オレンジの髪。

 何のことか聞き返そうとすると、その姿は不意に遠ざかる。気づけばあたりは一面の、闇。

 さっきまで広間に居たはずなのに。

 一歩踏み出すとどこからか仄かな明かりが差し込む。見上げれば頭上には二つの、月。

 辺りを見回すとそこは建物脇の庭園のような風景。

 どこかで見たような、記憶にないような。

 ―――アンタ、誰? ――

 振り向くと眼帯をした紫色の髪の男。

 どこかで見た?

 男はそのまま踵を返し歩き出す。その後を、追う。

 以前もあったような……

 ところが、追いかけても追いかけても、男との差は縮まらない。

 しばらく走った所で完全に見失ってしまった。

 どこからか、甘いクチナシの香り。不意に腕をつかまれる。

 ―――酔っ払い。

 聞きなれた声。薄青色の目。

 ベリルは腕をつかんだまま歩き出す。

 道の傍らには咲き誇るクチナシの花。

 しばらくそうしてベリルに手を引かれて歩く。

 音のない、世界。

 ふと、ベリルが立ち止まる。

 月を背に、ベリルの影が私に覆いかぶさる。

 一瞬遮られる、視界。暗闇に浮かび上がる、二つの月。

 いや、月の様な金色の目。

 月明かりに照らし出されるのは真紅の髪。

 心臓が跳ね上がる。








「―――――っ!」

 目を見開けば、いつもの見慣れた木目の天井。

 布団を頭まで被って寝たのが悪かったのか汗で体がベトベトする。

 な、なんだ。今の夢は。夢なのに妙にリアルだ。知らない人まで出てきたし。

 ゆっくりと起き上がる。ベリルの薬が効いたのか、先ほどより幾分ましになった。まだ、少し頭がぐらぐらするし胃もむかつくが吐くほどではない。

 とりあえず、花瓶の横に置かれた水差しからコップに水を移し、飲む。冷たくておいしい。水差しの中を覗くと大き目の氷が2、3個浮いていた。ベリルが用意してくれていたのだろう。妙に細かいところに気がつく奴だ。

 足元には空の小ぶりな桶とタオルも用意されている。……いたれりつくせりだ。ベリルが女だったらいい嫁になれるに違いない。

 窓の木戸を押し開けてみると、日は少し傾きかけていた。ずいぶん寝てしまっていたらしい。

 早朝さんざん吐いた上に朝食も食べていない。お腹、空いたな。今なら何か食べられそうだが、水差しの氷が解けていないということはおそらく昼にベリルがやって来たのだろう。

 テーブルの上に食べ物は乗っていないから様子だけ見に来て、私が寝ていたので水差しの水だけ取り替えていった。といった所か。と、いうことは夕食の時間までベリルはやって来ないのだろう。

 ……お腹、空いた。

 あ、そうか。昨日面会が終了したということは私はここを自由に出られると言うことだ。ならば自分で食べ物を取りに行けば良いんじゃないか。

 服を着替えて……髪も纏めておくか。髪を簡単に櫛で梳かし、服を用意する。

 棚の脇にある衣装の入った箱をあさる。ここに入っているのは、ほとんどやや大きめの男物の服で、以前ベリルが女物の服を用意してくれようとしたのだが動きやすいものが良いと無理を言ってそろえて貰った物だ。ズボンの丈や肩幅や袖などいろいろな部分が余るが贅沢は言えない。

 ちなみに、今寝巻きに使っている大き目のシャツ(私が着ると太ももあたりまでのワンピースになる)はベリルのお古らしい。絹でできているらしく肌触りが良いので愛用している。どうでもいいか。

 一昨日ベリルにもらったリボンを探したが見つからなかった。そういえば今朝起きたときもリボンはしていなかったな。

 ひょっとしてベリルが怒っているのは私がリボンを無くしたからだろうか?

 部屋の隅々まで探してみるが、やはり無い。落としたか? せっかくベリルにもらった大切なものなのに。

 昨日の記憶を呼び起こすが、宴会場に入るまでは付けていた。と、いうことは酔っ払って記憶が無いその時に落としたに違いない。

 探さなくては。食事を取りに行く前になんとか昨日の宴会場まで行けないだろうか?

 頭がくらくらする。おまけに耳鳴りまでする。だいぶましになったものの、今日一日はおとなしくしていた方が良さそうだ。が、リボンは探さなくてはいけない。

 とりあえず着替えよう。鈍い頭で胸元の紐を解いてシャツを捲り上げる。

 丁度その時部屋の扉が開かれた。ベリルだろうか? あわててシャツの裾から顔を出す。

 戸口に見えたのは赤い頭髪。血が、逆流する。

「マイカ――って、おぉ?!」

 好奇に見開かれる金色の双眸。

 とっさに足元の桶を掴んでアゲイトに投げつける。

「出て行けっ!」

 カコーーン

 桶は小気味良い音を立ててアゲイトの額に命中した。







「そりゃ、いきなり開けた俺が悪いのかもしれないけどよ……」

 赤くなった額をさすりながら、アゲイトがぶつぶつと何かほざいている。

 私は、用意した服をきちんと着込んで、ベットに座ってアゲイトを睨み付けていた。

「で、何の用だ」

 出来るだけ素っ気無く要件を切り出す。

「何って具合が悪くて寝てるって言うから見舞いに来てみたんだが」

「訓練は?」

「そんなもん午前中で終わりだ」

「じゃ、午後は何をやってるんだ?」

「騎士の奴らは市内の警護と国境の見回りだ」

「……お前は?」

「あ〜〜〜……まぁ、いろいろだ」

 誤魔化したな。どうせ政務をほったらかして抜けて来たのだろう。

「にしても元気そうじゃねぇか。もっと酷いかと思ってたがな」

「ベリルの薬と今まで寝ていたおかげで多少良くなったんだ」

「……お前、あれを飲んだのか?」

「……飲んだとも」

 アゲイトは心当たりがあるのか渋い顔をしている。

 あれ? でも二日酔いなら魔法で治るんじゃないのか? そう思って聞いてみた。

「あれは高位の司祭にしか使えない。一般で使える魔法じゃねぇんだよ。まぁ、ベリルなら使えるが」

「じゃぁ、ベリルにかけてもらえば……」

「酔っ払い全員にか?緊急事態でもない限り二日酔いなんて自己責任だ、だが……」

 アゲイトはそこで言葉を区切ると私を見た。

「なるほどな。滅多に薬湯なんざ作らねぇ奴がわざわざ騎士団に薬湯を差し入れしてきたわけが分かったよ」

 アゲイトはややげんなりした声色でつぶやいた。

「どういう事だ?」

 勝手に納得されても訳が分からない。

「早朝訓練に二日酔いでへばってる奴らが居るって愚痴ったら鍋いっぱいの薬湯を持ってきたのさ。余ったからやるつってな」

 ……それはアレか? 鍋いっぱいって、おかわり云々は冗談じゃなかったのか?! 背中に冷たい汗が流れる。そういえばあの時台所からは苦い臭いが漂ってきていた。

「まぁ、おかげでへばってた奴らをなんとか午後には見回りに向かわせられたが」

「じゃぁ、今日休んだのは私だけなのか?!」

 あ……っつ。自分の声が頭に響く。こめかみを揉む。まだ酒が抜け切れていないな。

「……いいんじゃね? どの道初日は訓練だけで終了の予定で奴らも訓練は使い物になってなかったしな」

 なにか他にも言いたい事がありそうだったが、そういう問題では無いだろう。

「初日から休むなんて……しかも私だけ……」

「だから気にすんなって。体調が回復したらこき使ってやるから」

「うん……」

 そうだな。過ぎたことを悔やんでも仕方ない。この分は今後挽回することで良しとしよう。そう決意を固めたところで、アゲイトがわざとらしく咳払いをする。

「あ〜〜……ところでマイカ、昨夜のことだが」

 昨夜? 何だろう。何か妙な胸騒ぎがする。やはり何かしでかしたのだろうか?

 アゲイトは妙にそわそわして落ち着きが無い。そんなに言い出しにくいことなのか? 何だ? どれだ? どれをやらかしたんだ?

 私は青ざめながらも頭をフル回転させる。

「昨夜、か……」

「あれは何だ、その、そんなつもりは無かったって言うか、いや。そのつもりはあったんだが勢い余ったというか……」

「勢い余って……か」

 ならば、少なくとも寝言で般若心経では無い様だ。ということはケンカか? それともだれかに絡んだのか?

「いや! 普段はもうちょっと理性が働くんだぞ?」

「理性が飛んだのか?!」

 まずい、本格的に暴れたようだ。

「だっ……あれはお前が!」

「私が……?」

 アゲイトに詰め寄る。

 アゲイトは顔を赤くさせて、言葉に詰まった。顔を赤くさせて怒らせるほどの何をしでかしたのか。

 たしかあの場にはこの地方の重要貴族たちも居たはずだ。誰かは分からないがその誰かに何かをしたのだろう。カツラか? ケンカか? アゲイトの次の言葉を待ったが、アゲイトは続く言葉を捜しているのか何かもごもごとつぶやくだけで埒が明かない。

 あぁ、もう!

「焦らすな! さっさと言え!」

 大きな声が頭に響くが、そんな事にはかまって居られない。

「カツラか! ケンカか! 私は何をしたんだ!」

 机を拳で叩きながら肩肘を突いてこめかみを揉む。

 う〜〜〜。頭に響く。

 片目でアゲイトを見るとアゲイトは間抜けに口を開きかけたまま固まっていた。






 ……どうやら私は、私が危惧していたような醜態はさらしていないらしい。

 尤も、アゲイトの知らないところで何かをしでかした可能性はあるが、少なくともケンカしたとか恥をかかされたとかいった報告は無いようだ。安心した。

 興奮したせいか、またズキズキと痛み出した頭にこめかみを揉みながらアゲイトの話を聞く。

「ってかお前。本当に昨夜の記憶が無いのか?」

 疑わしげに尋ねられる。

「うむ。飲んでからの記憶はさっぱりだ。どうやって部屋に戻ったのかも覚えていない」

 それを聞くと、アゲイトは大きくため息をついて脱力した。

 脱力したのはこちらだ。

 まったく。わざわざ赤い顔でうじうじと言いにくそうにしてるから、てっきり何か重大な事でもしでかしたのかと思ったじゃないか。

 水差しから新しく水を注いでそれを一気に飲み干す。

「そういえばマイカ、どこか出るのか?」

 脱力したままそう尋ねられて思い出す。

「あぁ。お腹が空いたから何か食べるものを取りに行こうかと思ってな。それにリボンも探しに行かないと」

 忘れるところだった。食事はともかくリボンは探さなくては。

「リボンってこれか?」

 アゲイトがそう言って取り出したのは、あの薄青色のリボン。

「アゲイトが拾ってくれてたのか」

 リボンを受け取る。よかった、戻ってきた。

「ありがとう」

 礼を言うと、アゲイトはつまらなそうな顔をしている。

「お前、俺が以前送った腕輪はどうしたんだ?」

「あぁ。あれか」

 そういえばそんな事もあったな。すっかり忘れていた。

「あれなら多分この辺に……」

 棚の引き出しを開ける。

 ちいさな布に包まれた腕輪を見つけた。

「ほら、ここに」

 アゲイトに見せてやるがやはり不服そうだ。

「そういう物は身に付けていないと意味無いだろうが」

「だって邪魔だし」

 装飾品など着飾った時だけで十分だろう。

「いいから付けてろ」

「邪魔になるから嫌だ」

 そう言って、受け取ったリボンで髪を纏める。といっても後ろで括るだけだが。

 それを見たアゲイトが声を荒げる。

「不公平だろ! 何でベリルのだけ身に付けるんだよ!」

「大きな声を出すな。頭に響く」

 こめかみを押さえて睨み付ける。

 大体、不公平って何がだ。大の大人が子供みたいな我侭を言うな。

 ……あれ? 何でこれがベリルにもらった物だって知ってるんだ? 表情を伺うがただすねているだけのように見えてよく分からない。

「……じゃぁ、何なら身に付けるんだ」

「まぁ、実用的なものなら……」

「例えば?」

 そう聞いてくるアゲイトの目は真剣そのものだ。

「そうだな……靴とか?」

 今履いているものはサイズが少々大きいので走ると踵が浮く。

「……他は?」

「他、か。服とか……」

「……一応聞くがお前が言ってるのはドレスとかじゃ……」

「当然普段着だ。今着てるような」

「……ねぇよな。やっぱ」

 これもサイズが大きい。

 アゲイトは嫌みったらしく大げさにため息をつく。何なんだ。

「服と靴か。なら仕立て屋を呼ぶから……」

「いや、今着ている物の丈を直してくれればそれで……」

「じゃぁどうしろって言うんだ」

「え? だからサイズを……」

 アゲイトが思いっきり肩を落とす。サイズを直すのは難しいんだろうか?

「無理ならこのまま着るから別に問題は無いんだが」

 それを聞いたアゲイトの肩がますます落ちていく。

「お前……もうちょっと色気のあるモン言えよ……」

「そんな事言われても……」

「新しいドレスがほしいとか……いや、宝剣とか」

「ドレスなど着ない。それに剣は持ってきたものがある。身に馴染んだ物でなければ身には付けないだろう。大体高価なものをもらっても困る」

「俺が贈りたいんだよ」

「だからくれるなら実用的な服とか靴とか……」

「……そこは普通女なら宝石とかネックレスとかになるんじゃないのか?」

 あきらめたような、馬鹿にしたような口調でアゲイトがつぶやく。

「本当に色気ねぇな。お前」

「私に色気を求められても困る」

 本当に困る。一応これでも上官の要求には答えたいと思うのだが。

 と、アゲイトは私の一点を凝視してつぶやく。

「……たしかに。その胸で色気は無ぇな」

 殺気を込めて思い切りアゲイトを睨む。……我慢。我慢だ私。

 これでも一応上官だ。

「そんなに怒るなって。言ってるだろ、胸なんて揉めば大きく……」

「アゲイト。お前はここに見舞いに着たのか、それとも殺されに来たのかどっちだ?」

 衣装の詰まった箱の横に立てかけてある小太刀に手を伸ばす。

 が、アゲイトの軽口は止まらない。

「だから協力してやるって」

「結構だ!」

 鞘は抜かずにそのまま殴りつけるが軽くかわされる。

「はは、まぁ元気みたいだし。帰るとするか」

「さっさと出て行け」

 アゲイトは笑いながら出て行った。

 まったく、何しに来たんだ。あいつは。



 アゲイトが出て行った後、戸口に転がったままの桶をつかんで台所に向かう。

 戸棚に直しかけてふと、気付く。……台所が片付いている。

 ベリルが薬湯を作ってから、片付けて出て行ったのだろう。それは分かる。が、今朝私はここで桶を抱えて突っ伏していたはずだ。

 その桶までもがきれいに洗って片付けられていた。

 ベリルにここまで世話を焼いてもらって良い物なのだろうか?

 なんだろう。いや、本当に今更なのだが。

 今更なのだが、何か自分はいろいろな部分で終わってるんじゃないだろうか? 思えばこちらの世界に来てからずっとベリルに世話をかけっぱなしだ。

 怪我の療養中、起き上がれないときには怪我の治療はもちろん食事や着替えまで手伝ってもらい、その後は三度の食事も運んでもらい、おまけに洗濯や部屋の掃除までしてもらった。

 一応、部屋の掃除と洗濯は自分からも申し出たのだが、洗濯では洗うたびに服の繕い物が増え、掃除では食器や鍋までもがなぜか次々と壊れ、いくらもしないうちにベリルに禁止された。

 そこまでは良い。不可抗力の部分もある。

 だが、ゲロの始末までさせるのはどうなんだろう?

 ……ショックだ。何か分からないがひどくショックだ。

 今後、本格的に掃除くらいは覚えよう。できれば洗濯も。人間本気になればやって出来ない事はないはずだ。

 だがまずはご飯だな。腹が減っては……と言うし。

 また新たな目標が出来た。いい機会だ。掃除も洗濯も完全にマスターして元の世界に帰ったらお爺様を驚かせてやろう。決意も新たに玄関の扉を開く。当然だが外からの閂は外されていた。

 少しだけ高揚しながら一歩踏み出す。

 新鮮な空気。まぶしい日差し。やはり外は気分が良い。

 つい散歩したいくらいの気分ではあるが、また迷子になるのも困り者だな……ん? また?なにか思い出しかけたがすぐに消えてしまった。

 この世界で迷子になったことはまだ無いはずだが……

 まぁいい。ここから城までは塔が見えているので方向的に迷子になる事は無いだろう。城までたどり着けば、あとは人に道を聞いて厨房に行けばなにか食べるものが手に入るだろう。とにかく、塔まできちんとたどり着く事が重要だ。が、こうして見えているのだから簡単だ。

 ずんずんと迷い無く小道を辿る。が、すぐに問題にぶつかった。

 今いる道は枝分かれしていてどちらの道もまっすぐ塔まで伸びてはいない。どちらの道を進んだものか……

 しばし諮詢した後、塔に向かっているのだからそのまま歩けばよいという結論にたどり着く。だいたいどちらの道も塔に続いていなければそれは問題だ。

 道を分かつ茂みを掻き分け、塔を目指すことにした。




 ……おかしい。

 さすがに、そろそろ塔にたどり着いても良さそうなのだが、一向に塔らしき建物に突き当たらない。やはり林に入ったのがまずかったのだろうか。乱立する木々の枝に視界をさえぎられ見えていたはずの塔すら見えない。

 だがまっすぐ歩いてきたのだから迷うはずはないのだが……

 行けども行けども続くのは木、木、木ばかり。振り返ってもやはり木ばかりだ。困ったな。これでは戻ることも出来ないかもしれない。だがこのまま歩き続ければこの林からは脱出できるだろう。

 やや小走りに歩みを進める。と、何か物音が聞こえた。

 耳を澄ます。

 やはり、間違いではない。何か人が言い争っているような……

 物音のする方向へ急ぐ。人が居るのであれば城へもたどり着けるだろう。

 男の声と……小さくか細いが女の子の声。

 この茂みの向こうだな。そのまま一気に加速をつけ、茂みを飛び越える。

 見ると、赤いスカートに白いシャツ。黒のベストを着て明るい茶色の髪をお下げにした、まるで童話の世界から抜け出してきたような雰囲気の少女が柄の悪そうな男に絡まれているようだった。

 二人も会話を中断し、こちらを見ている。

 あからさまに驚いたような様子の男に、こちらもやや驚いたような顔の少女。

 茂みを抜けたそこは、城の裏口らしく、左手には小さな木戸と小型のトラックが出入りできそうな大き目の門。右手には巨大な壁に城の内部に続くのであろうアーチが見える。と、言うことはあのアーチを潜れば城の内部に行けるのだろう。

 なんだ。聞くまでもなさそうだな。

「誰だ! お前。邪魔する気か?」

「大きな声を出すな」

 頭に響く。

 男はこめかみを押さえ、顔を渋らせた私を見て何を勘違いしたのか下卑た笑みを浮かべた。

「へへ……さてはお前。何かやましいことがあるんじゃねぇのか?」

「やましいことだと?」

 失礼な。私は清廉潔白で通しているつもりだ。……酔ったとき意外は。

「見逃してやるから邪魔すんなって言ってんだよ」

「見逃してくれなくて結構。邪魔はさせてもらう」

 そう言うと男は威圧的な態度でこちらに歩み寄ってきた。

 なるほど、体格は良さそうだが歩き方からしてみてもバランスは悪そうだ。

 格闘経験は無いがケンカでならしたクチだろうか。つまりは酒場に居たゴロツキと大差無い。

「生意気な口ききやがって、痛い目にあいたいのか?」

 目の前に腕を組んで見下ろしてくる。不用意に相手の間合いに入り、なおかつ腕を組むなど愚の骨頂。やはりたいしたこと無いな。

「それはお前のほうだろう」

 なにお―と殴りかかってきた男の腕を取り、後ろで捻り上げる。ついでに足を払って倒したところでみぞおちにつま先を一発。

 それで終了。あっけないにも程がある。もう少し肩をならしたかったのに。

 少し説教してやったほうが良いだろうか?

 城に居たということは城の関係者なのだろう。これが只のゴロツキならば再起不能なまでに叩き潰してやるのだが。ケンカするときは後腐れが無いようにきっちり落とし前をつけさせなければあとでうっとおしい事になる。

「あの……」

 背後で少女の声がして、その存在を思い出す。

 振り返ると先ほどの少女が立っていた。

「ありがとうございます。この人、ここに出入りしている業者さんなんですが、私、以前から言い寄られてしまって困っていたんです」

 少女は、本当に困った顔をしてそう言った。

「お名前、お伺いしてもよろしいですか?」

「ああ、マイカだ。マイカ・スギイシ」

「私、ロゼッタって言います。みんなからはローゼって呼ばれてます」

 人懐っこい笑顔。女の子と会話するなんて久しぶりだ。

 村には小さな子供か老人ばかりだったし同級生には嫌われていたし道場にはむさくるしい男ばかりだった。

 ……ちょっと嬉しいかも。

「マイカさんってお呼びしても良いですか?」

「もちろん」

「それで、マイカさんはどうして此処に? あ、私は仕事の途中で呼び出されてしまって断りきれなくて、ですけど……」

 少女は、先ほどまで立っていた場所に置き去りにした大きな籠を見た。

「私は、なにか食べるものが無いかと……食堂か厨房へ向かう予定だったんだが……」

 そう言うと、少女はおかしそうに笑った。

「やだ、マイカさんてば。食堂を探してこんなところまで来る人なんて居ませんよ」

 そう言ってまだくすくすと笑っている。

「そうか。実は城はあまり慣れていなくてな。困っていたんだ」

「じゃぁ、ついてきて下さい。食堂は私は入れませんが厨房までなら案内できます」

「ならお願いしていいかな?」

「もちろんです」

 少女は笑顔でそう答えると、籠に駆け寄り重そうにそれを持ち上げた。

「私、ちょうど厨房にこれを持って行くところだったんです」

 籠の中はいっぱいの林檎。トートバック程の大きさの籠だから結構重いだろう。

 ためしに籠の取っ手に手をかけてみる。やはり重そうだ。

「あの……?」

 伺うようにこちらを見る少女を尻目に、籠を少女から奪って肩に担ぐ。

「こ、困ります」

 少女の手は取っ手をつかんだまま離れない。

「案内してくれるんだろう? ならこれくらいはさせてもらわないと」

 米一俵よりは軽い。これくらいなら苦でもないな。

「あ、あの、じゃぁ、こちらです」

 少女は気恥ずかしそうに手を離して先導してくれる。

 その、ゆらゆらとゆれる薄茶色のお下げを見ながら、女の子は可愛くていいなぁ。などとおっさん臭い事を考えながらその後に続いた。








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