7. 人こそ見えね
「俺はぜってーやらねーからな」
6時限目のHR。
隣のクラスにも聞こえるくらいの喚き声が教室中に響いた。
「しょうがないじゃん、他のクラスと被っちゃったんだから」
クラスの女子数名が久瀬に詰め寄る。
多数意見には従うものだ、と正義のもとに行動を起こす女子と、久瀬の反応を面白がっている女子に大差ない。
「やりたくないのは男子全員なの。久瀬だけ逃げるなんてずるいでしょ」
不憫そうに見守る麻琴と無関心な柚月が離れたところでそれを見ていた。
「言う通りに従った方がいいのにね」
と柚月。
「けど裏方に回る男子もいるんだし、いいんじゃないかな」
クラス委員兼実行委員の麻琴としては見過ごせない。止めに入ろうとする麻琴を柚月が止めた。
「あれだけヒートアップしてたら誰の声にも耳貸さないわよ。ま、背が高くて余計な肉がついてないし何より顔は整ってる方だからいい見世物よね」
「柚月」
「しょうがないじゃん。他のクラスと被っちゃったんだからそれくらいしないと」
麻琴の注意にもしれっとした顔で受け流す。
喫茶店なら簡単で準備するものもそれほど考えなくていいと考えるのはこのクラスだけではなかった。複数の案が出た際は別の出し物に変えるかコンセプトを変えて出店するのがルールだった。
「だからってなんでこんな格好しなきゃいけないんだよ」
目の前に差し出された衣装に久瀬がクレームを付ける。それを受けて女子が反発した。
「久瀬がグズグズしてるからこれしかなくなっちゃったんでしょう?」
嬉々としてそれを受け入れている男子は1人もいないが皆が諦めの境地に入り、各々女子の採寸を受けている。抗いようもないことだと久瀬もとうとう陥落した。
自席で黄昏れている久瀬を見るのは麻琴にはなんだか忍びなかった。
既に用意していたメイド衣装の全てを男性サイズに変更しなければいけないアクシデントはあったが、無事文化祭当日を迎えた。
イベントにありがちな女装メイド喫茶。しかしメニューの味の良さと接客の良さが口コミで広がり、開店30分後には列ができるほど盛況だった。
開店して2時間。やっと各自が自分の仕事に慣れてきた頃。盛り上がっている声とは別の声が入口から聞こえてきた。
「うわ、男のメイドとか気持ちわりー。あ、そこの子、こっちのテーブルの担当についてよ」
見掛けたことがないところを見ると3年生だろうか。他の客への影響を考えると強く断ることも出来ない。
声を掛けられたクラスの女子はどうしていいかわからず困惑している。
ちょうど近くにいた麻琴が3年生の元に向かった。
「あ、あの。ここは女装メイド喫茶なのでお客様のお相手はこちらのメイドが……」
少し言葉に詰まりながらも毅然とした態度を持って目の前に立った。力をぐっと入れ足が震えるのをこらえる。
3年生は麻琴が示したメイドを一瞥すると不服そうに答えた。
「だから女の子の方がいいって言ってんじゃん」
招かれざる客は簡単に引き下がらず、更に自分のエゴを押し通そうとする。このままではせっかくの楽しい雰囲気を壊してしまう。
「でしたら、3年4組に行けば女子のメイドがいますよ」
「追いだそうっての?」
こちらの言うことを全く聞いてくれそうにない。騒ぎを聞きつけて教室の前には人だかりが出来始めている。ここは強制的に外に出すしかないだろうか。
グイッ。
突然後ろに腕を引き寄せられた。
麻琴が慌ててバランスを取ろうと重心を前に持っていくとそのまま大きな壁に顔をぶつけた。鼻が痛い。
「何か御用でしょうか、お客様」
低い声音の背の高いメイド。
「なんだよ、お前に用はねぇよ」
3年生は自分より身長の高いメイドに幾分か怯んだようだった。しかし目の前の壁が邪魔をしている為、麻琴は声の様子で判断するしかない。
「うちのメイドがお気に召さないようですね。ではお客様ではありませんのでお帰り頂けますか」
メイドが追い打ちを掛けた。
「は?」
「お客様お帰りでーす」
「はーい」
3年生が事態を理解する間もなく数名の裏声と共に大柄なメイドが現れる。
ガタイのいいメイドたちに両脇を固められた3年生はあっという間にな教室の外へ連れ出されていった。
わぁっと周囲から拍手と歓声が巻き起こる。
「あ、ありがと、……っふ、くぜくん」
改めて久瀬の格好を見た麻琴は、笑いをこらえきれずにいる。
「朝からこの格好なんだからいい加減慣れろよ」
久瀬が不服そうな顔で麻琴を見る。
「だって……っ笑っちゃいそうで目合わさないようにしてたんだもん」
「いやもう、笑ってるし」
「っふふふふふ」
我慢しきれなくなった麻琴は周囲も気にせず奇妙な声を上げ始める。
まだ歓声のやまない店の中では目立たないが白い目で見られるのも時間の問題だ。
「小薗、こいつ裏へ連れてけ」
「りょーかーい」
指名された柚月が麻琴を連れ、カーテンで仕切られたバックヤードへ連れて行く。
「私まだ裏の仕事の時間じゃないのに戻らなきゃ」
「久瀬が気を利かせて裏にしてくれたんじゃない? 表には出ないって言い張ってた久瀬がそのまま接客してる」
「え」
カーテンの隙間から覗くと、仏頂面のメイドがトレイ片手に客の相手をしている。
「お言葉に甘えて麻琴はここで仕事してなさい。あと1時間もすれば交代だし。午後から実行委員の仕事あるんでしょ?」
「うん……」
表では不機嫌そうな呼びこみの挨拶が響いていた。
ステージは1部から3部に分かれている。
スタッフは各クラスの文化祭実行委員と機材の扱える軽音楽部と吹奏楽部の数名で構成されている。それに加えて監督する(とは言ってもほとんど見ているだけ)教師が数名。スタッフを3分割してステージを取り仕切る。麻琴たちは2部の担当だ。
クラスの当番を終え、麻琴は体育館へ急いだ。
盛り上がっている生徒たちの脇の道をそぉっと通り抜け、突き当りのドアを開ける。
ステージ裏に着くと日下の姿が見えた。なんだかもう、話したのが遠い出来事のような気がする。
麻琴はパンと軽く両頬を叩き自分に激を飛ばした。そして1部のスタッフと引き継ぎを終えるとステージ袖に待機した。
「どうかしましたか」
日下に声を掛けられる。
「午前中のクラスでの仕事に疲れちゃって」
先生には何もできないと思われたくない。麻琴は少し嘘をついた。
「さっき2年生のクラスで騒ぎがあったと聞いたんですが、もしかして櫻井さんのところですか?」
麻琴はぶんぶんと勢い良く首を左右に振った。
「うちのクラスではありません」
暗がりのステージの袖でも日下の顔が見えた。納得をしていない。
そこへ着替えを済ませた久瀬がステージ袖に到着した。
「どこまで進んだ?」
「今ここ」
麻琴の指差す進行表の位置を久瀬が背後から覗く。
日下と話したくない麻琴は久瀬との話に意識を向けた。ステージを見ているのに日下がじっとこっちを見ているのがわかる。ここまでくるともう意地だった。
「ありがとうございましたー!」
パフォーマンスが終わると次の組の準備が始まる。これで日下の視線拘束からやっと逃れることができる。2部のステージが全て終わるまで麻琴は日下と目を合わせなかった。
「――以上を持ちまして第2部を終わります。昼休みを挟みましてステージパフォーマンス第3部をスタートします」
全ての演目が終わると3部のスタッフと引き継ぎをしてステージの仕事は終了。
「櫻井さん」
周囲の目を気にしたのか、日下は遠慮がちに麻琴を呼び止めた。
「騒ぎに巻き込まれたのは櫻井さんだったそうですね。大丈夫でしたか?」
言葉のよそよそしさとは反対に、日下の表情はとても深刻だった。
「だ、」
「先生が出てくるほど大したことはありませんでしたので」
大丈夫と告げようとした麻琴の言葉を久瀬が遮った。日下を睨みつけたまま。
日下と久瀬の2人に何かあったのだろうか。もしかしてリレーで負けたことを根に持っている?
かなり悔しそうだったもんなと麻琴は目の前の緊迫感の理由に当たりをつける。
「そうですか。君たちだけで解決できたなら良かったです。僕は教師なのでいつも後手に回ってしまいますね」
それだけ言うと日下はもとのポーカーフェイスに戻った。
心配してくれたのに突き放したようになっただろうか。麻琴の胸がチクッと痛んだ。
「そう言えば久瀬くんの源氏名は何なんですか?」
思わず久瀬が吹き出した。
「よくご存知ですね先生」
麻琴が不思議がる。
「それぞれ凝った名前がついていて面白かったと評判ですよ」
「久瀬くんはあともう1回当番あるんだよね」
「櫻井!」
久瀬が他には聞こえないように無声音で精一杯怒鳴った。
「久瀬くんへの投票数すごかったよ。まだ全部開票してないけど」
「何ですかそれ」
「どうせならメイドの投票選挙あったら面白いよねってお客さんに帰りに1票ずつ入れてもらってるんです」
露程の悪気も感じさせずに麻琴が日下に説明する。
「へぇ」
日下が右手を顎にやり意地悪そうな顔を久瀬に向けた。
「で、源氏名は?」
「アリス……」
観念した久瀬が答える。
「名前の由来は何なんですか?」
「……来ればわかる」
6組に訪れた日下は久瀬を見た途端顔を伏せた。肩が小刻みに震えだす。
「なるほど、それでアリスですか」
「疑問が解けたんならさっさと帰れよ」
仁王立ちの不思議の国のアリスがそこにはいた。
「久瀬くん、せっかく先生来てくれたんだから食べてってもらおうよ」
「わかったよ。席にどうぞお客様」
麻琴の意見に久瀬は渋々日下を席に通した。
先程の一件以来裏に回っていた麻琴も柚月の采配で日下がいる間だけ接客に回った。
麻琴はさりげなく日下の側に立つと話しかける。
「かわいいでしょ、久瀬くん」
「かわいく……はありませんが意外に似合っていますよ」
「久瀬くんがいるとお客さん増えるんですよ」
「お茶もこのクラブサンドも美味しかったです。料理だけ取り柄でしたね」
麻琴の返答に相変わらずの意地悪な物言い。けれど麻琴と一度も目が合わないままだ。裏に回ってからも、久瀬を注視する日下の表情が気になって麻琴は何度かお皿を割った。
“わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らね乾く間もなし”
人に言えない恋は泣いてばかり。海の中に置いた石みたいに乾く間もないなんて、先生は知らない。