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さやかに密か  作者: 青依 ヒイナ
第1集 香 ほのめく
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6. わが袖は潮干に見えぬ

 体育祭の高揚した空気は二週間経った今もまだ収まってはいない。そのまま文化祭への期待感に移行したせいだろうか。

 運動の苦手な麻琴にとっては文化祭の方がやる気が湧くイベントなのに。


「なんで久瀬くんとペアなの」

「さぁ。体育祭で息が合ってたと思われたからじゃねーの」


 黒板に書かれた文字を見て麻琴がため息をつくと、久瀬が答えた。

 文化祭を取り仕切る実行委員がつい先程、公平な投票によって決まったところだった。

 借り物競争では最下位だったところを助けてくれた久瀬には感謝している。

 麻琴としては突発的な事故にしか思えなかったのだが、久瀬の行動はあちこちで反響を呼んだらしい。

 困ってる姫を助けに来た王子だとかなんとか。そう言われていることを麻琴も知っている。


「めーわく」

「俺だって迷惑だよ。そんなに嫌なら断れば良かっただろ」


 麻琴が一言ぶつけるとすぐに隣から文句が飛んできた。


「誰にも決まらなかったら委員長の私がする他なかったんだもん」

「ああ、そういえばお前クラス委員だったっけ」


 押し問答を繰り広げながら文化祭実行委員会への道のりを進んでいる。

 毎日の日課だった社会科準備室への突撃は朝か放課後の1回に。それも週の半分にまで減っていた。

 日下に言われたからではなく、自分で自粛していた。


「――というわけで文化祭パンフレットの原稿が出来上がり次第、生徒会で各クラス分をコピーしますので製本はそれぞれで行うこと。クラスの出し物は次の委員会の時までに決めておいてください」


 ただでさえ雑用の多いクラス委員。今までは仕事を上手くこなせばできた先生との時間も難しくなる。

 期間限定とはいえ、仕事量が多すぎる。

 柚月にそう零したら、「こんな時こそ利用すればいいんじゃない?」そんな答えが返ってきた。


 *


「僕は君たちのクラス担任ではありませんが」


 隣でハンドルを握る日下が不満げな表情でぼやいた。

 買い出しに行きたいという麻琴たちに、渋々車を出してくれた日下。半ば強引に柚月が誘った申し出に、麻琴は後ろめたい気持ちと同時に嬉しくもあった。

 こうして日下の近くにいられるのはいつ以来だろう。どんなにキツく唇を結んでも、すぐに(ほど)けてしまう。


「いいじゃないですか、可愛い生徒の為ですよ」


 柚月がフォローに入れば、


「可愛くないのも混じっていますけどね」


 日下が少し目線を上に向け、鏡の中の人物に嫌味を返す。

 そんな彼の様子に、自分との時間が少ないことを寂しく思ってくれているのだろうか、と麻琴はつい自惚れてしまい、更に口元がほころんだ。


「麻琴と二人の時間作ってあげようとしてるんじゃないですか」

「どうにもダシに使われている気がするんですが」

「何かあったときフォローできませんよ」


 日下が苦言を(てい)するが、後部座席から柚月がそれを阻止する。


「はいはい」


 隣の日下を見る限り、機嫌を損ねているわけではない。けれども、麻琴のように喜んでいるかは不明。

 彼はいつだってポーカーフェイスなのだ。

 少しくらい、反応があってもいいのに。


 それでも日下との時間が取れるなら、と頬が緩む。体の右側がうずうずとくすぐったい。


「ところで、櫻井さんたちのクラスは何をやるんですか?」

「ベタですけどメイド喫茶です」


 麻琴が答えた。

 それは、この間の6時限目のHRで決まった。クラスのやる気はあるのだがこれと言ったアイデアは出ず、無難なものに落ち着いた結果だ。


「そうですか」

「今、櫻井のエプロン姿想像しただろ」


 後部座席から久瀬の茶々が飛んでくる。


「ご希望ならこのままここで降ろして良いんですよ、久瀬くん」


 気付けば、学校から車で20分は離れたところだろうか。麻琴が知る限り、この辺にはバス停もなかったはずだ。


「……すいませんでした」


 麻琴は静かになった後部座席をシートの隙間からそっと覗く。ムスっと頬杖をついた久瀬と、窓の外の景色を楽しんでいる柚月が見えた。

 前方に姿勢を戻すと目の前には大通り。目的の手芸屋まであと少しだ。

 日下は右のターンランプを付けた。



 手芸屋では衣装の布を探していた。

 クラスの半数がメイド衣装に身を包む為、同じ衣装を作る方がコストも時間も短縮されるのだが。


「自己主張強すぎなのよね、うちのクラス」


 麻琴の横を柚月のぼやきが通り過ぎていく。

 “一人一人が着たいものがいい”という多数意見により、約20名分の生地を探さなければならなくなった。

 衣装イメージは各自が好き勝手に決めてくれたおかげで、とてもバラエティに富んだものになっていた。物量が多いので、分担して生地を探すことにした。


「へぇ。そういうのが趣味なんですか」


 レース生地を前にあれこれ思案していると、日下に話し掛けられた。

 麻琴の手に取った生地を背後に立った日下が覗き込む。身長180センチ近い日下が屈むと、ちょうど顔が麻琴の傍に来る。


「趣味というか、メイドって言ったらこんな感じかなと」


 近い。すぐ傍で日下の息遣いが聞こえてくる。

 耐えられなくなって、離れた場所の生地を手に取った。

 日下は麻琴の想像の域を超えてばかりだ。


「あまり露出の高い服はやめてくださいね。見られたくないので」

「え?」


 それだけ言い残して、日下は別の生地のスペースへ歩いて行ってしまった。


「お互いストレートなのに、先生のは一方通行ね」


 近くで見ていた柚月の言葉が、更に麻琴を混乱させた。


 *


 “パンフレットの原稿が刷り上がった”と生徒会の呼び出しを受けたのは、それから数日のことだった。

 クラスごとに箱に詰められた原稿とそれを閉じるためのホチキスを、各クラスの実行委員が自分のクラスへ運んでいく。

 いかにも重そうだが持ってみたら意外といけるかもしれない。と麻琴が挑戦してみるが、びくともしない。


「そっち俺が持つから櫻井はあっち」


 ひょいとダンボールをいとも簡単に担ぐと、久瀬が机の右側を指差した。彼の指差す方向にあるのはホチキスとホチキスの芯が入った箱。

 ふと周囲を見渡すと二人がかりでダンボールを運んでいるクラスもある。自分たちもそうしようと口を開いたところで久瀬に見抜かれ、釘を刺された。


「落とされて拾い集める方が面倒だからな」


 返す言葉もなかった。


「久瀬くんは部活入ってないの」


 荷物を持っていないとき以上のスピードで進む久瀬に、小走りでついていく麻琴。抱えた箱の中身がガサガサと音を立てる。


「面倒だから入ってない」


 2-6の前へ着くと久瀬は教室の戸を右足で器用に開け、原稿の詰まった箱を教壇に置いた。

 言ってくれれば手の空いている自分が開けるのに。久瀬はせっかちな性格のようだった。今までの行動からして容易に想像がつく。このままでは久瀬に役立たず扱いされかねない。

 麻琴はホチキスの箱をダンボール箱の横に置くと、箱の中身を取り出す作業に加わった。取り出した原稿は二人で前列2列の机を使ってページ順に奥から順番に1列に並べた。


「久瀬くん暇そうなのに」


 間が空いた会話の続きは久瀬への負け惜しみのように聞こえた。

 机に並べたそれを最後のページから上に重ねるようにして順に1枚ずつ取っていく。


「それはお前もだろ」


 暇そうだと言われたのが気に障ったのだろう。少し声色に不機嫌が混じった気がする。


「私はやりたいことがないもん」

「料理上手いんだからそっちのばせばいいじゃん」


 喫茶店に出す軽食メニューのほとんどは麻琴が考えたものだった。簡単で誰にでも作れて尚かつおいしいものだ。

 久瀬が自分を褒めたことが意外で驚いて手を止めた。


「何?」


 視線に気付いた久瀬は麻琴を見つめ返した。


「私のこと、いつもけなしてるのになと思って」

「俺は事実しか言わないの」


 と、また作業に戻る。

 あれで褒めてるつもりなんだ、きっと。麻琴はそう思い込むことにした。

 取りまとめ終わった原稿の束ごとに天地を交互に変えてひとまず重ねて置いておく。


「久瀬くんだっていつも音楽聞いてるじゃん。何か楽器やったりしないの?」


 右手の人差し指で耳を指し、主張する。


「まぁ、ギターくらいならやってるけど」


 今現在、文化祭のステージ参加者は足りていない。

 足りなければ、あらかじめ押さえている体育館でのステージ使用時間を短くするという手もある。でも、単純に久瀬のギターが聞いてみたいという好奇心が勝った。


「じゃあ文化祭のステージで」

「ぜってーやだ」


 久瀬はテレパスなのではないか。単純思考の自分を棚に上げて麻琴はそう考えた。


「まだ全部言ってない」

「ほとんど言ったようなものだろ」


 ふーっ。トントン。パチン。

 ふぐのように膨らんだ頬を瞬時に消して、久瀬の所作に見入った。


「それ、なにしてんの久瀬くん」

「こうやって紙の端に息吹きかけると揃えやすいの」

「変なこと知ってるね」

「常識だろ」


 麻琴もそれに(なら)って息を吹きかける。

 揃えた原稿の端を冊子の形になるようホチキスで綴じる。しばらく無言でその作業が続いた。


「ずっと気になってたんだけど、この匂いなに?」

「これかな」


 ブレザーの胸ポケットから、日下からもらった匂袋を取り出して久瀬に見せる。


「なにこれ」


 久瀬が匂袋を手に乗せてまじまじと眺める。


「匂袋」

「渋いもの持ってんね」


 久瀬が麻琴の手の上にポンと匂袋を置いた。

 その匂袋を顔の前に持ち、んふふと幸せそうに笑う麻琴。


「日下からもらったの?」

「すごいね、なんでわかるの?」


 事情を知ってる者で、その匂い袋の入手先がわからない人間はいないだろう。


「わからない方がすごい」


 トントン、パチン。

 箱の中には原稿の代わりに出来上がったパンフレットが詰め込まれていく。


「でもそれ、どっかで見たことあるんだよな。どこでだっけ」


 一時間ほどで山ほどあった原稿の束はみるみるうちになくなった。

 廊下をサンダルが擦る音が聞こえた。それは麻琴たちの教室の前で止まり、引戸が開いた。


「まだ残ってたんですか。下校時間とっくに過ぎてますよ」

「はーい」


 日下の声に麻琴が嬉しそうに答える。


「すげぇタイミング」

「久瀬くんも早く帰る用意してくださいね、僕が帰れないので」


 そう言うと日下は他の教室へ向かった。

 広げたパンフレットを二人でまとめて箱に詰め、教室後方のそれぞれのロッカーへ分けてしまった。

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