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さやかに密か  作者: 青依 ヒイナ
第3集 さやかに密か
37/40

37. 人知れず思へば

 深山と話をしてから2週間。

 柚月が希望した通り、放課後は毎日保健室に向かう日々。

 そもそもクラブ活動時間なので、ケガ人が出れば話は中断されてしまうがそれでも全員と話をすることはできた。

 誰もが最初は深山のいる前で話をすることに戸惑っていたが、そこは深山の気さくな性格が場の雰囲気を和ませた。

 今までのやり方は強引だったかもしれない。

 元々は深山の人柄に動かされて仕事をしてきたメンバーばかりなのだ。


 *


 予定より遅れた月一回の定例委員会。

 開始時間の30分前に柚月と深山は一足先に会議室へ入り準備を始めた。

 柚月がちらりと深山の様子を窺うと特に変わった様子はない。むしろ落ち着いて見えた。

 10分前になると少しずつ人が集まり始める。柚月は深く深呼吸をした。

 その様子に深山が「俺より緊張するなんてやっぱり先輩は先輩ですね」とクスクス笑った。

 去年実績のあるウォークラリーイベントを残してイベントはすべてご破算。それまで準備してきたものはウォークラリーに活かすことができるので無駄ではない。

 目立ったことをするばかりが広報活動ではない。何より目先の忙しさに囚われて委員自身が快適に学校生活を楽しめなければ説得力がないし、辛いだけだ。


「大谷先生と話、したんですか?」


 委員会終了後。保健室へ戻るところを柚月は深山に呼び止められた。

 言葉に詰まっていると深山が追い打ちをかける。


「俺との約束、忘れてませんよね?」



 保健室には柚月一人で戻った。

 深山も一緒に戻るはずだったのに「店の仕込みあるんで」と帰ってしまった。ここまで深山は店のことを後回しにして動いてくれた。ひとまず落ち着いた今、引き留めようがなかった。

 ソファに鞄を放り投げ、自分も無造作に腰を下ろすと両足を伸ばして天井を見上げた。同時に自然と深い溜め息がもれた。

 ――素直になれ、と言われても。

 ここまでガチガチに張った意地をどうやって崩せば良いのか柚月にはわからない。

 しばらく目をつぶってソファに身を預けた。カチカチと秒針の音だけが響く。

 窓際の傍に置いてあるポットを手に取り、水を入れ始めた。

 ポットを台に置き、カチッとスイッチを押す。保健室の戸が開いた。


「お茶淹れてるの? オレにもちょうだい委員長」


 そう言って大谷は自席に座った。今までにない緊張が柚月の背中に走る。

 マグカップを持つ手が震える。お湯が湧くとティーポットとマグカップになんとかお湯を注いだ。

 その間にポット側の棚から茶葉を取り出す。

 いつもは淹れている途中でもうるさいくらい話し掛けてくるのに今日は静かだ。

 気づかれないようになるべく首を動かさずに大谷がいる方向へ視線を移す。視線の端に机に向かっているのが映った。

 視線を戻し、ティーポットとマグカップのお湯を流しに捨てるとティーポットに二匙茶葉を入れた。そこへ少し高い位置からゆっくりとお湯を注ぎ入れる。


「最近、深山とどうなの?」


 この教師は話題もタイミングもいつも唐突だ。


「どう、とは?」

「最近深山がいきいきと仕事してるからなんか良いことあったのかと思って」

「さぁ。私にはわかりません」


 柚月は紅茶の入ったマグカップを一つ大谷の机に置いた。もう一つを持ってソファに移動する。


「あれ、こっちで飲まないの」


 大谷が示すテーブルは大谷の席に近い。


「こっちで飲みたい気分なんです」

「えー」


 なんと言われようと柚月には席を移動する気はない。


「子どもですか」

「うん。深山と大人げないケンカするくらいガキ」


 予想外の返答に思わず横を向いていた体を反転させる。


「ケンカ、したんですか」

「余裕ないのバレるの嫌で深山の弱点をついてやった」

「弱点?」

「オレが動いたらお前負けるよねって」


 大谷の意図が掴めない。


「って、牽制したかったのはホントはオレのほう」

「へ?」


 柚月の瞳に初めて大谷が映る。


「だって委員長、オレのこと好きでしょ?」

「好きじゃありません」


 図々しい物言いに柚月は呆れて横を向いた。

 間を空けずに大谷が言った。


「オレは好きだよ」

「よくも、そんなことが言えましたね」


 柚月の震える声に気づいていないのか。

 あくまで淡々と大谷が話を続けた。


「これでも卒業まで自制しようと思ってたの。それなのに誰かさんはフラフラするし? 挙句にデート? オレともまだ行ってないのに?」


 そう言いながら大谷が柚月に近づく。柚月の足元にできた影がどんどん大きくなる。


「楽しかった?」


 大谷が意地悪そうに笑っているのが容易に想像つく。

 それを確かめる勇気はない。


「楽しかったです」


 素直な気持ちを伝えれば拗ねた返事が返ってくる。


「へーえ。そう」


 大谷がポツリと言ってその場に座り込んだ。


「オレみたいな狭い世界でいる大人より、一緒に広いところへ進んでいけるヤツといた方がいいって思ったのも本音。それに委員長の一時の気の迷いかも知れないでしょ。だから卒業まで付き合わないって言った」

「……信じてなかったんですか、私のこと」


 全てが素直だったとは言えないがこれまでにも気持ちはわかるように伝えてきたつもりだ。

 指先に力を入れるとギュギュっと音が鳴り、わかりやすくソファに深く筋が入った。大谷がその手にそっと触れた。ソファに入れた柚月の指の力が徐々に弱まっていく。


「委員長、深山に惹かれてるでしょ? 」


 柚月は勢いよく大谷へ視線を向けた。

 大谷の表情から気持ちが読み取れない。


「 まぁ、委員長だけじゃなくて、最近この学校で自分に起こったこと全部含めて、考えてた。オレもさ、こういう仕事してるといろんな相談受けんの。部活とか勉強とか恋愛相談とかね。限られた空間で一緒に過ごせばそりゃ情も移る。でも些細なきっかけでそれって崩れるの知ってる?」


 大谷の声色が変わった。大谷の目は寂しく揺れている気がした。

 自分の方を向いた柚月を見て大谷が少しだけ優しく笑う。


「オレが前に好きだったコもお互いしか話す相手がいなかったから。彼女が保健室登校じゃなかったらたぶん、気になることもなかったよ」


 大谷は柚月の手に置いた手をゆっくりと柚月の側頭部へ移した。

 柚月は軽く頭を固定されたようになり、視線を外せなくなる。


「だから。まだ狭い社会しか知らない委員長が一番身近な話しやすい大人に惹かれるのは仕方のないことなの。仕事での様子と気軽に話ができるギャップっての? 委員長もそれだから。そういうのじゃなくて、深山に惹かれたものがあるなら。そっちに行っていいよ。委員長も辞めていい」


 ポンポンと頭を軽く押さえて大谷が微笑んだ。


「こんな中途半端な時期に辞めたら困るでしょ」


 こんなときにもかわいいことを言えない自分が嫌い。


「そこは深山がうまくやってくれんじゃない。って委員長辞めたらあいつも辞めんのかな。まぁ、そんときはそんとき。教師として、やりたくないってものを強制させるわけにはいかないよ」


 柚月は回された大谷の手を外し、冷めた目で睨んだ。


「こんなときばっかり教師ヅラするんですね」


 大谷は(ひる)むことなく柚月を見たままだ。


「委員長?」


 ――自分の気持ちに絶対嘘つかないでください、先輩。

 そう言ってくれた深山に胸を張れるように、もう後悔はしたくない。


「深山が言ってました。大谷先生はいい加減そうで結構ちゃんと生徒のこと見てますよねって。私もそう思ってます。似てるらしいですよ、私たち。なんで似てると思いますか? 私がずっと先生のこと見てたからです」


 静かに大谷の目が見開かれる。

 大谷を睨みつけたまま、柚月は言葉を続ける。


「子どもだからってなめないでくださいね。先生たちに比べれば拙いものかもしれないけど人を想う気持ちは本物なんですから!」


 こんなに攻撃的な告白があっただろうか。

 柚月は後悔した。これでは素直どころか生意気なだけだ。


「だから卒業まではって思ってたのに」


 小さな呟きが聞こえた。柚月は逸した視線を戻す。


「振り回されないように、距離保ってたのに。責任取れよ、柚月」


 少ししか離れていなかった間合いは一瞬にして詰められ、息が苦しくなった。


 “人知れず思えば苦し(くれない)の 末摘花(すえつむはな)の色に出でなむ”


「誰にもわからないように思ってるのは辛かった。けどもうムリだわ」


 ――好きだよ。

 大谷が耳元で囁いた。

 紅茶の色が深まるようにこの気持ちもどんどん深まっていく。

 抱きしめられた腕の力はとても強くて、柚月が力いっぱい押してもびくともしない。それどころか力は強くなるばかりだ。


「先生、離してください。誰か来ます」

「鍵、閉めてあるよ」

「え」


 驚いて顔を上げるとニヤリとした大谷と視線が合った。

 怖くなってすぐに顔を背けた柚月は再度逃げようと試みる。でも腕にかけられた力は緩むことはない。


「逃げられると思ってんの。オレまだ柚月の気持ち聞いてないんだけど」


 大谷が腕の拘束を解いた。隙をついて逃げようとすると今度は両手首を掴まれた。

 いつまでもこんな近い距離耐えられない。


「……さっき言ったじゃないですか」

「オレ鈍感だからわかんない」


 取ってつけたようなとぼけた声が返ってくる。

 観念した柚月は下を向いたまま小さく言った。


「……きです」

「なぁに?」


 やっとの思いで口にしたのに意地悪く聞き返してくる。

 ちゃんと言えるまで手の拘束を解く気はないのだろう。


「……一人の人間として私を見てくれる先生が好きです」


 その瞬間大谷の含み笑いが聞こえてきた。とても幸せそうな。


「んふふ」

「気持ち悪いです、先生」


 柚月もにやけそうになるのを小言でごまかす。大谷は柚月の両手を自分の顔の前に持っていった。

 何事かと柚月は顔を上げる。


「だってやっと柚月の本音聞けたから」


 そう言って手の甲に口づける。タガが外れた大人はコワイ。

 自分のペースに戻そうと慌てて手を振り解く柚月。


「先生だってずっと建前ばっかだったじゃないですか」

「あれは建前じゃなくてオレのプライドなの」

「そんなプライド要りません」

「ひど」

「そのプライドのおかげでどれだけ私が振り回されたと思ってるんですか」

「意地張ってたのはお互い様でしょ」


 ああもう、そんな風に言われたら意固地になっていた自分がバカみたいじゃないか。


「卒業まで先生のわがままに付き合ってあげますよ」

「素直じゃないね、委員長は」


 そう言って顔を見合わせて笑った。

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