36. われならなくに
翌日の放課後。
次の定例会議のためのミーティング。珍しく会議室を借りた。大谷を含めて4人だけなのだからわざわざ必要ないと思ったが、大谷がどうしても譲らなかったからだ。
会議室へは柚月が一番最初に着いた。戸に手を掛けるたがびくともしない。鍵は大谷が開けると言っていたが自分が取ってきた方が早かったかもしれない。
壁にもたれて待っているとチャリチャリと音が聞こえた。鍵についたキーホルダーのわっかに人差し指を通しクルクルと回しながら大谷が歩いてくる。
その飄々とした大谷とは正反対に少し後ろを深山が神妙な面持ちで歩いている。佐渡はいつも通り。
「委員長、待たせてごめんね」と大谷が鍵を開けて柚月を部屋の中へ促した。
いつもと違う二人の雰囲気に柚月は胸騒ぎがした。
「何かあったんですか?」
「ちょっとね」
3人が椅子に座った途端。
深山が勢い良く体を上下に折り新年度入ってからの非礼を詫びた。話し終わるまで柚月は口を挟まなかった。大谷は足を組んで何か考え込んでいるようだった。
「で、ずっと準備してたイベントは辞めたいってこと?」
「やめたくはないですけど……。みんなの気持ち次第です。すみません」
深山がもう一度謝った。
「それはいいけどさ、シフトの穴埋め、全部深山一人でやってたよな? 俺にも小薗にも言わずに」
「誰かが補えば問題ないかと思って」
佐渡が深いため息をつき、柚月が頭を抱えた。
それは補えていると言えない。しわ寄せの行き先が変わっただけだ。
大谷からは一度しか聞いていないが、たぶん彼がシフトの穴埋めをしたのは一度や二度ではないと思う。
「深山のおうちのお店の仕事、出来てないんじゃないの」
「……そういう日もあります。実はその分久瀬さんにお願いしてました」
――こうなるまで何故気づけなかったのだろう。
夏休みの辺りから委員会の雰囲気に違和感があることは柚月も気づいていた。
通常業務だけでは保健委員会に興味を持ってもらえない。イベントを通して気づいてくれればと柚月もイベントには賛成していた。そのためなら多少業務がハードになっても仕方のないことだと。
各委員会の構成員は毎年変わる。もちろん保健委員会も例外ではない。去年のメンバーがやる気だったからといって今年のメンバーも最初から同じ気持ちとは限らないのだ。
柚月が顔を上げると一段と肩を落としている深山が視界に入った。
「深山一人のせいじゃないでしょ。深山はよくやってくれてるよ。おかしいことに気づいてたのにこうなるまで仕事してた私にも責任はある。でもこのまま委員会開くのはちょっと待って」
深山は興奮気味に席を立った。
「どうしてですか? 俺すぐにでもみんなに謝罪したいです」
「深山の気持ちもわかるけど、そうしたら一方的になって更にバラバラになると思わない? 先に謝られたら何か言いたくても言えなくなる人もいるでしょ」
「そう、かもしれませんね。そこまで考えてませんでした」
途端に深山の歯切れが悪くなる。ミスを挽回することに気が焦り落ち着いて考えられないようだ。
柚月は部屋に入ってからずっと静観している人物に声を掛けた。
「大谷先生、次の定例までの間、私を当番のシフト全部に入れてもらっていいですか」
大谷は腕を組んだまま目線を上げた。
「みんなと話するため?」
「はい」
大谷は柚月を試すかのようにしばらくじっと見つめる。決心の揺らがない様子に大谷が口を開いた。
「わかった。いいよ。深山もそうしたいんじゃないの」
「そうしたいところですけど俺がいることで話しにくい人もいるんじゃないかと」
卑屈になっている深山に大谷がもう一つ言葉を添えた。
「まとまって話をするより個人的に話をした方が伝わると思うよ」
深山は少し俯いて渋々答えた。
「……じゃあ俺も入れておいてください」
「俺もな」
佐渡が珍しく静かに怒っている。頼ってくれなかったことが悔しかったらしい。
「はい」
深山はてっきり大谷に噛み付くと思っていたので柚月は少し面食らった。
「りょーかい。じゃ、会議はその後ってことでいいね。解散!」
大谷がそう言って部屋を出ていくので3人してそれに従うしかなかった。急いで外に出たにもかかわらず大谷に「おそーい」と言われる。
3人が出たのを確かめるとさっさと戸締まりをして大谷は保健室へ戻っていった。
佐渡はそのまま部活があると走って行った。
大谷も何か急ぎの用事でもあったのかもしれない。けれどおざなりに扱われたようで柚月は良い気がしなかった。ふと深山を見るとまだ肩を落としたままだ。
「いつもの自信はどこ行った? ちょっと間違ってただけじゃない。まだやり直せるんだからしょげてないで先のこと考えよ!」
「大谷先生と同じこと言うんですね」
励ましたつもりなのに深山は変なことを言う。首を傾げると一緒に帰ろうと誘われた。
「そうそう、前に話していたカフェできるかもしれないんです」
「そうなんだ」
「この近くなんで寄っていきませんか」
*
深山の店へ入るのは初めてだ。
店内はこじんまりしているが天井が高く、ほのかに木の香りがする。
居酒屋には珍しく通り沿いについている窓に向かってカウンターがあり、一人でも気兼ねなく過ごせるようなつくりになっていた。
「ここを昼間はカフェスペースにしようと思ってるんですよ」
深山がカウンター席に手を置いた。
「前に言ってた改装できるようになったんだ」
「ダメ元で両親にプレゼンを繰り返したら3分の1ならと許しをもらいました。とりあえずは窓側だけパーテーションで区切って、改装はその成果次第ということで」
「やっぱ深山すごいね。自分のやりたいことどんどん叶えていって。水族館で話してくれた将来のお店の話、すごく引き込まれた」
「ほんとに? 俺でも先輩動かせるんですね」
深山が目を丸くしたと思ったらふわりと笑った。その笑みは弱くすぐに消えた。
柚月はその笑顔と言葉の意味に戸惑い、首を傾げる。
「大谷先生ってすごいですね。ほんとなら俺のことなんて邪魔でしょうに、そんなこと差し引いて話聞いてくれるんですから。柚月先輩が好きになるの、わかります」
「どうしていきなりそこで先生が出てくるの」
柚月の問いに深山は答えない。そのまま気にせず自分の話を続ける。
「俺、大谷先生に負けるものなんてないと思ってました。保健委員会の仕事も先輩への気持ちも。でも、どっちもなんて生半可な気持ちでやったのが運の尽き、ですかね」
深山が柚月を見据えて言った。
困り果てたように、呆れたように。
「大谷先生、いい加減なようでちゃんと見てくれてますよね。柚月先輩みたいに」
つぅっと涙が柚月の頬を伝って流れた。
深山がセーターの袖を片方伸ばすと柚月の頬をそっと押さえた。
袖がどんどん涙を吸って冷たくなっていく。
「ズルいこと言うと先輩がどんどん俺を好きになってくれているのかなって薄々思ってました。でも、先輩が泣く理由はいつも大谷先生なんですよね。俺じゃない」
深山が柚月に添えていた腕をだらんと下ろした。
「先生には勝てません」
ストッパーのなくなった涙はそのまま流れて床に落ちた。
深山と一緒に過ごすのは楽しかったのに、話題はいつも先生のことだった。
傍にいて気にしないようにしようとする方が無理なのかもしれない。
「これからも、先輩のことはずっと好きだと思います。それだけは許して下さいね」
止めようと思っても流れてくる涙で話ができない。
柚月は首を左右にブンブンと振った。
「泣くぐらい嫌ですか? 先輩ってほんとサディスティックですよねー」
深山がから笑いする。
「勝手にきめんな」
柚月は深呼吸をしてやっとの思いで出した言葉は凄んだように低かった。
このまま言いたい放題になんてさせてたまるものか。
「だーかーらー、先輩のことならわかるって言ったでしょ。強がってもだめですって」
ズズッ。治まっていたと思っていたのに再び鼻が詰まる。
「俺と約束してください」
「ん?」
「嘘はつかないって」
柚月は持っていたハンカチで鼻をかむとふぅっと息を吐き、深山をじっと見つめる。
「まっすぐにぶつけてくれる気持ちが嬉しくて、深山といるとすごく安心できたの。ちょっとずつだけど、深山に惹かれてた。それは嘘じゃない」
柚月が思い切り顔をしかめて無言で深山に訴える。深山が困ったような顔をした。
「でも、違った?」
柚月が力なく首を振った。深山は諭すようにゆっくりと話し始めた。
「誘導尋問じゃありませんよ。人間って好きな人の言動に自然と似てくるもんなんですよね。保健委員になってから一緒にいる時間が多かったのは俺の方なのに、先輩は俺じゃなくて大谷先生に似てきた」
――大谷先生と同じこと言うんですね。
以前、深山はそう言って悲しそうな顔をした。
「わたし……」
「うん」
「私の好きな人は、大谷先生、です」
一つ一つゆっくりと出す言葉を深山はゆっくりと相槌を打ちながら聞いた。
「はい、よく出来ました」
深山は子どもにするように柚月の頭をグシャグシャに撫でた。
「それ聞いて安心しました」
深山は柚月の両肩に手を添えるとクルッと入口へ向けた。
元に戻ろうとしても肩に入った力が強く、柚月は動くことができない。
「カフェが出来たら来てくださいね。先輩が来なきゃ店開けられませんから」
――最初のお客様なんで。
背中から聞こえた深山の声は少しくぐもって聞こえた。
「自分の気持ちに絶対嘘つかないでください、先輩」
そのままポンと背中を押されて店の外に出た。だから柚月は最後まで深山の顔を見ていない。
“陸奥の忍ぶ文字ずり誰ゆへに 乱れそめにし我ならなくに”
――今まで自分の得にならないことなんてどうでも良かったのに。俺を変えたのも心がこんなにも乱されるのもぜーんぶあなたのせいですよ。柚月先輩。




